2025

■ベースはフィジカル

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「鬼ー! おじー! かわいいきぬをイジメて楽しんでるー!」
「おじ言うな」

 奏多先輩と、きぬと、3人で夏合宿前の練習に来た。合宿直前に班のメンバーが揃わないのはちょっと不安だけど、いるメンバーでやれることをやらないといけないって奏多先輩が言ったのには、そうだなあって思う。俺とペアを組んでいるちとせ先輩も今日はお休みだけど、人がやっているのを見るのも大事なこと。
 ……で、きぬと奏多先輩がひたすら実践練習を重ねてるんだけど、奏多先輩の指導は厳しい。15分の番組を通す度に、きぬが意地悪ーと奏多先輩に向かって叫んでるんだけど、奏多先輩は驚きもしないし容赦もしないし、一通り叫びを受け止めたら次やるぞってきぬを座らせる。

「お前が意識的に直さなきゃいけないのは動きと姿勢だ」
「姿勢ぃ~?」
「星ヶ丘のステージは手持ちマイクで自分の好きな距離感で喋れるが、インターフェイスのラジオはそうじゃない。まずお前が姿勢を正して椅子に座る」
「はぁ~い」
「足の裏まで床に着けろ。で、背筋を伸ばす。顎引いて」
「窮屈ー! ヤダーッ!」
「ヤダじゃねえ。こりゃ番組の練習以前に1時間でも2時間でもこの姿勢で耐久させるしかねえなァ」
「えっ!? もっとヤダ!」
「正しい姿勢で座ってマイクスタンドの位置を合わせて、やっとゲインを合わせることが出来るんだが、お前はステージの癖なのか性格的なモンなのかは知んねーが動き過ぎる。その動きがデカ過ぎてマイクが声を拾わなくなっちまってんだ」

 奏多先輩の指示で、1メートル定規と紐を手に持っておく。きぬの姿勢が崩れてきたら背筋が伸びるように固定して縛り付けるぞ、とのことらしい。さすがに脅しだと思うけど、確かにきぬの動きは縛っておかなきゃ矯正できないな、とも思ってしまう。
 確かに技術指導としては少し厳しいのかもしれない。だけど、マイクの前に座るときの姿勢というのは多分アナウンサーにとっては基礎だと思う。イメージとしては春風先輩かな。ああいう感じでスッと背筋を伸ばした方が、声も出やすくなるんだろう。

「えーん、元気で動きの大きいところはきぬのいいところだって褒められるのにー」
「星ヶ丘では、の話だろ」
「そうですけどぉー」
「ラジオっつーのは基本声のメディアだ。公開番組の体だとしても、動きじゃなくて声での表現力が求められる」
「言ってることが難しいよー」
「じゃあここで例えなんだが、お前の普段のトーンで怪談をするとしよう。元気でバカっぽい怪談の何が怖いんだっつー話だ」
「失礼ー!」
「同じ怪談をツッツがしたとする。ちょっとボソボソはしてるが、おどおどとした、不安そうな雰囲気が声に乗ってる」
「つっつん! ちょっと怖い話してみて!」
「えっ…!? きゅ、急に言われても……」
「ああ、そりゃいいや。ツッツ、適当な怪談ネットで探して何行か読んでみろよ」

 急に話が飛んで来て、困った。だけど、やらないときっと話が前に進まない。適当な怪談を検索すると、ショートホラーというジャンルの物が見つかったので、それを読む。十年前に廃校となった小学校に……と。

「ぴたん、ぴたんと水気のある音がする。何だろうなと思って振り返ると、何もない。音も止まる。気のせいかな、と、歩き出すと、ぴたん……ぴたん……と。おかしい。それまで自分が歩いてきた廊下は乾いていて、水溜まりなんてなかった。それなのに、後ろからの音は水気が」
「ももももういいつっつん! やめよう!」
「ノリで読ませてみたけど地味に雰囲気あんだよな。このサークル棟の3階で夜中に百物語とかやったらお前間違いなくMVP取れるぜ」
「お粗末様です」
「お前、今のツッツは見てたろ? 本人は微動だにしてなかった、にも関わらずちゃんとホラーな雰囲気になってただろ。お前に必要なのはこーゆー表現力よ」
「わかりました~!」
「じゃマイクの前に座るところからな」

 改めて、きぬの姿勢を改善するところから。床に足を着けて、椅子に深く腰掛け、背もたれは使わずに。顎は引く。イメージとしては、頭のてっぺんから糸で吊り下げられているような感じで。そこから奏多先輩がマイクスタンドの高さを調整して、口元とマイクまでの距離を拳1個分に合わせる。

「これが基本姿勢な。まずはこの姿勢を5分キープ。たった5分だぞ。これが出来ねーと番組なんかやったところでまともに聴けたモンにならねーからな。ツッツ、定規と紐」
「は、はい」
「ヤダーッ! つっつんがそんなのチラつかせてきたら拷問にしかならないーッ!」
「ご、拷問…?」
「拷問を回避するためにも姿勢をキープしねーとなァ」
「鬼ーッ!」
「番組中に身振り手振りは自体は別にしてもいいが、何があっても口元とマイクまでの距離は死守しろ。変に角度もつけんなよ。正面だ、正面。まっすぐ座ることもマイクに声を安定的に乗せる為の技術だ」
「ひーっ」
「つかお前、まっすぐ座ってらんねーってことは、腹に力入ってねーんじゃねーか? お前のそのバカデカい声も実はノリと勢いだけのモンで、腹式呼吸が出来てない可能性も出てきたなァ。ツッツ、ウチの発声練習じゃ鬼軍曹が腹に力入ってっか一人一人の腹筋チェック入れるもんな」
「ですね」
「これ5分終わったら発声やって軽い筋トレやるか。今からでも軽く体幹鍛えんのと鍛えないのとでもちょっとは変わるだろ」
「筋トレ!?」
「ここ来るときにきぬは若いから体力あるんだよーって言ってただろ。それくらい楽勝だよなァ。なあツッツ」
「そんなに厳しくないよ、大丈夫だよ」
「ウソだー!」
「どっちにしても発声はマジでやるぞ。これやるのとやんないのとでもマイクの設定変わるんだからな」


end.


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フェーズ3のMMPは発声練習もストレッチもちゃんとやってるのでミキサー含め声はちゃんと出てそう。ツッツは知らん。
じゃじゃ馬のきぬに対して一切の容赦がないのはさす奏。
この話の隠し味は奏多の鬼軍曹発言をツッツが否定しないところです

(phase3)

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