「ああ〜、やっと終わった。もう、無理……疲れた……」
「だらだら歩くな。早く帰んぞ」
「だって疲れたんだもん」
あたしの数歩前を歩いている一角は歩くペースを緩めず、距離が離されていく。
日勤帯の終業間近で十一番隊へ応援要請が掛かった。それを担当することになってしまったあたしと一角は二人で今、現世へ訪れている。
いつもは隊長が率先して行きたがるが、副隊長を肩に乗せて早々と帰ってしまった。今日はバレンタインデーだから姐さんと一緒に過ごすんだろうな、と頭の片隅で思った。隊長が行かないなら、どうせ一角が行くだろうし、あたしもさっさと帰ろうとした時に一角に首根っこを掴まれた。
『何?』
『行くぞ、任務』
『いいよ、あたしは。一角に譲るよ。どうぞ、どうぞ。楽しんできてください』
『お前、最近任務サボってただろ。体鈍るぞ』
『遠慮しときますー』
『良いから行くぞ』
『やだー! 離してー!』
そんな会話を繰り広げたが、結局無理矢理あたしは一角に現世へ連れてこられた。人使いが荒い。いや、女使いが荒い。
虚は全て下級で、対して強くもなかったけど数がとにかく多かった。倒しても、倒しても湧いて出てきて、キリがなかった。一角は随分と嬉しそうに駆け回っていたが、あたしは途中から飽きてしまった。だが、サボると一角がうるさい。せっせとあたしも虚を倒したが、虚の姿が完全になくなった頃はすでにもう周りが真っ暗だった。
せっかく一人でチョコレートを食べながら、ゆっくりのんびり過ごそうと思っていたのに台無しだ。
「あっ!」
素っ頓狂な声を上げて立ち止まると、前を歩いていた一角も立ち止まった。口を噤んだままあたしを見つめ、「何だ」と呆れ顔で語りかけてくる。
「今、何時?」
一角は胸元を探ると伝令神機を取り出し、片手で開くと画面をあたしに見せてくる。その画面は白く光っているが、バキバキに液晶が割れており、緑色と黒い線が横にところどころ入っていた。
「えっ、また割ったの!?」
つい数日前も一角は戦闘中に伝令神機を落として、おじゃんにしていた気がする。買い替えたこの伝令神機もあられもない姿だ。もったいない。もう首からぶら下げてれば良いのに。
「割ってねェよ。割れたんだ」
「割ったんじゃん」
「だから違ェよ。落としたら割れたんだ」
「あーもう、それで良いよ」
真顔で当たり前のことを言ってくる一角。
不毛なやり取りを早々に止め、自分の伝令神機を取り出して時間を確認した。
時刻は、二十三時四十五分。自宅に着くまでにはきっと日付を超えてしまっているが、今ならまだバレンタインデーに間に合う。
「一角! あたし、コンビニに寄りたい!」
「なんだよ、"こんびに"って」
「良いから良いから。一角は外で待ってれば良いから」
「"こんびに"が何かだけ教えろ」
「コンビニは……宝箱みたいなもんやで!」
「腹立つ顔すんな」
ウインクしてみせると、一角からは舌打ちが返ってきた。
現在地から近いコンビニを探し、今度はあたしが先頭を歩く。一角は何だかんだ言いながらもあたしの後を付いて来ている。
目的地のコンビニに到着し、「すぐ出てくるから待ってて」と店の前で一角を待たせて、あたしはコンビニの自動ドアの前に立った。
「……」
「……」
いつもならすぐに開くドアが開かない。
「……あっ!」
大事なことを忘れていたあたしは思わずその場に両膝を付いて、四つん這いで項垂れた。
「あたし……義骸じゃなかった……!」
いつも現世へ行く時は必ず持って来ていた義骸と義魂丸を今日は持って来ていない。連行されるように連れてこられたから準備をする暇がなかった。これでは店にも入れないし、物も買えないじゃないか。
「終わった……」
「終わったなら帰るぞ」
項垂れるあたしを冷たい目で静観していた一角は踵を返し、帰路につこうとする。咄嗟にあたしは一角の袴を掴んだ。
「待って! 勝手に終わりって決めつけないで!まだ諦めなければ絶対チャンスはあるんだから!」
「諦めて『終わった』って言ったのはテメェだろうが。離せ」
袴を掴んだ手は簡単に振り払われた。
図星をついてくる一角をひとまず無視し、店内へ入ろうとしている人や出ようとしている人はいないか確認する。すると一人の男の人が丁度会計を済ませて、こちらへ歩いてきているのが見えた。男の人が自動ドアに近付くと、あたしを無視していた扉は素直に開く。
「行ってくるから、そこで待っててね!」
一角へその言葉を投げかけて、返事が聞こえてくる前にあたしは店の中へ飛び込んだ。
急いでお菓子のコーナーへと向かい、目当ての物を探す。
(あ! あった、あった!)
