休憩中に四番隊へやって来たやちるちゃんに十番隊へ一緒に行こうと提案された。何でも松本副隊長が私に会いたがっている、とのことだった。
やちるちゃんと手を繋ぎ、一緒に出向いた十番隊副官室にはもちろん松本副隊長の姿。松本副隊長は待ってましたと私たちを室内へと招き入れた。促されるままに用意された椅子に座り、松本副隊長と向かい合った。やちるちゃんは当たり前のように私の膝の上に座る。松本副隊長との密会に緊張していた私はそれだけで癒されてしまった。
私たちが椅子に座るとすぐに私と会いたがっていた理由を切り出した松本副隊長の言葉に私は思わず耳を疑ってしまった。
「ぐらびあかれんだー、ですか?」
「そうなのよ! ……じゃなかった。そうなんですよ!」
目の前に座っている松本副隊長は真剣そうに呼応するが、手にしている狐色のお煎餅はそのまま口に運ばれている。やちるちゃんも松本副隊長から渡された大きな巾着に入っている金平糖を小さな手で鷲掴んで食べている。
「あの、話の腰を折ってしまうのですが」
「どうかしました?」
バリバリと食欲を駆り立てる良い音を立てながら、松本副隊長は目を丸くしてきょとんとしていた。
「私はただの一般隊士ですので、敬語を使って頂かなくても大丈夫です」
「や〜ね! 更木隊長の大切な恋人にタメ口なんて聞けるわけないじゃないですか!」
私の言葉を聞いた松本副隊長は、煎餅を持っていない方の手で空を叩きながら笑う。
剣八さんと恋仲になり、立場的に私の方が下でもこうして敬語を使われる機会が多くなった。その理由は十分に理解出来るし、自分も第三者であればそうしていたであろう。でも、やはり慣れない。
そんな私の心を見抜いたのか、松本副隊長は唇で緩く弧を描いて笑った。唇に先ほど食べていたお煎餅の欠片が付いてしまっているが、それさえもまるで煌びやかな宝石のように彼女の美しさを引き立てていた。同じ女性であるのにドキリと胸が跳ねた。
「まあ、でも当人がそう言うならお言葉に甘えて……」
余裕ある大人の女性の笑みから、くるりと無邪気な幼子のような笑みに変わった。こうしてまるで万華鏡のように表情が変わっていくのが、彼女の他者からの人気の要因なのだろう。松本副隊長とこうして顔を合わせて話すのは初めてだったが、彼女の空気感にすぐに緊張感は解れてしまった。
「更木隊長のグラビアカレンダーに使う写真を
優紫さんに撮って欲しいのよ!」
松本副隊長は、にっこりと笑いながら十番隊副官室に招かれた時と同じ言葉を私に投げかけた。
松本副隊長が言うグラビアカレンダーとは、煉獄商会で毎年販売されている人気隊士の写真が使用されているカレンダーだ。毎年、私は自隊の隊長である卯ノ花隊長のカレンダーを購入している。ちなみに、四番隊隊舎内でも使用されている。来年は剣八さんのカレンダーも買おうと楽しみにしていたのだが──その来年販売する予定の剣八さんのカレンダーに使う写真を私に撮って欲しいらしい。
「どうして、私が……?」
私は写真を撮るのが特別得意というわけでもない。それなのになぜ私がこうして交渉されている理由が見つからなかった。
松本副隊長は机の上に積まれている書類をかき分け、私の目の前に一つのカレンダーを置いた。
「これが去年の更木隊長のカレンダーなんだけど」
「あ! これあたしが写真撮ったやつだ!」
夢中で金平糖を食べていたやちるちゃんが元気な声を上げた。身を乗り出し、そのカレンダーを見ている。私もやちるちゃんの小さな背中から顔を覗かせ、それを覗き込んだ。剣八さんのカレンダーはどんな彼の表情が見れるのだろうか、と胸を躍らせていたがそれはすぐに疑問に変わってしまった。
「……」
そこには写真がぼやけてしまっていたり、極端に画面いっぱいに耳や頬が映ってしまっておりかろうじて被写体が剣八さんであると分かるような写真ばかりだった。
