2020

■穏やかな呼吸で

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 昨日のサークルで、先週菜月先輩がMMPを見学したいという1年生を引率してくださったという話を聞き、その節はMMPのサークル室にいなくて申し訳ございませんでしたと一報を入れて1日。菜月先輩からは短い「ん」とだけ返信があった。
 菜月先輩にしては返信が遅いこともそうだけど、その返事の短さに違和感を覚えた俺はいろいろ予測を立てた。4年生のこの時期だし就活でお忙しいとか、睡眠で丸1日飛ばしたとか。ただ、この時期ならではの問題もあったなと思い出した。

「菜月先輩、お身体の具合はいかがですか?」

 買い物袋を提げて菜月先輩の部屋を訪ねると、部屋着でメガネというオフ仕様の出で立ちで出迎えてくださった。俺の質問に対する「良くはない」という短い言葉にも、時折強く咳が混ざっている。
 毎年この時期に菜月先輩は夏風邪を患われる。酷い咳で1週間ほどは寝込んでしまい、生活もままならなくなるのだ。毎年のこと……俺にとっては3度目になることだけど、風邪で苦しむ菜月先輩は本当に見ていられない。だから少しばかりの気持ちを白い袋の中に。

「あの、こちらお見舞いの品です」
「悪いな。ああ、サイダーとゼリー。ありがたい。こほっこほっ」
「それからですね、こちらを」
「ん?」
「咳止めののど飴です。一応第3類医薬品なので、用法容量を守って舐めていただければ」
「これ、舐めたことないなあ」
「一応、以前菜月先輩が仰っていらしたことを参考に、きちんと用法容量に合った内容量の物を買って来ました」
「成人は……1回3個」
「内容量はちゃんと3の倍数、24個入りです。レモン味の物もあったのですが、そちらは22個入りだったので。きちんと丁度の数で無くなる24個入りのオレンジ味を――」
「あーもう、わかった、わかったから」

 夏風邪が毎年の行事となっているにも関わらず、菜月先輩は風邪への備えをほとんどされない。自然治癒力に任せて横になっているだけだから、その治りもあまり早くはない。だから、せめてもの手助けを出来ればいいなと思った。
 体調が悪い時の菜月先輩が必要とするのは三ツ矢サイダーだ。それから、喉が痛くても食べられるように桃やミカンなど、果物の入ったゼリーをいくつか。そして、菜月先輩の夏風邪対策で一番間違っていると思うところを俺が補完する。薬がないなら置いて行けばいいじゃない。
 とは言えあまり本格的な薬を渡すのも、他に服用している薬があった場合や食べ合わせの問題があるかもしれない。いろいろな可能性を考えて、とりあえずは医薬品ののど飴にしておいた。のど飴なら普通の薬よりは服用のハードルが低いかなとも思って。

「と言うか」
「はい」
「講習会前だろ。こほっ。こんなトコに来て、うつるぞ」
「菜月先輩のお身体の方が大事です」
「講習会はお前ひとりだけのことじゃないだろ。あと……自分のことも大切にしろ。な」

 そう言われてしまうともうどうしようもない。俺は自分のことを蔑ろにしていると、そういう風に先輩からは見えてしまっているのだろうか。「な」と優しく念押しする声が、こんなときにも関わらず俺のことを心配させてしまっているのかな、と申し訳なく思って。
 買って来たサイダーのうち3本とゼリーを冷蔵庫に入れ、部屋に戻ると菜月先輩はベッドに横になっていた。昨日一昨日に比べれば楽になった方だそうだけど、それでもまだまだ咳は出るし眠れていないおかげで体力が落ちているんだそうだ。

「お休みになられるならお暇しますが」
「……もうちょっと、いてくれないか?」
「でしたらもうしばし」
「具合が悪い時に1人って、不安だろ」
「ええ。俺で良ければもう少し。ですが、落ちてしまいそうであれば、遠慮なく眠って下さい」
「ん」

 だらりと力なく布団から出された左手を緩く握り、空いている方の手で先輩を寝かしつけるように布団の上でリズムを打つ。すると、少しずつだけど、呼吸が安定してきたように思う。このままゆっくり眠っていただければ。
 以前俺が風邪をひいて熱を出したときに、この部屋で休ませていただいたことがある。この手は、そのときに菜月先輩がしてくださったそれと同じ。あの時俺は握られた手で先輩の存在を感じて安心していたけれど、今の俺はそのようにあれているだろうか。

「……菜月先輩」
「ん…?」
「申し訳ございません、起こしてしまいましたか?」
「ううん……」

 この時期になると風邪をひきやすいということを理解していても、それを完全に防ぐことは難しく、なおかつ、今年は大丈夫だろうと思う気持ちもわからなくはない。薬を常備されないのは財政状況のこともあるだろうけど、縁起的なことも少しあるのかな。
 また、すうすうと穏やかな呼吸で休むモードに入られた先輩を俺はしばらく見守っていた。だけど冷静になって考えると、もしかすると俺はこのまま先輩を放置して帰ることは出来ないのでは、ということに気付く。帰るということは即ち、玄関が施錠されない状況になってしまう。
 まあ、サイダーなどを買った時に自分の食糧も少し買い込んではいたから、少しくらいならやり過ごせるんだけど。って言うか、俺もちょっと眠くなってきたな。ちょっとだけなら仮眠取っていいかな、どうしようかな。


end.


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この20年度は19年度の設定を引き摺ったまま進級しているので、今年はノサナツ年です! やったね!
というワケで例に漏れずいつもの季節が到来し、ノサカのお見舞いです。三井サンは突っ撥ねるのにノサカは受け入れる菜月さんよ。
ちなみに玄関は鍵をかけてドアのポストに鍵を入れれば施錠して出て行くことが出来るんだぜ! 気付けヘンクツ。

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