ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜

 ファジュルがスラムにいるという報告があった。
 その日のうちに夜襲をかけ、拠点を見つけるよう命令を下した。
 
 一夜明け、執務室にビラールが入ってきた。
 こちらの反応を探るような、小者特有の怯えた目をしている。
 失敗したと言われるまでもなくわかった。

 ひざまずいて、ビラールは手に持った報告書を読み上げる。

「申し訳ありません陛下。スラムに向かわせたバカラ隊、ザキー隊ほぼ壊滅です」
「俺はわかりきっていることを言われるのは嫌いなんだ。ここにファジュルの首がないのはつまりそういうこと」
「す、すみません」
「お前が読みあげるのを聞くほうが時間の無駄だ。それを寄越せ」

 召使いがビラールの手から報告書を受け取り、ガーニムのところに持ってくる。
 被害状況、貧民たちの使っていたと思しき武装について。
 ここより北西に位置する公国、ヴァレンティノのジャーハを使う者もいたらしい。
 ヴァレンティノが反乱軍に関わっているというより、ファジュルがジャーハを使う兵を雇ったと取るほうが自然か。
 湾曲刀、短剣、槍、弓、ジャーハ。

 バカラの段階で武器はわかっていたはずなのに、ザキーは対抗武器で行かなかった。『卑怯な戦い方はできぬ』とでも言って湾曲刀しか持たせなかったのだろう。

 仁義だとかいうくだらないものを重んじるからこうなる。
 勝ったほうが正義なのだから、毒でも暗器でも使えばいい。
 言われなければそういう手段を取れないなんて、無駄に年を食っているだけの無能ということか。

 ガーニムが舌打ちすると、ビラールが早口でまくしたてる。

「ほ、本日中に成果を上げますゆえどうか。陛下の治世を脅かすなど許されない行為。このビラールが必ずや……」

 どうして小者というのは皆、こうも怯えた目をしているのか。いい年をした大人の男、それも中将ともあろう者が。
 まるでガーニムが悪者のようではないか。


 昔から、ガーニムを取り巻く人間は三種類しかいなかった。

 王族という権威のおこぼれに預かろうとするゴミクズ。
 敵意をむき出しにしたドブネズミ。
 そして、恐怖にかられて機嫌をうかがう虫けら。

 そのどれもが、ガーニムを苛立たせた。
 アシュラフと父母、シャムスは家族だからというのもあるが、そんな目をしなかった。
 三種類のどれとも違う人間は、片手の指の数くらいしかいない。

 どれとも違う人間も、とくに必要だとは思わなかった。

 
 まるで命乞いでもしているような言い方をするビラールに、ガーニムは告げる。

「必要ない」
「は?」

 ガーニムが『今すぐに特攻しろ』とでも言うと思っていたのだろう。
 予想外だったのか、ビラールは口を開けたまま固まった。

「必要ないと言った。数日泳がせろ」
「で、ですが、大丈夫なのでしょうか」
「ああ。一日に二度の襲撃をうけて、あちらは疑心暗鬼になっているだろう。いつ襲撃されるだろう、次は凌げるのか、備蓄は持つのか、スラムの外に出て大丈夫なのか……と」

 長年小者を見てきたから、あちらの心理が手に取るようにわかる。
 恐怖にかられ、追い詰められた者というのはひどく脆い。
 ファジュルが襲撃に怯えて日々を暮らすと思うと、それだけで酒が美味くなる。

「俺が良しと言うまで、あちらに手を出すな」
「は、承知しました」

 ビラールは敬礼し、忙しなく出ていった。

「スハイルに伝書を。“領地から武器と薬をありったけかき集めてこい”と。あちらの水路に毒か痺れ薬を仕込み、弱ったところを一網打尽にする」
「承知しました、陛下」

 控えていたディヤは、顔色を変えず頭を下げる。何を命じても淡々とこなす様子は、召使いというより暗殺稼業の者。

 そういえばこいつは、三種類に属さない人間だなと、ふと思う。

 家族以外でガーニムに媚びない人間。
 ラシード、ナジャーのような、教育係としての目とも違う。

「お前は怯えないな」
「何に、ですか」

 ディヤはそっけなく答える。
 ガーニムを恐怖の対象だと思っていない……対等な人だと思っている者の目をしている。

「アタシは、この世で一番恐ろしいのは自分の父だと思っていますから」
「父親……」
「そんな意外そうに言わないでくださいな。これでも人の子ですから、親くらいいます」

