昼の時間まで軽く寝ようと思い長椅子に横になると、やちるが腹によじ登ってきた。腹の上に跨って座ると、左手に持っていた小さな袋へ右手を突っ込んでいる。金平糖でも食べるのだろうと思い、俺は目を閉じて寝る体勢に入る。
「剣ちゃん! あーん!」
やちるの言葉に条件反射で口を開くと、口の中に何かを入れられた。金平糖だと思っていたが、舌の上で転がるそれは表面が滑らかで丸い形をしていた。舐めると甘い味がする。
「何だこれ? 飴玉か?」
「可愛い飴玉だよ!」
やちるは俺の上に寝そべり、両膝を付いてこちらを笑いながら見ている。
「可愛いって、何が可愛いんだ」
「今は秘密! すぐに分かるよ!」
言っている意味が全く分からなかった。“可愛い”について考えを巡らせながら飴玉を舌の上で転がす。形はただの飴玉だから、色や模様が可愛いのだろうか。ただ、それなら“すぐに分かる”という意味が分からない。口の中から出さない限りもうそれは分かりようがない。
考えても考えても答えが見つからない疑問をいつまでも考えてもしょうがない。さっさと寝るか、と口の中の飴玉を奥歯で噛み砕いた。すると中から、ドロリと液体が溢れてくる。
――ボンッ!
突然の爆発音と共に、目の前が白い煙に包まれて目を閉じた。
「……?」
目を開くとすでに白い煙は晴れており、やちるがにんまりと笑いながらこちらににじり寄ってきていた。普段と比べて視界が低く、随分とやちるが大きく感じる。それに、長椅子に寝そべっていたため視界に入っていた自分の胴体も今は見えない。
「えへへ〜」
何が起こったんだ?
そう言ったはずの俺の言葉は、全く違う言葉で発せられた。
*
筆が紙を滑る音しか聞こえない静かな執務室で書類整理をしていると、何処からともなく私を呼ぶ声が聞こえた。
「
優ちゃん!」
声の出所を探していると窓からやちるちゃんが執務室へ飛び込んできた。そのままの勢いで私の胸へ飛び込んでくる。それを何とか受け止める。周りの同僚の視線が集まるが、すぐに目線を書類に戻した。この唐突な賑やかさはすでに日常の一部になっている。
「やちるちゃん、どうかしましたか?」
「
優ちゃん、猫見なかった? 黒い猫!」
「黒い、猫ですか?」
やちるちゃんは勢い良く顔を上げると、そう言った。周りの邪魔にならないようになるべく声を顰めて話すと、やちるちゃんも気付いたのか声トーンが少し下がった。
「うんっ」
「夜一さんのことですか?」
「ううん、違う黒い猫だよ」
「黒い猫は見ていませんね……」
「そっか〜……ここにいると思ったんだけどなあ。どこ行っちゃったんだろ?」
やちるちゃんは口を結んで頬に空気を溜めて、ムッとした表情をしていた。
「黒猫さんと隠れんぼをしているんですか?」
ふわふわと柔らかい頬を両手で包むと私の手に小さな手を重ねて、自分の頬にぎゅっぎゅっと押し付けて遊んでいる。黒猫を探して長い間駆け回ったのか、手先はひんやりと冷たい。冷たい手を温めるように両手で包む。すると、にこりと元気に笑う。
「うん! 隠れんぼと鬼ごっこ」
