2020

■胃に穴が開く5秒前

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 今日もいつも通りにサークルをやっていたはずだった。俺は果林や今日も向島から来ていた野坂、それから高木・エージと講習会の打ち合わせをしていたし、他のメンバーも各々の練習をしていた中、その人はまったりとした空気を破るように現れた。

「うーす」

 あまりに突然のことで何が起こったかその場にいた全員が一瞬理解出来ず、聞き慣れていたはずの挨拶にも反応出来ないでいた。この一瞬の沈黙を破ったのはシノ。シノがまたやらかすんじゃないかとガチで焦った俺は、シノの口を塞いで自分が前に出た。

「た、高崎先輩おざっす。ここではお久し振りっすけど、どーしたんすか?」
「気紛れだ。ちょっと様子見に来た。なに、邪魔はしねえからお前らは打ち合わせててくれ。講習会前だろ」
「わかりました。でも先輩の紹介だけさせてもらっていいすか。こないだカズ先輩が来た時に軽く事故ったんで」
「ああ、話には聞いてる。何かそそっかしい奴が伊東と野坂を同期だと勘違いして先輩風吹かせた挨拶してきたとか何とか」
「ああーっ! 俺の粗相がまた違う人にも伝わってるー!」
「あ、1年生。名前は知ってるかもだけど、この人が高崎先輩。MBCCの前アナウンス部長で、今はコミュニティのFMにしうみで番組やってるんだ」
「4年の高崎だ。よろしくな」

 如何せん高崎先輩という人には箔があり過ぎるんだ。ファンフェスで100分番組やったとか、FMむかいじまのパーソナリティーコンテストで審査員特別賞を取ったとか、対策委員元委員長だとか、FMにしうみで現役でレギュラー番組やってるとか。アナウンサーの双璧と呼ばれたこともその伝説っぷりに拍車をかけた。
 高崎先輩の名前は1年生もみんな知っているし、何なら姿を見せないことで伝説に尾ひれ背びれが付き始める頃合いでもあった。高崎先輩がサークルを覗きに来てくれたのが何の気紛れかはわからないけど、せっかくなら軽く指導または相談に乗ってもらたい。

「高ピー先輩の“気紛れ”ほど嘘くさい言葉もないですよねー」
「あ? 何だ果林てめェ」
「いひゃいいひゃいいひゃい!」
「えーと、こないだの奴らはどいつかな」

 きょろきょろと、高崎先輩の目が部屋の中を探るように動く。こないだの奴ら、というのが気になるけど。

「ああ、いた。背高い奴と、ライダースの女、それから……あれ、もう1人がいねえな。あの変な歌歌ってた猫みてえなちっさいの」
「高崎先輩、1年連中と何かあったんすか?」
「いや、因縁みたいなモンは……無いとは言い切れないがそれはこっちのことだ。こないだ俺が飯食ってる時にコイツらが話してた内容が耳に入って来てよ。それで、たまには顔でも出そうかと思ったんだ」
「えっと、佐々木陸です」
「栗山玲那です」
「もう1人いたよな。俺の真ん前でラス1のソースカツ丼買って変な歌歌ってた奴」
「くるみだ…!」
「火曜日の昼だ」
「あー、お前ら、バッチリ心当たりある感じな」

 果林や野坂の影に隠れがちだけど、何気に高崎先輩も食の恨みが激しい人だ。高崎先輩の1コ前でラス1のソースカツ丼を掻っ攫ってったとか、めちゃくちゃ怖いヤツじゃねーかよ~…! 大好物のソースカツ丼を食べれるってウキウキしてるのを挫かれたんだぞ、くるみお前、相手がわりーよ!

「そ、即興で歌う子だったら、くるみのことですかね。背は小さくて、オレンジっぽい茶髪で低めのツインおだんごの」
「ああ、そいつだそいつ。この2人には普通に話を聞きたくて来たが、アイツには個人的に因縁がある」
「あの、一応言っときますけど……」
「別に取って食ったりしねえよ」

 ――なんて言っていると、噂が呼ぶようにくるみ本人がやって来た。ただ、くるみはここに誰が来ていて何の話をしているかなんて知らないから、まるっきりいつもと同じノリで部屋に入って来て…!

「おっはよーございまーす! きょっおも元気にっ、頑張りまっしょー!」
「くるみくるみ…!」
「はいはい? L先輩おはよーございます!」
「お前に用事があるって人が来てるぞ」
「はい、どちらさまですか?」
「MBCC前アナウンス部長、4年の高崎悠哉だ」
「え。あたしはミキサーですけど、生ける伝説の高崎先輩があたしに何の用事ですか?」
「お前の所為でな、あの妙~なソースカツ丼の歌が脳裏にこびりついて離れねえんだよ。どう落とし前つけてくれるんだ」
「ソースカツ丼の歌…?」
「きょっおのごっはんはソースカツ丼~、……っていう、あの歌だ」
「きゃーっ! こないだの!? ササとレナ以外の人に聞かせる歌じゃなかったのにー! 恥ずかしすぎるー! どーしよー! どうしよーササ、レナ!」

 つか、高崎先輩の低音でくるみの歌を再現してるっていうのもシュールすぎる光景だろ、つかこえーよ。焦るトコそこじゃねーよお前。

「うるせえ、落ち着け」
「ふや」

 落ち着け、と高崎先輩がくるみの頬を掴む。果林にいつもやってるみたいに強く引っ張るんじゃないかと内心すげーそわそわしてたけど、高崎先輩の手はそこから動かない。

「ん?」
「ふや」
「おお」
「ほや」
「……果林を越えたな」
「たかひゃひへんはい? ほやほやほや」
「お前の頬の感触に免じて歌の件はなかったことにしてやる」

 高崎先輩はよほどくるみの頬の感触が気に入ったのか、しばらくずっとふにふにと揉み続けていた。ササとレナには、その日の昼に1年生がしていたという放送論的な心構えの続きの話を講習会のネタバレにならない程度に続けてくれて(くるみの頬を揉みながらだ)。しばらくして満足したのか、高崎先輩は帰って行った。

「……L先輩、高崎先輩は結局何だったんですか?」
「こう言っちゃ難だけど、高崎先輩って結構ムチャクチャな因縁つけて来る人だから。正直そこまで深く考えることでもない。皮肉であの人を王様とか暴君って言ってる先輩もいたし」
「くるみ、ほっぺ大丈夫? アタシみたく力任せに引っ張られてない?」
「優しく揉み続けられた結果血行がよくなりました! ぽっかぽかです!」


end.


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高崎が何を思ったかMBCCのサークル室にやってきて、Lとしてはかなり冷や冷やしていたようです。まあなあ。高崎だもんな。
そして前科のあるシノを早々に封じたのはナイス。学習してるかもだけど、高崎相手だけに自分が出た方が事故は防げるものね。
高崎とくるちゃん、(一方的な)因縁の関係みたいになっちゃってるけど、これからはあるのかしら。くるちゃんのほっぺは柔らかいらしい。

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