目の前には鮮やかな青色の空が果てしなく広がり、その下にはキラキラと輝く海がどこまでも広がっている。強い日差しが波頭を白く照らし、光の反射が眩しく目に映る。
今、わたしは慰安旅行として現世の海に訪れている。今年の慰安旅行は、四番隊・十番隊・十一番隊・十三番隊と合同で行われた。つまり今年の慰安旅行は、友達の志乃ちゃん、そしてちかちゃんと一緒に行けるということ。その知らせを聞いた日からわたしは胸を躍らせて、幼い子供のように指折りで当日を待った。
志乃ちゃんと現世へ出かけ、一緒に水着を買いにも行った。ほぼ下着のように感じてしまう水着を人前で身に着けるのは少し恥ずかしかったけれど、志乃ちゃんの後押しもあってビキニタイプの水着を選んだ。黒地に白い水玉柄のデザインの水着。フリル付きのスカートが付いており、これなら少しは恥ずかしさも軽減できる。ちかちゃんが見たときに少しでも可愛いと思ってもらいたくて、わたしは勇気を出して購入をしたのだった。意気込んでしまった私は店員さんに大きな声で「これ下さい!」と言ってしまい、志乃ちゃんに大笑いされたのは何度思い出しても恥ずかしい。穴があったら勢い良く飛び込んでしまいたくなる気持ちになってしまう。
自宅に帰ってからも鏡の前で何度も自分の姿を確認し、心の中で「大丈夫」と何度も唱えて自分に言い聞かせた。けれど、心の奥底にはやっぱり不安が残り、期待と緊張から昨日は中々眠りにつくことができなかった。これでは本当に海が待ちきれない幼い子供のようだ。ちかちゃんに伝えたら、きっとたくさん笑われてしまうだろう。朝は早いから寝なきゃ、と思っていても日付が変わってもわたしの目は冴えていた。眠れたのはたった数時間。恐らくそれが原因で、わたしはすぐにこの暑い夏の日差しにノックアウトされてしまった。
「はあ……」
志乃ちゃんは一角さんたちと浜辺でビーチバレーを楽しんでいるが、わたしはというと一人でビーチパラソルの下に座って休んでいる。お正月恒例の羽根付きのようにボールを落としてしまったら、墨で顔に落書きしたりして、とても楽しそうだ。わたしもちかちゃんと一緒に参加したかったな。自業自得でしかないけれど、羨ましく思ってしまう。
「……はあ」
楽しそうな笑い声が聞こえてくる光景から目を逸らすように視線を下げ、溜め息をついた。
「
名前」
砂浜しか見えなかった視界に男の人の足が映り込む。顔を上げると心配そうな瞳と目が合った。
「ちかちゃん……!」
ハーフパンツタイプの水着に、上には白いパーカーを羽織っている。髪の毛も今日は後ろに一つで纏め、顔まわりの横髪を片側だけ耳にかけており形の良い耳が見える。肌を隠すことが多いちかちゃん。今日はそれが晒されており、ついつい凝視してしまう。普段とは違う雰囲気のちかちゃんに胸がときめく。今のわたしの思考は、変態と言われても否定することができない。
「大丈夫?」
「う、うん。大丈夫! 少し休んでたら、だいぶ良くなってきたよ!」
「良かった。気分が悪なったらすぐに言うんだよ? 我慢しないこと」
「うん」
ちかちゃんはわたしのすぐ隣に腰を下ろすと、手に持っていたペットボトルの蓋を開けた。
「はい。どうぞ」
「ありがとう……」
「うん。どういたしまして」
差し出されたペットボトルを受け取ると、掌にひんやりと伝わってくる冷えた水が気持ち良かった。水を飲むと熱った体に冷たい水が流れていくのが分かる。体の奥から熱を冷ましてくれ、普段より美味しく感じる水をごくごくと飲み、ふうっと小さく息をついた。
ふと視線を感じ、ちかちゃんの方へ目を向けると優しく微笑んでいるちかちゃんと目が合った。ちかちゃんは黙ったまま笑みを深めた。
「……ちかちゃんは一角さんたちと遊ばなくて良いの?」
「うん。こうして日陰で海を眺めているのも僕は好きだから。極力、肌も焼きたくないしね」
「そっか……」
ちかちゃんは夏の暑さも感じさせない涼しげな顔でそう言うとわたしの髪の毛を掬い、指の腹で撫でたり、指先に絡めたりして遊んでいる。
「それに──」
わたしを見つめるちかちゃんの瞳が優しくて、甘くて、少しずつ少しずつ胸の鼓動が早くなる。
「
名前と一緒にいたいからね」
髪の毛に触れていたちかちゃんの指が、わたしの頬を優しく撫でた。ちかちゃんの指は水のようにひんやりしていて、気持ち良い。目を細めて委ねるとちかちゃんの笑い声がふっと漏れた。顔の輪郭を顎へ向かってゆっくりなぞり、たどり着いた顎に指を添えられる。少しだけ顎を上に持ち上げられ、ちかちゃんの綺麗に整った顔が近づいてきた。「あっ」と思った時には、わたしたちの唇は重なっていた。数秒だった。でも、わたしには長い長いまるで永遠のような時間に感じた。
