ドン、と言う音を立てて机の上に白い山が立った。
「隊長! 今日こそは絶対に! この書類へ目通して貰いますよ?」
山を建てたのはヒクヒクとこめかみを痙攣させている一角だ。俺の見間違いでなければ、目の下にクマがあるように見える。
「……」
俺を半眼で睨み付けている一角から目を逸らすが、すぐに一角は俺の視界に割り込んでくる。反対方向へ顔ごと逸らすが、同じように一角は視界に割り込んできた。
「隊首印を押すだけにしてあるんで、目通して印鑑押してください」
一角は机の引き出しをゴソゴソとあさり、隊首印と朱肉を取り出し、白い書類の山の隣へ置いた。書類は、椅子に座っている俺と同じ目線の高さまで積み重なっている。
「何でこんなに溜まってんだよ」
「隊長がやらねェからですよ!?」
机を叩きながら一角はよく通る声で叫んだ。書類が少し揺れていた。このままぶちまけられて、確認できないほど汚れてしまったりしまえば良いのに。
「うるせェな。朝っぱらから騒ぐな。そんなデデケェ声出さなくても聞こえる」
「じゃあ早く始めてください。俺、見張ってますからね」
「暇なのか、お前」
「暇じゃないっスよ!」
「印鑑押すぐらい、お前らで勝手にやってりゃァ良い話だろ」
「俺だってやりたくねェ書類をやってるんスよ!? 印鑑押すだけでも、隊長が"書類に目通した"っていう事実が必要なんです!」
「だから叫ぶな。うるせェ……」
耳がキンキンする一角の声に紛れて、戸を叩く音が聞こえた。一角が荒々しく開けてそのまま開っき放しになっていた為、誰が尋ねて来たかはすぐに分かった。
「隊長、おはようございます。この書類も今日中でお願いします」
隊首室に顔を出したのは弓親。淡々と必要最低限のことを述べると一角と同じように俺の机に白い山を建てる。
(また、増えた……)
弓親を睨むが涼しい顔して笑うだけだった。溜め息が出てしまう。
「昼飯も僕らがここに持って来ますから、今日はそれが終わるまで隊首室に缶詰ですよ」
「握り飯で良いですよね? 書類仕事しながら食べやすいと思うんで」
弓親と一角は俺に有無を言わさず、俺の昼休みの予定まで決め始めた。
「昼飯は
優紫と一緒に飯を食う約束してる……」
「だめです。その書類終わるまで姐さんには会わせませんからね」
一角が机に両手をつき、身を乗り出してくる。
「顔を近付けるな。気色が悪い……」
近付いてくる一角の頭を片手で鷲掴んで遮る。そんな俺たちを若干冷えた目で見ながら弓親は口を開く。
「卯ノ花隊長にも事情を説明してあるんで、卯ノ花隊長が姐さんとお昼をとってくれるそうなんで安心してください」
「あァ?」
突然出てきた卯ノ花の名前に、俺の眉間に皺が寄った。いけ好かない笑い顔を浮かべ、遮るように俺と
優紫の間に立つ卯ノ花が頭に浮かぶ。ますます嫌悪感が増していく。
「……何で卯ノ花が出てくんだよ」
「苦肉の策ですよ。隊長が仕事をしてくれないので」
弓親は小さく溜息をついて腰に手を当て、俺に呆れているような素振りを見せた。俺も溜め息をつきたいが、余計に書類を増やされる気がして踏み止まった。
「……
優紫と飯食うぐらいは良いだろ」
「だめです! 隊長、姐さんの飯食うとすぐに昼寝するじゃないっスか!」
それは
優紫が使った飯は美味くて、腹一杯食べてしまうからだ。腹も心も満たされる手料理を食べると満足して眠くなるのだ。しょうがないことだ。
「それに、卯ノ花隊長も姐さんを仕事でうちに送ると隊長が捕まえちゃって暫く返さないことにご立腹なので、お灸を添える良い機会だと言ってましたよ」
「……」
四番隊の
優紫と十一番隊の俺。仕事中はどうしても離れ離れになってしまう。書類の配達や包帯やらの補充で来た時に、抱き締めて寂しさを埋めていたが日に日に
優紫を引き止める時間が長くなっていってしまった。
優しい
優紫は俺が「まだ行かないで欲しい」と言うと、譲歩してくれていた。真面目で勤勉な
優紫が多少仕事サボったぐらいでは周りもとやかく言わないだろう。
だが。先日、隊首会で卯ノ花と顔を合わせた時に、それについて小言を言われた。一角と弓親も同様に我慢の限界だったわけだ。
「剣ちゃん」
