一角の妹の斑目志乃に一枚の紙を手渡された。
「更木隊長も宜しかったらどうぞ!」
紙に目を落とすと、真っ黒な紙に黄色い光が点々と描かれていた。何だこれ?と疑問が一瞬浮かんだが、真ん中に書いてある『第一回 ほたる祭り』という言葉に全てが解決した。
「更木隊長は隊首会で耳にされていると思うのですが、『ほたる祭り』のチラシができたので今配ってるところなんです!」
隊首会で京楽が何やらベラベラと喋っていたのを覚えている。小難しい話は覚えていないが、要は一年前の戦いで失われた魂魄の慰霊と残された者たちの癒す祭りだ。
「更木隊長は
優紫さんと行かれるんですよね?」
正式に日取りが決まるまでは秘密厳守と京楽が言っていた。そういえば、あの時の京楽は誰も求めていないだろうに片目を閉じて茶目っ気を演出していた。ただ素直に気持ち悪いと思った。また思い出してしまって寒気がした。
「そのつもりだ」
一応秘密は守ってやった為、
優紫にはまだ何も伝えていない。帰って、早く
優紫と話がしたくなった。
「流石、更木隊長!」
一角の妹は何やら感激したように、手を叩いて大袈裟に俺を褒め称えた。
「何だよ」
「いえ。何でもないんです。ただちゃんと言い切ってくれたのが更木隊長が初めてだったんです。本当に! 更木隊長の爪垢を煎じて飲ませてやりたいです!」
その言葉に無意識に自分の両手の爪をじっくり眺めてしまった。
「爪垢を、か? ……それは美味くはねェだろ」
「……ことわざですよ。ことわざ」
一角の妹は面食らった表情を浮かべた後に、苦笑していた。
「よく分からねえけど、これ貰ってくぞ」
「はい。そのつもりでお渡ししたので大丈夫です!」
「ありがとな」
「……はい!
優紫さんにも宜しくお伝えください!」
「ああ。分かった。伝えておく」
一角の妹の横を通って、隊首室へと向かう。
(適当に書類を数枚は片付けて、昼寝でもするか……)
紙を裏返すと小さくて細い文字がぎっしり敷き詰めてあった。すぐに頭が痛くなってしまった俺は、紙から目を離して歩いた。
*
昼休み。
優紫が作ってくれた弁当を隊首室で食べながら、午前中の出来事を
優紫へ告げると、くすくすと肩を揺らしながら笑っていた。
「それは『優れた人をお手本にして感化されたい』という意味のことわざですね。志乃ちゃんに何があったのかは分かりませんが、剣八さんの返答に感動したんでしょうね」
「感動させるようなことは言ってねえぞ。俺はただ、ほたる祭りに
優紫と一緒に行くつもりだって言っただけだ」
「ふふ。私も感動しましたよ。とても嬉しいです」
優紫に優しく微笑まれると急に恥ずかしくなってしまい、誤魔化すように卵焼きを一つ箸で掴んで口に含んだ。
(美味しい……)
優紫は、ほたる祭りについて書いてある紙を裏返して小さい文字を読んでいた。
「剣八さん、ここ読みましたか?」
優紫は紙の左下端を指差した。
「読んでねえ」
「『憧れや恋心の強い想いは、時として体の外に抜け出てしまうという先人たちの考え方がある。蛍はそういう心が具現化したものとして、恋の和歌にはよく使用されている』」
優紫は俺に読み聞かせるように一文字一文字はっきりと綺麗に発音しながら読み上げ始めた。
「『ここで一つ、蛍が登場する和歌を紹介しよう。【もの思へば 沢の蛍も わが身より あくがれ出づる 魂かとぞ見る】これは和泉式部が詠んだ歌だ。蛍を見て、自分の胸に秘めている恋する気持ちが体の外へ抜け出てしまい、飛んでいるのではないかと思う、という内容だ』」
いつも思うが、
優紫の声と話し方で伝えられるといつもスッと頭の中に入ってくる。
「『そんな昔から色々な想いと切っても切り離せない蛍を、意中の相手と一緒に見たり、夢を願いながら見ることでその想いが成就するかもしれない』」
読み終えると、
優紫は目を細めてにこりと優しく微笑んだ。
想いが成就する、か。
優紫は一体何を願いながら、俺と蛍を見てくれるのだろうか。俺は──
「きっととっても綺麗でしょうね。今からとても楽しみです。みんなの想いが叶うと良いですね」
優紫は紙を裏返し、夜に舞う蛍の絵を眺めて想いを馳せているようだった。
「浴衣を準備しておかないといけませんね」
「そうだな」
優紫が笑うだけで俺は嬉しくなってしまう。
気丈に振る舞ってはいるが、時折寂しげな表情を浮かべている。
優紫も大事なものを失った。少しでも
優紫の心が癒えると良い。その大事なものを俺が奪ったようなものだが、そう思わずにはいられなかった。
*
「剣八さん、お待たせしました」
寝室の鏡台で髪の毛を整えていた
優紫が居間に戻ってきた。長い髪を二つに分け、緩く三つ編みをしている。左側に俺が贈った髪紐を結んでいた。髪紐を使ってくれていることが嬉しかった。歩み寄って、左側の髪を手に取り、毛先を指の腹で撫でる。