「猫といえば、高い所によく登っているイメージがあるので屋根の上とかにいたりしそうですね」
“上”という言葉に反応してやちるちゃんは天井を見上げた。
「探してくる!」
善は急げと言わんばかりに飛び込んできた窓から飛び出そうとした。
「あ! 待って下さい、やちるちゃん」
私の言葉にぴたりと動きを止めるとこちらを振り返って、とことこと歩み寄ってくる。
「
優ちゃん、どうしたの?」
机から小さなお弁当を取り出して、首を傾げているやちるちゃんへ差し出す。
「隠れんぼや鬼ごっこも良いですが、ちゃんとお昼も食べて下さいね。あと怪我しないように、ね?」
梅の花が咲き始めたから今日は剣八さんとやちるちゃんと私の三人で梅の花を眺めながらお昼を食べよう、と約束をしていた。もうお昼の時間だが、やちるちゃんは黒猫探しに夢中。お弁当を渡しておいた方が良いだろうと思ってのことだった。
「うんっ。ありがとう、
優ちゃん!」
「いいえ、どういたしまして」
「じゃあ、いってきまーす!」
「いってらっしゃい」
お弁当を受け取ると大きく手を振りながら、窓から飛び出して行った。再び執務室には紙に筆を滑らせる音だけが聞こえる静寂に包まれたが、間もなくして昼休みを知らせる鐘が鳴った。仕事に勤しんでいた同僚達は片付けが終わった人から食堂へと移動して行った。私も待ち合わせ場所へと急がねばと、二人分のお弁当を持って執務室を後にした。
*
待ち合わせ場所である四番隊の裏庭に座って剣八さんの到着を待つ。しかし五分、十分過ぎても剣八さんは現れなかった。伝令神機を開くがメッセージも届いていない。昼寝をして寝過ごしているのか、それとも急な虚討伐任務でも入ったのか。一度連絡を取ってみようかと思うが、後者であるならば邪魔になってしまう。電話帳から剣八さんの画面を開くが、剣八さんが好きなことを邪魔するのは気が引けて着信ボタンを押すのを躊躇ってしまう。小さくため息が溢れてる。いけない、と思い顔を上げるとそこには愛らしい小さな梅の花が咲き誇っている。春の訪れを感じて癒されるが――やはり寂しい。自分の隣に置いていた自分と剣八さんのお弁当箱に目を落とすと、もう一度ため息が溢れてしまった。
「にゃう」
ふと、足元から猫の鳴き声が聞こえた。目を向けると一般的な成人猫より一回りほど大きい黒猫が座っていた。透き通った深緑の瞳と目が合う。黒猫は私の足元に擦り寄ってきた。
「ふふ、可愛い……撫でても良いですか?」
「にゃ」
まるで言葉が分かっているかのように、黒猫は返事をするように短く鳴いた。
「ありがとうございます」
驚かせてしまわないようにまず手のひらを猫に見せると、今度は手に擦り寄ってくる。嫌がられてはいないため、頭を撫でてあげると目を閉じて気持ちよさそうにしていた。
「お顔に傷があるんですね」
黒猫は顔の左半分に縦に一本線の傷があった。そっと指をそわせると嫌がることなくされるがままになっている。
「なんだか、剣八さんみたい」
「にゃお」
「黒猫さんと同じようにお顔に傷があるんですよ」
「にゃーう」
「剣八さんのこと、ご存知ですか?
