2016(03)

■moved the hearts

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 何とも信じがたい目覚めだ。俺の左手は菜月先輩の左手に取られ、そして先輩の右手は俺の額に置かれた濡れタオルの上にある。現在時刻を確認しようにも、身動きの出来る状態ではない。
 昨日、電車を派手に乗り越しまくって番組収録に3時間弱も遅れてしまった。いつもなら駅で次のスクールバスを待てないと判断すると大学まで走る。それが出来る体調ではなかったこともあって、素直に25分後に来るバスを待ってしまったのもある。
 番組収録自体は何ら問題なく進めることが出来た。少しボーッとしてしまうこともあったけど、音の聞こえ方や繋がり方自体には何ら影響はないと思いたい(ただ、聞く人が聞けばわかられてしまうだろう)。
 結果、終バスを逃してしまった俺は、菜月先輩とご自宅までお送りしてそのまま駅まで歩こうとした。すると、菜月先輩に引き留められたのだ。着替えを貸していただき、手厚い看病を受けた。そして現在に至る。
 これが夢ならずっとここに居たい気持ちがある。ベッドの縁で、菜月先輩が俺の手を取って眠っているだなんて、現実のはずがない。菜月先輩は夜通し俺の手を取り、額の濡れタオルを取り替えてくれていたのだろうかと思うと、胸が熱くなる。
 ただ、身動きもままならない、時間もわからない現状ではこのまま目を開けているのも苦痛だった。頑張って目を動かせば、菜月先輩の寝顔を見ることは出来るけれど。部屋がまだあまり明るくなっていないことから、夜明け前、それか明けてすぐか。
 とりあえず、目を閉じていることにした。目を開けていると、いろいろと体に悪いと思ったから。ただ、目を閉じたら閉じたで、菜月先輩に触れられている場所がより過敏になったような気さえするのだ。くそっ、失敗だった。

「ん……あれっ、6時半……」

 今は6時半だったのか。どうやら、菜月先輩が目覚めたようだ。はー、危なかった。ギリギリ寝ている体で話を通せる。すると、額のタオルが退けられ、菜月先輩の手が直接俺の額に触れる。ダメだ、ドキドキする。
 左手が離れたと思ったら、遠くの方で水の流れる音がする。そして、額には再び冷たさを取り戻した濡れタオル。再び菜月先輩の気配が少し離れた。今度は何を?

「やっぱり乾き切らないか……」

 ピッと、エアコンのスイッチが入った。乾き切らないのは、おそらく昨日俺が脱いだ厚いスウェットのパーカーだろう。ただでさえパーカーは乾きにくいのに、厚い生地だ。それを乾かすのにエアコンが入れられたのかもしれない。
 そして、左手に再び自分のとは違う熱を感じると、右手も俺の頭にあって、やわやわと撫でられているのを感じるのだ。ああ、ダメだ。いろんな物が溢れそうで。体が弱っているから、心も繊細になっているのかもしれない。

「……ノサカ?」

 ああ、ダメだった。菜月先輩、この涙は生理的な物として見逃して下さい。
 尤も、今の俺は寝ている体。涙がこぼれていることを知っているのは、菜月先輩だけなのだ。菜月先輩の左手は俺の手を取ったまま、右手は伝う涙をすくって。そのまま、頬へ。

「辛いのか? こんなになるまで、無理することないのに。バカだな、お前は」

 いいえ、違うんです。そうじゃないんです。確かに辛いこともありますが、今の俺はとても満ち足りた気分で、言葉に出来ないほどの多幸感が複雑な形で俺の琴線を殴ってきていて。
 許されるなら、悪い夢を見ている体でその左手を握り返したい気持ちでいっぱいです。本当なら、起きている状態で、まっすぐあなたの目を見て今の気持ちを伝えるべきだとわかってはいるのですが。


end.


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昨日のお話を引きずりました。今年はナツノサ年なのでこんなようなことになっています。
そう言えば去年かその前か、菜月さんは高崎の看病もしていたような気がする。この時期には菜月さんの優しい面が出てくるのでしょうか。
今回は一応生理的なヤツという体ですが、ノサカは割とよく泣きます。ドラマを見て泣いたりもするよ!

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