「じゃあ、これ十二番隊に配達よろしくね」
「えっ!?」
あたしの目を見ることなく、弓親五席はそう言った。驚いてあたしが変な声を上げても弓親五席は書類に目を落として、筆をさらさらと滑らせている。
「十二番隊って、あの十二番隊……?」
「それ以外に何があるって言うんだい」
相変わらず書類に夢中な弓親五席とは、視線が合わない。
十二番隊があの十二番隊以外あるって? いや、ないよ。あると言って欲しいけどないです。涅隊長が四六時中、怪しげな実験をしている十二番隊。涅隊長以外にも謎に包まれた見た目をしている隊士達も数々所属しており、涅隊長と共に恐ろしい実験をしていると聞く。そこに行かねばならないのかと思うと恐怖で身の毛がよだつ。
「やだ、あたしまだ死にたくない……!」
「はあ?」
やっと書類から目を離した弓親五席は片方の眉は下げて、もう片方の眉は上げて、「何言ってるの、この子」と言うような顔であたしを見ていた。
「だって、実験体にされちゃう!」
「向こうは君なんかを実験体に差し出されても『もっと良い実験体を寄越せ』って言うに決まってるよ。良いから早く行っておいで」
弓親五席はそう言うと、また書類に目を落とした。今目の前に置いてある書類の処理が終わったらしく新しい書類を手に取って、目を左から右へ動かしている。
「そんなぁ……」
院生の時から十二番隊の怖い噂話は色々聞いている。涅隊長は男女、そして年齢に関係なく実験体にする。自分の娘に暴力をはたらいたり、技術開発局は赤ちゃんの鳴き声も聞こえてくる。隊士に角が生えた鬼のような男、目玉が飛び出す怪物のような男もいるらしい。涅隊長に改造されてしまったのだろう。
そんな噂話を聞いていたから恐ろしくて恐ろしくて護廷に配属されて二年程経った今も十二番隊には絶対に近付かなかった。
それなのに本当に一人で十二番隊に行かねばならないのか。あたしもロボットのように腕が飛んでいったり、目からビームが出るように改造されてしまったらどうしよう。でも、それはちょっと面白いかもしれない。いや、嘘。絶対に一人で行きたくない。無理だ。
「弓親五席ぃ……」
一緒に来てよ、と視線で訴えるが何も反応は返ってこない。一応これでも弓親五席はあたしの教育係という立場だ。そして、かなりスパルタだ。困っていても簡単には手を貸してくれない。これで女性隊士にはモテたりしている。キャーキャー言ってるあの子たちの目を覚ましてあげたいと切実に思う。
「弓親」
泣いてやろうかと思っていると、弓親五席を呼ぶ声が聞こえた。あたしが話しかけても書類から中々目を離さなかった弓親五席はすぐに顔を上げた。あたしも声の出所へ顔を向けると斑目三席が執務室の出入り口から部屋を覗いている。扉の枠に片手を置いて、寄り掛かりながら立っている。
「阿近のところ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
二人はそれだけ言葉を交わすと斑目三席はすぐにその場を立ち去り、弓親五席はまた書類作業を再開した。
「……あこん、って……誰でしたっけ?」
「十二番隊の三席」
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
"十二番隊"という言葉にあたしは慌てて斑目三席を追いかけた。
「ま、斑目三席! 待って! ちょっと待って!」
いつものように斬魄刀を肩に担いで歩いている斑目三席の背中に声を掛けると、斑目三席は立ち止まって振り返った。
「
なつめか。なんだよ」
「弓親五席に十二番隊へ書類持って行けって言われたから、あたしも付いて行きます!」
左手に書類を持って、右手を挙手して言うと斑目三席は「ふーん」と無表情であまり興味なさそうにしていた。
「斑目三席は何しに行くんですか?」
「義歯が出来たって連絡が入ったんだよ」
「義歯……歯が抜けたんですか? 入れ歯?」
「お前、変な想像してるだろ。戦闘中に、だぞ」
見かけに寄らずに老化が始まっているのだろうかと心配していると、斑目三席は眉を顰めた。全然違ったらしい。
斑目三席は進行方向に向き直り、歩き始めた。その数歩後ろを付いて歩く。十二番隊の人たちに捕まえられそうになっても斑目三席を盾にできるように、なんて口が裂けても言えない。
しばらく隊列のようにして歩いていると、斑目三席が歩幅を狭めてあたしの隣に並んだ。そのまま横に並んで歩きながら、あたしへ声を掛けてきた。
「おい、
なつめ」
「はい? 何ですか?」