「にゃう」
「ふふっ、そうですか」
本当に言葉を理解しているかのように鳴き声が返ってくるのが楽しくて、ついたくさん話しかけてしまう。
恐らく、やちるちゃんが探していた黒猫はこの子のことだろう。剣八さんに似た黒猫を見つけて、追いかけたくなってしまったと心の中で推測を立てた。
「……実は剣八さんとお昼に会う約束をしていたんですが、忘れてしまったんですかね?」
黒猫は黙ったじっと私を見つめ、また足に擦り寄ってきた。
「ふふっ、慰めてくれてるんですか?」
「にゃお」
「ありがとうございます」
もう一度頭を撫でると尻尾がぴんと上に伸びた後に、ゆらゆらと揺れた。何を喋っているかは分からないが、尻尾で感情が伝わってくるのが可愛らしい。
黒猫の可愛らしさに癒されていると、突然ぴょんと黒猫は跳ねて縁側に登った。置いていた剣八さんのお弁当に鼻を近づけて、匂いを嗅ぎ、前足でちょんちょんと突いている。
「あ、ごめんなさい。これはあげられないんです」
「にゃー、にゃう」
剣八さんのお弁当を持ち上げて、反対側に置くと何かを訴えてくる黒猫。
「このお弁当はあげられないんですけど、私のお弁当を一緒に食べましょうか」
お腹が空いたのかと、思い自分のお弁当の包みを開いていく。お弁当の蓋を開き、お皿の代わりに黒猫の目の前に置いた。黒猫はお行儀良く座って、私をじっと見ていた。
「うーん……猫さんは何を食べても良いんでしょうか……」
猫を飼育したことがない私には思い当たらず、私は伝令神機を取り出して検索をかけた。現世の発明品を技術開発局が尸魂界用に開発したものだが、気になったことをすぐに調べられるのはとても便利だ。
「えっと、野菜は……トマトとブロッコリー」
猫が食べて良い物をまとめている記事と照らし合わせながらお弁当の中の物を少しずつお弁当の蓋に乗せていく。
「鮭とお米もどうぞ。あとは、えっと……」
記事を読み進めると一つの食べ物が目についた。
「へえ……納豆も食べて良いんですね」
「にゃッ!」
黒猫は毛を逆立たせて、尻尾がたわしのように大きく膨らんでいる。
「納豆はお嫌いですか?」
「にゃーッ!」
「ふふっ、剣八さんにそっくりですね。大丈夫ですよ、お弁当に納豆は入っていませんからね」
私がそういうと逆立たっていた毛が元に戻っていった。
「このぐらいしか差し上げられませんが、一緒に食べましょうか」
「にゃお」
「いただきます」
合唱してお弁当を食べ始めると黒猫も食べ始める。自分が与えた物を食べてくれている様子にとても心をくすぐられた。言葉と言葉を交わせなくても一緒に食事を共にするということはやはり穏やかな気持ちになる。黒猫は黙々と食べ勧めている。
「にゃー」
ごちそうさまでした、と言うように黒猫は鳴いた。鮭以外は残してしまうかもしれないと思ったが、野菜もお米も綺麗に平らげた。
「お粗末さまでした。美味しかったですか?」
「にゃっ」
黒猫は満足気に目を細めて短く鳴いた。
もう残り少ない昼休みに間に合うように私も箸を進める。
「――ごちそうさまでした」
空っぽになったお弁当箱を片付けていく。黒猫は大人しくその様子を見守っている。
「一緒にお昼を食べて下さってありがとうございました。私はお仕事があるのでこの辺りで失礼致しますね」
最後に黒猫の頭を撫でる。
撫でるのを止めると、もっと撫でて欲しいと言わんばかりに見つめられる。名残惜しく思ったが、小さく手を振って裏庭を後にした。
*
結局、昼休みが終わっても剣八さんは姿を見せなかった。伝令神機にも変わらず連絡は無く、寂しい気持ちと同じくらいに何処かで怪我をして倒れてしまっていないかと心配に思ってしまった。ちょうど十一番隊宛ての書類があった為、それとお弁当を持って十一番隊へ向かうことにした。私用を持ち込んでしまって申し訳なかったが、十一番隊へ書類を持っていくと伝えると皆快く送り出してくれた。私が剣八さんと恋仲となり夫婦となったことで少しずつ少しずつ十一番隊の印象は良くなっているのだが、やはりまだまだのようで少し複雑だったのは秘密だ。
「姐さん、お疲れ様です!」