「少し子供っぽかったでしょうか?」
「いいや。でも可愛くて好き」
少し不安そうな表情をする
優紫を胸の中に閉じ込めると、
優紫は嬉しそうに笑った。このままこうして抱きしめていたいが、そうもしていられない。名残惜しかったが、
優紫から体を離す。
「行くか」
斬魄刀を腰に差し、
優紫の手を握る。玄関へと向かおうとすると
優紫に「あの」と呼び止められた。
「どうした?」
「やちるちゃんは私が抱っこしても良いですか?」
神妙な面持ちで何を言うのかと思えば、俺にとっては微笑ましいお願い事だった。
「勿論だ。ほら」
斬魄刀の野晒を腰から抜き、
優紫へ手渡す。
「重いぞ?」
「はい」
優紫は野晒を抱き抱えて、愛おしそうに見つめていた。
「それでは、行きましょうか」
「ああ」
俺たちは手を繋ぎ直し、ほたる祭りの会場へと向かった。
*
「片手で大丈夫か? 重いだろ?」
俺と手を繋いでいる為、
優紫は片手で野晒を抱えている。野晒は大太刀だ。俺にとったら丁度良い大きさだが、
優紫にとってはかなりの大きさだろう。
「大丈夫ですよ」
それでも
優紫は野晒を離すことなく、胸に抱いて歩いている。
「無理すんなよ?」
「はい。分かってますよ」
俺の気遣いの言葉に
優紫は微笑んで返した。
会場に辿り着くと、もう既にかなりの人が集まっていた。屋台が出ているところは特に人が群がっている。
「屋台がたくさん出ているんですね」
「何か食いたいものあるか?」
「綿飴が食べたいです」
祭りで必ずやちるは綿飴を食べていた。
優紫が思っていることが何となく分かってしまい、頬が緩んだ。
手を繋いで、人混みの中へと入る。綿飴を売っている屋台を探す。こういう時に背が高くて助かる。人混みに邪魔されず、目的のものを探すことができる。少し先に『わたあめ』と書いてある屋台が見えた。
「あったぞ」
少し屈んで、
優紫の耳元で囁いて、前方を指差す。
優紫は背伸びをして、俺が指差す方を見ていた。
(……かわいい)
「あ! 見えました!」
優紫は嬉しそうに笑っていた。その笑顔に俺まで嬉しくなってしまう。
図体が大きい俺が歩くだけで、人混みは裂かれていく。
優紫の手を引きながらその道を歩き、目的の屋台の前に辿り着いた。
「お! 誰かと思えば、更木隊長と
優紫さんじゃないっスか! どもどーもっス!」
「八々原副隊長! こんばんは」
この派手で臍を出して露出が凄い女は何という名前だっただろうか、と考えているうちに
優紫が挨拶を交わしていた。
「てゆーか
優紫さんの三つ編みチョーかわいいー!!」
「八々原副隊長のヘアアレンジも浴衣の着こなしもとても可愛いですよ」
「キャー! マジっスか!?
優紫さんに褒められちゃったー!」
「屋台を出されているんですね」
「京楽総隊長にお願いされちゃって! 現世みたいにザンシンでシゲキ的な屋台を出せるのは、ゆゆしかいないって言われて! そこまで言われちゃったら、人肌脱ぐしかないっしょ! みたいな! 京楽総隊長にはイロイロお世話になったし、ゆゆの恩返しっスね! あ! あとゆゆのことは、ゆゆで良いっスよ!」
穏やかで優しい口調の
優紫とは反対に、八々原は少し早口に抑揚が異様に強い話し方でどこで息継ぎをしているのかと聞きたいほどベラベラと喋っている。何を言っているのかは俺にはサッパリだった。
「確かにそれは八々原副隊長にしか出来ないお仕事ですね。素敵な屋台です」
「ゆゆ、で良いですってばー!」
優紫は何を言っているのかしっかりできているようで、会話をしている。
素敵というか派手だ。遠目から見た時は『わたあめ』という文字しか目に入らなかったが、よくわからないものが屋台にたくさん取り付けられている。光る小さい石だったり、人形だったり。
「
優紫さんまで、ゆゆを褒めてもパラパラしか出ないっスよー!」
優紫の褒め言葉に、八々原はぴょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいる。
「ぱらぱら、って何だ。焼き飯か?」
「現世の踊りらしいです」
屈んで
優紫に小声で尋ねると、
優紫も小声で俺に耳打ちした。
「あ! ゆゆとしたことが話に花を咲かせちゃって、仕事のことをスッカリ忘れてました! いろんな色のわたあめが作れますけど、お二人はどんな色が良いっスか? レインボーとか鬼可愛いわたあめも作っちゃいますよー!」
「れいんぼー……?」
俺の呟きを聞いた
優紫に肩をぽんぽんと叩かれる。
優紫が指差している方を見ると虹色でやたら大きい綿飴のようなものを持っている若い連中がいた。
(……あれも綿飴なのか?)