「更木隊長が写真を撮らせてくれなくて中々グラビアカレンダーの実現ができなかったんだけど、去年やちるに頼んだらご覧の通りの有様でね」
人気隊士グラビアカレンダーと銘打って販売するには確かに相応しくない写真の数々。やちるちゃんからの電子書簡にもよくこのような写真が添付されている。だが、やちるちゃんが撮影していると考えると、その度に胸がほんわりと温かくなって和んでいる。
「まあ、これはこれでコアなファンが買って喜んでいるんだけど」
「……こあ?」
「熱心な更木隊長のファンよね。まあ簡単に言えば十一番隊の連中なんだけど」
確かに盲目的に剣八さんのことを慕っている十一番隊の方たちからしたらこれは大切な宝のようなものになるだろう。私もこのカレンダーが欲しい、と思ってしまった。
「でも、あたしはどうせならみんなが誰も気付いていない更木隊長の魅力を引き出したいのよ! だってそう言うものじゃない! グラビアカレンダーの醍醐味って!」
松本副隊長は拳を握りしめ、目を輝かせながら声高らかにそう言った。その姿が剣八さんのことを慕っている十一番隊隊士の姿と重なって見えた。
「……松本副隊長も剣八さんのこあなファンでいらっしゃるのですか?」
「違うよー。らんらんは、この剣ちゃんのカレンダーが売れた時に入ってくるお金が欲しいんだよ」
やちるちゃんが悪意なさそうな笑顔でにこりと笑った。松本副隊長は輝かせていた目を瞬時に丸くしして、慌ててやちるちゃんの口を塞いだ。
「ちょっと、やちる! その言い方じゃ誤解されるでしょ! 販売元は煉獄商会なんだけど女性死神協会が企画しているカレンダーだから、売上の一部が協会に入ってくるの」
「えー? 何が違うのー? 同じことじゃん」
やちるちゃんは口を塞がれていた手のひらを簡単に払いのけ、眉を上げて不思議そうにしながら唇を尖らせていた。
「全然違うでしょ! 来年の慰安旅行に当てられる予定だから少しでも豪華にして、あたしはみんなに息抜きして貰いたいの!」
「らんらんが贅沢したいだけじゃん!」
「やちるも甘いものたっくさん食べたいでしょ?」
「甘いもの!? 食べたーい! 剣ちゃんの写真撮ったら甘いものたくさん食べられるの!?」
「ええ。お腹がはち切れちゃうくらいね」
やちるちゃんはくるりとこちらを振り返り、きらきらと小さな星々が見えるほど輝いた目で見つめられる。松本副隊長の甘い囁きにやちるちゃんの頭の中は、甘いもののことでいっぱいになってしまったようだった。
「更木隊長の寵愛を受ける
優紫さんが撮った写真なんてそりゃ最っ高に素敵に決まってるんだから更木隊長の印象も良くなるし、慰安旅行も豪華になるし! ね? 良いこと尽くめだと思わない?」
松本副隊長はカメラを片手に片目を閉じて笑う。
剣八さんのことを怖がっている人に優しい一面を知って欲しいのは私の願望でもある。剣八さんにとっては余計なお世話かもしれないが、それを叶えることができるならと私は差し出されたカメラを受け取った。
*
十番隊から四番隊へ帰宅後、何事もなく平和に一日が終わった。
終業後にいつものように剣八さんとやちるちゃんが四番隊へと迎えに来てくれた。共に自邸へ帰宅し、夕飯とお風呂を済ませる。その後、いつも三人で就寝までのゆったりとした時間を過ごすのだが、そこで私は松本副隊長から預かったカメラを取り出した。
「……それ、どうしたんだ?」
カメラを見るや否や不思議そうな表情を浮かべた剣八さんは、カメラを指を差しながら首を傾げた。
「松本副隊長から頼み事をされまして」
「頼み事?」
「剣ちゃんをいっぱい撮るのー! そしたらね、それが甘いものになるの!」
私とやちるちゃんの言葉に剣八さんはますます首を傾げた。眉間にも皺が深く寄ってしまっている。その様子が可愛らしくて、つい笑みが溢れてしまった。
「剣八さんのカレンダーに使う写真の撮影を松本副隊長に頼まれたんです」
