「今日はとびきり暑かったですね」
剣八さんとやちるちゃんと帰路を共にしている時に、私の言葉を聞いたやちるちゃんが「聞いて! 聞いて!」と高揚する気持ちを抑えきれずに体を跳ねさせていた。
「暴れんな、やちる。落ちるぞ」
剣八さんの肩に乗っているやちるちゃん。落ちてしまわないように剣八さんが小さな背中に手をやり、掴まえた。
「今日ね! ひっつーにね! かき氷作ってもらったの!」
「まあ。それは良かったですね。美味しかったですか?」
「うん! すっごくすっごく美味しかった! ね、剣ちゃん!」
やちるちゃんは笑顔で剣八さんに同意を求めた。
「剣八さんも日番谷隊長のかき氷を召し上がったのですか?」
剣八さんに問うと、静かに頷く。
「美味しかったですか?」
「美味かった。けど、頭がキーンってして痛かった」
かき氷を食べて、額を抑えている剣八さんが頭に浮かんだ。自分の想像ながら、その様子が可愛くて笑みが溢れた。実際に見られなかったのが残念だ。
「今度は
優ちゃんも一緒に食べようね!」
「日番谷隊長は、今年もご馳走してくれるでしょうか?」
実は、「かき氷を作って欲しい」という要望に怪訝な顔を返してくる日番谷隊長が頭の中に浮かんでいる。毎年一度は、やちるちゃんに手を引かれて日番谷隊長のかき氷を食べに行くが、日番谷隊長はまさしくその顔をしている。怒鳴られても可笑しくないお願い事だが、うんざりとした表情をしつつも日番谷隊長はいつもかき氷を振舞ってくれる。瀞霊廷通信の企画で椅子や彫刻など様々なものを氷で創作している日番谷隊長のかき氷は、一般隊士の間では"人生で一度は食べてみたいグルメ"の一つだ。そして、私の密かな夏の楽しみなのだ。是非、ご馳走してもらえるなら今年も食べたい。
「大丈夫だよ! あたしがお願いしてあげるね!」
「ふふっ。ありがとうございます。その時はお願いしますね」
「うんっ!」
やちるちゃんの誘いに甘えることにした私。頼られたことが嬉しかったのか、やちるちゃんは一層破顔していた。この無垢さがいつも私の心を癒してくれている。
やちるちゃんは、ぴょんと跳ねて剣八さんの肩から飛び降りる。すたっと軽い音を立てて、地面に着地すると繋いでいた剣八さんと私の手を解いた。私たちは抵抗することなく、やちるちゃんのしたいままに身を委ねる。解いた私たちの手をそれぞれ右手と左手で握ると、にこにこと笑いながら私たちを見上げた。本当に可愛らしい。私が頬を緩ませると剣八さんにも連鎖するように笑みを浮かべていた。
「ねえ、ねえ」
「どうしましたか?」
やちるちゃんに手をぐいぐいと引っ張られる。
「今日の夕ご飯はなあに?」
「そうですね……今日は暑かったので、つるんと食べられるおそうめんにしましょうか。夏バテ対策に、おそうめんの上にねばねばの──」
そこまで言うと剣八さんは眉を顰めた。次に続く言葉を想像してのことだろう。素直な彼に思わず笑ってしまうと、眉頭にある皺が少し深くなったように見えた。
「ねばねばのオクラとトマトを乗せて食べましょうか」
自分が想像していた物と違ったことに安堵したらしく、剣八さんの表情は穏やかなものになっていた。
「あたし、お手伝いするー!」
「……俺もする」
「ありがとうございます」
料理をするのは好きだが、一人よりも剣八さんとやちるちゃんと一緒に台所に並んで作る料理の方が大好き。三人並ぶには少しだけ狭いのだが、体を寄せ合って一緒の時間を過ごすのが幸せなのだ。
