ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜
拠点を出たラクダの荷車は北にある国境にむけて進んでいた。乗っているのはファジュル、イーリス、ヨアヒム、ディーの四人だけだ。
まもなく、ルベルタ王国ハインリッヒ領にさしかかる。
予想通り、イズティハル兵が検問をしいていた。商人の荷車が呼び止められ検分されていく。
ここにいる兵たちは、見たところ二十代半ばまでの若者のみで編成されている。
シャムス姫と反乱軍の捜索は下っ端に任せ、三十代以降の兵は王都に集めて警備、といったところだろう。
ラクダの手綱を握るヨアヒムは、兵たちを分析する。
「ふむ。検問の人選はあまり頭の良くない者がやったのかもしれないね。手際が悪すぎる」
「ウスマーン以外の人間が指揮をとっているということか?」
御者席の隣に座るファジュルは小声で言う。天幕を挟んで後ろの木箱からは解説が入る。
「ウスマーンは、兵一人一人の能力を見極めるのに長けているの。式典の警備は兵の年齢問わず、当人たちの実力と資質で選んでいるようだったわ」
「ちょっとイーリス。お芋なんだから喋っちゃだめだよ」
「失礼な!」
荷台で芋の箱と喧嘩をするディー。幕がかかっているからいいようなものの、傍から見てたいへん奇妙だ。
「ディー、イーリス。漫才なら後で存分にやってくれ」
ヨアヒムの一言で荷台が静かになった。
さすが、一座を束ねているだけあって人の扱いがうまい。
「おや、あんた方は姫の誕生祝いの宴に来てくれていた一座だな」
「はい。今度はハインリッヒ領で仕事がありましてね。貴方はあのとき城門を警備していた兵ですね」
「ははは。オレたちみたいな下っ端を覚えていてくれたとは嬉しいねえ」
ファジュルは常に黙っていたが、とくに話しかけられたりはしない。一座の代表ヨアヒムが積極的にこれからの予定を話しているから、兵たちの警戒も薄れている。
荷台を調べるのも形式的なもので、外から目視して終わらせた。すべての荷車を止めて中を見ているため、流れ作業というか、飽きてどんどん雑になっているようだ。
「積荷は……食べ物と楽器と、テントね。あぁ、君はツーゲルフォーク一座の楽士くんだろ。宴を警備していたとき聞いたよ。若いのにあんなにいろんな曲を奏でられるなんてすごいねぇ」
「アハ。音楽を聞き慣れていそうなお城の人に褒めてもらえるなんて光栄だね〜。ボクの腕も捨てたもんじゃないかな」
「おれが金持ちになったら家で公演やってよ!」
「いいよ〜。いつでもどこでも、呼ばれたら行くのがボクらの一座だからね」
ディーなんて、気心知れた友達同士のように会話を楽しんでいる。
おかげで滞りなく検問を通り抜けることができた。
国境を超え、しだいに緑が見え始めた。
農園と、民家だ。
街路樹だけでなく、それぞれの家に思い思いの鉢植えが置かれていて町に彩りを添えている。
イズティハル王都以外の都市を見たことがないファジュルには、とても新鮮に映る。
茂る葉の一枚一枚が、人より大きい木。
白と黄色鮮やかな花が咲く低木もある。
「うぅ、もう出ていいです? 泥臭いです」
「わがまま言わないでよ、もう。……どうする、親父。護衛の出番もなさそうだし、出してあげる?」
「ルベルタの市中にイズティハル兵はいないだろうから、いいだろう。そのかわりローブのフードで頭を隠していてくれよ?」
「わかったわ」
芋が転がる音がして、イーリスが出てきた。
ホロの隙間からルベルタの町並みを眺め、イーリスはほぅ、とため息を吐く。
「爽やかでいい香り。それに、こんなに綺麗な花が咲き乱れるところを初めて見ました。これがお母様の祖国」
「あの白い花はプルメリアだよ。よく香水に使われてるやつ。この国に来ればいつでも見ることができるよ」
「わぁ。それは楽しみです」
昨日まで芋の切り方で喧嘩していたのに、ディーとイーリスはすっかり忘れて元通り。現金なものだ。