「こんにちは。書類のお届けに参りました」
門番をしていた十一番隊隊士は笑顔で快く、門を開いてくれた。
「……その猫は姐さんの猫っスか?」
「え?」
指先を辿るとそこには昼休みを共に過ごした黒猫がいた。
「あら、付いてきてたんですね」
黒猫は大きく尻尾をゆらゆら揺らしている。
「この子も一緒に入っても良いですか?」
「あ、はい! 全然良いっスけど」
門をくぐって、手招きをすると黒猫も軽い足取りで門をくぐる。隊舎へと向かうために歩を進めると、黒猫もすたすたと軽やかに前足と後ろ足を動かして私のすぐ隣を歩いている。
隊舎の正面玄関に辿り着き、足を止めた。黒猫もぴたりと立ち止まった。しゃがみ込んで、黒猫と視線を合わす。
「これからお部屋の中に入るのですが、その間抱っこしてても良いですか?」
お行儀が良く、言葉も理解できている賢い子たったが何か悪戯をしてしまってはいけない。
黒猫はじっと私を見つめている。腕を開くと、ゆっくり私に近づいてくる。その行動を肯定と受け取り、抱き上げる。
「よいしょっと」
成人猫より体の大きい猫だったが、ちゃんと抱き上げることができた。黒猫は暴れることなくじっとしてくれている。本当にこちらの言葉を理解してくれてお行儀の良い子だな、と心の中で感心した。
玄関を上がり、執務室と隊首室を目指して歩く。次第に近づいてくる執務室から話し声が聞こえてくる。半分開いていた襖から覗くとやちるちゃん、一角さん、弓親さんが勢揃いだった。
「こんにちは」
私が声をかけると、三人が同時に振り向いた。やちるちゃんがぱあっと笑顔になると、こちらを指差した。
「剣ちゃん、やっぱり
優ちゃんといたー!」
「え?」
辺りを見渡すがどこにも剣八さんの姿は見えない。
「剣八さんは、どこに……えっ!?」
行方を尋ねようとすると抱えていた黒猫が突然白い煙に覆われ、段々と抱えていられなくなるほど大きく、重くなった。
「……きゃっ!」
黒猫を離すと怪我をさせてしまうかもしれない為、なんとか抱えようとするが私には耐えられないほど大きく重くなってしまい、後ろにバランスを崩してしまった。衝撃に備えて目を硬く閉じるが、誰かに頭を庇われてゆっくり床に倒れた。目を開くと視界を覆っていた白い煙が薄くなり、目の前に剣八さんがいた。
「……剣八さん?」
「悪い……怪我してねェか?」
眉を顰めて、心配そうに私を見つめていた。
「は、はい。大丈夫ですが……一体どこから……? それに黒猫さんは? 黒猫さんは大丈夫ですか?」
突然現れた剣八さんに頭が混乱する。腕に抱えていた黒猫を私達が押し潰してしまっていないか不安になるが、助けを求めるような猫の鳴き声は聞こえない。
「あー……その黒猫のことだが……」
「……?」
「あれは……」
「実はあの黒猫が剣ちゃんなんだよ!」
歯切れの悪い剣八さんの代わりにやちるちゃんが答える。
「え?」
「ねむねむから貰った可愛い飴玉で可愛い猫ちゃんになってたの!」
そんなことができるものなのか、と疑問に思ったが色々なものを日々研究し、開発している技術開発局にとっては造作もないことなのだろう。
「あの黒猫さんが剣八さん?」
「……ああ」
剣八さんは気まずそうに頬を赤く染めて、顔を背けて頷いた。
てっきり忘れられてしまっていると、勝手に寂しい思いをしてしまっていた。突然、猫になってしまったら戸惑うだろうに、それでも私を悲しませないようにと想ってくれた剣八さんが愛おしくてたまらなかった。
黒猫と過ごした昼休みを思い出すと、梅の花のような小さな花が胸にたくさん咲いていくような気分になった。まるで冬から春に移り変わったような感覚。
「ちゃんと約束を守って下さっていたんですね」
頭に手を伸ばして、撫でると剣八さんは黒猫の時と同じように目を閉じるものだから今はもうないはずのゆらゆらと揺れている猫の尻尾が見えてしまった。
終
【夢創作企画】きみと一緒に様(@LovingU_365)の企画に参加させて頂きました。
ワードパレット9 「冷たい手」「間もなく」「透き通った」をお借りしています。
#きらめく冬をきみと