副隊長と三時のおやつを食べている時に、ポツポツと降り始めた雨は夕方には激しさを増していた。ザアザアという音に変えて隊舎の屋根を叩いている。
「すっごい雨……」
そんなあたしのぼやきも掻き消してしまう程の音だった。
「……今日、七夕なのになあ」
今日は七月七日。そう、織姫様と彦星様が年に一度逢うことが出来る七夕。年に一度のデート日和という特別な日に相応しくない天気であることは、誰が見ても明白だった。こんな雨が降る中、二人は逢うことが出来るのだろうか。会えてたらいいなあ。
ただの作り話だとは分かってはいるけれど、あまりにも土砂降りだから、そんなことが気になってしまった。
「というか、どうやって帰ろう……これ……」
架空の人物たちを心配している場合ではない。傘を忘れたあたしはどうやって、我が家まで帰るべきなのかを急いで考えなければならない。
隊に支給される置き傘は十一番隊の連中は借りても絶対に返さない為、遂には支給されなくなってしまった。──と言っても、派手に戦闘を繰り広げたりで建物をよく壊すから隊の経費は出撃費や修繕費を厚くした方が良いと隊長が決めて、設備費はかなり削減してしまったのが一番の理由だった。
「
なつめさん、そんなとこで腕組んでどうしたんスか?」
なんとかずぶ濡れを回避しようと隊舎の玄関先で頭を抱えて考え込んでいると、声を掛けられた。
「あれ、恋次?」
恋次が傘を差して立っていた。
「今日来てたの?」
「非番だったんで、体動かしに来てたんです」
「へえ。相変わらず真面目だね。ご苦労様」
十一番隊を去り、六番隊副隊長に就任して以降も時々こうして恋次は十一番隊に顔を出して鍛錬に励んでいる。
「今帰るところ?」
「はい」
「ちょうど良かった! 傘忘れちゃったから家まで送って行ってよ!」
「通り道だから……別に、良いっスけど……」
少し歯切れが悪い返事が気になったが、無事に家に帰ることの方が今のあたしには重要だった。
「やったー! 助かるー!」
優しい後輩に感謝しながら、恋次が差している傘の下へ移動するべく勢い良く足を踏み出した。
「ぐぅうえッ……!」
突然背後から襟元を捕まれ、蛙が潰れたような声が出てしまった。足を踏み込んだのに前へ駆け出すことができなかったあたしはその場に倒れ込むように尻餅を付いた。
「いッたあ! もうっ! 誰っ!?」
こんな目に合わせた奴を絶対に許さない。顔をしっかり見てやろうと見上げる。
「……一角?」
あたしの襟元を引っ掴んでいたのは一角だった。いつものように眉間に皺を寄せ、あたしを見下ろす一角の目はすぐに恋次へと向けられた。
「恋次。お前、ルキアちゃんを迎えに十三番隊に行って、そのまま飯行くんじゃなかったのか」
「あ、はい。そうです」
一角の言葉に、恋次はほんの少しだけ頬を赤く染めて答えた。成る程、歯切れが悪かったのはこれが原因らしい。それなら、そう言ってくれれば邪魔するようなことしなかったのに。そう思うと同時に、こんな土砂降りの雨でも迎えにきてくれる人がいるルキアちゃんが羨ましくなった。あたしには、このまま待っていても誰も迎えになんて来ない。七夕の短冊にでも『雨の中でも迎えに来てくれる優しい優しい恋人が欲しい!』とでも書いておけば良かったのかな。
「
なつめは俺が送ってく」
「え?」
副隊長は短冊に『お腹いっぱい金平糖食べたい!』って書いてたなあ。副隊長のお腹いっぱいってどの程度なんだろ。どれぐらい金平糖があの小さな体に収まるんだろ。と、この場に関係のないことを考えているとそんな言葉が頭上から振ってきた。
「良いの?」
再び一角を見上げるが、恋次と目を合わせている一角とは目が合わなかった。顎裏しか見えない。そして無視された。でも相変わらず、あたしの襟元を掴んだまま。無視するか、襟元離さないかのどちらか一つにして欲しい。まあ、あたしは雨に濡れなければ、問題ないからありがたい話ではあるんだけど。
