2017

■紫煙の暖簾

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「隣、いいかしら」

 星ヶ丘大学の最寄り駅から1駅ほど行ったところにある焼き鳥居酒屋“玄”の暖簾をくぐり、いつもの席をキープしていたカーディガンの男の隣につける。チラリとこちらを窺ったその目は鋭く、殺気に満ちていた。

「何の用だ、宇部」
「プライベートで飲みに来ただけよ」
「いらっしゃいませ~。お通しです~。ご注文は~」
「5種盛りと生中を」
「少々お待ちくださ~い」

 この玄という居酒屋は洋平がアルバイトをしている店で、アパートの近所でもあることから朝霞は常連となっていた。カウンター席の一番奥。左肘がぶつかる心配もなくゆっくりとした時間を過ごせる場所がいつもの席。
 朝霞の左手には、痛々しく包帯が巻かれていた。朝霞を謹慎処分にしたあの日、怒りで壁を思い切り殴った結果がこうだったのだろう。重いジョッキを持つとさすがに痛むのか、右手で酒を煽る。

「朝霞。あなた、手は大丈夫なの。利き手でしょう。折れてないでしょうね」
「ギリギリ折れてない。打撲だ」
「そう」

 会話が続かない。そうこうしている間に私の手元にビールが届き、最初の一口を。そして、煙草に火をつける。これくらいで晴れるストレスではないけれど、何もしないよりは気が紛れるから。

「宇部、1本くれないか」
「あら。あなたに喫煙の習慣はないはずだけど」
「察しろ」

 朝霞に煙草を差し出して、火をつける。察しろと言われると、どうにも出来ない。朝霞の機嫌が良くないのは私が原因でしょう。これが部活中なら切り捨てられるけれど、プライベートはまた別だから。
 最初の煙を吐き出すと、朝霞は「そんなにいいモンでもないな」と煙草を持った手を再び口元に添えた。喫煙の習慣がないのだから当然じゃない、と思ったけれど、習慣がないだけで初めてではないことも知っている。
 前に朝霞が煙草を手にしたのは、去年11月。部活の代替わりで日高体制になってからのこと。朝霞班に対する待遇があからさまに悪くなり、荒れていたのだ。あのときもここで、今のように。あの時は、酷く噎せて涙目になっていた。

「はいメグちゃん、5種盛り」
「ありがとう」
「朝霞クン、タバコはもうおしまい」
「あっ、山口てめえ」

 朝霞の手から煙草を奪い、火を押し消しながら洋平が笑う。朝霞は文句を言っているけれど、洋平はそれをステージスターの笑みでもってかわすのだ。この件もあの時と同じ。

「い~い? 朝霞クンはただでさえレッドブル依存みたいになってるんだから、これ以上体に良くない物増やしちゃ良くないデショ?」
「煙草は半年に1回くらいだろ」
「ダ~メ。クセになっちゃったら抜けられなくなるから。ねえメグちゃん」
「どうして私に振るのよ」
「え~、察して~」

 確かに察するしかないのだけれど。未だ火のついている煙草を持っている時点で説得力が皆無なのはわかっている。そこまでのヘビースモーカーではないにせよ、抜けられなくなってしまっていることは否定できないから。

「……まあ、そうね。本数が増えてくればお金もかさむし、吸わないでいられるのなら吸わない方がいいわよ」
「大体飲み屋によく来てる時点で受動喫煙しまくりだろ」
「それは言わないお約束ジャないの~?」
「私はコメントを控えさせてもらうわ」
「朝霞クン、口寂しいなら俺持ちで軟骨の唐揚げ出すから! それで我慢して~! メグちゃんも食べるでしょ?」
「ええ。いただくわ」

 ラッキーだったな、と朝霞は笑みを浮かべた。私はそれに「パセリは食べていいわよ」と答える。レモンをかけるタイミングは各々で。先にレモンをかけるのは許せないというのが朝霞のスタンス。

「パセリと言えば朝霞、あなたセロリも好きだったわよね」
「そうだけど、どうした」
「セリ科の野菜が好きなのね。パクチーはどう? 好き嫌いが分かれるけど」
「普通に食う。つかどうした。育てる予定でもあるのか」
「研究に協力してくれるなら育てるわ。セロリの漬け物も結構美味しく出来るのよ」

 部に戻ればこんな風に談笑することもなかなか叶わないけれど、プライベートでは話は別。いつの間にか朝霞も普通に話をしてくれていたし、根本の原因が取り除けていなかったとしても、今日のところはこれでいいと思う。

「は~い、軟骨で~す」
「おっ、来たか。山口、生中追加で」
「私も」
「は~い、生中入りま~す」


end.


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謹慎中の朝霞Pと、監査宇部Pのプライベート。朝霞Pはクセの強い野菜がお好きらしい。調べて初めて知ったけれど、ニンジンもセリ科らしい。
水面下でああだこうだやってるこの3人がとても好きなのだけど、状況が状況だけになかなか一筋縄ではいかないんだろうなあ今回は。
唐揚げなどについてくるパセリは多分食べない人の方が多いと思うんだけど、朝霞Pはうまうまするよ!

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