きのこの山とたけのこの里。
現世の人間たちは、どちらが美味しいかでよく揉めてるらしいけど、そんなことは梅雨知らずにこの子たちはどこでも仲良く並んでいる。それぞれ一つずつ手に取った。掴めなかったらどうしようかと思ったけど、ちゃんと掴めた。おそらく側から見れば、しっかり怪奇現象だろう。
さて、次は会計をどうするか。店内にはあたししかいない。つまり、お客さんは誰もいない。だから、さっきレジをしていた店員さんは店の奥へとはけてしまった。
(ちゃんとお金払えば万引きには、ならないよね?)
レジのお金を置く場所へ千円札を一枚置く。千円札ならまだ他にも買える。この二つだけの代金としてならば、本音を言うとお釣りは欲しい。けど、きっと後で監視カメラの記録とかでちょっとした騒動になると思うから、残りはそれのお詫びの気持ち。
あとは店から出るだけ。自動ドアへ近付くが、やはり今のあたしには全く反応しない。
出られなくなったあたしを見ても取り乱すことなく、一角は大きな欠伸をしている。あたしが閉じ込められてるんだから少しは焦ってくれても良いのに。
あたしは手に持っていたきのこの山とたけのこの里を両手に持ち、自動ドアのセンサーに近付けた。存在をアピールするために軽く振ると、自動ドアは開いた。
「ミッションコンプリート!」
閉まる前に外へ出て、一角へお菓子を見せつける。誇らしく胸を張るあたしへ拍手をすることも感嘆の声を送ることなく一角はうんざりと呆れた顔であたしを凝視していた。
「さて、さて。食べながら帰ろ〜」
まずは、きのこの山の封を開く。一つ摘んで口入れる。歯を立てると、サクッと音を立ててビスケットが砕ける。硬めのチョコレートもポリポリと音を立てて崩れ、口の中へじんわりと甘さが広がっていく。
「間に合ってよかった〜、美味しい……」
このチョコレートの甘さが疲弊した体に染み渡る。
疲れた時のチョコレートって本当に格別だ。
「はい、一角も食べなよ」
差し出すと、一角は中身を覗き込んだ。中身は、コンビニの灯りで照らされても全貌は見えない。一角は眉間に皺を寄せ、不審そうにしつつも、一つ摘む。目の前に持って行ったきのこの山は一角の鋭い目で凝視され、少し居心地悪そうに見えてしまった。
「そんな怖い顔で睨み付けたら可哀想だよ」
「うるせェな……」
一角はきのこを模したお菓子に怪訝な顔をしつつも、口へ放り込んだ。あたしへの苛立ちをぶつけるように乱暴に咀嚼し始め、ボリボリと美味しそうな音が聞こえてきた。静かにそのまま飲み込むと、また一角の手が伸びてきた。
「もう一つあるから持ってて良いよ」
きのこの山の箱を一角は手渡し、あたしはもう一つのお菓子──たけのこの里の封を開けた。
「はい」
まず一角へ差し出して、食べるように促す。一角は慎重に一つ摘んで、また凝視を始めた。
「今度は、たけのこです。現世の人は、きのことたけのこのどっちが美味しいかって喧嘩するんだって」
「くだらねェな」
一角はたけのこを口へ入れ、ボリボリと咀嚼している。
「あたしもそれはそう思う」
あたしも一つ摘んで口へ入れる。甘いチョコレートとサクサクのクッキーの相性が良くて、美味しい。喧嘩はくだらないとは思うけど、あたし的に好きなのはたけのこの里だったりする。