 父親が怖いなんて、ディヤが幼子のようなことを言うのはとても意外だった。いつも、怖いものなんてなさそうな顔をしているから。

「だから父が死んだとき、とても嬉しかった。もう痛い思いをしなくて済むんだって。だから、父を殺してくれた人に、心から感謝しているんです」

 世間話のように親の死を語り、微笑む。
 親の死を喜ぶなんて、ガーニム以外の人間の前で口にしたら咎められるだろう。
 理由はわからないが、ディヤもまた家族を必要としない人間なのだ。

「くだらない話をしてしまってすみません、陛下。すぐにスハイル領に文を送らせますね」

 ディヤが出ていくと、すぐにザキーが入ってきた。

 肩から腹にかけて幾重にも包帯が巻かれている。
 血と消毒、そしてスラム特有の腐臭が鼻について、ガーニムは鼻と口をおおった。

「陛下、お話をしたく存じます」
「……言ってみろ」

 少しの間を置き、ザキーは神妙な面持ちで口を開いた。

「反乱軍の頭と、話し合いの場を設けてはいかがでしょうか」
「なに?」

 この男、寝不足で頭がおかしくなったのだろうか。ガーニムはザキーの言葉の意味をくみ取れなかった。

「和平交渉をするのです。このまま襲撃を繰り返しても、お互いの兵……国民が疲弊するだけです。あちらの望みを聞き、こちらの要望を伝える」
「そうして、ファジュルに政権を明け渡せと?」
「け、けっしてそのようなことは」

 ファジュルの望みはアシュラフの目指した国を作ること、そのためにガーニムの退位を願っている……と、報告書に記されていた。

 ドブネズミどもに人権を与えたいなど、愚かとしか言いようがない。
 生きるためだから仕方ないと言い訳をして、市場や市街から食べ物を盗む。
 そんな奴らを養ってやる義務などない。

「こちらは、スラムのドブネズミを一掃したいとすら思っているのに。そんなくだらないこと、二度と言うな。次口にしたらクビにするぞ」
「陛下、本当にそれでいいのでしょうか」

 解雇を盾にしても、ザキーはいやに食い下がってくる。あまりにしつこい。ガーニムはザキーの襟首を掴んで睨みつける。

「貴様。どちらの立場が上か、わかっていないのか?」
「上か下かなど関係ありません。継承争いに無辜の民を巻き込むなど、あってはならないことです。お父上が聞いたら嘆きますぞ」
「なぜそこでヤザンの名を出す。俺とあれは別の人間。人が違えば国政のやり方が異なるのは当然。一介の兵の分際で、ヤザンの名を引き合いに出すな。気に入らないのは、ヤザンが・・・・ではなく、お前がだろう」
「そ、それは……」

 自分がガーニムのやり方を良くないと思っているのなら、そう言えばいい。
 なのになぜ、ヤザンが悲しむからだめだなどという、とってつけた言い回しをするのか。
 ガーニムには理解できない。
 他人の名を借りて、そちらに罪をなすりつけるような言い方が、大嫌いだった。

「どうせその怪我では前線に出られまい。お前ら、ビラールに言って、これを懲罰室に放り込め」
「そんな、陛下……」

 両腕を召使いに掴まれ、ザキーは引きずられるようにして出ていった。


 これまで従順だったくせに、面倒な奴だ。
 あれだけ自尊心の高い者なら、懲罰室送りにされるなど堪えられないはず。十日も閉じ込めておけば頭が冷えるだろう。

 政権はガーニムの命がある限り、ガーニムのもの。絶対、ファジュルに渡したりなどしない。
 


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