ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜

 拠点に向かったディーたちが、あちらのメンバーを全員連れて帰ってきた。
 それだけで、王国兵に拠点が見つかってしまったということがわかる。

 全員ずぶ濡れなのを見て、ヨハンが乾いた布を持ってくる。
 布を差し出したヨハンの腕に、イーリスが飛び込んだ。

「父さん……父さん、私、私……」
「ど、どうしたんですか、イーリス」

 泣きながら何度も呼ばれ、ヨハンが困惑する。 

 イーリスはヨハンにしがみついたまま、消え入りそうなほど小さな声で話す。
 自分の父親はガーニムではないことを。アンナを看取ったナジャーが教えてくれた、アンナの最期。
 それから、親子だと知らなかったとはいえ、ずっと他人行儀に話していたことを謝った。

「真実を知らなかったからって、私、父さんになんてことを言ったのかしら」
「謝ることはないよ、イーリス。ぼくはイーリスが……ぼくとアンナの娘がこうして生きていてくれることがなによりも嬉しい」
「……父さん」

 ゆっくり背中を撫でられ、イーリスは幼い子どものようにあどけない顔で笑う。

「父さん。本当の家族というのは、こんなにもあたたかいのね。すごく、安心する」

 イーリスは生まれてからの十七年、臣下に囲まれて生きてきた。母のアンナはいない。ガーニムは、父親として子を慈しむことなどしなかった。
 ヨハンに会い、ようやく父の愛というものを感じたのだ。

 ジハードはイーリスが生まれる前から城で働いていたが、こんなにも幸せそうに微笑むイーリスを初めて見た。
 ヨハンもまた、父娘として会えたことに喜びの涙を流す。

「イーリスはもう休んでいなさい。今日は疲れただろう」
「でも……私も何か役に立ちたいわ。戦えないから、今回みたいに足を引っ張ってしまったのだし」

 同じ女であるエウフェミアは剣を持ち戦場に立っている。
 だからイーリスは、守られるだけでなく、守れるくらいになりたいと決めた。

「前線で武器を振るうだけが戦いではない。みんなのために何かしたいと思うなら、後方支援というのも十分支えになるのですよ、イーリス」
「それは、父さんのように?」
「ええ」

 医療も十分戦いの支援だ。
 傷ついた兵の治療は、戦場で不可欠。
 
「なら私、明日からは医療支援をします。治療に必要なことを教えて」
「寝不足では頭がまわりませんよ。勉強するつもりなら、きちんと食事をとって休みなさい」
「……はい。父さん」

 ヨハンが頭を撫でるとイーリスは柔らかく笑った。
 濡れた髪と身体を拭き、ナジャーの作った食事をとってもらったあと、話ができる者だけに事情を聞く。
 夜も遅いため、イーリスとルゥルア、ユーニスは休ませた。



 診療所内の待合室で、ランタンの薄明かりが揺れている。
 話を聞くのはジハード、アムル、ヨハン、オイゲン。こちらに残っていた主要メンバーだ。

 ファジュルが端的に状況を話す。

「王国兵にオアシスの拠点がばれた。だが、仲間はこのとおり全員無事だ。ガーニムが手配していた毒薬は、サーディクが盗ったから問題ない」
「へへへ。オレってば大活躍だったんだぜ。荷車燃やしてやったから、積荷はいくつか使い物にならなくなっているんじゃねーかな」
「自分でそれ言うー?」

 自画自賛でポーズを決めるサーディクに、ディーがツッコミを入れる。

 飲用水を失う心配がなくなったのは大きい。
 毒薬がこちらの手に渡ったことをガーニムが知ったなら、毒に怯えることになるのはあちらの方だ。
 食事、水路、井戸。いつどこに毒が使われるかわからない。