「……」
唇が離れると、わたしは一瞬、現実に戻れないような夢見心地のふわふわとした甘い感覚に包まれた。心臓が早鐘を打つように激しく鼓動する。わたしを真っ直ぐ見つめるちかちゃんの瞳に目を奪われ、逸らすことができない。視界に映るちかちゃん以外の人や物がぼんやりと霞む。まるで、世界にはわたしたち二人しかいないように感じてしまった。
次第に、人目の多い場所でキスをしたことに対して実感が湧いてくる。ハッ、として辺りをきょろきょろと見回しているとちかちゃんが声を出して笑った。
「大丈夫だよ。ここにいる全員、遊びに夢中で誰も僕らのことなんか見てないよ」
焦るわたしを落ち着かせるようにちかちゃんはわたしの頭を撫でた。その優しく手つきにまた胸がときめいてしまう。
「本当?」
「うん。本当」
なんだか上手く丸め込まれてしまったような気もするが、優しい笑顔にわたしはそれ以上何も言えなかった。でもやはり周りが気になってしまって、辺りに目を泳がせていると視線を感じた。ちかちゃんの方を見ると、ゆるく微笑みながらわたしをじっと見つめていた。目が合ってもそのままわたしを見つめているちかちゃん。水着を着ているせいもあって、その視線が恥ずかしくて堪らなくなってくる。つい目をそらしそうになった時、ちかちゃんは引き止めるように口を開いた。
「その水着、
名前によく似合ってるよ。黒い水着が
名前の白い肌を際立たせて、とても綺麗だ」
ちかちゃんの言葉は不思議だ。どんなに不安に思うことも全部自信に変えてくれるから。死神のわたしが言うのも可笑しな話だけど、まるで魔法みたいだと思う。
「つい触りたくなってしまうほど艶やかなこの髪も、ふっくらとした柔らかい頬も、透き通るような白い肌も、全部触れて良いのは僕だけなんだって思うと堪らなくて……だから我慢できなくなったみたい」
眉を少し八の字にし、目じりを下げて、伏し目がちに優しく微笑むちかちゃんの表情に胸が甘く締め付けられた。少し困ったような表情にも見えるちかちゃんの頬は、ほんのり赤く染まっている。
ちかちゃんの言葉が嬉しくて、この水着を買うのに後押しをしてくれた志乃ちゃんに感謝した。全部わたしが欲しかった言葉だけど、こんなに褒められてしまうと恥ずかしくて恥ずかしくて堪らない。
「ち、ちかちゃん……褒めすぎだと思う……」
「そんなことないよ。まだ褒め足りないぐらいだよ」
「ありがとう、ございます……」
「ふふっ。どうして敬語なの?」
「……は、恥ずかしくて、」
これ以上赤い顔を見られるのが恥ずかしくて、傍らに置いていたタオルで顔を半分隠す。ちかちゃんの表情をちらりと伺うと、目を細くし、口を半月にしながら声を出して笑っていた。
「可愛い」
そう言いながら、また優しく頭を撫でられる。
「水着は恥ずかしいけど……大好きなちかちゃんに、そう思って欲しくて、勇気振り絞って、選んだから……嬉しい……ありがとう……」
ちゃんと伝えたいのに恥ずかしくて、声は細くて小さくなってしまった。
「ちかちゃんも、かっこいいよ……! ついつい、ちかちゃんの体を見ちゃって……目が離せなくて……ドキドキ、して、ます……。ちかちゃん、だいすき……」
タオルで口元も隠してしまっているから、もしかしたらちかちゃんに聞こえなかったかもしれない。遠慮がちにちかちゃんの表情を伺うと、ちかちゃんは顔を真っ赤にして、片手で口元を覆っていた。てっきりいつもの涼しそうな顔で笑っていると思ったから、予想もしなかったちかちゃんの反応にわたしも同じぐらい──いや、ちかちゃん以上に顔が真っ赤になっていく。
「……もう一回しても良い?」
耳元に顔を寄せられ、いつもより低い声でちかちゃんは甘く囁いた。一瞬にして期待に包まれるわたしの胸の高鳴りはもう誰にも止めることはできないだろう。この夏の日差しにだって止められやしない。
「もう一回、しちゃったら……もっとしたくなっちゃう……」
「じゃあ──もういらないって言うぐらい、たくさんしようか」
甘い甘いちかちゃんの言葉に、頭がくらくらした。今度はちかちゃんにノックアウトしてしまいそうだ。でも、ちかちゃんになら何回でもノックアウトして欲しい。
「うん。たくさん、したい……」
ちかちゃんとわたしの唇は再び重なった。
体調崩して良かった。
なんて言ったら、心配してくれたみんなに怒られちゃうかな。
終