2016

■小麦粉とパンドラの箱

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「うーす」
「あ、高崎クンおはよ」
「今日は来てんのか」
「まあ、たまにはね」

 ごくごく普通に授業を受けに行くと、見慣れない女がいた。授業をサボるのが当たり前になっている宮ちゃんが、俺より早く教室にいるという事実にビビる。奴は誰と授業を受けるでもない。その隣に陣取る。
 授業が始まるまでにはまだもう少し余裕がある。わらわらと、少しずつ増えてくる学生が思い思いの行動を取る。スマホを触ってみたり、読書をしてみたり。友達同士の場合は俺と宮ちゃんのように話していたりもする。

「高崎クン今家に食パンある?」
「食パン? さっき食いきったけど、どうした」
「はい、よかったらこれ」
「……食パンだな」
「高崎クン5枚切りだよね。食べて食べてー」
「おう」

 まだほんのりあったかいそれを、どこにしまえと言うのか。それに、焼きたてのパンのいい匂いが袋越しにも漂ってくる。焼きたてということは伊東の犯行だろう。まさか宮ちゃんにパンが焼けるはずもなく。

「つか、どうしたんだこれ」
「話すと長くなるんだけど、最近カズ、ちょっと荒れててね。ピリピリしてたって言うか。あっ、今は大分落ち着いたみたいなんだけどね」

 伊東が荒れていた原因には少し心当たりがある。それはMBCCでも言われていたことだ。ここひと月くらいの伊東は、向島の三井にじわじわと精神を削られていたのだ。それはまるで呪いのように。

「こないだイライラがピークに達したみたくて、無心でクッキーを大量に作り始めて」
「クッキー? ストレス解消にか」
「焼き時間でうどん打ち始めたり」
「やることがいちいちハイレベルだな」
「このパンはその延長。小麦粉が安かったときに買い溜めしてあったんだけど結構使っちゃったよね」

 ストレス解消にうどんやパンを作り始めるというのもよくわからないのだが、それで伊東が落ちついたとするならそれはそれでよかったのだろう。食べる当てもなく作った物らを配り歩くのもなかなかの重労働なはずだ。
 伊東が作った物だけにこのパンにしてもクッキーにしてもうどんにしてもハズレはない。むしろ美味いと確信を持てる。家で食パンを2枚食ってきたはずなのに、今食わねえとベストなタイミングを逃す気がする。

「そんで伊東はピリピリしてんの収まったのか」
「このパンとは別の最初のパンのときにね。朝、食パンの焼ける匂いが漂ってきて、それを水仕事しながら感じてると何かイライラの原因とかどーぉでもよくなっちゃったって」
「そうか」
「カズがパン焼けたぞって起こしてくれたときにはもういつも通り。すごいね、焼きたてのパンって」

 伊東がピリピリしていた原因を知っている俺から言わせれば、パンの匂いとか穏やかな朝だけじゃない。その中に宮ちゃんがいたからこそ何もかもがどうでもよくなっちまったんだろう。

「で、イライラして高崎クンにも迷惑かけちゃったからって、この食パンは謝罪の菓子折りとかそんなヤツ」
「それならガチで焼きたてのヤツをよくあるハニートーストみてえにして食いたかったぜ。上にバニラアイス乗っけてよ」
「あっそれ最高! やってもらおうよ。授業終わったらカズの部屋来てよ高崎クン」
「言ってすぐ出来るモンか?」
「それをやるのがカズだから。最早接待のプロよ?」

 そうこう話している間にチャイムが鳴り響く。忘れかけていたけど、授業前だった。つかこの食パンはどうする。……とりあえず耳だけちょっとちぎって食うか。うん、うめえ。やっぱ焼きたてはちげえな。

「あとね高崎クン、クッキーもいっぱいあるから」
「つかお前それサークルに持って来させろ。言っとくがどんなに作りすぎても俺らなら瞬殺だ」


end.


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小麦粉の魔術師と化しているいち氏、これまでのあれこれで溜まった鬱憤を全て小麦粉にぶつけた模様。自分がヤケ食いするとかではないらしい。
そらな、MBCCなら瞬殺ですよねー。高崎本人も結構食べるけど、果林とかいう四次元胃袋がいますし……
ガチで焼きたてのヤツをよくあるハニートーストみたいにして食べたかったとか高崎の発想が時々可愛いヤツ

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