ドブネズミの革命 〜虐げられる貧民たちは下克上する〜
イーリスは激怒した。
ラシードのもとで仲間が来るのを待っていたら、ディーによって木箱に押し込められたのだ。
さらに頭の上から、果物やら果物やら投げ込んでくる。
泥まみれの芋に埋もれて、イーリスは抗議する。
「ちょっと、ディー! なぜ私が野菜ごと箱詰めされなければならないのですっ! 女性をこのように扱うものではありません!」
「黙っててよイーリス。野菜は喋らないんだよ」
「誰が野菜ですか!」
箱の中でもがくイーリスの頭に、ディーが追加の芋と人参を乗せる。二人の気安いやり取りを見て、ナジャーが微笑む。
イーリスはずっとお城の中で生きてきたから、こんな風に言い合いする相手も居なかったのだ。
城を訪問する貴族の娘たちは姫のご機嫌うかがいしかしないから、言い争うなんてこともない。
なんだか感慨深そうだ。
「あらあら、イーリスとディーさんは仲がよろしいのですね」
「ナジャー……。こういうのは仲がいいとは言わないのではなくて?」
「お友だちとは、そういうものですよ」
ナジャーが言うのならそうなのかもしれない。お友だちというものがいないから、こんなことすら初めてだ。
「兵がまだそこら辺にいますし、貴女は追われている身でしょう。連れ戻されたくなければ野菜になりきってくださいね、イーリス」
「……はい。私はお芋です」
ヨハンに説得されたイーリスは、布をかぶって箱の中にしゃがむ。いま城に戻れば、確実にガーニムと、ガーニムが用意した婚約者様にいいようにされてしまうのだ。
町を離れるまで芋になることにした。
どうにも、ヨハンの言うことにだけは逆らう気になれない。言い方が穏やかというのもあるけれど、イーリスを思うがゆえに言ってくれていると伝わってくるからかもしれない。
「ついでだから、この先は伯父さんの娘のフリをしててよ。知らない人にこのメンバーの人間関係聞かれてもそれらしくなるでしょ」
「ヨハンさんの娘ですか。ではなんとお呼びすれば良いのでしょう。平民はお父様と呼んだりはしないのでしょう?」
「父さん、でいいんじゃない。なんかアンタ父親を親父って呼ぶような顔じゃないし」
「わかりました」
なんだかどんどんディーに丸め込まれている気がしないでもないけれど、確かに、ここに父親がいるなら平民イーリスと名乗るのにも説得力が出る。王宮務めの兵でない限りは“シャムス姫”の顔を知らないのだから。
ファジュルとルゥルア、ユーニスが合流して、あとは出発するだけとなった。
イーリスは木箱の中からこっそり、ルゥルアに声をかける。
「ルゥルアさん、どうでした?」
「|片眼鏡《モノクル》の方に渡したから、引き上げてくれるんじゃないかな。信じてくれたようだもの」
「そう。ご苦労様」
イーリスの言葉を、ディーが指摘する。
「イーリス。こういうときは“ありがとう”だよ」
「そ、そうなのね。では、ありがとう、ルゥルアさん」
「どういたしまして」
ルゥルアはクスクス笑って答える。
イーリスは平民ぐらし初心者。平民が当たり前にやっているこうした一つ一つを、これから学んで覚えていく。
ルゥルアが幼子を育てるような心境でイーリスとディーを見ていることなど、イーリスは知る由もない。
ラクダが歩き、荷車がゆっくりと動き出す。
ファジュルが荷車に乗るメンバーに声をかける。
「行くぞ」
「ボクは手綱を引くから、じいちゃんとばあちゃんとちびっ子は座ってなよ。あと伯父さんも、診療で疲れてるでしょ」
「いーよ。おれはちびじゃない。歩けるから兄ちゃんと行くー!」
ユーニスはちびっ子呼ばわりされたのが腹立たしくて、荷車を飛び降りた。ずんずん大股で、ファジュルとルゥルアを追い越していく。
「そうやってすぐムキになるのはガキの証拠だよ」
「なんだとうーー!」
いい年して幼いユーニスをからかって遊ぶディー。完全に面白がっている。
「ルゥは座っていていいぞ。疲れるだろう」
「ううん。ファジュルと歩きたい」
「そうか」
ルゥルアの意思を尊重して、ファジュルはルゥルアの手を引いて歩く。