「辺境伯の屋敷はどのあたりにあるんだ?」
「もうすぐ着きますよ。ほら、あそこに見える建物です」
眩しい日差しの中、ヨアヒムが先に見える建物を指す。
石造りの真白な壁が陽光を反射して映える。
話は通してあるからということで、ついてすぐ、客間に通された。
席につくとファジュルはターバンを解き、深呼吸する。調度品一つ一つに高級感が漂っていて、汚してしまわないか心配になる。
ディーも「この椅子に傷つけたら弁償いくらになるんだろ」なんて言っている。
待っていると、男が入ってきた。
まもなく四十代になろうかという男は、貴族というだけあり上質な衣服に身を包んでいる。
イズティハルとは違う民族服。袖の長いシャツにジャケット、ズボンにブーツ。
華美ではなく、それでいて品がいい。
面会のためにドレスに着替えていたイーリスが、スカート部分の裾を持ち上げ会釈する。それに合わせ、ファジュル、ヨアヒム、ディーも席を立ち、頭を下げる。
「ごきげんよう、ハインリッヒ様。ご無沙汰しております」
「これは姫様、お元気そうで何よりです。王家からは誘拐されて行方知れず、と聞き及んでおりましたが、やはりあれは外聞を気にした嘘でしたか」
「詐欺師も真っ青の大嘘ですわね。わたくしはこのとおり、自らの意志で反乱軍に身を置いていますわ」
貴族相手に、堂々としたたち振る舞いと言葉遣い。やはりイーリスは王女なのだと、ファジュルは感服する。
「して、そちらの若君がアシュラフ様のご子息なのですね」
自分に話が及び、ファジュルは事前にイーリスから教わった通りの礼をする。
「お初にお目にかかります。俺はイスティハール・アル=ファジュル」
「ぼくはエリック・ハインリッヒ。ここハインリッヒ領を治めている。貴方は、面差しがお父上そっくりですね」
「父に、会った事があるのですか」
「ええ。とても勉強熱心で聡明な方でした。国を良くしようと案を出し合い、食事も忘れて話をしたものです。諸国のことを知りたいと、我が家を訪問してくださったこともありました」
ラシードから聞く話とはまた違う父の姿が見え、ファジュルは不思議な気持ちになった。
「それで、ヨアヒムから簡単に聞いているが、詳しく話してもらえませんか」
エリックに促され、ファジュルはここに来るまでのことをすべて話した。
ガーニムの謀略により家族を失い、この年齢までスラムで暮らしていたこと。
ファジュルを亡き者にするため、ガーニムがスラムに火を放ったこと。
シャムス王女もガーニムの横暴に耐えかね、反乱を決意したこと。
罪もない者が誘拐犯に仕立て上げられ、処刑されようとしていたこと。
「ガーニムを討つには、俺たちだけでは武器も兵力も足りない。だから貴方の力を貸してほしい」
ファジュルは頭を下げ、イーリス、ヨアヒム、ディーもそれに倣った。
「話はわかりました。ぼくもガーニム様が王になってから、イズティハルの未来を憂いたのです。重税を強いられ生活できなくて困っていると、イズティハルの農村から来た難民を受け入れたこともあります」
「伯父が、国民だけでなく貴方にまでご迷惑をおかけしたようで、申し訳無い」
他国にまで迷惑をかけている暴君と血の繋がりがあることが、情けなくなった。
イーリスも同じような心境のようで、険しい顔をしている。
「ガーニム様を討って、その後どうするおつもりですか」
「まずはガーニムに加担していた者たちを降ろす。然るべき人間を国政の席に置く。それから、スラムを改修し、貧民も平民と変わらない暮らしをできるようにする」
「…………それを聞いて安心しました。平民よりも苦しい暮らしをしてこられたのです。貴方はガーニム様のような圧政を敷くことはないでしょうね」
エリックは感慨深そうに目を細め、手を組む。
「反乱軍に出資してもいい」
「ほ、本当ですか!? ああ、良かった」
イーリスが喜色満面で身を乗り出す。
「ただし……ぼくの娘を妻として迎えてくれるのならば、ですが」
