更木剣八
名前変換
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無垢な甘さに酔う
腰のあたりを二回つつかれ、振り向くと脳天気な笑顔を浮かべた名前が立っていた。腰に触れた人物を認識すると同時に、腹へ何かを押し付けられている感覚もあり、目だけを下へ落とした。
「……」
押し付けられているのは、現世の菓子が入った箱だった。その箱には、小石ぐらいの大きさの茶色い物体が九つ入っている。
「ちょこれーと……」
「隊長、知ってるの!?」
俺の口からそれの名前が出てくると思っていなかったのか、目を丸くした名前は興奮気味に耳が痛くなるようなデカい声を上げた。
「……ちょこれーとが何かぐらい知ってる」
「すごーい! 隊長は絶対知らないって思い込んじゃってた!」
こいつは、馬鹿にしてるのか?
「……やちるがよく食ってたからな」
「なるほど!」
俺の言葉に納得した名前は頷き、惜しみなく大きな笑顔を広げていた。
ちょこれーとが入っている箱は見るからに現世で調達してきた物のように見える。
やちるがいた頃は、こういう現世の物は尸魂界ではなかなか手に入らなかった。その上、高価な物だった。今では随分と現世のものが普及し、どこでも手に入るようになり、値段も比較的安価になった。
「それを俺のところへ持ってきてどうした」
名前へ疑問を投げると、先程と同じようにデカい声を上げる。
「今日は何の日でしょう!」
「知らねえ」
「バレンタインデーでした!」
当て物は、一瞬で終わってしまった。
別に当て物を楽しみたかったわけではないが拍子抜けだ。
手掛かりを出すとかしねえのか、こいつは。
きっと、そんなことは今の名前にとっては二の次なんだろう。手に持っているちょこれーとのことしか頭にないように見える。
「ばれんたいんでーも知ってる」
「え! 知ってるの、隊長!?」
「それもやちるが騒いでたからな」
具体的な日付は覚えていなかったが、確かにこの時期になるとやちるは、ちょこれーとを貰うために護廷十三隊を周ると意気揚々としていた。俺は毎年、それに付き合わされていた。
「なるほど!」
また納得した名前は二、三度頷き、それならば話は早いと言わんばかりに笑いながら腹へと箱を押し付けてくる。
「……」
押し付けられている箱は、無造作に開かれたままだ。ほろ苦い香りが微かに漂ってきて、ちょこれーとが整然と並んでいるのが見える。ただ渡すだけなら蓋を閉じれば良い。なぜか名前はそうしない。
今度は自分が疑問をぶつけてやろうかと思ったが、やめた。
こいつが考えていることは手に取るように分かる。
受け取って、今ここで、自分の目の前で食え。
そう言いたいのだろう。
「隊長が甘いの苦手かもしれないから苦めなのを選んだんですよー!」
自信に満ち溢れる顔で得意げに言う名前。
「……」
ちょこれーとを受け取らずに、へらへらと笑っている顔を凝視していると、段々と笑顔は曇っていく。眉と口角が力なく下がり始めた。
「……チョコレート、いらなかったですか?」
俯き加減になり、今にも泣きそうな弱々しい声で名前が呟く。いやもうぐすぐずに泣いてるかもしれない。じゅるじゅると鼻を啜る音が聞こえてくる。
「いらねえとは言ってねえだろ」
俺の言葉を聞いて、勢い良く顔を上げた名前は途端に顔を輝かせた。案の定、涙と鼻水で顔は濡れている。そんなことを気にも止めず、「じゃあ早く食べろ」と言いたそうにまた腹に箱を押し付け始める。
「……」
「……隊長?」
だが、依然と手をつけようとしない俺を不思議そうに名前は見つめてくる。また、眉と口角の元気はなくなってしまったようだ。
「お前が食べさせてくれるなら、食べてやっても良い」
俺がそう言うとすぐに眉と口角が上がり、元気を取り戻した様子の名前は箱の中から茶色を一つ掴んだ。そして、閉じている唇へグッと押し付けられる。
「……」
名前を睨んでみるが、もう効果はなかった。鼻で深い息をつき、名前の手首を掴む。ちょこれーとを唇から離す。
「お前はもう少し相手の動向を見てから行動をしろ」
まさか自分がこんな指摘をするようになるとは、そりゃァあの古臭い尸魂界も現世にすっかり染まるはずだ。
「あーん、とか言って間合いをはかれば良いだろ」
そんなこと、わざわざ言わなくてもやちるでもできていた。
「それ、私知ってます! そっか! こういう時に使うんでしたね!」
名前は、ハッとした顔でぶんぶんと頭を振って何度も頷く。そろそろ取れるんじゃないか、頭。
本当にこいつは、勢いしかない。
「隊長、あーん!」
名前の言葉に合わせて口を開き、掴んでいた名前の手首を離した。
今度はちゃんと口の中へちょこれーとが運ばれた。口の中で転がすと温度で少しずつ溶けていき、ほろ苦い甘さがじんわりじんわりと広がっていく。
「美味しいですか、隊長」
「……ああ」
名前は『苦いのを選んだ』と言っていたが、以前やちるに食べさせられたちょこれーとよりも随分と甘く感じた。
久しく食べていなかったが、きっと気のせいではないだろう。
目の前にある満足そうな笑顔を見ながらそう思った。
終
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