「それと、今日みんなで一緒にお風呂入ろー!」
やちるちゃんは楽しそうにスキップしている。
ととん、ととん。
やちるちゃんの軽い足音に合わせて、腕が揺れた。振動だけではなく天真爛漫さも伝染し、私も一緒にスキップしたくなる気分になった。
「ふふっ。了解しました。暑いですがお風呂に入って、汗をかきながら一日頑張った体をしっかり綺麗にしましょうね」
「はーい!」
元気良く大きな声で返事をするやちるちゃん。
剣八さんはというと、手を繋いでいない方の手を顔に持っていき、すんすんと鼻を鳴らしていた。次に顔を肩に寄せ、すんすんと鼻をまた鳴らす。
「剣八さん?」
「……体動かした後に、水浴びて着替えたけどよ。汗臭かったか?」
眉を下げて、少ししゅんとしながら剣八さんは私を見つめた。本当に剣八さんは可愛い。胸がきゅーっと甘く締め付けられ、頭をたくさん撫でたくなる衝動に駆られた。
「いいえ。違いますよ」
私が肩を揺らしながら笑うと、剣八さんは「本当か?」と首を傾げる。今度は胸元の死覇装を掴み、そこに顔を寄せながら鼻をすんすんと鳴らしていた。
*
剣八さんとやちるちゃんには帰り道に買った食材を冷蔵庫に入れてもらい、庭に植えているお花の水やりをお願いした。
私が担当したのはお風呂の準備。浴槽の掃除をし、湯を張り終わった後に「お風呂の準備ができましたよー!」と脱衣所から剣八さんとやちるちゃんに声を掛ける。
とっ、とっ、とっ。
すると、そんな小さな足音が軽快に近付いて来た。
「みんなでお風呂だー!」
まず脱衣所にやって来たのは、やちるちゃん。
「ねえ、ねえ! お風呂にアワアワになるやつ入れても良いー?」
「はい。入れましょうか」
「やったー!」
戸棚から泡の入浴剤を取り出し、やちるちゃんに手渡すと嬉しそうににこにこと笑っていた。入浴剤が入っている袋を耳元で振り、しゃかしゃかと音を立てて遊んでいる。
そこに、剣八さんも遅れて脱衣所へやって来る。きっと、やちるちゃんが私の声を聞いてすぐに私の元に飛んで来てしまったのだろう。やちるちゃんが投げ出してしまった作業途中のものを剣八さんが代わりに受け持ち、後片付けもしている姿が頭に浮かんだ。
「剣八さん、ありがとうございました」
「ああ」
「あたし、先に入ってるねー!」
やちるちゃんは身に着けていた物を風に飛ばされたようにあっという間に脱いだ。死覇装を籠の中へ入れ、入浴剤を持って浴室の中へと入って行く。
剣八さんも隊長羽織を脱ぎ、死覇装の前紐に手を掛けていた。私は慌てて、剣八さんに背を向ける。
もう幾度も剣八さんと肌を重ねているため、何も纏っていない姿を見たことはある。だが、やはり恥ずかしい。これはきっと、一生慣れることはないだろう。
剣八さんのくすくすと笑う小さな声が聞こえてきて、余計に恥ずかしさを覚えた。
自分自身の肌を見せるのも恥ずかしく、そのまま彼が浴室に入るのを待つ。すると、ぽんと頭に彼の大きな手が優しく置かれた。
「先、入って待ってるからな?」
耳元でそう囁かれ、私は黙って頷く。
胸がどきどきと音を立てて高鳴り、熱くなった顔を隠すように俯くとまた剣八さんの笑い声がまた聞こえた。
私の頭からすっと手が離れると、浴室に入っていく剣八さんの足音と戸を閉める音が聞こえた。私はまだ忙しなく動いている心臓を落ち着かせるように、深呼吸を二度繰り返した。
「
優ちゃん、まだー?