続けられた言葉に、イーリスの笑顔が消えた。
「お断りします。娘の気持ちも確認せず政略結婚の道具にするのは、ガーニムとなにも変わらないではありませんか」
「何を仰いますか。王侯貴族である以上、結婚し、血を残す義務がある。ぼくも、後継者が必要だから国内の貴族から妻をとった。恋愛感情を持って婚姻するほうが珍しいくらいですよ」
エリックの言うことは、貴族としての普通。決して酷なことを迫っているわけではない。それでもファジュルは譲らない。
「俺にはもう伴侶がいます。彼女以外の妻を……側室を持つつもりはありません」
「ぼくの娘を正妃にしないのなら、出資の話は白紙。我が領地にあるイズティハル王国の大使館に貴方の居所を教えることもできるのですよ」
エリックは、穏やか口調で反論する。言っている内容は脅しとも取れるが、顔には虫も殺さないような優しい笑顔を浮かべている。
ハインリッヒ家の娘がファジュルの妻になれば、イズティハル王の親族となる。
結果的に、ルベルタにもイズティハルにも強い発言力を持つことができる。
貴族にとって婚姻と子どもは、他国や他家との繋がりを作る鎖。
自分はそんな世界に立とうとしているのだと、改めて気付かされる。
「俺の伴侶はただ一人、ルゥだけ。手放せというのなら、その瞬間から、俺は貴方の敵となるでしょう」
「……そうですか。ファジュル様が否と言うのならば、シャムス王女。ぼくには貴女と同じ年頃の甥がいまして。母君と同じルベルタ人なら心安 いでしょう」
「お断りします。わたくしは成すべきことがありますから、貴族と結婚して屋敷でじっとしているなんてまっぴら御免です」
ファジュルが駄目ならシャムス王女にと言われるが、イーリスも即座に断る。
「あなた方は、ぼくに嘆願しに来た立場だとわかっていますか。こちらの望みを聞かず出資だけしろなんて虫のいい話ではないですか」
「婚姻以外のことなら、できる範囲でお応えしましょう。今は隠遁生活の身の上ゆえ、御礼はガーニムを討ってからになりますが」
ファジュルとイーリスが徹底して婚姻はしないと拒絶し続け、最後にはエリックが笑いだした。
「はははははっ。参りました。さすがアシュラフ様のご子息。心根が強くあられる。試すようなことを言ってすみませんでした」
「…………試す?」
先程までの論争は本意でなかったと言うことだろうか。当惑する一同に、エリックは言う。
「ご無礼をお許しください。ここでぼくの金をもらうために結婚すると言っていたら、貴方に出資しませんよ。革命を起こしてまで、第二のガーニム様を生み出すような真似はできません」
さすが、イーリスが『ガーニムと気が合わなそうな御仁』と評しただけはある。金で動くかどうか試されることになろうとは。
確かにこの人なら、信頼に足る。
「婚姻はしなくても構いませんが、こちらの国に交友を持っておくと、いずれ貴方たちの助けとなるでしょう。ダニエラ、来なさい」
エリックが部屋の外に呼びかけ、メイドに伴われた少女が入ってきた。
色素の薄い茶色のロングヘアが印象的で、裾広がりのシルエットのワンピースを着ている。
おどおどとしていて、一度もファジュルと目が合わない。
「ファジュル様。この子はぼくの娘、ダニエラだ。今年十五になった。……ダニエラ、シャムス王女と一座の二人のことは知っているね。こちらの若君はファジュル王子だ。挨拶なさい」
言葉の後半は娘に向けて。父に促されても、言葉にならない声をもらして何も言えずにいる。
「俺はファジュルだ。よろしく頼む、ダニエラ」
「ああああの、えと、は、はい」
ファジュルが会釈すると、ダニエラは勢いよく頭を下げて、そのまま走って出ていってしまった。
「……俺の顔は逃げるほど怖いか?」
「ダイジョーブだよ兄さん。あの子は誰に対してもあんな風だから気にしなくていいよ。ボクらが挨拶してもいつも逃げちゃうんだもん」
