2025

■知らない労働事情

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「あー、盆明けがどんな風になるのか想像しただけで吐きそうだぜ」
「越野、それはお酒が入って気持ち悪いとかじゃないよね?」
「ちげーよ。事務所でも盆明けからしばらく忙しいぞってみんな脅してくんだぞ。どんだけ恐ろしいことになんのか想像も出来ねーし、今こうやって飲んでるのが嵐の前の静けさと言うか」
「盆明けからは確かに毎年忙しくなるけど、それでも何とかなるから大丈夫だよ。今年は新卒がいる分社員も増えてるし」

 高崎クンたちが毎年玄でやってるいつメンの飲み会にひょんなことから誘われて、6人での飲み会になっちゃった。俺を誘ってくれたのは拳悟クンだったんだけど、彼は明るくて賑やかなのが好きな人だから何となく分かるな~。会場も玄だから俺がいる方がいいなーっていうのはちょっと嬉しく思ったり。
 他には越野クンが同僚の大石クンを誘って、たまたまご飯を食べに来た朝霞クンと、今日の集合時刻前に来てた高崎クンがバッタリ会って何か相席することになって6人の形に。だけど同学年ばっかりの楽しい席になると朝霞クンは楽しくなっちゃってピッチが上がる上がる。高崎クンに粗相をした上に酔い潰れるっていう。で、現在に至る。

「他の業界の話は全然聞かねえが、お前らんトコはこれから繁忙期か」
「うん。これから棚卸があって、9月は取扱い製品の販売元の中間決算とか、ダウン出荷の最盛期に入ったりして、その流れで10月半ばくらいまでは忙しいかな」
「現場がとにかくクソ暑いから、マジで生死に関わる状況で早出残業が出てくるだろ。体力勝負なんだよ」
「クソ暑いってどれくらい暑いんだよ」
「大石、B棟2階の気温を多分冷房で快適そよそよの環境の中で働いてる連中に言ってやれ!」
「俺が担当してる持ち場は高いときで45度以上になるけど、大半の人が働く場所は40度ちょっとくらいだからそこまで驚く程ではないよ」

 これにはさすがに全員「ヤバッ」と声が出た。高崎クン、拳悟クン、それから俺は全員屋内作業で冷房がかかった環境での仕事だ。俺の職場は一応火を扱う厨房とかがちょっと暑かったりするし体も動かすけど、さすがに40度が基本っていう環境じゃない。美容院の拳悟クンと、お役所の高崎クンも基本は涼しいところで仕事をしてるっぽい。

「あれっ。でも越野って確か事務職じゃなかったっけ?」
「あ、そうだ万里。お前確かシステムで採用されてるはずだろ。ナニ現場の暑さをドヤ顔で語ってんだ」
「確かに俺はシステムで採用されて現場研修が終わったら涼しい場所で仕事が出来ると思ってたさ! でもな、俺は稀代の便利屋、半分現場半分事務所で仕事してっから十分現場の暑さを語る資格はある! なあ大石! お前が溜めてる返品とか戻してやってるもんなあ!」
「あ、うん、そうだね。越野は事務の仕事も現場の仕事もやって本当に凄いよ」

 半分事務所半分現場の仕事をするようになったのは会社の先輩の鶴の一言からだったとか。アイツは筋がいいから事務だけやらせとくのはもったいないぞって。それでフォークリフトの練習も少しずつ始めてて、この繁忙期が過ぎたら本格的な講習を受けてくるとのこと。

「よく考えたら全然知らない業界っつったらお前んトコだろ高崎。飲み屋とか美容院とかは行ったことあるし何となくイメージ出来るけど」
「あー! 確かに! 星港市職員ってなかなか周りにいないし、お客さんでも会ったことないね! 洋平クン、そういうお客さん会ったことある?」
「いや~、なかなかいないでしょ~」
「そうだよね!」
「いや、言って伊東だって星港市の公務員だし似たようなモンだろ」
「星港市交通局はまだ市民に身近だろ」
「でも、高崎クンがどういう仕事をしてるのかっていうのは気になるよね~、でしょでしょ~」
「現状そんな大したことはしてねえぞ」

 星港市職員になるっていうのは本当に大変なこと。大学でも公務員になりたい人向けの講座は開かれてたけど、星港市は規模が規模だけに狭き門だし、よほど優秀じゃないと入れないっていうイメージは強い。高崎クンが公務員になったって聞いた時は本当に驚いたけど、性格とか印象的に意外性はなかったかな。

「2年目までは実習が多いんだ。俺も実際盆明けとか今月下旬? それくらいから福祉施設に実習に行くことになってて」
「それはどういう目的で?」
「人権意識を付けさせるんだと」
「高崎クンと福祉か~。あんまり印象にないかも~」
「俺はイケそうだと思うけどね」
「おっ拳悟、幼馴染みマウントか?」
「マウントは取ってませーん。でも高崎って実際今もじいちゃん子ではあるっしょ?」
「あ? ンなことがあってたまるか」
「高崎って盆正月でも実家には全然帰んないんだけど、おばあちゃんの墓参りだけはしっかりやっててね」
「拳悟、喋りすぎだ。お前も黙らして転がすぞ」
「このように頑固で強情で照れ屋なのもじいちゃん似」

 ゴッと鈍い音を鳴らして高崎クンが拳悟クンを小突くけど、それがまさに頑固で強情で照れ屋を表してるよね。そのルーツを知ってるのも越野クン風に言えば幼馴染みマウント、親友マウントかな。高崎クンが素直な感情表現が苦手なのを分かった上で全部受け止めてる拳悟クンの器はねえ、俺も見習いたいよね。……と、さっき転がされたモノに思う。

「山口はどういう感じで働いてんだ」
「俺はね~、イメージはみんなが見てるああいう感じだけど、独立開業が目標だから、マネジメントの勉強とかが楽しいネ」
「独立開業な」
「1回玄の、この店の外の世界を見て来るっていうのが大将との約束だからね。外でしばらく勉強して、目処が付いたらまた戻ってきて修行して、独立開業。まあ、10年くらいで出来ればって感じ」
「長期的なビジョンには素直に感心する。地味にリアリストだもんなお前」
「自分の店を持ちたいっていうのは高校でサッカー辞めてから考えてたことだからね。俺が自分の店を持ったらそこでいつメンの会をやってください!」
「いいねいいね、その時はよろしく!」
「本当に持てたらな。いい酒と飯用意しとけよ」

 俺たちはまだまだ駆け出しの社会人だけど、それぞれの働き方やビジョンがあるんだなっていうのがわかったのはいい話だったな~って感じ。強いて言えば朝霞クンの話も聞きたかったけど、朝霞クンとはまた今度サシでゆっくり話す機会を作ろう。この人の話をちゃんと聞こうと思ったら、多分1時間や2時間じゃ足りないだろうからネ。


end.


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いつメンの会コアラすやすやの後。

(phase3)

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