ヨハンは甥の言葉に甘えて休む。ここ数日、火事の騒動で怪我をした人間を診ていたため、実はあまり寝ていない。
イーリスが隠れている木箱に背を預けて座る。
町の近辺を警備していた兵がディーの一座のことを覚えていたため、「ボクらは買い出し組で、先に行った仲間と合流するんだ」と話すと怪しまれることなくすんなりと通れた。
ラクダがゆったりと進み、町がどんどんと遠くなっていく。ラシードは霞んでいく城下町に目を細める。
「あぁ、何年ぶりだろうな、こうしてナジャーといるのは。私のせいで苦労をかけたな」
「いいえ。私もアムルも、貴方を信じておりましたから」
「……ありがとう、ナジャー」
罪人の汚名を着せられても夫の無実を信じ続けたナジャー。ラシードはただただ頷く。
兵の目を気にしなくてよくなり、イーリスは芋役をやめて箱の外に出る。髪や服に芋の泥がついたのを叩いて落とす。
箱詰めされ芋のふりをする日が来るなんて、一週間前の自分に言っても信じないと思う。しかも着ているのはドレスではなく、ディーの服。
踊りを担うこともあるというディーの服はゆったりとしていて動きやすい。ドレスより好みかもしれない。
ホロから出て、御者の席に座っていたディーの袖を引く。
「ディー、この服をくれない? 気に入ったわ」
「はあ? なんでボクのを? あっちに合流すれば姉貴の古着をもらえるから、そっちを着てればいいじゃん。イーリスも、着るなら女物のほうがいいでしょ」
「あなたのお姉さんって、宴で舞っていた女性でしょ? 私より背が高いから服が合わないのではないかしら」
「どういう意味さ」
「私の背丈では、お姉さんの服を着ることができないわ。だからディーの服がちょうどいいの」
イーリスにそんな意図はなくても、言葉が意味するところは“チビ”だ。
男としてのささやかなプライドがズタボロである。
「くっ。今に見てろよ。すぐアンタより背が高くなって、そんなこと言えないようにしてやる!」
「なぜ怒っているのです」
「怒ってない!」
明らかに不機嫌になっているディー。
ヨハンがこっそり笑う。ただでさえ箱入りとして育てられた姫に、男心の機微を理解しろなんて無理な話だ。イーリスに悪気がないだけにたちが悪い。
「イーリス。ディーは身長を指摘されるのが嫌いなんです」
「え、そうなの? ごめんなさい。ディーは小柄なのを気にしていたのね。けれどこの背丈も、小回りが利いていいと思うわ」
「小柄……小回り……」
無自覚な言葉で、傷口に丁寧に塩を塗りこんでいく。
涙目で手綱を握り直すディー。ヨハンが笑いをかみ殺す。
「父さん、なぜディーは落ち込んでいるの」
「そのうちわかるようになります」
そのうち。こんな風にたわいのないやりとりを理解できるくらいに、これからはみんなと日々を過ごしていく。
そう思うと、イーリスの心は踊る。
イーリスの夢はささやかすぎて、平民にバカにされそうな夢だ。
みんなと同じ、普通の暮らしをしたい。
心のままに笑い、はしゃぎ、走り回る。姫という立場にあるせいで、そんなことすら許されなかった。
「そのうち。そうね。誰かとこんなに話をしたのは初めて。いつも、大口を開けて笑うなとか、これをしてはいけませんとか、注意されてばかりだったの。知らなかったわ。誰かと話すのはこんなに楽しいことだったのね」
これまでずっと抑圧されて生きてきたイーリスの一言に、ディーは答える。
「なら、イーリスには、ボクがこれからたくさん教えてあげるよ。今すぐはできないけど、買い食いの楽しさも知ってほしいな。ルベルタにある屋台の串焼きがすごく美味しくてね」
「串焼き?」
「そう。肉を串に刺して焚き火で焼いて、売ってるんだ。焼き立てを肉汁垂らしながら食べるのがこれまたウマい。南国果実のジュースの屋台もオススメだよ」
買い食いして外で食べるなんて、城にいたら、お行儀が悪いです、はしたないと怒られる。
これまでできなかったあれこれに、思いを馳せる。
「とっても楽しみです。私はわからないので、そのときはディーが案内してくださいね」
「そうだね。案内してあげる」