手を伸ばし、皺が寄る剣八さんの眉間に手を伸ばす。指先で小さく撫でると剣八さんは、目を細くし気持ち良さそうにしながら私にされるがままになっていた。本当に彼は可愛らしい。
「そのカレンダーの売り上げの一部が女性死神協会の慰安旅行に当てられるそうです。それで売り上げが良ければ旅行も豪華になるので甘いものがたくさん食べられる、と言う話になりまして」
剣八さんの不思議そうな表情は、納得したような晴れた顔になった。剣八さんさんの顔から手を離すと、追いかけてきた剣八さんの大きな手に包まれた。目が合うと優しく微笑んでくれ、とくんと胸が跳ねて喜んでいた。
「剣ちゃんの写真が甘いものになるんだよ!」
「お前の説明は大事なところが省き過ぎだろ」
「でも、そうだもん。甘いものに変わるんだもん」
要約するとあながち間違いではないやちるちゃんの発言に剣八さんは少し呆れたような顔になった。こうして、感情が表情や空気感に出やすい剣八さんが好きだ。写真におさめることができるだろうか。
「お写真、撮らせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「別に構わねえけど……どうしてたら良いんだ?」
「松本副隊長は自然体のままで良い、と仰っていたので構えなくても大丈夫ですよ。……と言っても難しいかもしれませんが」
カメラのファインダー越しに剣八さんを見つめると、まっすぐこちらを見つめる剣八さんと瞳と視線が交わる。不思議そうに目を丸くし、ぱちぱちと瞬きを数度繰り返している。
(こういうのはやっぱり笑顔の写真の方が良いのかな…?)
所謂シャッターチャンスと言うものを見逃さないように、じっと剣八さんを観察する。暫く私たち二人はそのまま見つめ合っていたが、ふと剣八さんが目を細くし、緩く口角を上げて微笑んだ。私はその瞬間を見逃さず、カメラのシャッターを押した。カシャ、カシャと瞬間を収めていると剣八さんは微笑みから破顔一笑の表情に変わった。押し殺した声を漏らしながら肩を震わせて笑っている。その様子に今度は私が首を傾げた。
「剣八さん……?」
「真剣に、それ構えてる
優紫が面白くてな……くっ」
私が手に持っているカメラを指差しながら剣八さんはくつくつと笑う。
「……そんなに面白かったですか?」
剣八さんは私の問いに笑いながら頷いた。剣八さんの膝に座っているやちるちゃんも不思議そうに剣八さんを見上げていた。
「一応」と思い、この瞬間もカメラに収める。すると笑っていた剣八さんが私の腰に両腕を回し、抱き寄せた。ひょいと軽く抱え上げられ、私もやちるちゃんと同じように剣八さんの膝の上に座った。向かい合うように座っているやちるちゃんと目が合うと、にっと大きく口を開けて笑った。剣八さんを見上げると彼も同じように楽しそうに歯を見せて笑っていた。
「剣八さん、これでも剣八さんの写真を撮れないです……」
「
優紫が自然体で良いって言っただろ?」
「そうなんですけれども……」
写真は撮りたいが、このまま大きな彼の胸に身を任せて膝の上にも座っていたい。葛藤していると、やちるちゃんが飛び跳ねるように立ち上がった。
「じゃあ、あたしが撮ってあげるね!」
そう言いながらやちるちゃんにカメラを向けられ、カシャッとシャッターが押される音が聞こえた。自分の手元を確認すると、いつの間にかカメラは無かった。
「やちるちゃん、いつの間に……」
「えへへ!」
いたずらっ子のような笑みを浮かべるやちるちゃんはまたカメラのシャッターを押した。その音に合わせて剣八さんが私の頬に口付けた。
「剣八さん……!」
「何だ?」
悪びれもせずに剣八さんは笑みを浮かべている。その笑顔がいたずらなものに見え、やちるちゃんに悪乗りしてるようにも感じた。
「『何だ?』じゃないですよ……。他の方が見る写真なんですから、こういうのは……」
「別に良いだろ。見せつけてれば」
「もう……」
