2024

■教科書と普通の感覚

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「あー、金がない。マジで金がない」

 2月から1人暮らしを始めたシノは、相変わらず節約や倹約に忙しくしているようだった。地元は通学に片道1時間半以上かかる場所なんだけど、それがしんどいという理由で大学近くでの1人暮らしを親御さんに申し出たら、貯金を70万貯めたら家を出てもいいと言われた。それでお金を貯めて家を出たものの、まだまだ悠々自適な1人暮らしとは言えない。
 で、シノが何にここまで頭を抱えているのかと言えば、すぐそこに迫った教科書販売だ。大学の講義で使う教科書は如何せん高い。ニッチな内容を取り扱った分厚い本だ、1冊ウン千円なんて当たり前。ゼミで指定された本も1冊2500円ほどするし、それが3年生になると4500円+税。シノが聞いたらひっくり返るだろう。

「おっはよー! あれっ? シノ、何か難しい顔してるね? どーしたの?」
「金が無くてさ」
「え!? あれだけ節約してバイトもしてるのに!?」

 シノの「金が無い」発言にはやっぱりくるみも驚くよなあ。貯金70万円への道を間近で見ていた俺たちの中で、シノと言えば節約・倹約・アルバイトのイメージがまあ強い。お金がないと言うより、使わずに貯めているという印象だ。ただ、先の70万は引っ越しの準備資金だったので預金残高もある程度は減っている。

「今度は何が欲しいの? バイク? 車?」
「バイクも乗ってみてーよなー。免許取るんなら今度はそのための貯金だなー。じゃなくて教科書だよ教科書。今後読まない本にウン千円もかかんのがマジでやってらんねーと思ってさ」
「そうだよねー、教科書って何であんなに高いんだろうね? ササは読書するし教科書を買うのも嫌じゃなさそうなイメージだよ」
「好きなことに関係する教科書だったらそこまで嫌じゃないけど、全然興味ない感じの本だったら他の本に使いたいなとは思うよさすがに」
「そっかー、そうだよね」
「くるみの学科も教科書って高い?」
「高いよ! もうたっかい! でも、あたしはこのためにミドカのポイントを貯めてたから!」

 ミドカというのは緑ヶ丘大学の学生証に付いている電子マネー機能のことだ。カードにお金をチャージすると10円0.1ポイントから加算されて行くという仕組みで、大学内のテナントに入っているコンビニチェーンや郵便局、スポーツ用品店を含めた学内の全店、全施設で使うことが出来る。使い方自体は一般的な電子マネーと同じだ。

「くるみって今ミドカに何点持ってんの?」
「今? もうすぐ9000点だね」
「すごいな!?」

 いくら学内の全店全施設でミドカが使えると言っても普通に大学生活を送っているだけではそこまでポイントを貯めることは出来ない。毎日学食で500円使ってたとしても1日5点が20日くらいで1ヶ月100点止まりだ。本屋、コンビニ……いや、それにしたって桁が違い過ぎる。そしてくるみのポイ活術にシノが食い付いている。

「どーやってそんな貯めんだよ!」
「ジムで貯めるんだよ」
「ジム?」
「あのね、ジムって独自にミドカのポイント付与キャンペーンを結構やってるのね? ジム以外にそのお知らせって掲示されてないから認知度は低いんだよ。元々運動量に応じたミドカポイントをもらえるんだけど、たまに5倍キャンペーンとかやってるし、コツコツ運動を頑張ってたらポイントも溜まってたって感じ」
「それはくるみにしか出来ねーワザだわ」

 趣味でスイーツ断面動画を撮影してコンビニスイーツのレビューをするブロガーのくるみは、その活動の性質上摂取カロリーが増えがちだ。何とか太らないために始めたのが学内のジム通い。これが結構長続きしていて、ブログもそうだけどコツコツ継続する力には俺たちみんな感心しているし、尊敬できる点だ。
 ただ、学内のジムというのは如何せんハードルが高く感じられる。ジム自体に興味はあるけど、体育学部が特徴に挙げられる緑ヶ丘大学だから、利用者はやっぱりアスリートの人たちなんじゃないかと。そんな施設を冷やかしみたいな感じで体育学部以外の人が使える物なのだろうかと尻込みしてしまう。

