志乃りん、こと斑目志乃が誰かを探すようにあちこちへ目を泳がせながら十一番隊隊舎内を歩いている後ろ姿が見えた。
「志乃りん、おはよ〜。一角なら月次報告会に行ってるよ〜」
背後から声をかけるとすぐにこちらを振り返った。そして、あたしを見るなり人懐っこい笑顔を浮かべて駆け寄って来た。
「あ!
なつめさん、いた!」
一角ではなく、どうやらあたしを探していたらしい。
志乃りんは、あたしを本当の姉のように慕ってくれている。妹がいたらこんな感じなんだろうなあ。
「おはようございます!」
「うん、おはよう。就業中に十一番隊に来るなんて珍しいね」
空座町の担当死神である志乃りん。配属されてから、会う機会がめっきり減ってしまった。
「これを
なつめさんに渡しに来ました」
「これって?」
「
なつめさんは『ほたる祭り』が今度開催されるの知ってますか?」
楽しそうに笑いながら志乃ちゃんは、 胸に抱えている紙束から一枚手に取って、あたしへ手渡した。そこには真っ暗闇に飛んでいるたくさんの蛍の絵が描かれており、『第一回 ほたる祭り』と書いてある。
「蛍のお祭り?」
「そうです!」
志乃りんは目をきらきらと輝かせながら語り始めた。
一年前のユーハバッハ率いる滅却師との戦いであたし達、尸魂界の人々は多くのものを失った。それは大切な仲間だったり、大切な場所だったり。心に傷を負った人たちはたくさんいる。そしてまだ苦しんでいる人たちもいる。そんな人たちの心の癒しになるように、と総隊長が企画したらしい。
居酒屋でデロデロになるまで酒を盛って、女の子にもだらしが無くて七緒副隊長によく叱られているあのヒゲダルマもちゃんと総隊長をしているらしい。
空座町でもこの季節になるとほたる祭りが開催しているらしく、空座町を担当している志乃りんたちがその祭りの情報を集めたそうだ。志乃りんが席官のあたしよりいち早くこの祭りのことを知っていたことに納得した。
「へえ〜。楽しそうだね」
「
なつめさんも他人事ですね」
「え?」
「いや、こっちの話です」
聞き返すと志乃りんは顔の前で手を振り、「何でもないです」と言った。
お祭りは美味しい物を食べられるし、賑やかなあの雰囲気も大好きだから行きたいけど、確かこの日は仕事だった気がする。一角も弓親も休みだったから何となく日付を覚えてしまっていた。そういう名目のお祭りなら、みんな休みにしてくれてもいいのに。改善案とか募集されたら、出してみようかなあ。まあ、そう簡単に思い通りにはならないものなのは分かっている。
「一角兄と行かないんですか?」
「え!? な、なんで?」
志乃りんはあたしが一角が好きなことは知っているが、さも決定事項かのように言われたことに動揺してしまった。
「何でって、一角兄と
なつめさんって付き合ってるんじゃないんですか?」
あたしの想いが志乃りんにバレてしまったのは、随分と前にこの同じ質問をされた時だ。あたしが明らかに動揺してしまったのを見て、勘付かれてしまった。
「つ、付き合ってないよ!?」
「え!? まだ付き合ってないんですか!?」
「……"まだ"って、この先付き合う予定もないよ」
口と目を大きく開いて驚いている志乃りん。驚き方も何だか一角と似ていて、やっぱり兄妹何だなあと思った。
「一角兄、まだ告白してないとか……ありえない……」
志乃りんは何かぼそぼそと呟いていたが声が小さくて全く聞き取れなかった。
「志乃りん、ごめん。声小さくて聞き取れなかった」
「いえ、何でもないです! 二人とも仲良いから、てっきりもう付き合ってるのかと思ってて、びっくりしちゃいました」
「言うほど仲良くもないし、一角はあたしのことをそんなふうに思ってないし……」
志乃りんはまた口と目を開いたまま、固まってしまった。
「……じゃあ! ますます
なつめさんは一角兄と行かないとですね!」
「え? 何で? あたしの話聞いてた?」
志乃りんは紙を裏返して、にっこりと満面の笑みを浮かべながら下段の左端を指差したのだった。
*
あの日、志乃りんから貰った『ほたる祭り』について書いてあるチラシをあたしは穴が開くほどずっと眺めていた。それはもう破面みたいに綺麗で丸い穴が開くほど。
志乃りんには一角と行くようにと何度も言われたが、結局一角は誘えなかった。誘えるわけがない。志乃りんには言ったことがないが、あたしは一度、一角に振られているのだ。
