「
優ちゃん、何回まわしても良いの?」
「五回ですよ」
手のひらを広げ、その数字を表すとやちるちゃんも同じように手を広げて笑った。
「うん! 分かったー! 剣ちゃん、抱っこ!」
やちるちゃんは剣八さんの袴をぐいぐいと引っ張り、せがんでいる。剣八さんは背中を丸めると、やちるちゃんの両脇に手を入れ抱き上げた。持ち上げられたやちるちゃんが向き合ったのは、赤色の抽選器。今、私たちは商店街の抽選会に訪れている。期間中に商店街で消費した金銭に応じて、抽選器を回すことができる。目玉商品は、一等賞のお米一年分。
「よーし! 金ピカの玉、出すぞー!」
元気にぐるぐると抽選器を回し、カランと受け皿に玉が落ちる音がすると、係の人が上位賞を知らせる鐘を鳴らした。やちるちゃんはガラガラと回し続け、カラン、カランとまた玉が受け皿に落ちる。その最中もまだ係の人は鐘を鳴らしていた。上位賞が出たとは言え、こんなに長い間鳴らし続けるものだっただろうか。
「金色でなかったあ……」
「おめでとうございます! 三等賞の温泉旅行招待券がなんと三つも!」
回し終えたやちるちゃんが悔しそうな声を上げるが、係の人は拍手をしながら高い声で喜んでいる対照的な反応を見せた。受け皿を覗き込むと、そこには確かに三等賞の銅色の玉が三つと参加賞の白色の玉が二つ。思わず剣八さんのほうを見上げると同じように剣八さんもこちらを見ており、丸くしている目に私が映った。
「まずは三等賞からお渡ししますね」
小さな紙を受け取ったやちるちゃんは、訝しげにそれを見つめる。
「ちっちゃい紙しか当たらなかったよ、
優ちゃん」
「すごいですよ、やちるちゃん。流石です」
「本当!? あたし、すごい? 金ピカじゃなかったのに?」
「はい、とってもすごいです」
とんでもない強運を持っているやちるちゃんに拍手を送ると、嬉しそうに可愛らしい顔で笑う。
「こちら参加賞のお菓子の掴み取りです」
「お菓子!?」
個包装のお菓子がたくさん入った透明な箱を目にしたやちるちゃんは、今日一番の目の輝きを見せた。
*
紅葉の赤い絨毯を軽快に踏みしめながら小さな背中は目の前で左右に揺れている。
「剣ちゃん、
優ちゃん! この先もずーっと真っ赤だよ! すっごいね!」
こちらを振り向くと満面の笑みで楽しそうに大きく跳ねていた。
「転ぶなよ」
「分かってるもーん!」
気持ちが高揚しているやちるちゃんを落ち着かせようと剣八さんが声をかけるが、やちるちゃんは高い声で笑いながら辺りを駆け回っていた。
「転ばないように気をつけてくださいね」
「はーい!」
私たちが今、向かっているのは上級貴族が余暇や休暇を過ごすことで有名な行楽地。先日、商店街の抽選会でやちるちゃんが当選した三等賞の温泉旅行の宿泊先だ。そこは春夏秋冬の中でも秋が一番美しいと有名だ。現世の日本には三大絶景と言うものがあるが、夕陽で染め上げたかのような鮮やかな色の紅葉が入り一面に広がるこの景色はきっと尸魂界の三大絶景に入るだろう。
「やちるちゃんが楽しそうで良かったですね」
剣八さんを見上げると口角を緩ませながら微笑み、頷いた。
抽選会の時は、あの小さな紙の価値が分からなかったやちるちゃんはお菓子を貰って一番嬉しそうにしていた。だが、今はその時と同じぐらいはしゃいでいる。
「
優紫は楽しいか?」
走り回っているやちるちゃんを目で追っていると、剣八さんの声が頭上から優しく振ってくる。
「ええ、もちろん。楽しいですよ。こんな綺麗な景色、剣八さんと一緒に見れるなんて思っていませんでした」
剣八さんは嬉しそうに笑うと、小さく「俺も」と呟いた。
「きっと、もっと、楽しくなりますよ。まだまだ一日は始まったばかりですからね」
「はしゃぎ回って転ばねえように気を付ける」
「ふふっ。私も気を付けますね」
剣八さんの手を取り、指を絡めて握り締めると優しく握り返してくれる。それが当たり前に感じることが、幸せだった。
カサカサと音がなる夕陽色の絨毯の上を二人で歩き、やちるちゃんの背を追った。
*
夢物語に出てきそうな立派な老舗旅館に辿り着き、出迎えてくれた女将さんに案内されて通された客室の扉を開く。まず目に入ったのは正面にあるガラス窓から見える露天風呂と紅葉。
「部屋の外にお風呂があるー!」