優ちゃんが来ないと洗いっこできないよ~!」
「あ、はーい! すぐ行きます!」
死覇装を脱ぎ、剣八さんとやちるちゃんの死覇装が入っている籠へ入れる。タオルを一枚手に取り、体を隠しながら二人の声が聞こえる浴室への扉を開けた。
「きた、きた!」
笑顔で私を出迎えてくれたやちるちゃんに手を引かれ、風呂椅子に腰を下ろす。背中を洗い合うために、三人とも同じ方向を向き、剣八さん・私・やちるちゃんの順番で並んでいる。私の目の前には剣八さんの大きな背中。肩幅が広く、無駄がない筋肉質で逞しく男性らしい体。いつもうっとりと見惚れてしまう。
「
優紫?」
背中を洗い始めない私に剣八さんが不思議そうに顔だけ振り返った。
「あ、ごめんなさい」
私は慌ててタオルで泡を立て、剣八さんの広い背中を洗い始めた。やちるちゃんも楽しそうに「ごしごし~」と言いながら私の背中を洗っている。
剣八さんの背中を泡でいっぱいにしたところで、やちるちゃんが「こうた~い!」と声を上げる。くるり、とこちらを振り返った剣八さんと目が合った。
「……」
「……ふふっ」
剣八さんの顔を見て、あることに気付いた私は笑いが込み上げてくる。笑っている私に剣八さんはもの問いたげに首を傾げた。それがまた私の肩を震わせた。
「どうした?」
「ふふっ……剣八さん、ここに——」
「
優ちゃん、しーっ! まだ言っちゃダメなんだよ!」
笑っている理由を剣八さんへ伝えようとすると、やちるちゃんの声でかき消された。口に人差し指を当て、「しーっ! しーっ!」と何度も繰り返している。私が両手で口を塞ぐと、やちるちゃんはその動作をやめた。
「剣ちゃんには、内緒なんだよ!」
「そうでしたか」
「うん!」
「何なんだ?」
「何でもないよね~」
「はい。何でもないですよね」
顔を見合わせて笑っている私たちに、さらに剣八さんは不思議そうな顔になる。「何か付いてるか?」と言いながら自分の顔を触っている剣八さん。そんな彼の様子に私たちは、また笑ってしまった。
*
お風呂から上がった私たちは、三人で夕飯の支度をした。身を寄せ合い、仲良く料理をするのはやっぱり楽しく、そして幸せな時間だった。
三人で作ったオクラとトマトを乗せたそうめんを楽しく談笑しながら食べた。後片付けも三人で行った後に、私たちは布団を並べて寝る準備を始めた。
私と剣八さんが両端を持って持ち上げた布団へとやちるちゃんは飛び込んで楽しそうに遊んでいた。敷き終わった布団の上で、しばらく笑いながらころころと布団の上を転がっていたやちるちゃんだったが、ぱたりと電源が切れたように寝入ってしまった。すやすやと寝息を立てて眠っているやちるちゃんを剣八さんが抱き上げ、布団に正しく寝かせた。
「おやすみなさい。やちるちゃん」
桜色の髪を撫で、「明日も楽しい一日になりますように」と願いながら頬に口付けを落とす。やちるちゃんは眠ったままだったが、幸せそうに口角を上げたように見えた。
「私たちも寝ましょうか」
「そうだな」
剣八さんは欠伸を一つ零し、布団の上に座ると右目に着けている眼帯を外した。私がその顔を見て、お風呂の時のように笑っていると、剣八さんは少し面白くなさそうに眉を顰めた。
「さっきから何で笑ってんだ?」
腕を引かれ、剣八さんが胡坐をかいている上に座る。逃げられないように、ぎゅっと抱き締めて閉じ込められた。
「いえ……ふふっ。なんでもないですよ」
「……なあ、教えてくれ」
剣八さんが寂しげな顔に変わった。目尻を下げ、しょんぼりと落ち込んでしまっているような表情。少し潤んでいるようにも見える瞳。彼のこの表情に弱い私はこれ以上、内緒にすることはできなかった。
「ここ」
剣八さんの右目の周りを人差し指の腹で撫でる。剣八さんは擽ったそうに右目を閉じた。
「肌が日に焼けて、眼帯の跡が付いてますよ」