「お客様への失礼な態度、申し訳ありません。ダニエラのことはあとできちんと叱っておきますので、お許しください」
ディーに言われ、エリックが謝り倒すこととなった。
まもなく、ルベルタ王国ハインリッヒ領にさしかかる。
予想通り、イズティハル兵が検問をしいていた。商人の荷車が呼び止められ検分されていく。
ここにいる兵たちは、見たところ二十代半ばまでの若者のみで編成されている。
シャムス姫と反乱軍の捜索は下っ端に任せ、三十代以降の兵は王都に集めて警備、といったところだろう。
ラクダの手綱を握るヨアヒムは、兵たちを分析する。
「ふむ。検問の人選はあまり頭の良くない者がやったのかもしれないね。手際が悪すぎる」
「ウスマーン以外の人間が指揮をとっているということか?」
御者席の隣に座るファジュルは小声で言う。天幕を挟んで後ろの木箱からは解説が入る。
「ウスマーンは、兵一人一人の能力を見極めるのに長けているの。式典の警備は兵の年齢問わず、当人たちの実力と資質で選んでいるようだったわ」
「ちょっとイーリス。お芋なんだから喋っちゃだめだよ」
「失礼な!」
荷台で芋の箱と喧嘩をするディー。幕がかかっているからいいようなものの、傍から見てたいへん奇妙だ。
「ディー、イーリス。漫才なら後で存分にやってくれ」
ヨアヒムの一言で荷台が静かになった。
さすが、一座を束ねているだけあって人の扱いがうまい。
「おや、あんた方は姫の誕生祝いの宴に来てくれていた一座だな」
「はい。今度はハインリッヒ領で仕事がありましてね。貴方はあのとき城門を警備していた兵ですね」
「ははは。オレたちみたいな下っ端を覚えていてくれたとは嬉しいねえ」
ファジュルは常に黙っていたが、とくに話しかけられたりはしない。一座の代表ヨアヒムが積極的にこれからの予定を話しているから、兵たちの警戒も薄れている。
荷台を調べるのも形式的なもので、外から目視して終わらせた。すべての荷車を止めて中を見ているため、流れ作業というか、飽きてどんどん雑になっているようだ。
「積荷は……食べ物と楽器と、テントね。あぁ、君はツーゲルフォーク一座の楽士くんだろ。宴を警備していたとき聞いたよ。若いのにあんなにいろんな曲を奏でられるなんてすごいねぇ」
「アハ。音楽を聞き慣れていそうなお城の人に褒めてもらえるなんて光栄だね〜。ボクの腕も捨てたもんじゃないかな」
「おれが金持ちになったら家で公演やってよ!」
「いいよ〜。いつでもどこでも、呼ばれたら行くのがボクらの一座だからね」
ディーなんて、気心知れた友達同士のように会話を楽しんでいる。
おかげで滞りなく検問を通り抜けることができた。
国境を超え、しだいに緑が見え始めた。
農園と、民家だ。
街路樹だけでなく、それぞれの家に思い思いの鉢植えが置かれていて町に彩りを添えている。
イズティハル王都以外の都市を見たことがないファジュルには、とても新鮮に映る。
茂る葉の一枚一枚が、人より大きい木。
白と黄色鮮やかな花が咲く低木もある。
「うぅ、もう出ていいです? 泥臭いです」
「わがまま言わないでよ、もう。……どうする、親父。護衛の出番もなさそうだし、出してあげる?」
「ルベルタの市中にイズティハル兵はいないだろうから、いいだろう。そのかわりローブのフードで頭を隠していてくれよ?」
「わかったわ」
芋が転がる音がして、イーリスが出てきた。
ホロの隙間からルベルタの町並みを眺め、イーリスはほぅ、とため息を吐く。
「爽やかでいい香り。それに、こんなに綺麗な花が咲き乱れるところを初めて見ました。これがお母様の祖国」
「あの白い花はプルメリアだよ。よく香水に使われてるやつ。この国に来ればいつでも見ることができるよ」
「わぁ。それは楽しみです」
昨日まで芋の切り方で喧嘩していたのに、ディーとイーリスはすっかり忘れて元通り。現金なものだ。
「辺境伯の屋敷はどのあたりにあるんだ?」
「もうすぐ着きますよ。ほら、あそこに見える建物です」