俺の膝の上に座り、棒付き飴を口に終始含んで俺らの様子を眺めていたやちるが口を開いた。
「ちゃんとお仕事しないと一年に一回しか会えなくなっちゃうって
優ちゃん言ってたよ?」
「……
優紫がそんなことを言ったのか?」
「うん! お仕事ちゃーんとしないと会いたくても、ずーっと会えなくなっちゃうんだって! このお山を片付けないと剣ちゃんと
優ちゃんは会えなくなっちゃうね! ずーっと!」
やちるの言葉に胸が冷えた感覚がはしる。
(……それは、嫌だ)
俺は意を決して書類の山に手を付けた。
*
「隊長、あとこの一枚で終わりです」
一角に手渡された書類を受け取り、そこに書いてある文字を適当に目で辿る。内容はもう頭には全く入ってやしない。
下部の押印欄に隊首印を押すと一角はその書類を山に積み上げた。本当に最初から最後まで監視されていた。「腹が減った」「喉が渇いた」と言えば自分が動かずとも物が出てくるのは便利だったが、書類仕事をしなければならないならばそんなものは願い下げだ。
「こういうことがないように普段から書類業務をやってもらえると助かります。じゃあお疲れ様でした、隊長」
一角は押印済みの書類の山を抱えると、隊首室から出て行った。
弓親が持ってきた書類の山もない少し殺風景に感じる机の上に深い溜息をつきながら、うつ伏せになる。目を閉じればすぐに睡魔が襲ってきた。脳みそが疲弊していた俺には眠りにつくことは、いとも容易いことだった。
*
頭を優しく撫でられているのを感じ、目が覚めた。顔を上げると、そこには
優紫がいた。辺りは薄暗くなっており、壁にかけてある時計は十八時半を指していた。
「おはようございます」
いつもと変わらない優しい顔で俺に微笑みかけてくれている。
椅子に座ったまま、腕を広げると
優紫は近付き、「失礼します」と一声かけ俺の膝上に腰を下ろした。小さな体を抱き締めて、久しぶりの
優紫を堪能する。久しぶりと言っても今朝ぶりだが。それでも今日は、数日振りに会えたような感覚だった。
「一角さんたちから今日はずっと書類仕事を頑張っていたと聞きましたよ? お疲れ様です、剣八さん」
ぽんぽん、と優しく背を撫でられる。
優紫にこうしてもらうのが好きだ。
「仕事やらねえと……ずっと会えなくなる……って
優紫が言ってたって、やちるから聞いたから……」
「私が、ですか?」
俺の言葉を聞いた
優紫は、少しきょとんとした顔になった。
「会いたくても会えなくなるって……」
「……あ、もしかして」
優紫は何かを思い出したような声を上げ、抱き締める腕を緩めて体を離すと膝から立ち上がった。そして、やちるの玩具が入っている箱へと向かう。中を探り目当てのものを見つけた
優紫は、それを持って俺の元へと帰ってくる。
「やちるちゃんが言っていたのは、きっとこれですね」
再び
優紫は俺の膝に座り、手に持っているものを俺へ見せる。『おりひめさま ひこぼしさま』と書いてある絵本だった。
優紫は絵本を一枚一枚、ゆっくり開きながら語り始めた。
「七月七日の七夕伝説のお話です。織姫様と彦星様は働き者だったのですが、結婚してから二人はあまりにも仲が良く、働かなくなってしまったんです。それを見た天の神様が二人を離れ離れにしてしまうんです」
今日の俺たちに酷似していた。まあ俺は元来、働き者ではないが。
「あまりにも悲しんでいる二人を見て、七月七日の夜だけ会うことを許したんです。それが七夕伝説です」
「先日、この絵本をやちるちゃんにプレゼントしたので、きっとやちるちゃんはこれのことを言っていたんですね」
要所をかなり省かれていたやちるの言葉が
優紫の説明で肉付いた。
「一年に一回は流石に少なすぎるだろ」
「ふふ。私もそう思います」
「毎日会ってても足りねえのに」
「私も毎日、仕事で離れるのが惜しいです」
「俺もだ。ずっと、永遠に、一緒にいたい」
優紫は頬を赤らめて微笑んだ。キスがしたくなり、顔を寄せると
優紫の人差し指に止められる。
「でもお仕事はしっかりしませんといけませんからね?」
「……善処する」
優紫と一年に一度だけしか会えないことになってしまうのは避けたい俺は、肝に銘じながら唇を重ねた。
終