一角のことが好きで、我慢できなくなって、弓親から唆されて、告白してしまったのだ。一角の返事は「悪い。俺は、そういうのよく分からねェ」だった。一瞬にしてあたしの恋心は粉々に砕け散ったのだ。それは藍染惣右介との戦いが終わって、一年後ぐらいの出来事だ。もう随分と前の話し。それでも今思い出すだけでも、胸の中の淡い想いは砕かれてしまう。そしてまた懲りもせずすぐに想いが生まれてしまう。
まだ、あたしは一角が好きだ。
異隊も考えたりもした。あたしの白打の実力を買ってくれて、砕蜂隊長から直々に声がかかったりしている。でも出来なかった。
気持ちを切り替えるために髪の毛も切った。と、言っても切ったのは前髪だけど。
それでもまだ一角が好きで、あたしは十一番隊に居座っている。本当に未練がましい。あたしが一角ならこんな女は鬱陶しく感じて、門前払いだろう。
「……はあ」
ほたるお祭り当日の今日、あたしは普段絶対しない残業をして書類を片付けていた。別に今日仕上げなくても良かったのだが、その方が気が紛れた。
チラシに書いてある蛍の一斉放流の時間はもうすぐそこまで迫っている。今から向かえば間に合うかもしれない。それでも、志乃りんが教えてくれたおまじないのようなものを思うと、一人では行くことができなかった。
『憧れや恋心の強い想いは、時として体の外に抜け出しちゃうっていう昔の人の考え方があるんです。蛍はそういう心が具現化したものとして、恋の和歌によく使われていたりしてまして……それで、この『ほたる祭り』を好きな人と見ると想いが結ばれるっていうおまじないがあるんです!』
志乃りんが言っていたようにあたしと一角が付き合っていたり、一角があたしに少しでも気があるのならば、一角はこのお祭りにあたしを誘ってくれていたのだろうか。そんなことを考えても余計惨めになるだけだ。
隊長は祭りに行くからと言って、早々に帰ってしまった。ずるい。って、自ら残業してるあたしが言うのも変か。でも一番ずるいのは好きな人と一緒にお祭りに行けること。
「はあ……行きたかったなあ……」
「行きたいなら行けば良いだろ」
本日何度目か分からないため息と共に、ただの独り言として呟いたあたしの言葉に返事が返ってきた。しかも結構な近い距離で。
「ギャーッ!!」
執務室には誰もいないと思っていた為、驚いて情けない声が出てしまう。肩が勝手に大きく震える。後ろを振り返ると、いつのまにかそこには一角の姿があった。あたしの手元を覗き込んでいた一角はあたしの声に大きく仰け反った。
「うるせーな! いきなりデケェ声出すなよ!」
「い、い、いい、一角ッ!? ビックリさせないでよ! 絶対に五十年ぐらい寿長縮んだ!」
「お前が勝手にビビったんだろうが」
「背後に忍び寄って、いきなり声をかけたらビックリするに決まってんじゃん! しかも今日、一角いない日だったし……って、休みなのに何でここにいるの?」
死覇装ではなく深い赤色の着流しを着ている一角は少し黙って、口を開いた。
「忘れ物だ、忘れ物」
「忘れ物? 何忘れたの?」
「手拭い忘れたンだよ」
「ふーん」
そんなの別に明日で良いじゃん、とも思ったが深く突っ込むことでもないかと言葉を飲み込んで適当に流した。まあ、確かに汗を吹いた手拭いを放置してたら臭くなっちゃうしね。
「お前こそ何でまだ仕事してんだよ。今日中にやらねえといけねえ書類はなかっただろ」
「うーん……気分?」
「残業と書類嫌いの
なつめが自ら進んで残業して書類整理とは、阿近に変なもんでも飲まされたか?」
「違いますー! あたしにだってそういう気分の日があるの」
「ふーん」
今度は一角が適当に受け流した。不審そうにあたしを見ていたが、すぐに真顔になった。
「で、どうすんだよ」
「なにが?」
「なにがって、お前……コレのことしかねェだろ」
一角はあたしの手元にある『ほたる祭り』のチラシを指差した。そして、「どうなんだよ」と言い、あたしの返答を待っている。
「行き、たい、けど……」
行きたいけど、それは"一角と一緒に"だ。
一角の真っ直ぐな瞳に見つめられて、尋問されている気分になる。居心地悪くも感じるが、それでもあたしの心臓は段々と騒ぎ始める。そろそろ顔赤くなるかもしれない、と思ったあたしは一角から目を逸らす。
「じゃあ行くぞ」
「……え?」