眩しい日差しの中、ヨアヒムが先に見える建物を指す。
石造りの真白な壁が陽光を反射して映える。
話は通してあるからということで、ついてすぐ、客間に通された。
席につくとファジュルはターバンを解き、深呼吸する。調度品一つ一つに高級感が漂っていて、汚してしまわないか心配になる。
ディーも「この椅子に傷つけたら弁償いくらになるんだろ」なんて言っている。
待っていると、男が入ってきた。
まもなく四十代になろうかという男は、貴族というだけあり上質な衣服に身を包んでいる。
イズティハルとは違う民族服。袖の長いシャツにジャケット、ズボンにブーツ。
華美ではなく、それでいて品がいい。
面会のためにドレスに着替えていたイーリスが、スカート部分の裾を持ち上げ会釈する。それに合わせ、ファジュル、ヨアヒム、ディーも席を立ち、頭を下げる。
「ごきげんよう、ハインリッヒ様。ご無沙汰しております」
「これは姫様、お元気そうで何よりです。王家からは誘拐されて行方知れず、と聞き及んでおりましたが、やはりあれは外聞を気にした嘘でしたか」
「詐欺師も真っ青の大嘘ですわね。わたくしはこのとおり、自らの意志で反乱軍に身を置いていますわ」
貴族相手に、堂々としたたち振る舞いと言葉遣い。やはりイーリスは王女なのだと、ファジュルは感服する。
「して、そちらの若君がアシュラフ様のご子息なのですね」
自分に話が及び、ファジュルは事前にイーリスから教わった通りの礼をする。
「お初にお目にかかります。俺はイスティハール・アル=ファジュル」
「ぼくはエリック・ハインリッヒ。ここハインリッヒ領を治めている。貴方は、面差しがお父上そっくりですね」
「父に、会った事があるのですか」
「ええ。とても勉強熱心で聡明な方でした。国を良くしようと案を出し合い、食事も忘れて話をしたものです。諸国のことを知りたいと、我が家を訪問してくださったこともありました」
ラシードから聞く話とはまた違う父の姿が見え、ファジュルは不思議な気持ちになった。
「それで、ヨアヒムから簡単に聞いているが、詳しく話してもらえませんか」
エリックに促され、ファジュルはここに来るまでのことをすべて話した。
ガーニムの謀略により家族を失い、この年齢までスラムで暮らしていたこと。
ファジュルを亡き者にするため、ガーニムがスラムに火を放ったこと。
シャムス王女もガーニムの横暴に耐えかね、反乱を決意したこと。
罪もない者が誘拐犯に仕立て上げられ、処刑されようとしていたこと。
「ガーニムを討つには、俺たちだけでは武器も兵力も足りない。だから貴方の力を貸してほしい」
ファジュルは頭を下げ、イーリス、ヨアヒム、ディーもそれに倣った。
「話はわかりました。ぼくもガーニム様が王になってから、イズティハルの未来を憂いたのです。重税を強いられ生活できなくて困っていると、イズティハルの農村から来た難民を受け入れたこともあります」
「伯父が、国民だけでなく貴方にまでご迷惑をおかけしたようで、申し訳無い」
他国にまで迷惑をかけている暴君と血の繋がりがあることが、情けなくなった。
イーリスも同じような心境のようで、険しい顔をしている。
「ガーニム様を討って、その後どうするおつもりですか」
「まずはガーニムに加担していた者たちを降ろす。然るべき人間を国政の席に置く。それから、スラムを改修し、貧民も平民と変わらない暮らしをできるようにする」
「…………それを聞いて安心しました。平民よりも苦しい暮らしをしてこられたのです。貴方はガーニム様のような圧政を敷くことはないでしょうね」
エリックは感慨深そうに目を細め、手を組む。
「反乱軍に出資してもいい」
「ほ、本当ですか!? ああ、良かった」
イーリスが喜色満面で身を乗り出す。
「ただし……ぼくの娘を妻として迎えてくれるのならば、ですが」
続けられた言葉に、イーリスの笑顔が消えた。
