2016(03)
■工芸の後継者
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大学祭に向けた作業は日々加速していた。MMPでは金曜日にDJブースを、土日に食品ブースで中華風スープを出すことに決まった。そのブースの装飾を担当するのは我らが菜月さん。絵筆を握る手が頼もしい。
菜月さんの作業は曜日や時間を問わない。現に今日だって、本来は休日にも関わらず大学まで出てきて作業をしていた。たった一人、孤軍奮闘と言うのが相応しい。尤も、僕は前科がありすぎて菜月さんと同じフィールドには立たせてもらえないのだけど。
「こんなとき、パシれるのが会計っていうのはラクだな」
「それはどうも」
頼まれていた赤の絵の具を手渡すと、菜月さんは目の色を変えずに笑った。口角は微かに上がったけれども、目つきは真剣そのもの。僕はそんな彼女を見守り、必要とあらば買い出しに出て、時に話し相手となるだけの助手だ。
菜月さん曰く、絵の具を水でのばしすぎるとムラになりやすいし、かと言って厚く塗りすぎるとひび割れる。その加減が難しいんだそうだ。きっと、小学生の頃から図工は得意だったのだろうと窺わせる。
「ところで、昨日の番組収録はどうだったんだい?」
「青女にお呼ばれとかで、いつもより巻き気味だった」
「お呼ばれ?」
「大道具制作の手伝いらしい。ヒロが断れなくてナントカって言い訳してた」
「まあ、りっちゃん以外の2年生は青女の愉快な下僕たちだからね」
昨日から装飾は床に広げてあったんだぞ。アイツを待ってる間もずっとタイムテーブルを作ってた。待ってる間にタイムテーブルは完成して今度は店の看板に着手した。それっくらい待たされたのに、開口一番に「今日は青女へ――」と。
野坂の話をしているときの菜月さんは、少しムッとしたような空気だった。表情や目の色こそ変わらないけど、筆の運び方が少々荒い。青女の手伝いもいいけどうちのことも少し気にしろ、偏屈理系男め。そう言いたげな粗い筆先。
菜月さんの面倒なところは、一人で仕事をしたがるくせに一人だと荒れるところだ。完璧主義だから、能力の劣る僕なんかには筆を握らせない。だけど、話し相手は欲しいという我が儘。僕は菜月さんにこの作業を押しつけている立場上、この件に関する我が儘は受け入れるつもりではいるけれども。
「ふー……」
「菜月さん、一息入れたらどうだい?」
「そうだな。とりあえず、この赤が乾くまで休憩だ。あ、お前も退屈じゃなかったか?」
「ん、菜月さんの集中力は目を見張るよ。僕はいつ次の買い出しを頼まれてもいいようにスタンバっているのが仕事だからね」
「……ナンダカンダ、そういう気が回るのって圭斗だな。お前がいなきゃうちは今頃発狂してたかもしれない」
「ん、洒落にならないね」
菜月さんの作業光景を眺めているのが退屈しないのは本当だった。それこそ、テレビで見るような職人の姿がそこにある。僕はこの映像にナレーションを入れるような気持ちでその光景を眺めている。MMPの不安は彼女の後継者がいないということだ。
「こういう作業を、人目に隠れているワケではないかもしれないけれど、黙々と進めてくれる菜月さんには感謝しているんだよ」
「はいはい、どうも」
「あるのが当たり前、誰に感謝されるでもない作業だ。賃金が出るわけでもない」
「別に、感謝されたいワケじゃないし、何だろう、何だろうな、言葉が出てこない」
「そう言えば、グミを持っているよ。糖分補給にどうだい?」
「あー、嬉しい。でも圭斗から甘い物をもらえるとか、怖いな」
「ん、菜月さんにはまだもう少し働いてもらわないといけないからね」
僕たちが最前線にいるのもあと少し。あの日2人で交わした約束が守られたかどうかは終わってみなければわからないし、彼女がそれを覚えているかも聞いたことはない。だけど、彼女なら覚えているはずだ。
その約束を僕なりに意訳すれば、「互いを独りにしない」ということ。「2人で頑張る」というのはそういうことだと僕は思っている。だから、例え技術的に何も出来なかったとしても、心を支えることくらいは出来るはずだと信じて僕はここにいる。
「もう少ししたら乾くかな、赤」
end.