剣八さんの顔には、いつも着けている眼帯の跡がくっきりと残っているのだ。日に焼けてない肌と眼帯にそって日に焼けてしまい暗くなった肌の境界線がぐるりと右目を囲ってある。それが眼帯を外しているのに、まだ眼帯を着けているように見えてしまう。それが原因で私とやちるちゃんは笑いを耐えられなかったのだ。
「この跡が可愛くて……ふふっ」
もう一度ぐるりと日焼けの境界線を指の腹でゆっくりなぞる。同じように擽ったそうにしている剣八さん。それでも私の手を払いのけようとはしない。
「暑い日が続きましたからね」
私たちが笑っていた理由を教えたが、剣八さんはまだ面白くなさそうな顔をしていた。
「可愛いって、……子供扱いしてねえか?」
なるほど。それが原因か。
剣八さんが考えていることが見えてきて、私はまた笑ってしまった。眼帯の跡も、剣八さん自身も、心が和むような可愛さだ。
「いいえ、していませんよ。大好きで愛おしい人は『可愛い』とたくさん愛でたくて、しょうがない気持ちになるんですよ」
右目の目尻に口付けを落とし、頬を撫でると、ようやく剣八さんの眉頭の皺が薄くなり穏やかな顔になった。唇にも口付けを落とすと、ぐるりと急に視界が反転した。私の視界には、剣八さんと天井。剣八さんは、私の首元に顔を埋め、私の首筋に口付けた。唇を肌に付けたまま、ちゅっと吸われて肩がぴくりと跳ねた。
「んっ……剣八、さん……」
剣八さんは私の首筋に吸い付いたまま、私は寝間着の襟元を緩め始めた。
「なに、してるんですか……!」
「
優紫も日焼けしてねえか確認しようと思って」
顔を上げた剣八さんは白い歯を見せながら、口角を上げて楽しそうに笑っていた。
「さっきお風呂で見たじゃないですか!」
「忘れちまった」
「もう! けん——」
「しーっ」
剣八さんは私の口を片手で塞いで言葉を遮ると、人差し指を唇に当ていた。
「静かにしねえと、やちるが起きちまうぞ」
剣八さんはそう言うと、私を横抱きにして立ち上がった。突然高くなる視界。そこから見下ろすと、やちるちゃんは少し前と変わらず、すやすやと寝息を立てて眠っていた。そして剣八さんは、すたすたと歩き始める。
「お、おろしてください……!」
「ああ。向こうでな」
剣八さんが言っている『向こう』とは、寝室から少し離れたところにある客間のことだ。聞かなくても彼の目的地が分かってしまう。これからのことが頭に浮かび、体がじんと熱くなってきた。
「向こうではなく……今すぐ、おろしてください!」
「
優紫から誘ってきただろ?」
「そんなつもりでは……!」
「風呂で俺の体を見てただろ?」
剣八さんは目を細め、口角を上げ、からかうように笑っている。右目の日焼け跡もあって、“どきどき”と“きゅん“が交互に胸を襲ってくる。
「……み、見てましたけど」
「ハッ。素直じゃねえか」
そうこうしているうちに、『向こう』に辿り着いてしまう。客間の戸の前で立ち止まり、剣八さんは私をじっと見つめた。悪戯なことを言っているが、その瞳はすごく優しい色をしている。その色に、簡単に私は染まっていってしまうのだ。
「抱いて欲しいって目で訴えてただろ?」
「そんな目では……見てないです……」
思わず抱き付きたくなってしまうような体にうっとりと見惚れてしまったが、抱いて欲しいなんてそこまで飛躍したことは考えてはいなかった。
いや、『考え始める前に、私の名前を呼んだ剣八さんに思考を止められた』が正しいのかもしれない。
「本当か?」
「ほ、本当ですから、おろしてください……」
「中に入ったらな」
彼はもうしっかりその気で、何を言っても無駄だった。
私が小さく唸りながら困っていると、剣八さんは私の右目の目尻に口付けを落とした。
「大好きで愛おしい人は『可愛い』ってたくさん愛でたくて、しょうがねえ気持ちになるんだよ」
それを言われてしまえば、私はもう抵抗する言葉を持ち合わせてはいなかった。
「俺にもたくさん愛でさせてくれ。それに、
優紫ももっと俺のこと愛でたいだろ?」
彼と私の心には、境界線はもう存在しない。
返事の代わりに彼の首元に抱き付くと、戸を開ける音が夜の静寂に響いた。
終