「お断りします。娘の気持ちも確認せず政略結婚の道具にするのは、ガーニムとなにも変わらないではありませんか」
「何を仰いますか。王侯貴族である以上、結婚し、血を残す義務がある。ぼくも、後継者が必要だから国内の貴族から妻をとった。恋愛感情を持って婚姻するほうが珍しいくらいですよ」
エリックの言うことは、貴族としての普通。決して酷なことを迫っているわけではない。それでもファジュルは譲らない。
「俺にはもう伴侶がいます。彼女以外の妻を……側室を持つつもりはありません」
「ぼくの娘を正妃にしないのなら、出資の話は白紙。我が領地にあるイズティハル王国の大使館に貴方の居所を教えることもできるのですよ」
エリックは、穏やか口調で反論する。言っている内容は脅しとも取れるが、顔には虫も殺さないような優しい笑顔を浮かべている。
ハインリッヒ家の娘がファジュルの妻になれば、イズティハル王の親族となる。
結果的に、ルベルタにもイズティハルにも強い発言力を持つことができる。
貴族にとって婚姻と子どもは、他国や他家との繋がりを作る鎖。
自分はそんな世界に立とうとしているのだと、改めて気付かされる。
「俺の伴侶はただ一人、ルゥだけ。手放せというのなら、その瞬間から、俺は貴方の敵となるでしょう」
「……そうですか。ファジュル様が否と言うのならば、シャムス王女。ぼくには貴女と同じ年頃の甥がいまして。母君と同じルベルタ人なら
「お断りします。わたくしは成すべきことがありますから、貴族と結婚して屋敷でじっとしているなんてまっぴら御免です」
ファジュルが駄目ならシャムス王女にと言われるが、イーリスも即座に断る。
「あなた方は、ぼくに嘆願しに来た立場だとわかっていますか。こちらの望みを聞かず出資だけしろなんて虫のいい話ではないですか」
「婚姻以外のことなら、できる範囲でお応えしましょう。今は隠遁生活の身の上ゆえ、御礼はガーニムを討ってからになりますが」
ファジュルとイーリスが徹底して婚姻はしないと拒絶し続け、最後にはエリックが笑いだした。
「はははははっ。参りました。さすがアシュラフ様のご子息。心根が強くあられる。試すようなことを言ってすみませんでした」
「…………試す?」
先程までの論争は本意でなかったと言うことだろうか。当惑する一同に、エリックは言う。
「ご無礼をお許しください。ここでぼくの金をもらうために結婚すると言っていたら、貴方に出資しませんよ。革命を起こしてまで、第二のガーニム様を生み出すような真似はできません」
さすが、イーリスが『ガーニムと気が合わなそうな御仁』と評しただけはある。金で動くかどうか試されることになろうとは。
確かにこの人なら、信頼に足る。
「婚姻はしなくても構いませんが、こちらの国に交友を持っておくと、いずれ貴方たちの助けとなるでしょう。ダニエラ、来なさい」
エリックが部屋の外に呼びかけ、メイドに伴われた少女が入ってきた。
色素の薄い茶色のロングヘアが印象的で、裾広がりのシルエットのワンピースを着ている。
おどおどとしていて、一度もファジュルと目が合わない。
「ファジュル様。この子はぼくの娘、ダニエラだ。今年十五になった。……ダニエラ、シャムス王女と一座の二人のことは知っているね。こちらの若君はファジュル王子だ。挨拶なさい」
言葉の後半は娘に向けて。父に促されても、言葉にならない声をもらして何も言えずにいる。
「俺はファジュルだ。よろしく頼む、ダニエラ」
「ああああの、えと、は、はい」
ファジュルが会釈すると、ダニエラは勢いよく頭を下げて、そのまま走って出ていってしまった。
「……俺の顔は逃げるほど怖いか?」
「ダイジョーブだよ兄さん。あの子は誰に対してもあんな風だから気にしなくていいよ。ボクらが挨拶してもいつも逃げちゃうんだもん」
「お客様への失礼な態度、申し訳ありません。ダニエラのことはあとできちんと叱っておきますので、お許しください」
ディーに言われ、エリックが謝り倒すこととなった。