お互いが持っているきのこの山とたけのこの里を分け合いながら、来る時に穿界門が繋がった場所まで歩く。瞬歩を使えばあっという間だけど、一角もあたしもそれを提案することはなかった。
一角の手にあるきのこの山は手を伸ばし、一つ摘んで口へ運ぶ。一角はあたしのたけのこの里へ手を伸ばして、同じように一つ口は運んでいた。
(そういえばコンビニ、バレンタインデー感満載だったなあ……)
あたしはバレンタインデーにチョコを食べることにこだわっていただけで、他意はないけど結果的に一角へバレンタインデーチョコをあげることになってしまった。
一年を通してどこでも手に入るお菓子だけど、チョコはチョコだ。
「美味えな、これ」
一角は、たけのこの里を食べながらそう言った。一角もたけのこ派だったらしい。
「でしょ? あたしも実は、たけのこのほうが好き」
「
なつめと同じなのは気に食わねェな」
「ねえ、聞き捨てならないことが聞こえた」
隣を歩いている一角の横顔を睨みつけると、ゆっくり一角の顔がこちらへ向いた。
「
なつめは美味ェ物を見つけるのだけは天才だな」
「……"だけ"って、褒めるならちゃんと褒めてよ」
「褒めてんだろうが、ちゃんと」
あんまりお菓子を食べるイメージはなかったけど、気に入ってくれた一角はけらけらと笑いながらそう言った。
その笑顔が少年のように幼く見えて、思わず心臓がギュッと音を立てて、萎んだ感覚があった。その後にトクトクと誰かに向かって走っているような感覚。そして、何故か熱くなり始めている頬。気のせいだと思いたいが、手の甲で頬へ触れるとしっかり熱を帯びていた。
(周り暗くて良かったかも……)
一人でほっと胸を撫で下ろす。
どうして突然、胸の辺りがこんなにソワソワし始めたんだろう。
久しぶりの戦闘で疲れたから?
一角がお菓子を気に入ってくれたから?
今日がバレンタインデーだから?
それとも、あたしは一角のことを──
(いや、いや、いや……ない、ない……)
ありえないぐらい飛躍してしまった発想にあたしは首を振って、頭に浮かんできた二文字を消した。
「それ食べたから、今日の報告書は一角が書いてね」
「ハァ!? テメェ、初めからそれが目的だっただろ!?」
「一人で任務に行けない寂しがり屋な一角のためについてきてあげたんだから、報告書まで押し付けてこないでよ」
「テメェな……。まあ、良い。貸しは作りたくねェからな。それでチャラだ」
「わーい! 流石、一角」
一角は、たけのこを二、三個まとめて口の中へ放り込み、ボリボリ食べながらそう言った。
そっかこの程度でホワイトデーのお返しなんてないよね。少しがっかりしたけど、そんなことは口が裂けても言えない。どうせ、卑しい奴と思われるだけ。
それでも、心臓はずっとうるさくて、まるであの二文字を叫んでいるみたいだった。
普段からよく食べていて、味を知っているはずのこのお菓子がいつもより甘く感じるのも、全部全部バレンタインデーが原因に決まってる。
(……ああ、バレンタインデーって恐ろしいなあ)
他人事のように心の中で呟いた。
終