「早く迎えに行ってあげろ」
「そうだよ! ルキアちゃんのところに早く行きなよ。じゃあね、恋次。お邪魔してごめんね!」
「いえ! こちらこそお邪魔しました! 一角さん、また来ます!」
「おう」
ルキアちゃんと待ち合わせているならば、これ以上引き止めるのも悪い。手を振って恋次を見送る。恋次がその場からいなくなると、ようやく一角は襟元を離してくれた。尻餅を付いてからずっと床に座っていたあたしはお尻を払いながら立ち上がる。
「俺らも帰るぞ」
「うん。じゃあ、お願いしまーす」
一角が傘を差すのを待つが、一角はそのまま土砂降りの外へと飛び出した。
「えっ!? 傘は!?」
ギョッとしてあたしは一角の死覇装をすかさず両手で掴んだ。こんな雨の中、雨具なしで出てしまったら数秒でビッチョビチョになってしまうのは確定だ。親切心で引き留めたのだが、一角は尻餅を付いてしまった。
「てんめェ! 何すんだよッ! 引っ張るんじゃねェ!」
「それは、ごめん……。でも傘差さずに外出ようとするから!」
「傘なんかねェよ」
当たり前だろ、と言いたそうな顔だ。ついでに「馬鹿か」って付け足されそうな顔だった。
「はあ!? 何で!? 送ってくって言ったじゃん!」
「傘に入れてやる、なんて言ってねェだろ!」
「た、確かに言ってないけど! 送ってく、ってそう言うことでしょ!? あと傘持ってるような顔してたじゃん!」
「どんな顔だよ」
「うるさい! そんな顔してたの!」
一角は立ち上がり、お尻を払う。いや、今からずぶ濡れになるのにそんな汚れ気にしてるのは絶対に可笑しいでしょ。
「良いから、とっとと帰るぞ」
まだ死覇装を掴んだままのあたしを引きずって今度こそ一角は雨の中へと駆けて出る。引きずられてるあたしも勿論、雨に打たれ始める。想像通りものの数秒でずぶ濡れになった。
「こんなのって……こんなのってあんまりだ〜! 帰って来てぇ〜! 恋次ぃ〜!」
「情け無ェ声出すな。帰って風呂浴びりゃァ良い話だろ」
「気持ちの問題〜っ! あと風邪引く!」
「馬鹿は風邪引かねェ」
「馬鹿な一角は風邪引かないから良いけどさぁ!」
「お前ェのことを言ってんだ!」
やんややんや言いながら一角と縦に並んで駆けているとぬかるみに足を取られたのか、一角が前方へと体が崩れた。あたしは掴んでいた手を離す。べちょっ、と嫌な音を立てて一角は綺麗に顔から倒れ込んだ。
「……」
「……ぷっ! 足滑らせてやんのー!」
「て、てんめェ……
なつめ……っ!」
顔を上げた一角の顔は、文字通り泥まみれになっていた。まるで真夏の太陽にこんがり日焼けたしたみたいだ。
「あはは! 一角が泥団子になっちゃったー!」
「誰がハゲだ!」
一角が泥まみれの手であたしを捕まえようと伸ばしてきた。あたしはそれを交わして、走って逃げる。
「ハゲなんて言ってないじゃん!」
「団子つーのは、つまりそう言うことだろうが!」
「違うってば! 深追いしすぎ! 逆に求めちゃってるじゃん! ハゲって呼ばれるの! ぎゃー! 追いかけて来ないでー!」
走るあたしの後を追う泥まみれの一角。前方だけが泥まみれでリバーシブルだ。いや、バイカラーって言うのかな? 何でも良いけど、その様子が滑稽で面白て笑いが止まらなかった。
「あはは! 面白すぎるから後で写真撮らせてよ!」
「撮らせる訳ねェだろうがッ!」
髪の毛も足元も下着も濡れてしまって最悪。でも家にまだ帰らなくても良いかも、と思うあたしがいる。
雨の中、迎えに来てくれるのも良いけど、こうして一緒に雨に濡れながら駆けて帰るのも悪くないかもしれない。
彦星様と織姫様も二人でこうして雨に打たれながら逢瀬を楽しんでると良いな。
「妖怪泥団子だー!」
「それやめろッ!」
「こっち来ないでー!」
「帰る方向が同じだからしょうがねェだろ!」
でも、傘を持っているように見せかけてあたしを騙した一角には、何も教えてあげないことにした。
終