ふっと笑い、目を閉じて頬を緩ませながら顔を近付けて唇を重ねようとする剣八さんの両頬を両手で包んで止める。剣八さんは、ぱちりと目を開いた。
「唇は今はだめです」
私の言葉に唇をまっすぐ結び、少しムスッとした表情を浮かべる剣八さん。
「そんな顔してもだめです」
「……」
じっと目で訴えてくる剣八さん。それに首を振って返事をする。
「上手く取れたかな~?」
「どうでしょうかね?」
私たちの攻防もカシャカシャと写真を撮ったやちるちゃんがカメラを持って、再び剣八さんの膝の上に座った。やちるちゃんからカメラを受け取る。カメラには液晶が付いており、撮影した写真を確認できそうなのだが操作方法が分からない。松本副隊長からカメラを受け取ったときは簡単な撮影方法を教わっただけで、撮影した写真を確認する方法を教えてもらうのを失念していた。それが分かれば、先ほどやちるちゃんが撮った写真も消去することができるのだが。
「操作方法を聞くのを忘れてしまいましたね……。撮影した写真はどうやって確認するんでしょうか……?」
松本副隊長にカメラを返すときにその写真は使わないように伝えないことを忘れないようにしなければならない。
「でも多分大丈夫だよ! ちゃんと撮れてるよ!」
やちるちゃんは、またにっこりと笑った。どこにも根拠はないが、屈託のないやちるちゃんの笑顔を見るとそう思えてきた。
「もっと剣ちゃんの写真撮らないとね!」
「そうですね」
私もやちるちゃんに笑顔を返す。
「えいえいおー!」
「ふふっ。おー!」
拳を突き上げている私たちに剣八さんはまるで他人事のように、呑気にくわっと大きな欠伸を一つ零した。
「眠ィ……」
剣八さんはやや掠れた声で小さく呟き、私の首元に顔を摺り寄せた。
「そろそろ寝ましょうか」
「はーい!」
「……うん」
眠気なんて感じさせないほど元気良く声を上げて返事をするやちるちゃんと正反対に眠気いっぱいの剣八さんは重い瞼を頑張って持ち上げながらコクリと頷いた。
その後、私は数日間かけて剣八さんの一日を写真として切り取った。
*
年末が近づき、毎年恒例の人気隊士グラビアカレンダーの予約が一斉に始まった。煉獄商会が手がけるこのカレンダーは、多くの隊士たちにとっての一大イベントである。
瀞霊廷通信の煉獄商会の商品紹介頁に松本副隊長の水着姿のカレンダーや朽木隊長の袴姿のカレンダーがある中、自分が撮影した剣八さんの写真が並んでいることが不思議な感覚だった。それを自分で予約するのも不思議な感覚だったが、今年は卯ノ花隊長のカレンダーと剣八さんのカレンダーを予約した。
予約開始日から数週間後、松本副隊長が四番隊に訪れ、「更木隊長のカレンダーの予約が去年よりウンとたくさん来てるわよ!」と報告してくれた。本当に剣八さんがそれを望んでいるのかは深く言及したことがないため自己的な考えによる行動だったが、周りから勘違いされやすい剣八さんの印象を少しでも変えられたことが嬉しかった。
無事にカレンダーが販売された。丁度非番の日にカレンダーが手元に届いた。剣八さんは仕事中で不在だ。折角なら剣八さんと一緒にカレンダーを見ようと思い、私は心臓が高鳴るのを感じながら剣八さんのカレンダーを持って十一番隊へと出掛けた。彼と一緒にカレンダーを見る瞬間を想像すると、無意識に笑顔になってしまう。
「
優紫」
十一番隊の門に近づいたところで名前を呼ばれた。振り返らずとも声の主はすぐに分かった。低いけれど優しく抱きしめてくれるような穏やかな声。
「剣八さん!」
振り向くと私と同じよう微笑んでいる剣八さんの姿があった。
「お散歩されてたんですか?」
「やちるが甘いもの食いたいってうるせェからちょっと出かけてた」
「ふふっ。そうですか。やちるちゃんはどこへ?」
「甘いもの食ったら、今度は遊びに行くとか言ってどこか行きやがった」
「今日もやちるちゃんは元気いっぱいですね」
