そう言って書記の咲坂奈緒は机にファイルを置くと、ペコリと頭を下げ、そそくさと生徒会室を出て行こうとした。

俺は引き止めようとしたが、咲坂は

と、冷たく言い放ち、さっさと部屋を出て行ってしまう。

その表情はとても緊張しているように見えて。

一人になった生徒会室で、生徒会長である俺、山本健吾は大きくため息をついた。

時は、昨日の夜に遡る。

いつものように自分の部屋で勉強をしていると、不意にトークアプリの着信音が鳴った。

見ると、その送り主は咲坂。

挨拶も無しに突然始まったトークは、妙にテンションが高くて。
俺は面食らってしまった。

何故なら普段の咲坂は堅物で、こんな砕けた話し方などしないから。

ましてや生徒会長の俺に、敬語を使わないなんて事はあり得なかった。

そもそも、ヘアスタイルがどうとかを話すような間柄じゃない。

何をどう返信すれば良いか分からず戸惑っていると、次のメッセージが送られてくる。

メッセージを読む限り、恋の悩み相談のようだが……。

これはひょっとして、友達の誰かに送っているつもりで誤爆してるんじゃ？

話が進む前に間違いを伝えてやろうと、メッセージを打ち込み始めたが、相手は一つ年下の女子高生。
打ち込み速度がハンパない。

俺が打ち込もうとする度に、次から次へとメッセージが届いた。

確かに今日顔を合わせた時、随分短くしたんだなとは思っていた。気付いてはいたけれど、こちらから言うのもどうかと思って触れなかったが。

そう言えば、今日はやけに生徒会室を行ったり来たりしていたな。

確かに大げさに髪を梳かしてる姿を何度か見たな。
まあ女子はメイク直しをする奴もいるし、特に気にはしていなかった。

言われてみれば、唇がいつもよりテカってたな。やたらチラチラと俺を見てた気もするし……。

そこまで考えた時、何故か頭に浮かんだ勝手な想像。

まさかとは思いながらも、自分に当てはまる物が多過ぎる気はする。

これは確認すべきだろうか。
悶々としていると、咲坂から次のメッセージが届いた。

ようやく声をかける糸口を見つけ、発言する。

するとそれ以降、咲坂からの返信はプッツリと途絶えた。

先程の話は気になるが、だからと言って俺がずっと相手をして良い内容でも無い。
メッセージが来ないのなら、それはそれで良いだろうと頭を切り替えた俺は、再び勉強に取り掛かった。

そして今日もまたいつも通り、生徒会の仕事で生徒会室にいた俺に、咲坂が向けてきたのがさっきの態度だ。

気持ちは分からなくもないが、正直俺としてはやりにくい。

どうしたものかと困っていると、何故か咲坂が生徒会室に戻って来た。

尋ねると、咲坂は俺の座っている机の前にやって来て、でも視線は合わせずに言った。

思った事をそのまま口にしたのだが、俺の返事は咲坂にとって不満なようだ。
眉間にしわを寄せ、俺を睨むように見てくる。

奥歯に物が挟まっているような返事に、俺もどう答えれば良いかが分からない。

一体何が言いたいのかがさっぱり分からない。しかし気付いてないと言われると、気になってしまうのが心情だ。

何気なく言った言葉に、随分噛み付いてくるなと思いながらも、聞かれたからには答える。

ホッとしたような、でも少し悲しそうな表情を見せられ、ドギマギしてしまう。

俺はまずい事を言ったのだろうか？

ボンっと音がしたかのように突然、咲坂の顔が一気に赤く染まる。

驚いて名を呼ぶと、必死に顔を隠そうとしてジタバタし始めた。

その姿を見て、俺は確信を持つ。
やっぱり昨日咲坂が言ってた相手は俺なのだと。

だが分かったところでどうしたものか。

実は俺も彼女に好意を持ってはいる。だが恋愛経験など皆無な為、何をどうしたら良いのか皆目見当がつかないのだ。

今俺が何か出来るとしたら、せいぜい思っている事を口にするくらいか？

驚いているのか、目を見開いて呆然としたように言う咲坂。その言葉に俺は、素直な自分の気持ちで答えた。

元々自分の感情を積極的に表す方でも無い為、悩む。
だが問われれば答えなくては失礼だとも思うわけで。

こんな答えで満足してもらえるだろうか。
心配になりながら咲坂を見ると……。

目の前には、大粒の涙をポロポロと流す咲坂の姿があった。

頬を真っ赤に染め、涙で瞳を潤ませながら俺を見る咲坂。その表情は今まで見た事のないくらいに可愛くて、俺の心臓がドキリと跳ねた。

こうして俺たちは、付き合う事になった。

付き合い始めて数日経った、ある日の下校時。
あの誤爆は咲坂……奈緒の策略であった事を聞かされる。

どんなにアピールしても気付かない俺を振り向かせようと、最後の手段として送ってきたらしい。

恐る恐る白状した奈緒に呆れながらも、そこまでして俺を好きでいてくれた奈緒の存在がありがたく思えた。

肩をすくめて俺を見上げている奈緒の顎に手を当て、まっすぐに目を見る。

驚いて固まる奈緒に、ゆっくりと顔を近付けた。

そのまま唇を重ねる。

それは、初めてのキス――

奈緒の体が小さくびくりと震えたが、今は気付かないフリをした。

恥ずかしそうに頷く奈緒に、再び唇を重ねる。
柔らかな唇はとても甘く、胸一杯に愛おしさを募らせーー

そう言って俺は、奈緒を力強く抱きしめた。