2016(03)
■帳が上がりかける時
++++
「糸魚川呉服店でーす」
この声に、待ってましたばかりに声が上がる。大学祭のステージと模擬店で着る衣装が上がってこれば、さっそく始まる試着会。実際、着た感を見て追加注文をしたり修正したりするのだ。
あれ以来、シーナさんの襲来はない。3年生の先輩も穏やかだし、沙都子も落ち着いている。1年生もいつものように賑やか。だけど、アタシと直はこの平穏がいつまでも続くものじゃないと疑ってしまう。
「さとかーさん着てみていいですか!」
「うん、着てみてー」
「サドニナのはしゃぎっぷりが目に見える衣装だなあ」
「Kちゃん先輩棒読みひどっ!」
そのときだった。サークル室に踏み入ってくる影に、空気が止まる。
「こんにちはー」
突如現れたシーナさん。アタシは咄嗟にサドニナの口を塞いだ。また白塗りだの枕ババアだのとふっかけたりでもしたら。直も、その人と沙都子を結ぶ線の間に入り、自ら立ち塞がらんと。
時期が時期だ。去年、事件が起きたのはこの時期のこと。大学祭の衣装というのも状況が揃い過ぎている。あの人が液体溜まりの中で申し訳程度に纏っていたのが沙都子の作った衣装だった。尤も、切り裂かれてズタズタ、液体に染まって原型が残っていなかったけど。
「どう? 元気にやってるー?」
白々しいまでの挨拶。3年生はピリピリしている。一歩、また一歩と嘗めるように部屋を観察しながら奥へと進んでくるシーナさんに、緊張感が高まっていく。何かを言いたげにサドニナは暴れるけど、力ずくで抑える。
「あー、さとちゃん今年も衣装作ってるんだー、かわいー、見せてー」
「シーナさん、今は」
「いーじゃん直クンちょっとくらい。減るモンじゃないでしょ」
「……さい」
「沙都子」
「触らないでください」
沙都子にしては強い語気。それは、シーナさん相手に強がっているとか、そういうことでもなかった。まさか沙都子がシーナさん相手にはっきりと拒絶の意を表せるとは。2・3年生は驚く。
「オーダーメードの服を、依頼主より先に触って欲しくありません。着る人のことを思って作ってる服なんです」
「えー? さとちゃんってこんな反抗的だっけー、ショックー、イジメられたー、死んじゃうー」
「死ぬって言っても変わりませんから」
どうぞ刃物を出すならご勝手に。そういう冷たさすら感じる言葉にアタシたちはゾッとする。沙都子に何があったのかと。この様子だと目の前でシーナさんが腕を切っても変わらない目で見ていそう。
「シーナさんが特注してもらってる物を自分が受け取るより先に他の人に触られてたら嫌な気持ちになりませんか?」
「いいじゃんお店でもないんだから」
「お店じゃないからこそです。お店じゃないからこそ私も作りたいと思った人のために作ります。作ったものをないがしろにする人には作りたくないですし、触らせたくないんです」
この衣装たちは決してすぐにポンと出来るわけじゃないし、沙都子の想いがこもった物。趣味だからこそ作りたいように作るのだと。確かに素人の仕事だけど、素人にも魂はあるのだ。そう言いたげだった。
「出来上がった服を最初に着てもらった時の顔だとか、それを着てステージに立ってる時の顔を見るのが日常の中にある些細な幸せなんです。シーナさん、私の日常を奪わないでください。お願いします」
さっきまでの冷たさすら感じる言い方から一転、沙都子らしい言葉に、部屋の空気は変わっていた。力で圧倒するわけではないけれど、シーナさんは明らかに引いていた。
私がイジメてるみたいじゃない。そう呟いて、シーナさんは口籠った。実際にシーナさんは私たち後輩、特に3年生の先輩を酷い目に遭わせてきたのに今更何を。そう思いつつも、下げた頭を上げない沙都子の手前、アタシたちも黙っている。
「わかったわよ、帰ればいーんでしょ!」
「そうは言ってません。本当に服を見たいなら、それを着るべき人が着た状態で見てもらった方が服本来の表情も出るんです。服だけじゃわからないことの方が多いんですよ。サドニナ、それ着てシーナさんに見せてあげて」
「えー!? だってこれダサい!」
「そういう風にオーダーしたのはサドニナでしょ」
うふふと笑って、沙都子はシーナさんを椅子に座らせた。そして始まるファッションショー。シーナさんは確かにアレな人ではある。だけどブランド物や服飾雑貨には多く触れてきている。その目で見てもらいたいという思いもあったのかもしれない。
決して過去の出来事を乗り越えたわけでも、吹っ切れたわけでもない。だけど、沙都子がシーナさんに与えた物が確かにあるのかもしれない。最初は警戒していた3年生の先輩も、今ではファッションショーを楽しんでいる。
「啓子、沙都子ってすごいね」
「うん。よくわからないけど、すごいと思う」
「啓子も衣装着てきなよ」
「私はまだいい」
「ボクが見たいんだ。いいかな」
end.