やちるちゃんらしい言動に私が笑うと剣八さんは「手が焼ける」と言いたそうな顔で小さな溜め息を零した後に、優しい目で私を見つめながら微笑んでいた。
「剣八さん」
「ん?」
「カレンダーが届いたんです。良かったら一緒に——」
「あ、あの……!」
突然、声を掛けられた。振り返るとそこには可愛らしい女性隊士が三人。胸にはそれぞれ、私が持っているカレンダーと同じものを大事そうに抱えていた。
頬をほんのり赤く染めた彼女たちは顔を見合わせ、小さな声で「せーの」と言うと声を揃えながら剣八さんに言葉を投げ掛けた。
「ファンです! このカレンダーにサインしてください!」
そう言いながら三人はカレンダーを剣八さんの目の前に差し出した。剣八さんを見つめる彼女たちの瞳には畏怖の色は無い。言うなれば恋する乙女の瞳だろうか。あれほど周りからの剣八さんの印象を変えたいと思っていたのに、何故か私の胸はキリリと締め付けられて苦しくなってしまった。松本副隊長に報告を受けたときは嬉しくてしょうがなかったのに、いざ自分の目で見ると何故か受け入れ難く感じてしまい、胸がチクチクと痛い。
剣八さんの表情を伺うと、目をまんまるくし、驚きで口を半開きにしたまま数度瞬きをしている。面食らったような表情に彼が困惑している様子が手に取るように分かった。
「さいん……?」
聞きなれない言葉に首を傾げている。
「さいん、ってなんだ.?」
私に助けを求めるように振り向くと、顔を覗き込むように剣八さんは背中を丸くした。
「……
優紫?」
胸は変わらず痛み、暗い顔をしてしまっている私に気付いたのか剣八さんは私の名を呼んだ。
「えっと、お名前を書けば良いのですよ」
私は誤魔化すように空に文字を書くように手を動かして、笑顔を見せる。
"サイン"だから、花押のようなものの方が良いと思うが剣八さんにはそう説明する方が分かりやすいだろう。
「……名前? それだけで良いのか? 意味あるのか?」
「はい。剣八さんが直接書くから意味があるんですよ」
いまいちピンと来ていない剣八さんは相変わらず首を傾げたままだった。
剣八さんは、女性隊士に差し出された油性ペンとカレンダーを受け取る。そして、また助けを求めるように私を見つめてきた。
「どこに書けば良いんだ?」
「うーん。こことかどうでしょうか…」
表紙の文字も剣八さんもない空間を指さした。剣八さんは頷いて、油性ペンでぎこちなく『更木剣八』と書いていた。
「……本当にこれで良いのか?」
「はい」
剣八さんはまだ納得できない様子で、カレンダーを女性隊士に差し出した。
「ほらよ」
「あ、ありがとうございます! 大切にします……!」
受け取った女性隊士は目を輝かせている。その様子にまた胸の痛みが増したような気がした。
剣八さんは次の子のカレンダーも受け取り、同じようにサインした。
最後の子はカレンダーを差し出しながら意を決したように口を開いた。
「私! お気に入りの写真があって……! そこにサインして欲しいです……!」
「別に良いけどよ。どれだ、それは」
「あ、えっと……これです!」
その子が開いた頁を見て、私は目を疑ってしまった。
「これは……」
それはカメラを松本副隊長に返却する際に、使わないで欲しいと確かに伝えた写真。やちるちゃんが撮影した剣八さんが私の頬に口づけしている瞬間だ。被写体がぼやけている写真を撮っていたやちるちゃんだが、何故かこの写真だけは本当に綺麗に撮れている。
「この幸せな空気感がとっても素敵で……! お二人は私の憧れです! 良ければ
優紫さんにも更木隊長と一緒にサインして欲しいです……!」
ぐいっと前のめりに要望を伝えられる。思わず一歩後退りをしてしまうが、一歩近付かれ距離が空くことはなかった。
「わ、私がですか?」
「はい!」
眩しいほどきらきらと輝く瞳で見つめられる。
「私のサインで良ければ……ですが……」
「是非! お願いしますっ!」
先程、剣八さんに向けられていた目が私に向けられる。