イーリスたちを乗せた荷車は、荒野の中を拠点に向かって進んでいく。
ラシードのもとで仲間が来るのを待っていたら、ディーによって木箱に押し込められたのだ。
さらに頭の上から、果物やら果物やら投げ込んでくる。
泥まみれの芋に埋もれて、イーリスは抗議する。
「ちょっと、ディー! なぜ私が野菜ごと箱詰めされなければならないのですっ! 女性をこのように扱うものではありません!」
「黙っててよイーリス。野菜は喋らないんだよ」
「誰が野菜ですか!」
箱の中でもがくイーリスの頭に、ディーが追加の芋と人参を乗せる。二人の気安いやり取りを見て、ナジャーが微笑む。
イーリスはずっとお城の中で生きてきたから、こんな風に言い合いする相手も居なかったのだ。
城を訪問する貴族の娘たちは姫のご機嫌うかがいしかしないから、言い争うなんてこともない。
なんだか感慨深そうだ。
「あらあら、イーリスとディーさんは仲がよろしいのですね」
「ナジャー……。こういうのは仲がいいとは言わないのではなくて?」
「お友だちとは、そういうものですよ」
ナジャーが言うのならそうなのかもしれない。お友だちというものがいないから、こんなことすら初めてだ。
「兵がまだそこら辺にいますし、貴女は追われている身でしょう。連れ戻されたくなければ野菜になりきってくださいね、イーリス」
「……はい。私はお芋です」
ヨハンに説得されたイーリスは、布をかぶって箱の中にしゃがむ。いま城に戻れば、確実にガーニムと、ガーニムが用意した婚約者様にいいようにされてしまうのだ。
町を離れるまで芋になることにした。
どうにも、ヨハンの言うことにだけは逆らう気になれない。言い方が穏やかというのもあるけれど、イーリスを思うがゆえに言ってくれていると伝わってくるからかもしれない。
「ついでだから、この先は伯父さんの娘のフリをしててよ。知らない人にこのメンバーの人間関係聞かれてもそれらしくなるでしょ」
「ヨハンさんの娘ですか。ではなんとお呼びすれば良いのでしょう。平民はお父様と呼んだりはしないのでしょう?」
「父さん、でいいんじゃない。なんかアンタ父親を親父って呼ぶような顔じゃないし」
「わかりました」
なんだかどんどんディーに丸め込まれている気がしないでもないけれど、確かに、ここに父親がいるなら平民イーリスと名乗るのにも説得力が出る。王宮務めの兵でない限りは“シャムス姫”の顔を知らないのだから。
ファジュルとルゥルア、ユーニスが合流して、あとは出発するだけとなった。
イーリスは木箱の中からこっそり、ルゥルアに声をかける。
「ルゥルアさん、どうでした?」
「|片眼鏡《モノクル》の方に渡したから、引き上げてくれるんじゃないかな。信じてくれたようだもの」
「そう。ご苦労様」
イーリスの言葉を、ディーが指摘する。
「イーリス。こういうときは“ありがとう”だよ」
「そ、そうなのね。では、ありがとう、ルゥルアさん」
「どういたしまして」
ルゥルアはクスクス笑って答える。
イーリスは平民ぐらし初心者。平民が当たり前にやっているこうした一つ一つを、これから学んで覚えていく。
ルゥルアが幼子を育てるような心境でイーリスとディーを見ていることなど、イーリスは知る由もない。
ラクダが歩き、荷車がゆっくりと動き出す。
ファジュルが荷車に乗るメンバーに声をかける。
「行くぞ」
「ボクは手綱を引くから、じいちゃんとばあちゃんとちびっ子は座ってなよ。あと伯父さんも、診療で疲れてるでしょ」
「いーよ。おれはちびじゃない。歩けるから兄ちゃんと行くー!」
ユーニスはちびっ子呼ばわりされたのが腹立たしくて、荷車を飛び降りた。ずんずん大股で、ファジュルとルゥルアを追い越していく。
「そうやってすぐムキになるのはガキの証拠だよ」
「なんだとうーー!」
いい年して幼いユーニスをからかって遊ぶディー。完全に面白がっている。
「ルゥは座っていていいぞ。疲れるだろう」
「ううん。ファジュルと歩きたい」
「そうか」
ルゥルアの意思を尊重して、ファジュルはルゥルアの手を引いて歩く。
ヨハンは甥の言葉に甘えて休む。ここ数日、火事の騒動で怪我をした人間を診ていたため、実はあまり寝ていない。
