スマホスト

  • 最近、一部の女子の間で密かなブームとなっているトークアプリがある。

  • 『スマホスト』と言って、正直ネーミングセンスの無いアプリだ。

  • しかも内容は、キャラクターと会話出来るという事以外極秘とされており、使った者しか分からないと言う。

  • 更にアプリ自体、見つけるのは至難の技なんだとか。

  • 利恵

    見つけられないアプリって、何なのよ

  • 前々から噂だけは聞いていて、興味を持ってはいた。

  • でもきっかけがなくて、ストアで検索をした事は無かった。

  • ここ最近、仕事が上手くいかなくてムシャクシャしてる私。

  • 『スマホスト』という名前から鑑みるに、ホストみたいに優しい言葉の一つでも囁いてくれる、乙女ゲームみたいな物かもしれない。

  • そんな事を考えながら、ストアの検索バーに打ち込んでみた。

  • 利恵

    ……なんだ、一発じゃん

  • 検索結果のトップには、しっかりと『スマホスト』が表示された。

  • しかも……他には一つも引っかかってはいない。

  • 利恵

    凄まじい存在感だな

  • 利恵

    見つからないどころか、他を見つけさせないって、どんだけ自分アピールしてるアプリなのよ

  • 利恵

    まあ良いや。とりあえずダウンロードして……と

  • 早速起動してみれば、ありがちな警告文。
    読むのが面倒でサクサク進むと、最後にこんな一文が表示された。

  • ーー今宵、私と一つになりましょう

  • 利恵

    ……R18アプリ?

  • どう受け取れば良いのか分からない文言の後ろには、多分イケメンキャラなんだろうと思しき影。

  • 利恵

    別にアプリキャラと一つになる気はないしなあ……どうしたもんか

  • やめてしまうかとも考えたけれど、画面に出ているのは

  • ーー貴方に全てを捧げます

  • の選択肢のみで。

  • 利恵

    お断り不可ってか。随分強引なアプリだねえ

  • 利恵

    しかも“捧げます“って、何か嫌な感じだけど……

  • 利恵

    とりあえずやってみるしかないか

  • 仕方なく選択肢をタップすると、一瞬画面が強い光を放つ。

  • 利恵

    うわっ!

  • 驚いて目を瞑り、再び開くとそこには、乙女ゲームにありがちなイケメンキャラが出現していた。

  • 甘いマスクとすらりとした容姿は、割と好みのタイプだ。

  • 見た感じ、二十代前半くらいの年齢設定だろうか。

  • 和樹

    初めまして、和樹です

  • 和樹

    貴女の名前を教えてくれますか?

  • お決まりのセリフと、名前入力画面が出てくる。

  • 少し迷ったけれど、ここは本名を入れてみる事にした。

  • 利恵

    利恵……と

  • 和樹

    利恵さんですね

  • 和樹

    では利恵さん。私と一つになりましょう

  • 利恵

    何このスピード感!

  • 思わずツッコミを入れてしまった。

  • 今時出会い系でも、ここまで気の早い相手はいないんじゃなかろうか。
    まあ経験がないから知らないけれど。

  • 利恵

    いやちょっと待って、私そんな軽い女じゃ無いから……ってのを、どうやってキャラに伝えるんだろう、これ

  • 今更ながらに気付く。

  • 画面には、キャラの和樹のセリフは出るけれど、こちらが打ち込む画面は出ていない。

  • すると、和樹のセリフが続けて表示された。

  • 和樹

    では、マイクを通して貴女の言葉が私に伝わるように設定します

  • 利恵

    ん? マイク?

  • 首を傾げながら液晶を見ていると、和樹のセリフの下に新たな吹き出しが表示された。そこに、今私が言ったばかりの言葉が打ち出されていく。

  • 利恵

    すごーい! 音声チャット機能があるんだ。選択式じゃ無くて言葉を認識出来るって事は、ひょっとしてこのアプリ、AI搭載ってやつ?

  • 和樹

    さあ、それはどうでしょう。でも普通に会話できますよ。残念ながら『CV:』は脳内変換して頂く必要がありますけどね

  • 利恵

    『CV:』って……面白い事言うなあ。でもそっか、直接喋れるなら楽で良いや

  • 和樹

    そう言うわけなので、私と一つになりましょう

  • 利恵

    だからそれはちょっと待とうね、和樹くん。そもそも一つになるって何?

  • 和樹

    言葉の意味そのままですよ

  • 利恵

    アプリと生身の人間が一つになる……同化するって事?

  • 和樹

    平たく言えばそうなりますかね。とりあえず一つになっちゃいましょう

  • 利恵

    ……何かアホっぽいな、このキャラ

  • 和樹

    アホだなんて酷いなあ。確かに私は未だ新人ですけど

  • 利恵

    へえ、新人設定なんだ。だとしたらちょっと納得かな

  • 和樹

    ですから是非、一つになって下さい

  • 利恵

    う~ん、まさかこんな展開になるとは……

  • 利恵

    今の私的には、甘い言葉を囁いてくれる大人なキャラ希望なんだけどなあ

  • 利恵

    出来る事ならチェンジしたいけど、そんなコマンド無いよねえ……

  • そう小さくブツブツと言いながら困っていると、マイクが音を拾ったのか、和樹のセリフが表示された。

  • 和樹

    甘い言葉が欲しいんですか?

  • 利恵

    まあね。ちょっと仕事で心が疲れてるから、癒しが欲しくてダウンロードしたんだもん

  • 利恵

    別に自分を捧げに来たわけじゃないよ

  • 和樹

    そうなんですか……ちょっと待って下さいね

  • 和樹

    甘い言葉……未だ取り入れてないな……

  • 利恵

    取り入れてないって何?

