2016(02)

■叶わぬ愛の逃避行

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 バタバタと足音が迫ってきたと思ったら、ドアが激しく開いて閉まり、その勢いのまま施錠される。何が起こっているのか理解出来ないうちに、オレの足元には黒い影。

「春山さん、何を」
「シッ、ちょっと匿え。私はいないことにしろ」

 この繁忙期に、人が慣れん受付業務をしている原因となっている人が何を言う。アンタの事情はどうでもいいから早く受付を変われと言いたいのだが、足首を捕まれて身動きが取れん。
 春山さんが足元で座り込んでいても、情報センターの業務は通常通りに行われている。そもそも、オレがここにいるということは自習室に他の誰かがいるという発想はないのか。閑散期ならともかくこの繁忙期に。
 今現在自習室にいるのは川北だ。このまま春山さんがここに立てこもる気でいるなら事務所に戻ることは出来ないだろう。せめて扉が封鎖されているということは連絡しておいた方がいい。

「いつまでそうしている気か知りませんけど、早いとこ代わって下さい」
「逃げきれてたら代わってやるよ」

 テーブルの下から、ギロリと凶悪な目が光る。別に、絶対に逆らえんというワケではないが、後々面倒なことになると考えると害がない限りこのままそうさせておいて満足させるのも手かもしれない。
 そんな風に考えていたときのことだ。背を屈めて受付を覗き込む男。結構な長身で、黒縁眼鏡。何より特徴的なのは“石川クン”のそれとは種類の異なる胡散臭さが滲む笑顔。

「こんにちは。芹ちゃんいますか?」

 芹ちゃんとは誰だったかと真剣に考えていると、テーブルの下で作られたバツ。交差された手がこの人の名前を思い出させた。そう言えば春山芹という名前だったな。

「センター利用であれば学生証を。そうでなければお帰り下さい」
「そうだね、じゃあ卒論でも書いてこうかな。カードキーくださいな」

 その男が受付名簿に学籍番号と名前を記している間、春山さんは息を潜めて微動だにしない。元々体格は小柄だ。狭いテーブルの下だろうとさほど苦しくはないのだろう。

「B-08です」
「はーい」

 男が自習室に入ったのを確認して、春山さんに1回そこから出て来いと声をかける。ひょっこりと、目だけをテーブルの上に出し、本当に男がいないのを確認して光の当たる場所に座り込んでいる。

「リン、お前馬鹿か」
「は?」
「自習室なんかに通したらセンターが閉まるまで粘られるじゃねーか」
「知ったこっちゃない。ならばこの隙にアンタが帰ったらいいんじゃないですか」
「リン、お前馬鹿か」
「は?」
「今月金ねーんだよ」
「知ったこっちゃない」
「夏休みを前にして金銭的余裕を作り出せないということは、帰省土産はなしでいいな」
「それは別件です」

 そもそも、何故あの男に追われているのかという話だ。別にどうでもいいが、今後のセンター運営に支障をきたすようなら面倒だ。どうせ春山さんが何かしたのだろう。
 B-08の男の学生証には国際学部とある。学科も春山さんと同じだ。そっち方面の知り合いだということはわかったが、この構成員を“芹ちゃん”などと呼ぶ神経構造は理解出来ん。

「まあ、あれは腐れ縁みたいなモンだな。同じゼミで、たまーにセッションしたりだな。ああ、アイツは軽音サーでドラムやってる奴なんだけど」
「ああ、音楽方面でしたか。で、何で追われてたんですか」
「私に似た可愛い娘が欲しいし今から作ろうっつって抱き着いてきやがったからスコアで顔面叩いてだな」

 開いた口が塞がらん。この世にはまだまだ理解出来んことがあるのだと知った瞬間でもあった。どうでもいいが春山さんはいるなら受付をさっさと変わるべきだろう、帰省土産のためにも、オレの精神衛生のためにも。


end.


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春山さんが何かから逃げているお話。ただ、春山さんがここまで必死に逃げるということは、何に追われているのかはお察しだし、リン様を巻き込むには時期が早いのでは…?
ちなみに春山さんは情報センタースタッフには珍しい文系のスタッフです。センターの利用者は割合で言うと文系の学生が多いと思われます。
秋になって春山さんの気紛れが発動したときにリン様がどういう顔をしてくれるのかが楽しみですね!!!

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