「って言うかシノって社会学部なんだから、高木先輩に教科書譲ってくださーいって出来るんじゃないの?」
「それだ!」
「……いや、高木先輩って結構履修とかが尖ってるし、あんまり期待しない方がいいんじゃないか?」
「でもダメ元で聞くだけ聞いて、ダメなら素直に諦めるわー。ちくしょー金がねー!」

 高木先輩は単位取得状況がまあまあ怪しいし、ゼミ以外の学業ではあまり当てにしない方がいいんだろうなという気がうっすら。人としては凄くいい人なんだけどなあ。時々ちょっと残念なんだよなあ、学業が絡むと。

「おはよー」
「あっ、おはよーすがやん!」
「シノ、どうしたんだ? 何かすげー顔してるけど」
「その件もうやったわー。金がねーんだよ教科書販売で」
「あー、結構一気にドカンと来るもんなー」
「すがやんの学科もやっぱ教科書って高いだろ? 教科書に金使うなら興味あることに使いてーよってならね?」
「うーん、俺の場合教科書に指定されてる本が結構興味あることだから、そこまで嫌だとは思わないかなー」
「変態だ! 変態がいる!」
「うそ!? 教科書と趣味が一致するなんてすがやんおかしいよ!」
「1年の時のふわっとした講義の時はさすがにちょっとなーって思ったけど、専門的な勉強が始まると思ったら超ワクワクすんじゃん。えっ、その感覚あるのって俺だけ!?」
「俺たちは秋以降にならないとガッツリ専門的な勉強には入って行かないかもしれない」
「専門的な勉強はワクワクするけど、それと教科書の値段とは釣り合わないよ」
「えー、そっかー。ほら、俺って趣味には結構のめり込む方だから、大学の本屋で面白そうだなって思った本は買って読むじゃん。今年とか教科書に指定された本も2冊はもう持っててさ、買う必要がないんだよ」
「すがやんヤバッ」
「読み込んだ本を使う講義か。新たな知見は得られそう?」
「俺のゼミの先生の授業だから絶対取る! 発掘調査の話とかしてもらえるんだよ、楽しみで楽しみで」

 多分、大学生としてはすがやんの姿勢があるべき姿なんだろうとは思うけど、教科書って高いよなあというところには着地してしまう。すがやんは考古学を専攻しているけど、そこに至るまでに関連図書は結構読み漁っているので、履修した科目で指定された教科書のタイトルも「あーはいはいこれね」という感じで見るのが楽しいらしい。

「何だよ、俺らの同期変態ばっかりかよ! すがやんは教科書の内容もう頭に入ってるとか、くるみはミドカのポイントめちゃ持ってるし、ササだってゼミのエントリーシートにまとめんのに本を15冊も読んだ! お前ら全員フツーじゃねー!」
「えー!? シノひどーい!」
「くるみのミドカは確かにぶっ飛んでるけど、本を15冊は読めるって」
「すがやんまで! だったら言わせてもらうけど、シノが短期間で70万円貯めたのだって普通じゃないからね!」
「金は気合で貯めんだよ!」
「ポイントだって地道にコツコツやってたら貯まるの!」
「シノの財布の紐の固さは確かに尋常じゃないよなー。俺も計画的にちょっとずつ貯めてはいるつもりだけど、好きなことが多いと何でも欲しくなっちまって」
「よし、レナとサキが来たら誰が一番普通か聞くぞ!」
「もちろんあたしを選んでくれるよ!」
「そもそも玲那とサキがここまでの件をちゃんと聞いてくれるかの問題があるぞ。特にサキはそんな争いに首を突っ込まなさそうだ」
「あー、イメージ出来るわー」


end.


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軍曹式トレーニングを始めてからのくるちゃんのポイ活は結構な数字を積み上げたらしい。
TKGパイセン大好き佐々木陸、学業が絡むとスンッとなってしまうのもお馴染み。

(phase3)

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