「ずるい! 私も
優紫さんのサイン欲しいです!」
「あたしも、あたしも!」
他の二人も同じようにあの“恋する乙女の瞳”を私へ向けた。
「私たち更木隊長と
優紫さんのファンなんです!」
一人の子がそういうと他の二人は勢いよく頷いて同調していた。
「今回、
優紫さんが更木隊長の写真を撮られたとお聞きして楽しみにしていたんです!」
「二人の時間を共有してもらえて幸せです!」
今度は私が剣八さんに助けを求めるように見つめる。すると剣八さんは優しく微笑みながら手に持っていた油性ペンを私に手渡した。
受け取った油性ペンで彼女たちのカレンダーに書いてある剣八さんの名前の下に自分の名前を書く。自分でサインをしてみて思ったが、確かにこれは「本当にこれで良いの?」と思ってしまう。それでも彼女たちはとても幸せそうに笑い、何度もお礼を言いながらその場を立ち去った。
あれ程チクチクと痛んだ胸の痛みはもう感じなかった。今、胸の中にあるのは私たち二人が憧れであり好きだと伝えられたことの嬉しさで——もしかしたらこれは優越感というものなのかもしれない。
「十一番隊の奴ら以外にああいう反応されるのは妙な気分だな」
そう言いながら頬を掻いている剣八さんは、鬱陶しくは感じてなさそうな表情を浮かべている。
剣八さんはまた背中を丸めて、私の顔色を伺うように顔を近づけた。
「……さっき、暗い顔をしてたように見えたけどよ。何かあったか?」
目尻を下げ、心配そうに私を見つめる。やはり剣八さんには気付かれていた。彼に誤魔化すことはできない。嘘を付くこともしたくない。胸の奥がきゅんと切なくなった。
「——私、戦いが好きな剣八さん以外の剣八さんを色んな方に知って欲しくて写真を撮っていたんです」
自分の勝手な想いを打ち明ける。すると、また暗い顔をしてしまっていたのか剣八さんの大きな手に、ぎゅっと手を握られた。それだけで心がほっと安らぐ。
「でも、裏を返せば私だけしか知らなかった剣八さんの一面を色んな人の目に触れることで……あの方たちのように剣八さんに好意を持つ方が増えたと思うと何だが胸が痛くなってしまって……」
剣八さんの周りからの印象が良くなることは自分の願望だったのにも関わらず、私の望み通りに剣八さんに良い印象を持っている彼女たちに嫉妬してしまった。
「でも、私たちのことが憧れで好きだという言葉を聞いたら今度は嬉しくなってしまって……本当に自分勝手ですよね」
剣八さんの為と言いながら、全ては自分の為だったように思えてしまった。情け無い話だ。
「良いじゃねえか、自分勝手で」
剣八さんに肩を抱かれ、胸の中に閉じ込められる。大きな体に全身を、私の全てを文字通り包んでくれる。この感覚が大好きだ。
「俺は……
優紫は嫉妬なんかしねえもんだと思ってたから……嬉しい」
「……嫉妬しますよ。貴方のこと大好きなので。ずっと独り占めしたくて堪らないです」
そう言うと、私を抱きしめる腕の力が強くなるのを感じた。私も大きな背中に手を回し、抱き締め返す。
「俺は
優紫だけの俺だ。何があっても、それは絶対に変わらねえ」
真っ直ぐに伝えてくれる愛の言葉。痛んでいた心を慰めるように私の心を温めてくれる。
「私も、貴方だけの私ですよ。この先も変わらないです。ずっと、ずっと——」
剣八さんは私の頬に擦り寄り、大きな手のひらが頬に添えられた。重ねるだけの優しい口付けが降ってくる。顔が離れると、急に浮遊感を感じた。
「きゃっ……!」
反射的に閉じてしまった目を開くと、私を抱え上げて悪戯気に笑っている剣八さんと目が合った。
「周りに『自分の男だから他の奴らは手ェ出すな』って触れ歩いたって良いんだぜ? 今から瀞霊廷一周するか?」
「それはお気持ちだけ頂いておきます」
私がそう言うとニタリと笑う顔から唇を尖らせて不満気な幼児の表情に変わる剣八さんに、私は肩を揺らして笑うのだった。
終