隊士たちを扱いた後の誰もいない道場で一眠りでもしようかと思い、壁際に胡座をかいて座る。
「剣八さん、こんにちは」
壁に体重をかけ、腕を組み、大きな欠伸を一つ溢した。それと同時に俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ふふっ、お昼寝するところでしたか?」
俺の大欠伸をしっかり目撃し、くすくすと
優紫は笑っていた。そんな
優紫に思わず目が釘付けになった。理由は、普段は下ろしている髪の毛を後頭部で一つに纏めていたからだ。この髪型は俺達が出会って間もない頃と同じものだった。
「……」
「……剣八さん?」
何も反応がない俺に
優紫が首を傾げると一緒に髪の毛も揺れる。途端に懐かしい気持ちになった。昔の記憶が脳裏を過っていく。何度思い出しても俺を想う
優紫の気持ちで優しく温かい気持ちにしてくれる。全部、全部大切で愛おしい思い出。
懐かしんでいると
優紫の手のひらが俺の額を覆った。
「……お熱はないですね」
「どうした?」
「あ、いえ。ぼーっとされてたので、お熱があるのかなって」
俺の額から離れ、引っ込められていく
優紫の手首を捕まえる。
「久しぶりにその髪型の
優紫を見たから、昔のことを思い出した」
「……ふふ、」
俺がそういうと
優紫も昔を懐かしんでいるような顔で笑った。そして、
優紫も同じように俺の手首を握る。
優紫の手首を握っていた手の力を緩めると、
優紫は俺の指を絡め取り手を握り、また笑った。胸の奥がキュッと甘く締め付けられ、こういう行動一つ一つが堪らなく好きだと改めて思う。
「今日は風が強くて、髪が靡いて大暴れしちゃうので一つに纏めて見ました」
確かに今日は風が強い。隊舎も強風に煽られて軋む音が聞こえる。
「最近は髪の毛下ろしてて、この髪型をするのは久しぶりでしたね」
出会った当時の
優紫は、護廷に入隊して数年は経っていたと言えど、夢を持って熱心に卯ノ花のもとで働く姿は初々しかった。顔も少しあどけなかった。
仕事に熱心なのは今も変わらないが、あの頃と比べてより精神的に成熟した
優紫はどんな弱い部分を見せても抱き止めてくれる包容力が表情から溢れ出ている。
そんな"大人"な空気を纏う
優紫が過去の姿と重なり、少し幼なげに見える。一言で纏めてしまうと、可愛い。
「キスしたい」
突然そんな願望に襲われた。
「え?」
俺の要望に目を丸くし、徐々に頬を赤らめていく。キョロキョロと見渡し、周りに人がいないかを何度も確認している。
「しばらく誰もこねえよ」
俺が扱いた隊士は全員、浴場で汗を流していることだろう。
「……本当ですか?」
優紫は眉を顰めて、疑いの眼差しで俺を見ている。思わず吹き出して笑ってしまった。
「俺が信じられねえって顔してるな」
「こういう時の剣八さんはあまり信用できないです」
「言ってくれるじゃねえか」
優紫は眉を顰めたまま、少し唇を尖らせて訝しげな表情を浮かべている。俺が胡座をかいた太ももを二度叩き、腕を広げると素直に俺が指定した場所へと座った。だが、表情は変わらず不審そうに俺を見ていた。
「だって、本当のことですもの」
「そうやって唇尖らせてるとキスしたそうに見えるけどな」
優紫は手に持っていた書類で口元を隠して余計に眉へ皺を寄せた。その表情が髪型のせいもあって、可愛く見えてしょうがない。
「なあ、この髪型好きだからまたやってくれ」
一つに纏められている髪に指を絡めて遊んでいると擽ったそうに
優紫は少し身を捩った。表情は頬と耳を薄らと赤く染め、恥ずかしそうなものに変わっていた。
「ポニーテールが好きなんですか?」
「ぽにーてーるの
優紫が可愛くて好きだ」
俺の言葉に
優紫は頬と耳をさらに赤くさせた。どうやら気を良くした様子に見える。
「出会った頃の初々しかった
優紫を思い出すから好きだ」
あと
項にキスしやすいし、と付け足そうと思ったがまた機嫌を損ねてお預けを食らってしまいそうだった為、言葉を飲み込んだ。
「好きなのは昔の私だけですか?」
「んなわけねえだろ。昔も今もずっと好きだ」
書類に隠されたままの
優紫の口元に顔を近付ける。鼻先同士が触れ合う距離になるが、依然として白い紙に遮られている。
「……少しだけですよ?」
書類が下に降ろされ、待ちわびた可愛らしい唇が目の前に現れる。
「少しかどうかは、数秒後の
優紫に聞いてみねえとな」
優紫の反論は俺が塞いでしまったため返ってくることはなかったが、その代わり胸を小さな拳でトンと軽く小突かれた。その拳を手のひらで包みながら、俺はどうやって
項にキスしようかと考え始めた。
終