ほわっと胸に優しくて温かな霊圧が当てられ、まるで柔らかな春の日差しに包まれるような穏やかな気持ちになる。俺が好きな霊圧だ。その霊圧の持ち主は、勿論
優紫だ。
今、俺は戦闘任務で負った傷を
優紫の回道で治療を受けている。「怪我したから今から行っても良いか」と連絡すると「丁度休憩を取っているところなので、私がそちらに行きますね」と返事が返ってきたのだった。
心地良い
優紫の霊圧によって、ゆっくり傷が塞がっていく。始めは傷口をいたわるように肌を優しく撫でられる感覚、次に体の奥から全身を癒すように優しく抱きしめられる感覚。彼女がくれる穏やかさに、つい眠ってしまいそうになる。少しだけうとうとしていると、
優紫は優しくふわっと笑った。
「──はい。終わりました」
「ありがとう……」
「どういたしましてです」
もう少し
優紫の霊圧を肌に感じていたかったが、俺の体に傷はもうどこにもない。
優紫は治療に使った物を片付け、ついでにと俺の机の上に乱雑に散らかっている書類を片付け始めた。何もしないで座っているわけにもいかず、立ち上がって自分も書類に手をつけようとすると、
優紫は肩をビクリと震わせた。
「いっ、た……!」
小さな声が聞こえ、一気に心が冷えた。急いで
優紫に駆け寄る。右手を左手で覆っている
優紫にさらに心が冷えていく。
「どうした!?」
覗きこむと赤い鮮血が
優紫の指を伝っており、胸が締め付けられた。サッと全身から血の気が引いていく。血なんて飽きるほど見ている。自分と対峙している相手や自分が斬られ、流れる血はただただ自分を高揚させるものなのに、それが
優紫のものだと思うと恐怖に襲われてしまう。
「紙で切っちゃって……結構、深く切れちゃったみたいです」
気が気ではない俺とは逆に冷静さを保っている
優紫。血液を拭うためにちり紙を探すが、隊首室が散らかっているためすぐに探し出せない。
(ああ、クソッ……!)
机の下で逆さまになっているちり紙の箱を見つけ、急いで拾い上げる。ちり紙を二枚取り、
優紫の傷口にあてる、出血を止めるために軽く圧迫する。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます。少し深く切ってしまいましたが、小さな傷なので大丈夫ですよ」
優紫はいつものように穏やかに笑いながら俺を見上げた。その瞳にもいつもの優しさがあり、安堵すると同時に罪悪感が胸に生まれた。
「ごめん……」
「どうして剣八さんが謝るのですか?」
きょとんとしながら
優紫は首を傾げていた。
「……俺のせいだから」
自分が書類をしっかり整頓していれば、
優紫は紙で指を切ることもなかった。俺が部屋を片付けていれば、ちり紙もすぐに見つかり、早く対処できた。そもそも自分が怪我さえしなければ、
優紫が十一番隊に来ることもなかった。全部、俺のせいだ。
「それは違いますよ」
優紫の小さな手に頬を撫でられる。罪悪感に包まれ、自己嫌悪しているところだというのにたったそれだけで気が楽になっていく。
「私の不注意ですから、そんな暗い顔しないでください。すぐに治せますから。ね?」
優紫が微笑みながら、傷口に片手を翳した。
自分が怪我をした時に
優紫が治してくれるが、いつも自分はただこうやって見ているだけ。
気付けば
優紫の手を握り、治療する手を止めていた。
「俺がそれやってみても、良いか……?」
「回道のことですか?」
「ああ」
優紫は目を丸くし、不思議そうに俺を見つめていた。
「……俺には、できないか?」
優紫は首を横に振った。
「生死に関わってくるような大きな怪我は霊圧の回復の他に魂魄の修復が必要になってくるので、それ相応の勉学や鍛錬を積まなければ難しいと思いますが、これは小さな傷で魂魄の修復も必要ないですしコツさえ掴まれば剣八さんにもできると思います」
「じゃあ、教えてくれ」
鬼道を全く使えない俺が一から
優紫に教わりながら治療するより、
優紫が治した方が何倍も早い。けれど、自分も
優紫の傷を癒してやりたい。
頷いた
優紫を抱え上げ、長椅子まで大股で歩く。俺は長椅子に腰を下ろし、
優紫は自分の膝の上に座らせた。
「どうすれば良いんだ?」
優紫を真似て、傷口に自分の手を翳す。
「手のひらに霊圧を集めるように、意識してみてください」
少しずつ、少しずつ、言われた通りに手のひらに霊圧を集めてみる。すると、自分の手が淡い光に包まれた。
「次は、自分の霊圧が治療する相手の霊圧と混じり合えるように相手の霊圧の癖を探ります。探れたら、それを意識しながら霊圧を相手の傷口に向かって放ちます」
優紫の霊圧の感覚を頭の中で思い描きながら、手のひらに集めた霊圧を少しずつ放つ。淡い光に包まれながら、ゆっくりゆっくり
優紫の傷口は消えていった。自分の力が
優紫を癒す瞬間に、初めて感じる満足感が心を満たしていった。
「できた……」
「ありがとうございました、剣八さん」