「回収した毒薬、見せてもらってもいいか」
「見ると言わずもらっちゃってくれよ。オレ文字読めないから中身が何なのかよくわかんねーし」

 袋を受け取り、瓶を一つ一つ並べる。
 溶血毒、神経毒、幻覚剤、睡眠薬……毒ヘビや毒草由来の薬がこれでもかというくらいに出てくる。
 これが使われていたら、反乱軍だけでなく住民にも被害が多く出ていたことだろう。
  
「毒と補給武器を失ったなら、ガーニムは近日中に別の手を打ってくる。それに備えましょう」
「もういっそこっちから打って出たほうが良いんじゃない? 隠し通路を使えば、正面を守っている兵と合わずにガーニムのとこまで行けるでしょ」

 ジハードに提案してきたのはディーだ。
 隠し通路は城内から外への一方通行。ディヤに内側から開けてもらわなければならない。

「城内の警備巡回時間に変化がないのならば、それも有効だな。ただ、城内には兵の訓練場が併設されている。見つかったが最後、百を超える兵に囲まれることになる」

 うまく行けば少人数でガーニムのところまで一直線。しくじれば全滅。諸刃の刃作戦となる。
 百人以上に囲まれると聞いたディーは、顔が青くなった。
 城内には兵以外の人間も多い。突入すれば、否応なくその人たちを戦闘に巻き込むことにもなる。

「あらかじめ召使いたちに突入を知らせておき、逃がすというのはできないか。そうすれば戦いに巻き込むこともない」
「誰か一人でも作戦を口外してしまえば、ガーニムに伝わり水の泡です」

 ファジュルの提案も、伴う危険が大きすぎて実用性に欠けた。百人に『極秘作戦だから口外するな』と言って、全員が秘密を守るとは限らない。
 秘密だと言われれば、話したくなるのが人情というものだからだ。

「かー、人数が不利だから表から行くのは危険、かと言って裏から行くのも危険、どうすりゃいいんだ」
 
 八方塞がりで、サーディクが頭をかきむしる。
 ガーニムが打ってくる手に後手で対抗するだけでは、いずれ力の差で押し切られてしまう。
 妙案が浮かばず、みんな沈黙した。

「……今日のところはここまでにして、明日もう一度話し合おう。一晩考えれば、何か案が浮かぶかもしれない」

 ファジュルの一声で、会議は一時散開となる。


 雨音が弱まり、ジハードは外に出た。
 雲が晴れて月と星が出ていた。満月の明かりがほのかにスラムを照らす。

 ヨハン父娘を見ていて、妹マッカのことが頭をよぎった。
 ジハードのせいで、ガーニムの妻に成らざるをえなかった妹。

 マッカが無事でいるか、それだけがただ気がかりだった。早くガーニムのもとから解放してあげたい。
 そんなことを考えて頭を振る。
 焦りは正常な判断力を鈍らせる。最良の指揮をするためにも、頭を切り替えないと。

「ジハード」

 呼ばれて振り返ると、ラシードがいた。

「ラシード殿。貴方ももうお休みください」
「その前に、ジハードに話しておきたいことがある」
「……なんでしょう」

 ジハードが問い返すと、ラシードはジハードを見上げて言う。
 十八年前、ジハードとラシードと並んで話をしていたときは……同じくらいの背丈だった。
 老いてラシードの背が縮んだのだ。時の経過というものを嫌でも感じる。

「ジハードは私情をはさみたくないというかもしれないが、個々にいるみんなは自分の望みのため……私情で動いている。だから、お前さんも妹を助けたいと思うなら、その気持ちはきちんと持っていていいんだ」

 無理に軍師の仕事に徹しようとしていたことを、悟られていた。その人柄は、ジハードが『王を裏切る人などではない』と信じたラシードのままだ。

「……お気遣いありがとうございます、ラシード殿」
「ジハードも早めに休んでおくといい。ガーニムは自分の思い通りにいかないのが我慢ならない性格。明日中には何か仕掛けてくるやもしれんからな」
「はい」
 
 ラシードの背を見送り、ジハードはもう一度月を見上げる。
 どうか妹が幸せであるよう、心から神に祈った。


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