「祭りに行くぞ、って言ってんだよ。二度も言わせんな」
「でも……」
「おら。行きたいなら早くしろ。それが見たいんだろ? 早くしねえと間に合わねえぞ」
あたしは一角に言われるがまま、後片付けをして一角と共に十一番隊隊舎を後にした。
*
特に言葉を交わすことなく、一角と並んでお祭りの会場へと向かう。道行く人はみんな浴衣に身を包み、女の子はみんな可愛らしくヘアアレンジをしている。それに引き換え、あたしは真っ黒な死覇装。髪の毛も書類仕事中に頭を悩ませながら弄ってたからボサボサかもしれない。一角に「行きたいなら早くしろ」と急かされ、鏡なんてちゃんと見る暇なかった。自分は髪の毛ないから良いかもしれないけど、女の子は大変なのをこのハゲは知らないのだろう。一角と行けることになることを知っていれば、それなりに可愛い格好をしていたのにな。一角を誘うことすらできなかったのにそんなことを後悔をするなんて、筋違いだけど。
「すっごい人だね……」
会場に到着すると屋台がたくさん並んでおり、そこにはかなりの人が集まっていた。一角はあたしの方へ目をやると、手を取る。急に暖かい体温と感触に手を包まれ、心臓が一回大きく跳ねた。
「はぐれんなよ」
「う、うん」
あたしは必死に「これははぐれてしまい、こんな人混みの中で探す羽目にならないようにしてるだけで決して一角にそれ以上のことは思っていない」と何度も何度も念仏のように心の中で唱えた。
手を繋いだまま、人混みの中へ二人で入っていく。そのタイミングで会場内にアナウンスが流れ始めた。
《それではこれより、蛍の一斉放流を行います》
一角はあたしの手を引いて、人混みをかけ分けて進んで行く。
《先の戦いから約一年。今も尚、尸魂界には戦いの傷跡が大きく残っています。我々は忘れてはなりません。》
足早に歩く、一角の背中を追いかける。振り返らない一角に置いて行かれたらどうしよう、と不安もあったが、握っている手があたしを安心させてくれる。
《しかし! 我々には楽しくて幸せな思い出も必要です! そんな護廷十三隊・京楽総隊長の想いも込められています》
一角が先陣を切ってくれているおかげか、あたしは一度も人とぶつかることがなかった。
《皆様の心が癒されること、戦いで失われてしまった尊い魂魄の安らぎと一日でも早い尸魂界の復興を祈って──》
人混みを抜け、少しあたりが薄暗いところに抜けた。アナウンスが終わると、足元が淡い光に照らされる。その光はふわふわと揺れながら、あたしたちの周りを円を描くように回る。そして、ゆっくり空へと昇っていく。頭が悪いあたしは、「綺麗」という言葉以外で表現することが出来ないのが惜しかった。
「すっごいね……」
「だな」
一角もあたしと同様にその光景に目を奪われていた。
「……一角ってさ、ほたる祭りのおまじない知ってる?」
蛍を眺めている一角は、あたしの方を見ることなく口を開いた。
「知ってる」
返ってきたのはたったそれだけ。
「そっか」
ただ一角は、チラシの裏側に書いてあった『瀞霊廷通信〜出張版〜』の檜佐木の記事を読んだけ。あんな子供騙しみたいなおまじないは、祭りを盛り上げようと勝手に檜佐木が言っているだけ。それでも、それを知った上で一角はあたしとこの蛍を見てくれていることが嬉しかった。
また拒まれてしまうことが怖くて、想いを伝えられないあたしの代わりにこの蛍たちが想いを告げてくれれば良いのに。
でも、それはちょっと他力本願過ぎるか。
「こんな綺麗な景色、見過ごしちゃうなんて勿体無かったよ。ありがとう、一角」
本当に勿体なかった。一角と一緒に見れたからこんなに綺麗に感じているのかどうかは分からないけど、見ることができて本当に良かった。
「別に礼言われるようなことはしてねえよ。元々俺もここに来るつもりだったしな」
一角の返事にあたしは、「すき」と唇の動きで返してみたけれど、空を昇っていく蛍を目で追っている一角には届くことはなかった。
「……」
変わりに繋いでいる手を少しだけ強く握り込んでみる。一角はそれでも空を見上げていたが、すぐに握り返してくれて自然と頬が綻んでしまった。
人の想いが体から抜け出してしまうなら、この蛍の中にも一角の想いがあるのだろうか。それを捕まえることができたら、一角はあたしのことを見てくれるのかな。手を伸ばしてみるがもちろん光を掴むことはできなかった。
終