ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜

「久しぶり。そっちはうまく行ったようだね」

 ハインリッヒ邸をあとにすると、町でヘラと一座の座員が待っていた。そばには一座のラクダと荷車が止まっている。

 ラクダはいつもと変わりない顔で、そこら辺の草をもさもさと咀嚼している。
 ディーが馴染みのラクダの頭を撫でつつ、ヘラに聞く。

「バッチシ、兄さんとイーリスがよくやってくれたよ。姉貴、そっちはどう?」
「上々だよ。デューラー子爵はいつも羽振りがいいねぇ」
「大役を任せてすまないな、ヘラ。契約を取り付けたし、ファジュル様を拠点まで送り届けたら僕もそちらに合流するよ」

 親子は軽く手を打ち合わせ笑う。

「ヨアヒム座長、色々と世話になった。ありがとう」
「気にしないでくれ。まだ武器の仕入れを確約できただけ。ここからが正念場なんだ」
「ああ」

 ハインリッヒに願ったのは、武器の確保。兵力に関しては本当に必要になったときだけ、という形で頼んだ。
 ガーニムにハインリッヒ領内の人間をまとめて敵対勢力だと思われては困る。
 出来うる限り、国内のガーニム政権に不満を持つ者を集めて挑む。

 仲間が集まり次第、国に書面を送る。
『ガーニムは玉座を降り、ファジュルに王位を引き渡せ』という声明だ。

 次なる目標は戦える味方を増やすこと。
 例えば、重税に苦しめられている郊外の人々。スラムの人々。
 どこに行きどれだけの人を集めるか、拠点に帰ってから仲間たちと相談する必要がある。

 ファジュルは来たときと同じようにターバンで顔を隠した。
 検問はまだ解かれてはいないだろうことを想定して。
 イーリスもまた、姿を見られないよう、来たときと同じ方法で身を隠す。
 木箱の中から唸り声が上がるのを聞こえないふりして、一行は拠点に戻った。
 
 

「おかえりなさい、ファジュル」
「ただいま、ルゥ」

 荷車が止まると同時に、ルゥルアが飛びついてくる。ファジュルは手を差し伸べ、ルゥルアを抱きとめる。
 愛情表現を素直にする二人は、人目をはばかるということをしない。
 その様子を見て、ディーは手で顔を扇ぐ。
 
「うーん。今日もアツイねー」
「この時間は日が高いからな。洞穴に入れば日が当たらないし涼しいぞ」
「わー、イヤミが通じないってむなしー」

 ファジュルから返るのは、微妙に論点がずれたアドバイス。ファジュルとディーではアツイの意味が違う。
 サーディクがディーの肩をポンと叩く。

「諦めろ、ディー。ファジュルはクソまじめだから、冗談もイヤミも通じない」
「うん、ボクもなんとなくそう思ってた」

 遠い目をするディーとサーディクをよそに、ファジュルはいつものようにルゥルアの手を引いて歩く。

「ルベルタはどうだった?」
「ハインリッヒ伯は俺達に協力すると言ってくれた」
「そう。良かった」
「町はすごく豊かで、ハインリッヒ領の平民はイズティハル王都の平民よりも暮らしやすそうに見えた。あそこで学べば、スラムを改善する方法も見えてきそうな気がする」

 治水、法整備、何一つ欠けることなく民のためになることをして、あの街はできている。次に赴くときはハインリッヒ伯から施政の方法を学びたいと、ファジュルは思う。

「いいな。わたしもいつか行ってみたい」
「ああ。落ち着いたら一緒に行こう。俺は怖がられてしまって無理だったが、ルゥならハインリッヒ伯の娘といい友人になれるかもしれない」
「辺境伯様には娘さんがいるの?」

 ファジュルは屋敷での短いやりとりを話す。挨拶するなり怯えられ、逃げられてしまった。あれは会話になっていなかった。次に会うときはもう少しまともに話をできるだろうか。

「俺は初対面の人間に怖がられるような顔だろうか……」
「そんなことないよ。わたし、初めて会った日も、ファジュルのこと少しも怖くなかったよ」

 ルゥルアがファジュルをまっすぐと見つめる。
 出会った頃はまだ子どもだった。
 お互い背が伸び、体は大人になり、立場も変わっている。
 あの頃と変わっていくものばかりだけれど、ファジュルを見つめる瞳の輝きは変わらない。




 十年前、ファジュルはルゥルアと出会った。
 スラムの入り口。雨の中なのに傘もささず、少女が一人ひざを抱えて泣きじゃくっていた。
 スラムの子どもだと判断したのか、大人たちは足早に少女の横を通り過ぎる。汚物を見るような目で、自分たちには関係ないというふうに遠巻きにしていた。

「どうしたんだ」

 ファジュルは見てみぬふりができず、少女に声をかけた。
 肩をはねさせて、少女は恐る恐る顔を上げた。
 髪にも雨が染み込み、顔を濡らしているのが涙なのか雨なのか、判別がつかない。
 つぶらなみどりの瞳と目が合う。心なしか、左目の色は右と比べて翳《かげ》っている。
 しゃくりあげながら、少女が口を開いた。

「空、みたい」
「ん?」
「あなたの目。夜明けの空みたいで、きれいね」
「……それはどうも」

 子どもといえども男。かっこいいならともかく、きれいと言われても嬉しいと思えなかった。

「その格好、平民だろ。なんでここにいる。親とはぐれたのか?」

 少女は首を左右に振る。

「おかあさんが、お前はもういらないって、かえるばしょ、もうないの」

 親を知らないファジュルには、親に捨てられるという気持ちがあまりよくわからない。
 けれど、自分も祖父のラシードにいきなり要らないと言われたらとても悲しいだろうということは想像できた。

「俺はファジュル。お前、名前は?」
「ルゥルア」
「じゃあルゥでいいか。ルゥ、ここにいたら風邪ひくし、じいさんか先生に乾いた布をもらおう」

 ファジュルは手を差し伸べる。
 ルゥルアはファジュルの手とファジュルの顔を交互に見て、手を握り返す。そしてようやく笑顔を見せた。

「ありがとう、ファジュル」


 
 あの日助けた少女と恋に落ちるなんて、想像もしていなかった。
 
「その子はたぶん、人と話すのが苦手なだけよ。ファジュルはどこも怖くないわ。むしろきれい」
「……前も思ったんだが、きれいって男を褒める言葉じゃない」

 ルゥルアは出会った頃と変わらないことを言う。複雑な心境になるファジュルである。

「そうやって子どもみたいに拗ねるところはかわいいと思う」
「うれしくない」

 ファジュルの反応を楽しんでいるのか、ルゥルアは口元を震わせる。それからファジュルのほほに触れて顔をほころばせる。

「そんなところも全部大好きよ。わたしを見つけてくれたあの日から、ずっと」

 不意打ちをくらって、顔が熱くなるのを感じた。
 ルゥルアの言葉一つ一つに一喜一憂してしまう自分は、一生ルゥルアに敵わない気がする。
 なんだか悔しい気がして、ルゥルアの手を強く握り返す。

「俺もだ、ルゥ」

 ファジュルがスラムの貧民であっても、実は王族だったとわかっても、変わりなくそばにいて微笑んでいてくれる。
 この笑顔を守るためなら、ファジュルは悪魔ジンにでも戦いを挑むだろう。

 今戦う相手は、悪魔ではなく伯父のガーニム。
 ガーニム軍の動向を見つつ、こちらが打つべき手を考えよう。



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