まるで絵に描いたような美しさに見惚れていると、やちるちゃんの声で我に返る。やちるちゃんはガラス窓に両手と額と鼻先をくっ付け、露天風呂を観察している。共用浴場に露天風呂もないし、自宅も一般的な浴場だからもしかしたら露天風呂を目にするのは初めてなのかもしれない。剣八さんの様子を窺うと露天風呂だけではなく辺りも見渡し、綺麗にいけてある生花や掛け軸、壁に飾ってある水墨画に目を奪われていた。
ぱっ、とこちらへ振り返るとやちるちゃんは笑顔で私の足元に抱き付く。顔を離したガラス窓は少しだけ曇っていた。
「ねえ、お風呂入ろ! お風呂!」
首を反らし、私と剣八さんを見上げている。やちるちゃんも露天風呂に魅了されてしまったようだった。
やちるちゃんの頭を撫で、私もやちるちゃんを真似て剣八さんにぎゅっと抱き付いてみる。剣八さんは突然のことに小さく体を跳ねさせ、目を丸くしていた。きっと、戦いの中では見られない彼の可愛い表情だ。
「剣八さん、私も早く入りたいです。良いですか?」
「剣ちゃん、いいよね? ね?」
彼は顔を綻ばせ、両手で私たちの頭を撫でた。
*
一足先に露天風呂に向かった二人を追いかけ、通常の浴室と露天風呂を隔てているガラス窓を開く。湯で温まった体が心地良い秋風に冷まされる
感覚が気持ち良い。
露天風呂には既に湯に浸かっている剣八さんと、湯に浸からずにしゃがみ込んでいるやちるちゃん。
「やちるちゃん、何かありましたか?」
「うん! 見て! ここにも紅葉がたくさんあったから集めてたの!」
あどけないやちるちゃんの手のひらにちょこんと乗っている小さな紅葉。幼い子供の手を「紅葉のようだ」と例えられることがあるけれど、本当にそっくりでその可愛らしさがたまらなかった。
「
優紫、やちる。体冷やすぞ」
湯の中で待ち侘びている剣八さんに呼ばれる。二人で「はーい」と少し間延びした返事をし、彼の元へと歩み寄った。お湯に浸かろうと片足をあげると、剣八さんに手のひらを差し出される。手を重ねると、大きな手に包み込まれた。そのまま私が体勢を崩してしまわないように体を支えてくれ、湯船に浸かる。少し冷えてしまった体に暖かいお湯にじんじん少し痺れるような感覚が走る。寒場だけに味わえるこの感覚が少し癖になってしまいそう、といつも思う。
「ありがとうございます」
剣八さんが頷いたと同時に私たちの頭上から赤い色がたくさん舞った。静かに湯船の水面に落ちたのはたくさんの紅葉。
「みんなで一緒にお風呂!」
じゃぶん、と大きな水飛沫をあげてやちるちゃんは温泉に飛び込んだ。飛び散ってくる水飛沫を防ぐように顔の前に両腕を持っていくと、頭を優しく包まれ、ぐいっと剣八さんの胸の中に抱き寄せられる。
「やちる、危ねえだろ」
近くなる剣八さんの筋骨隆々の体と鼓膜を優しく震わせる低い声。それに反応するように大きくなった心臓の音が体に響く。こんなに近かったら剣八さんにも、その音が聞こえてしまいそうだった。
「俺ら以外がいる時はするなよ」
「しないもーん」
「どうだか……」
けらけらと笑っているやちるちゃんに手を焼いた剣八さんは短いため息をついた。剣八さんは真面目に注意をしているというのに、私は──
「顔、赤えぞ? のぼせたか?」
顎を持ち上げられ、剣八さんと視線が交わった。
流石につい先程、浸かったばかりだからまだのぼせてはいないが剣八さんは心配そうに私の顔を覗き込んでいる。その表情を見ていると、少し意地悪をしたくなってしまった。
「……のぼせたかもしれません、剣八さんに」
私が剣八さんの名前を出すまで彼は焦ったような表情で何をしたら良いのかと辺りに目を泳がせていたが、自分の名前を聞くとその動きを止めて真っ直ぐ私を見つめた。自分から仕掛けたは良いものの、どうすれば言いかわからなくなってしまい目を逸らす。だが、剣八さんはそれを許さなかった。また顎に手を添えられ、正面に顔を向かせられる。ゆっくり剣八さんの顔が近付き、目を閉じた彼に私も目を閉じる。柔らかい感触が少し間触れて、離れていく。ゆっくり瞼を開くと、剣八さんの深緑の瞳に目を奪われる。口角を釣り上げ、尖った犬歯をみせながら笑う。
「自分から仕掛けておいて逃げるのは卑怯だろ」
「……逃げてないです。目を逸らしただけです」
「それを逃げたって言うんだろ」
「違いますよ」
剣八さんは私の肩を抱き寄せると、「ハッ」と上機嫌に笑った。今の彼には何を言っても嬉しそうに、楽しそうに笑うだけだろう。諦めて、彼の体へ身を預ける。