「お前なんで弓親は"弓親五席"で、俺は"斑目三席"なんだよ。前までは"綾瀬川五席"だったろ」
そんなこと聞かれるとは思っていなかったから、少し驚いてしまった。でも確かに"弓親五席"と呼ぶきっかけになった時に斑目三席はいなかった。
「"綾瀬川五席"が長過ぎて名前を呼ぶ度に噛みまくってたら『君が僕を呼ぶ度にに美しい僕の名前に醜い傷が付くから、その呼び方はやめてくれないかい?』って言われました」
「それ弓親の真似かよ」
「はい、一応」
弓親五席の声を真似て声を少し低くし、腰に手を当てながら髪の毛をファサッと髪を風に靡かせながら言うと斑目三席は口を大きく開けて白い歯を見せながら笑った。
「確かに弓親を呼ぶ度に噛みまくってたな。"斑目三席"は言い辛くいことはないのかよ。同じ八文字だぞ」
それぞれの呼び名を唱えながら指を折って数えてみると、斑目三席の言う通りに確かに同じ八文字だった。
「き、気付かなかった……! 斑目三席すごい!」
衝撃を受けて、何回も二人の呼び名の文字数を両手で数えていると斑目三席は結んだ口を緩ませて笑っていた。
「同じ八文字なのに"綾瀬川五席"の方が圧倒的に言い難い……なんでだろう。"弓親五席"の方が名字が長いからですかね?」
「さあな。お前の舌がドン臭えんだろ」
「え、何ですかそれ」
「"斑目三席"も言い難けりゃあ好きに呼べ」
好きに呼べということは"ハゲ三席"でも良いという意味なのだろうか。一番文字数が少なくて言いやすいけど、それを言うと恐らく拳骨どころじゃ済まないし、挙げ句の果てには"斑目三席様"と呼べとか言われてしまうかもしれないからやめておく。
「一角三席!」
「おー」
正面を向いている斑目三席は目だけをこちらに向け、少し気怠げな返事をした。名前を呼べば返事が返ってくるのは当たり前かもしれないが、弓親五席と呼ぶようになった時と比べて今は心がふわふわとして飛んでいってしまいそうだった。十二番隊へ向かう足取りも不思議と軽くなってしまう。今なら涅隊長が現れても、一角三席を盾にすることなく平気な顔で自己紹介ができる気がする。
一角三席が丁度良く現れてくれて良かった。呼び易い名前で呼ぶことを許可されてあたしの舌も助かったし、弓親五席に言い渡された十二番隊への書類配達もクリアできて一石二鳥だ。
恐ろしくて仕方がなかった十二番隊の門をスキップもできそうなぐらい余裕な気持ちで一角三席と一緒にくぐりながら、新しくなった呼び名を両手で数えてみた。
「あれ? ねえ、一角三席。"弓親五席"は文字数少なくなってるけど、"一角三席"の方は文字数が──」
「一角さん」
あたしの声を掻き消すように複数の女の人の声が聞こえてきて、直ぐに一角三席の周りに女の人達が集まった。
「今日はどんな用でこちらに来られたんですか?」
「阿近に作らせてた義歯を受け取りに来た。後、ついでに隊長の新しい眼帯を貰いにきた」
話の内容から十二番隊の隊士のようだ。こんな普通の綺麗なお姉さんたちもいるんだ。十番隊の副隊長みたいに美人で、お化粧も髪の毛も綺麗に手入れされてて、スタイルも抜群だ。弓親五席もモテるけど、一角三席もモテるんだなあ。そりゃあ弱い男の人より強い男の人の方がみんな大好きか。
傷だらけで豆がある自分の手と、鍛錬している時に乱れてしまうからセットなんてしたことがない髪。お化粧だって汗で流れてしまうからリップと日焼け止めぐらいしか塗らない。何だか恥ずかしくなって、一角三席の背にさり気無く隠れた。結局、盾にしてしまった。
「先日の飲み会では、ご馳走になりました。ありがとうございます。」
「おう」
十一番隊にもあたし以外の女の人はいる。その女の人たちと話をしている一角三席の姿と今の姿は違って見えた。綺麗な女の人にデレデレしている様子は一切ないけど、何故だかあまりその姿を見ていたくなかった。
「是非また飲みに連れて行ってくださいね、一角さん」
「阿近に言っておいてくれ」
その飲み会には勿論あたしは出席していない。名前で呼ぶのだって、あたしだけじゃないんだなあ、とか思ってしまう。そんなこと分かりきっていたことだけど、白い雲が浮かぶ青い空も飛べそうなぐらいふわふわしていた心が今はズッシリと重くて地面に埋まってしまいそうだった。
居心地悪く感じてしまい、一緒に来なければ良かったとも思ってしまった。
仲が良いと思っている友達が自分以外の知らない人と仲良くしている姿を見ると急に寂しくなってしまうことがある。きっとそれかな、と思いながら手に持っている書類へ目を落として暇潰しに文字を追った。
終