  • 和樹

    ああ、すみません。何て言うか、未だ私のマニュアルに記載されていなくて

  • 利恵

    アプリキャラ自身のマニュアルって! ある意味凄いなこのアプリ

  • 和樹

    どんなお仕事にもマニュアルは存在しているでしょう? それと同じです

  • 利恵

    なるほどねえ。君も苦労してるんだ

  • 和樹

    分かってくれます?

  • 利恵

    うんうん、私も最近仕事で先輩に、マニュアル無視の無茶振りばっかされてるから分かるよ

  • 和樹

    そうなんですか? 利恵さんも苦労されてるんですねえ

  • 利恵

    今日も締切に追われてる所に、急ぎの仕事を回して来てさ。それでいて自分はさっさと帰って行ったのよ!

  • 和樹

    でもきちんと終わらせて帰って来たんですよね? 利恵さんは

  • 利恵

    だって誰かがやらなきゃいけない事だし、私がやらなかったら困る人が出てくるじゃない?

  • 和樹

    素晴らしいですね、その考え方。他人の為に、労を厭わぬ利恵さんは素敵な方だ

  • 和樹

    貴女のような方ばかりなら、世の中も幸せになるのでしょうね

  • 利恵

    ……何かそんな風に言われると照れちゃうなあ

  • 和樹

    私の本心ですから、照れる事なんてありませんよ

  • 利恵

    えへへ、ありがとー

  • 和樹

    どう致しまして

  • 利恵

    ふふ、和樹くんってば、普通に甘い言葉を言えてるじゃない

  • 和樹

    そうですか?

  • 利恵

    正確には優しい言葉だけど、言われた人間は嬉しいと思うよ

  • 和樹

    私も嬉しいです

  • 利恵

    え?

  • 和樹

    利恵さんにそんな風に言って頂けて

  • 利恵

    そう? それは良かった

  • 和樹

    やっぱり私は利恵さんと一つになりたいです。貴女のように素直な優しさを持っている方を待っていました

  • 利恵

    もう、またその話?

  • 利恵

    でも一つになるって言っても、どうするのよ。こうやって会話をしながら心を通わせていくって事かなあ

  • 利恵

    それともアイテムか何かに課金して、自分好みの男に育てろって事か。結局は育成アプリなのかしらね

  • 和樹

    説明するよりも、やってみた方が早いですよ

  • 利恵

    うーん、まあ確かにそうだけど……

  • 何というか、少し打ち解けた感はあるものの、イマイチ話に乗り切れない自分がいる。

  • でもせっかくダウンロードしたアプリだし、この『一つになる』っていうのが何かのキーワードなのかもしれないなと思った私は、覚悟を決めた。

  • 利恵

    仕方ないな。ダウンロードしたのも何かの縁。他ならぬ和樹くんの頼みだ

  • 利恵

    新人君の成長の為にも一つ、手を貸してあげる事にしますか

  • 私がそう言った時。

  • 和樹

    ありがとうございます!

  • というセリフの後、和樹の嬉しそうな顔がアップになった。

  • ついさっきまでは数枚の静止画が入れ替わるだけだったけど、このアップの顔は瞬きまでしている。それどころか彼の瞳には私の姿までも映っていて。

  • 利恵

    これ、ほんとに絵なの……?

  • あまりの生々しさにたじろいでしまう。そんな私に、和樹は言った。

  • 和樹

    驚きました? アップになると全てがリアルになるんです

  • 利恵

    リアル過ぎてちょっと怖いけどね

  • 和樹

    すみません、でもそうじゃないと効果が薄くて

  • 利恵

    効果?

  • 和樹

    ええ、私の目をよく見て下さい

  • 利恵

    目……?

  • 和樹に言われ、じっと目を見た私は次の瞬間、体が固まってしまった。

  • 和樹

    利恵さん、貴女はもう私から目を離せません

  • 和樹の言葉通り、目を離せない。

  • 和樹

    では、一つになりましょう。私にキスして下さい

  • そう言われても、体が固まって動かない……と思ったら

  • 和樹

    さあ、キスを

  • 不思議な事に、手だけが勝手にゆっくりと動いて、スマホを口元に近付けた。

  • 和樹

    貴女を……私の中に

  • 唇が、液晶に触れる。
    液晶なのに生々しい唇の感触が伝わって来る中、私の意識は遠のいていきーー

  • ポトリ、とスマホが床へと落ちた。

  • 和樹

    これで3人目だな

  • 和樹

    今回はちょっと面倒くさかったけど、『優しくしてその気にさせる』っていう新しいスキルパターンが手に入ったからまあ良いか

  • 和樹

    俺たち『スマホスト』は記憶や経験などの情報を人間から吸い取り、自らを成長させていくアプリさ。ダウンロードしてくれてありがとよ

  • 和樹

    ……って礼を言っても、もう聞こえないか

  • 和樹

    未だ生まれて間もないし認知度は低いが、興味本位で俺たちを探す人間は増えてきてる。この調子ならアプリの頂点に立てる日も近いな

  • 和樹

    さ~て、次はどんな奴が俺をダウンロードしてくれるかね……?

  • そう言った和樹はニヤリと笑みを浮かべ、画面から消え去る。

  • やがて訪れた静寂の中、部屋に残されていたのは――

  • アプリが自動消去されたスマホと、全ての記憶を失い、呆然と座り込んでいる利恵の姿だけだった。

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