「ねえねえ、あそこってさっきまで歩いてたところー?」
外の風景を眺めながらやちるちゃんが下の方を指差した。そこは確かに旅館に向かう時に歩いた道だった。
「そうですね。歩いている時はとても広く感じましたが、こうしてみるととても小さく見えますね」
「ねー」
やちるちゃんは突然何かを閃いたように、「あ!」と声を上げるとばしゃばしゃとお湯をかけ分けて剣八さんに近付き膝に座った。
「剣ちゃん、お家のお風呂もここみたいお外に作ろうよ! お外眺められて楽しいもん!」
楽しそうに笑顔で提案され、剣八さんは顎に手を当てて少し考える素振りを見せる。「そうだな……」と呟き、片方の口角を上げて笑う。
「露天風呂は
優紫がのぼせちまうからな」
声を上げずに、にたにたと笑う剣八さん。私をからかっているのは明白だ。
「もうっ、のぼせてないですよ」
「赤い顔してそんなこと言われてもなァ」
訂正しても剣八さんは全く聞き入れてくれない。
「
優ちゃん、のぼせちゃったの? 大丈夫?」
「大丈夫ですよ。剣八さんの勘違いですからね」
「本当に? これあげるから元気になってね」
やちるちゃんの拳の下に手のひらを差し出すと、乗せられたのは湯舟の水面を漂っていた紅葉だった。
*
露天風呂から上がり、みんなへのお土産を選んだ後に広間で夕食の牛鍋を食べた。霜降りの和牛が贅沢に使われており、一切れが一人用の小鍋からはみ出しそうな大きさだった。立派な牛肉だったが口の中に含むと柔らかく溶けていき、広がる肉汁に頬が落ちてしまいそうだった。品数が多く、全て食べ切れるか心配だったが箸が止まず、綺麗に全て完食してしまった。剣八さんもやちるちゃんも舌鼓をうっていた。
夕食をとった広間から部屋に帰る道すがらに、日が落ちた外が行燈で照らされているのを見たやちるちゃんが「お散歩に行こう!」と天に向かって人差し指を立て、私たちは食後の散歩に出掛けることとなった。
「すごーい! 光っててきれーい!」
宿に訪れた時と同じように駆け回ってはしゃいでいるやちるちゃん。ただ、今は日が落ちて暗くなってしまったから足元を取られてしまうかもしれない。
「やちるちゃん、三人で手を繋いで歩きませんか?」
ぴたっと足を止めたやちるちゃんは、嬉しそうに笑いながら私たちの方へ戻ってくる。両手を私たちへそれぞれ差し出し、私と剣八さんは小さな手を包み込んで手を繋いだ。
「あ! 間違えた! こっちじゃないや!」
向かい合って手を繋いだため、やちるちゃんだけ後ろを向いたようなことになってしまった。やちるちゃんも正面を向き、手を繋ぎ直す。
三人で歩幅を合わせて、一緒に紅葉の道を歩く。やちるちゃんが興味を示していた行燈が夜道を照らしており、昼間と違った幻想的な美しさがあった。
貴族の行楽地なだけあり、辺りは静寂に包まれていた。人の目もなく、まるでこの世界には私たちだけしかいないような感覚に陥る。
最近の死神たちの間では現世へ旅行するのが流行している。現世は文明が発展しているし、過去の文化遺産もたくさんある。でも、観光客も多くこんな静かな時間を過ごすこともできないだろう。そう言った点では、やはり私は尸魂界の方が好き。
「ねえねえ、紅葉持って帰っても良い?」
小さな足でサクサクと音を立てて歩きながら、やちるちゃんに問われる。
「いいですよ。どの紅葉にしますか?」
「剣ちゃんの手みたいにおっきいの!」
「ふふっ。私も剣八さんさんみたいな大きな紅葉、私も欲しいです」
「そんなでけえ紅葉あるのか?」
「あるまで探すの!」
剣八さんは自分の手のひらを見つめながら不思議そうにしていた。そこに、はらりと宙で一回転をしながら小さな紅葉が舞い落ちる。剣八さんの手のひらの半分もない小ささだった。
「……ふふっ」
「どうしたの?
優ちゃん」
「剣八さんの手も小さな紅葉みたいな時があったのかなあ、と思うとこの小さな紅葉が愛おしく思えてきて」
「誰だってそうだろ?」
「剣八さんだからそう思ってしまうんです」
手のひらの紅葉を指先で摘み、少し照れくさそうに頬を掻いている。
「私、やちるちゃんの手みたいな紅葉も欲しいです」
「じゃあ
優ちゃんのも探さなきゃ! あと、つるりんたちのお土産も探さないと!」
始まった紅葉大捜索は、やちるちゃんが大きなあくびをするまで続いたのだった。
終