2024

■憧れの能力

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「ねえ伊東さん」
「どしたのカオちゃん」
「結婚して1年経つじゃん」
「そうですねえ」
「旦那さんに対する不満みたいなのって出てきた?」

 その旦那も俺からすれば友達だけに、どういう人間なのかはある程度知っている。その上で結婚をして一緒に暮らしていると関係性はどうなっていくのかを聞くのは、人間関係というものの変化を見るという意味合いの研究や趣味のようなものだ。
 結婚する前はどんなに仲が良くても、実際結婚をすると価値観の違いのような物が浮き彫りになってくることも少なくないだろう。そういったものがここの夫婦にはあるのだろうかという興味関心だ。俺が普段彼女に提供している話題の代わりに聞かせてもらいたいところ。

「そうねえ。今のところ特にないかな」
「あ、やっぱ伊東さんトコはそうなんだ」
「ネットとか情報番組とかだと不平不満や殺意に溢れてるけど、うちは今のところ良くしてもらいすぎてるくらいだし、不満はありませんよ」
「素晴らしいことです」
「どや」
「いやはや、素晴らしい。俺もいつかはそういう家庭を築きたいものです」

 とは言え今は結婚だとか家庭だとかは全くイメージがないのでいつになるやら。口先だけじゃない真の結婚願望が芽生える日は来るのだろうか。だとしたら仕事と趣味に対する理解をしてもらわないといけないけど、俺に対する不平不満の代表格がまずそれだよなあ。

「あっ! 思い出した!」
「ビックリしたあ。何を思い出したの?」
「カズへの不平不満!」
「えっ、あるんだ!?」
「だからそれを思い出したの! とびっきり強烈なヤツ、あるよ」
「へえ、あるんだ。聞かせてもらっても?」
「いいよ。何だったらカオちゃんも被害に遭ってるかも」
「え、俺も?」

 俺もカズには良くしてもらってばかりいるので不平不満を抱くなど烏滸がましいのだけど、カズの何の被害に遭っているのだろうか。今の俺には全く心当たりがない。

「カズって、結構な方向音痴なんですよ」
「あー、そうだな。地下とか歩かせたら終わりなイメージがある」
「だから学生の頃とか住むマンションは大学からもスーパーからも一本道になるところを選んでて。ちなみに今も主要施設には一本で行けるんだけど」
「はー、確かに。言われてみればあんまり曲がる必要ないなと今気付いた」
「それで、買い物して来るよって言って、お店ハシゴするじゃん。大通りに出て確実な道で行けばいいのに「こっちの方が早い」って言って変な道通って迷子になってさあ、冷凍食品溶かしたり一通無視で捕まったりはザラ」
「あー、はいはい」
「車にナビがあるうちとか神級方向感覚の高崎クンなら細い道を使う方が本当に早いの。でもカズはそれをやっちゃダメなの! 超弩級の方向音痴なんだから大通りに出てって何度言っても出ない! それが唯一の不満です」
「確かにカズの場合は急がば回れだよなあ」
「でしょ!? 待ち合わせに遅刻するのだって道がわかんなくなって彷徨うのが理由の第1位なんだから」
「あーはいはい! 定例会もそれで微妙な遅刻を繰り返して圭斗がブチ切れてた! 懐かしー」
「ね? カオちゃんも知ってた」
「うんうん、カズは俺の知ってる中で一番の方向音痴だ。アイツは欲掻いちゃダメだ」
「だよねえ」
「ですね」

 カズの方向音痴に関してはマジで救いが見当たらないという話は学生時代、定例会メンバー内でもそういう話をしていた。カズの性質の悪いところは方向音痴のクセにナビを信用しないところだ。アイツはナビよりも自分の方向感覚や勘の方が正しいと思って走り出す。やはり嫁さんも問題視はしてたんだな。

「ほら、カズは高崎クンに憧れてるからさ」
「高崎に?」
「高崎クンて、一度走った道は大体すぐ覚えるし、ピザ屋でバイトもしてたから地図読むのもすごく上手くて」
「確かにカズとは対極だな」
「憧れつつ意味わかんないって半分キレてるような感じ。でも神ってそういう対象になるよね。絵にしても文章にしても神って上手すぎて意味わかんないもん」
「そういや俺も高崎に意味分かんねえって逆ギレされた事柄はある」
「え、そうなんです?」
「ほら、俺ってたまに新幹線の中から仕事し始めたじゃん」
「そうですね」
「乗り物の中でパソコンを見て仕事してるのがアイツからすれば意味わかんないらしい」
「ああー、高崎クンて箱物の乗り物総じてダメだもんねえ」

 この間、奴と2人で鍋をしてたときにそういう話になって、新幹線の車内で仕事すると言ったときには化け物を見るような目を隠さなかったもんな。アイツは酷く酔うという理由で箱物の乗り物には一切合切乗れないらしいので今でもビッグスクーターが主な移動手段らしい。
 俺であれば少しでも仕事や趣味の物書きを進める新幹線の移動時間だけど、アイツみたいな人は少しでも体を休めていないとその後の活動がままならなくなるというのが本当に可哀想だ。こればかりは体質の問題だし、どうにもし難いんだろう。
 もしも俺が仕事抜きで電車旅とかをするなら酒を飲みながらゆっくり、的なことも視野に入るんだろうけど、酒に弱いのでそれは夢だ。高崎くらい酒が飲めればそれも出来るんだろうけど、アイツは電車で酔うので問題外。飲み旅しながら温泉とか、いいなあ。

「これでカオちゃんがカズに対して意味わかんないところを見つければ三竦み完成だね」
「つか、嫁さんの同僚の男にも弁当詰めてるの、割と意味わかんなくね? あと水回り関係。俺ほとんど自分で料理しないしさ。高崎との鍋の時もどういう鍋にするっていうところでまずケンカになったし」
「はい三竦みかんせーい。ところで、ケンカの内容って?」
「アイツはカズの鍋、俺は山口の鍋がベースにあるから、ダシの取り方とか具の揃え方とか煮方? みたいなことは知ってるだろお前がやれ、みたいな醜い応酬」
「ほう。それでどうなったの?」
「大人しく市販のスープを使おうぜっつって。具も適当に煮て「食ってる?」とか「飲んでる?」みたいな気遣いもなく互いが好きなように飲み食いするだけの」
「それはそれで男子の会のリアルですね、ごちそうさまです」
「いやはや。こちらこそ結婚1年で生じた不満の件はごちそうさまでした。いや、今生じたんじゃなくて前々からあったのか」
「そうね。知ってはいた。でも、我ら人間の話こそが最大の糧なり」
「糧なり」


end.


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高崎とPさんの鍋の話はまだ明らかになっていないけど、ケンカの様子は見たい
いち氏のプチ遅刻に圭斗さんがブチ切れてた話も懐かしい
道に迷って冷凍食品溶かしたり警察のお世話になったりするいち氏の話もあったなあ

(phase3)

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