優紫はほんのりと赤く染めて、嬉しそうに微笑んだ。彼女のために自分ができることが増えたことに、俺も嬉しくなり微笑みを返した。
*
それから、もっと
優紫のために回道を練習したいという気持ちになった俺は怪我を負った一角や弓親を練習台として付き合わせていた。
総隊長に剣道の練習をさせられた時は気が向かずうんざりしていたというのに、自主的にやる回道の練習は苦ではなかった。
「……ストップ! タンマ! 待って、隊長! 終わり! もう終わりで良いっス!」
怪我の治療のために一角へ霊圧を当てていたが冷や汗を流しながら、勢い良く俺から離れて行った。ちなみに昨日は弓親に全く同じ反応をされた。
「つるりん、逃げちゃダメだよ! 練習にならないじゃん!」
「だって、物すげェ痛いんスよ!?」
「つるりん、痛いの大好きだから良いじゃん」
「好きな訳ねェだろ! 語弊があるから止めろッ!」
「良いから、早くこっちー! 戻ってきてー!」
「いやいや。これ以上、抉ってくるような痛い霊圧を当てられたら逆に傷口が広がりますって……あっ」
やちるとの会話で本音がダダ漏れになってしまった一角は、そこまで言って片手で口を塞いだ。気まずそうに俺を見ている。
「……」
「……」
「……す、すんません。えっと、言葉のあやというか……なんというか」
「……痛いってのは、本当か?」
一角はぎこちなく頷く。
「弓親、お前もか?」
俺らを静観していた弓親に問うと、苦笑いしながら頷いた。
初めて
優紫のことを回道で治療した時と同じようにしているつもりだ。あの時の
優紫は笑っていたが、本当は痛かったのだろうか。
「……」
優紫を我慢させてしまっていたかもしれないことに、胸が締め付けられて苦しくなった。
*
夕飯の支度をしてくれている
優紫の背中を目で追う。手伝っているやちると談笑している様子が微笑ましかった。幸せな光景に頬が緩む。
だが
優紫の笑顔を見ていると、昼間に一角に言われた言葉を思い出した。俺が回道で治療した時に「痛い」と言い出せずに我慢していたとしたら、やるせない気持ちになってくる。自分に嫌気がさし、二人に気付かれないように溜め息を溢した。
「いっ……!」
「
優ちゃんっ! 剣ちゃん、大変! 早く!」
優紫の短い声とやちるが俺を呼ぶ切羽詰まった声が聞こえ、反射的に座っていた椅子から立ち上がり足早に
優紫へ駆け寄った。
優紫の目の前にはまな板と包丁。食材を切っている最中に指を切ってしまったらしい。ぱっくりと割れている指の腹から鮮血がとめどとなく流れている。急いで近くにあったちり紙で血を拭う。
「大丈夫か?」
「……はい」
紙で指を切った時とは明らかに傷口が大きい。痛みに
優紫は少し口を歪ませていた。
「剣ちゃん、早く治してあげて?」
「でもよ……」
「そんなの良いから! 早く治してあげて、剣ちゃん!」
肩に乗ってきたやちるが俺の頬をペチペチと叩きながら、そう言った。一角と弓親の反応を思い出し、気が進まなかったがゆっくり
優紫の傷口に手をかざす。
優紫の表情を伺いながら、ゆっくりゆっくり霊圧をあてる。一角と弓親は霊圧を当て始めてすぐに勢い良く俺から距離を取っていたが、
優紫はそのまま俺に身を委ねている。冷や汗もかいていない。痛みを感じ、苦悶そうに表情が動くこともない。
そのまあま淡い光に包まれ、傷口は時間をかけてゆっくり塞がっていく。
「剣八さん、ありがとうございました」
優紫はまた頬をほんのり赤く染めて、微笑みながら俺に礼を告げた。
「……俺の霊圧、痛くなかったか?」
俺が投げかけた質問に
優紫は目を丸くし、首を傾げた。
「痛くないですよ?」
「一角と弓親が俺の霊圧は痛ェって……」
「そうなんですか?」
より目を丸くし、ぱちぱちと目を瞬かせていた。俺が下唇を噛みながら頷くと、俺の気持ちをはらうように穏やかな笑みを見せた。
「私は、剣八さんが優しく抱きしめてくれるような気分になって……剣八さんもそうなのかな、と思うと幸せな気持ちになるんです」
優紫は傷が治った手で俺のを手をとり、指を絡めた。
「本当か? ……我慢、してないか?」
「ええ」
目を細めて微笑む
優紫の表情には、何の偽りもなかった。ズキズキと傷んでいた心が優しく包まれていく。
「もしかしたら、霊圧の相性ですかね?」
「なんだそれ? そんな物あるのか?」
「はい。女性隊士の間で噂されている恋占いのような物ですけどね」
「恋占い?」
今度はやちるが優紫に疑問を投げかけた。
「はい。相性が良いと霊圧の親和性も良いとか……」
信憑性がなさそうな話だったが、
優紫と一角や弓親の反応を比べると本当に現実的にあるものだと思えてきた。
絡めている手を強く握ると、
優紫はまたほんのりと頬を赤く染めた。口角を上げ、口を開いた。
「私は剣八さんの霊圧も、貴方のことも大好きですよ」
「──俺も、
優紫の全部が大好きだ」
優紫の言葉で俺はまた
優紫を、自分を愛おしく思うのだった。
終