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学祭前の装飾は、菜圭の二人三脚感がちょっと強い感じがします。実際に作業をするのは菜月さんだけど、そんな彼女を支えているのは紛れもなく圭斗さんです。
というワケで休日返上、日曜日の作業。とは言えこの2人、2人だけでも、その場が沈黙でも割と間がもってしまうので苦ではないらしい。
おそらく菜圭は自分たちは今を踏ん張ってきたが、今後に何を残してこれただろうかと考えることのある2人だと思うので、一度やってみたい。きっと圭斗さんが答えを導いてくれるけど。
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大学祭に向けた作業は日々加速していた。MMPでは金曜日にDJブースを、土日に食品ブースで中華風スープを出すことに決まった。そのブースの装飾を担当するのは我らが菜月さん。絵筆を握る手が頼もしい。
菜月さんの作業は曜日や時間を問わない。現に今日だって、本来は休日にも関わらず大学まで出てきて作業をしていた。たった一人、孤軍奮闘と言うのが相応しい。尤も、僕は前科がありすぎて菜月さんと同じフィールドには立たせてもらえないのだけど。
「こんなとき、パシれるのが会計っていうのはラクだな」
「それはどうも」
頼まれていた赤の絵の具を手渡すと、菜月さんは目の色を変えずに笑った。口角は微かに上がったけれども、目つきは真剣そのもの。僕はそんな彼女を見守り、必要とあらば買い出しに出て、時に話し相手となるだけの助手だ。
菜月さん曰く、絵の具を水でのばしすぎるとムラになりやすいし、かと言って厚く塗りすぎるとひび割れる。その加減が難しいんだそうだ。きっと、小学生の頃から図工は得意だったのだろうと窺わせる。
「ところで、昨日の番組収録はどうだったんだい?」
「青女にお呼ばれとかで、いつもより巻き気味だった」
「お呼ばれ?」
「大道具制作の手伝いらしい。ヒロが断れなくてナントカって言い訳してた」
「まあ、りっちゃん以外の2年生は青女の愉快な下僕たちだからね」
昨日から装飾は床に広げてあったんだぞ。アイツを待ってる間もずっとタイムテーブルを作ってた。待ってる間にタイムテーブルは完成して今度は店の看板に着手した。それっくらい待たされたのに、開口一番に「今日は青女へ――」と。
野坂の話をしているときの菜月さんは、少しムッとしたような空気だった。表情や目の色こそ変わらないけど、筆の運び方が少々荒い。青女の手伝いもいいけどうちのことも少し気にしろ、偏屈理系男め。そう言いたげな粗い筆先。
菜月さんの面倒なところは、一人で仕事をしたがるくせに一人だと荒れるところだ。完璧主義だから、能力の劣る僕なんかには筆を握らせない。だけど、話し相手は欲しいという我が儘。僕は菜月さんにこの作業を押しつけている立場上、この件に関する我が儘は受け入れるつもりではいるけれども。
「ふー……」
「菜月さん、一息入れたらどうだい?」
「そうだな。とりあえず、この赤が乾くまで休憩だ。あ、お前も退屈じゃなかったか?」
「ん、菜月さんの集中力は目を見張るよ。僕はいつ次の買い出しを頼まれてもいいようにスタンバっているのが仕事だからね」
「……ナンダカンダ、そういう気が回るのって圭斗だな。お前がいなきゃうちは今頃発狂してたかもしれない」
「ん、洒落にならないね」
菜月さんの作業光景を眺めているのが退屈しないのは本当だった。それこそ、テレビで見るような職人の姿がそこにある。僕はこの映像にナレーションを入れるような気持ちでその光景を眺めている。MMPの不安は彼女の後継者がいないということだ。
「こういう作業を、人目に隠れているワケではないかもしれないけれど、黙々と進めてくれる菜月さんには感謝しているんだよ」
「はいはい、どうも」
「あるのが当たり前、誰に感謝されるでもない作業だ。賃金が出るわけでもない」
「別に、感謝されたいワケじゃないし、何だろう、何だろうな、言葉が出てこない」
「そう言えば、グミを持っているよ。糖分補給にどうだい?」
「あー、嬉しい。でも圭斗から甘い物をもらえるとか、怖いな」
「ん、菜月さんにはまだもう少し働いてもらわないといけないからね」
僕たちが最前線にいるのもあと少し。あの日2人で交わした約束が守られたかどうかは終わってみなければわからないし、彼女がそれを覚えているかも聞いたことはない。だけど、彼女なら覚えているはずだ。
その約束を僕なりに意訳すれば、「互いを独りにしない」ということ。「2人で頑張る」というのはそういうことだと僕は思っている。だから、例え技術的に何も出来なかったとしても、心を支えることくらいは出来るはずだと信じて僕はここにいる。
「もう少ししたら乾くかな、赤」
end.
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学祭前の装飾は、菜圭の二人三脚感がちょっと強い感じがします。実際に作業をするのは菜月さんだけど、そんな彼女を支えているのは紛れもなく圭斗さんです。
というワケで休日返上、日曜日の作業。とは言えこの2人、2人だけでも、その場が沈黙でも割と間がもってしまうので苦ではないらしい。
おそらく菜圭は自分たちは今を踏ん張ってきたが、今後に何を残してこれただろうかと考えることのある2人だと思うので、一度やってみたい。きっと圭斗さんが答えを導いてくれるけど。
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