「綿飴を一つお願いしたいのですが、桜色の綿飴は作れますか?」
「桜色っスか? はい、もちのろんでお安いご用意っスけど一色で本当に大丈夫っスか?」
優紫は少し考える素振りをし、口を開いた。
「それでは上の方になるにつれて、少し灰色がかった薄い桜色にはできますか? 後、白い綿飴を雲ようにふわふわと少しだけ周りに付けてもらえると嬉しいです」
優紫の注文に、段々と目を輝かせて身を乗り出してきた。
「なにそれ、チョー鬼かわいい!! 面白いっスね! ゆゆにお任せ下さい! 張り切って作っちゃうっスよ!」
長い爪の癖に器用に手を握ると、その拳で大きく胸を叩いていた。
*
俺たちは屋台が連なる区画から離れ、木の下に置いてあった簀に腰をかけた。野晒は、俺たちの膝の上に乗っている。
「この綿飴、食べるのが勿体無いぐらい可愛いですね」
優紫の注文通りに出来上がった綿飴を受け取ると、渾身の出来だと言って八々原は伝令神機で遠慮なく何枚も俺たちの写真を撮っていた。
「早く食わねえと溶けちまうぞ」
「そうですよね」
優紫は一口、綿飴を食べると頬に手を置いて感嘆の声を上げた。
「甘くて、とっても美味しいです……!」
「良かったな」
「はい。剣八さんもどうぞ」
優紫に綿飴を差し出され、一口だけ齧り付く。途端に口の中に甘さが広がった。毎日はこんな甘いものは食べられないが、祭り時にこうして食べるのは悪くない。
「美味いな」
目を合わせて、俺たちは笑った。
《それではこれより、蛍の一斉放流を行います》
拡声器でこの祭りの主たる企画の開幕が告げられた。
《先の戦いから約一年。今も尚、尸魂界には戦いの傷跡が大きく残っています。我々は忘れてはなりません。》
横目で
優紫の表情を伺うと、少しだけ切そうな表情を浮かべていた。俺は
優紫の手を握る。俺の方に顔を向け、目が合うと
優紫は笑った。
《しかし! 我々には楽しくて幸せな思い出も必要です! そんな護廷十三隊・京楽総隊長の想いも込められています。皆様の心が癒されること、戦いで失われてしまった尊い魂魄の安らぎと一日でも早い尸魂界の復興を祈って──》
開幕の言葉が終わると、辺りが淡い光に包まれた。仄かな優しい小さな光が俺たちをあっという間に取り囲んだ。その光は、ゆらゆらとゆっくり上へ上へと飛んでいく。
「以前はこの季節になると毎年、剣八さんとやちるちゃんと私の三人でこうして蛍を見に夜のお散歩に行きましたよね」
優紫はこの光景に見惚れながら、口を開いた。
「そんなに昔のことでもねえのに、随分と昔に感じるな」
「はい、私もです。場所も、蛍も、何もかもが違うのにあの時と同じで綺麗ですね」
「そうだな」
蛍が作る淡い光に照らされた
優紫の笑顔は綺麗だった。
「──やちるちゃんも、卯ノ花隊長も見ていらっしゃるでしょうか?」
「きっと、見てるだろ」
優紫は膝に置いている野晒を優しく撫でた。
「私の想いも蛍みたいに二人の元へ飛んで行ってくれればいいのに……」
「届いてるに決まってる」
俺の言葉を聞いて、目に涙を溜めながら
優紫は切そうに笑った。
「私、やちるちゃんのことも、卯ノ花隊長のことも忘れたくないです」
手を繋いだまま、もう片方の手で
優紫を抱き寄せた。
「二人から頂いた光を絶やしたくないです。二人の想いを受け継いでいきたいです」
「ああ。俺たち二人で、みんなで、守っていこう」
「──はい」
優紫の想いは、まるで蛍の光のように優しくて温かなものだった。その光りを捕まえて自分の胸へ仕舞い込む。
「剣八さん、私の隣にずっと一緒にいてくださってありがとうございます」
「俺も。ありがとう、
優紫」
「これからもよろしくお願いしますね」
俺は返事を返すように
優紫の涙を親指の腹で払い、静かに口付けた。
今も。これからも。永遠に。共にありたいと願った。
終