イーリスが隠れている木箱に背を預けて座る。
町の近辺を警備していた兵がディーの一座のことを覚えていたため、「ボクらは買い出し組で、先に行った仲間と合流するんだ」と話すと怪しまれることなくすんなりと通れた。
ラクダがゆったりと進み、町がどんどんと遠くなっていく。ラシードは霞んでいく城下町に目を細める。
「あぁ、何年ぶりだろうな、こうしてナジャーといるのは。私のせいで苦労をかけたな」
「いいえ。私もアムルも、貴方を信じておりましたから」
「……ありがとう、ナジャー」
罪人の汚名を着せられても夫の無実を信じ続けたナジャー。ラシードはただただ頷く。
兵の目を気にしなくてよくなり、イーリスは芋役をやめて箱の外に出る。髪や服に芋の泥がついたのを叩いて落とす。
箱詰めされ芋のふりをする日が来るなんて、一週間前の自分に言っても信じないと思う。しかも着ているのはドレスではなく、ディーの服。
踊りを担うこともあるというディーの服はゆったりとしていて動きやすい。ドレスより好みかもしれない。
ホロから出て、御者の席に座っていたディーの袖を引く。
「ディー、この服をくれない? 気に入ったわ」
「はあ? なんでボクのを? あっちに合流すれば姉貴の古着をもらえるから、そっちを着てればいいじゃん。イーリスも、着るなら女物のほうがいいでしょ」
「あなたのお姉さんって、宴で舞っていた女性でしょ? 私より背が高いから服が合わないのではないかしら」
「どういう意味さ」
「私の背丈では、お姉さんの服を着ることができないわ。だからディーの服がちょうどいいの」
イーリスにそんな意図はなくても、言葉が意味するところは“チビ”だ。
男としてのささやかなプライドがズタボロである。
「くっ。今に見てろよ。すぐアンタより背が高くなって、そんなこと言えないようにしてやる!」
「なぜ怒っているのです」
「怒ってない!」
明らかに不機嫌になっているディー。
ヨハンがこっそり笑う。ただでさえ箱入りとして育てられた姫に、男心の機微を理解しろなんて無理な話だ。イーリスに悪気がないだけにたちが悪い。
「イーリス。ディーは身長を指摘されるのが嫌いなんです」
「え、そうなの? ごめんなさい。ディーは小柄なのを気にしていたのね。けれどこの背丈も、小回りが利いていいと思うわ」
「小柄……小回り……」
無自覚な言葉で、傷口に丁寧に塩を塗りこんでいく。
涙目で手綱を握り直すディー。ヨハンが笑いをかみ殺す。
「父さん、なぜディーは落ち込んでいるの」
「そのうちわかるようになります」
そのうち。こんな風にたわいのないやりとりを理解できるくらいに、これからはみんなと日々を過ごしていく。
そう思うと、イーリスの心は踊る。
イーリスの夢はささやかすぎて、平民にバカにされそうな夢だ。
みんなと同じ、普通の暮らしをしたい。
心のままに笑い、はしゃぎ、走り回る。姫という立場にあるせいで、そんなことすら許されなかった。
「そのうち。そうね。誰かとこんなに話をしたのは初めて。いつも、大口を開けて笑うなとか、これをしてはいけませんとか、注意されてばかりだったの。知らなかったわ。誰かと話すのはこんなに楽しいことだったのね」
これまでずっと抑圧されて生きてきたイーリスの一言に、ディーは答える。
「なら、イーリスには、ボクがこれからたくさん教えてあげるよ。今すぐはできないけど、買い食いの楽しさも知ってほしいな。ルベルタにある屋台の串焼きがすごく美味しくてね」
「串焼き?」
「そう。肉を串に刺して焚き火で焼いて、売ってるんだ。焼き立てを肉汁垂らしながら食べるのがこれまたウマい。南国果実のジュースの屋台もオススメだよ」
買い食いして外で食べるなんて、城にいたら、お行儀が悪いです、はしたないと怒られる。
これまでできなかったあれこれに、思いを馳せる。
「とっても楽しみです。私はわからないので、そのときはディーが案内してくださいね」
「そうだね。案内してあげる」
イーリスたちを乗せた荷車は、荒野の中を拠点に向かって進んでいく。