++++
奪う人がシーナさんなら、さとちゃんは与える人というイメージがある。シーナさんに立ち向かうさとちゃん回。
そして咄嗟にサドニナを抑え込む啓子さん、結構な力尽くだっただろうから後が大変だと思いました、まる(でも啓子さんにしか出来んやろなあ)
多分、恐怖や憎悪、嫌悪という感情を無意識に無にしていて、その存在を意に介さないことに成功したのではないかと。どうやってやったのかは多分本人もわかってない。
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「糸魚川呉服店でーす」
この声に、待ってましたばかりに声が上がる。大学祭のステージと模擬店で着る衣装が上がってこれば、さっそく始まる試着会。実際、着た感を見て追加注文をしたり修正したりするのだ。
あれ以来、シーナさんの襲来はない。3年生の先輩も穏やかだし、沙都子も落ち着いている。1年生もいつものように賑やか。だけど、アタシと直はこの平穏がいつまでも続くものじゃないと疑ってしまう。
「さとかーさん着てみていいですか!」
「うん、着てみてー」
「サドニナのはしゃぎっぷりが目に見える衣装だなあ」
「Kちゃん先輩棒読みひどっ!」
そのときだった。サークル室に踏み入ってくる影に、空気が止まる。
「こんにちはー」
突如現れたシーナさん。アタシは咄嗟にサドニナの口を塞いだ。また白塗りだの枕ババアだのとふっかけたりでもしたら。直も、その人と沙都子を結ぶ線の間に入り、自ら立ち塞がらんと。
時期が時期だ。去年、事件が起きたのはこの時期のこと。大学祭の衣装というのも状況が揃い過ぎている。あの人が液体溜まりの中で申し訳程度に纏っていたのが沙都子の作った衣装だった。尤も、切り裂かれてズタズタ、液体に染まって原型が残っていなかったけど。
「どう? 元気にやってるー?」
白々しいまでの挨拶。3年生はピリピリしている。一歩、また一歩と嘗めるように部屋を観察しながら奥へと進んでくるシーナさんに、緊張感が高まっていく。何かを言いたげにサドニナは暴れるけど、力ずくで抑える。
「あー、さとちゃん今年も衣装作ってるんだー、かわいー、見せてー」
「シーナさん、今は」
「いーじゃん直クンちょっとくらい。減るモンじゃないでしょ」
「……さい」
「沙都子」
「触らないでください」
沙都子にしては強い語気。それは、シーナさん相手に強がっているとか、そういうことでもなかった。まさか沙都子がシーナさん相手にはっきりと拒絶の意を表せるとは。2・3年生は驚く。
「オーダーメードの服を、依頼主より先に触って欲しくありません。着る人のことを思って作ってる服なんです」
「えー? さとちゃんってこんな反抗的だっけー、ショックー、イジメられたー、死んじゃうー」
「死ぬって言っても変わりませんから」
どうぞ刃物を出すならご勝手に。そういう冷たさすら感じる言葉にアタシたちはゾッとする。沙都子に何があったのかと。この様子だと目の前でシーナさんが腕を切っても変わらない目で見ていそう。
「シーナさんが特注してもらってる物を自分が受け取るより先に他の人に触られてたら嫌な気持ちになりませんか?」
「いいじゃんお店でもないんだから」
「お店じゃないからこそです。お店じゃないからこそ私も作りたいと思った人のために作ります。作ったものをないがしろにする人には作りたくないですし、触らせたくないんです」
この衣装たちは決してすぐにポンと出来るわけじゃないし、沙都子の想いがこもった物。趣味だからこそ作りたいように作るのだと。確かに素人の仕事だけど、素人にも魂はあるのだ。そう言いたげだった。
「出来上がった服を最初に着てもらった時の顔だとか、それを着てステージに立ってる時の顔を見るのが日常の中にある些細な幸せなんです。シーナさん、私の日常を奪わないでください。お願いします」
さっきまでの冷たさすら感じる言い方から一転、沙都子らしい言葉に、部屋の空気は変わっていた。力で圧倒するわけではないけれど、シーナさんは明らかに引いていた。
私がイジメてるみたいじゃない。そう呟いて、シーナさんは口籠った。実際にシーナさんは私たち後輩、特に3年生の先輩を酷い目に遭わせてきたのに今更何を。そう思いつつも、下げた頭を上げない沙都子の手前、アタシたちも黙っている。
「わかったわよ、帰ればいーんでしょ!」
「そうは言ってません。本当に服を見たいなら、それを着るべき人が着た状態で見てもらった方が服本来の表情も出るんです。服だけじゃわからないことの方が多いんですよ。サドニナ、それ着てシーナさんに見せてあげて」
「えー!? だってこれダサい!」
「そういう風にオーダーしたのはサドニナでしょ」
うふふと笑って、沙都子はシーナさんを椅子に座らせた。そして始まるファッションショー。シーナさんは確かにアレな人ではある。だけどブランド物や服飾雑貨には多く触れてきている。その目で見てもらいたいという思いもあったのかもしれない。
決して過去の出来事を乗り越えたわけでも、吹っ切れたわけでもない。だけど、沙都子がシーナさんに与えた物が確かにあるのかもしれない。最初は警戒していた3年生の先輩も、今ではファッションショーを楽しんでいる。
「啓子、沙都子ってすごいね」
「うん。よくわからないけど、すごいと思う」
「啓子も衣装着てきなよ」
「私はまだいい」
「ボクが見たいんだ。いいかな」
end.
++++
奪う人がシーナさんなら、さとちゃんは与える人というイメージがある。シーナさんに立ち向かうさとちゃん回。
そして咄嗟にサドニナを抑え込む啓子さん、結構な力尽くだっただろうから後が大変だと思いました、まる(でも啓子さんにしか出来んやろなあ)
多分、恐怖や憎悪、嫌悪という感情を無意識に無にしていて、その存在を意に介さないことに成功したのではないかと。どうやってやったのかは多分本人もわかってない。
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