2024
■ひとかけの時間
++++
「よう」
「おう」
先月ひっそりとオープンしていたケーキ屋で高崎と落ち合う。うちから徒歩圏内にあるこの店は、店主の若い男性が1人で切り盛りしていて、規模としてはあまり大きくないし品数も多くない。だけどケーキの味自体はめちゃくちゃ美味いので、散歩がてらふらりと立ち寄るようになっていた。俺はテイクアウト専用の焼き菓子、特にダックワーズがお気に入りだ。
この間、飲みの席でやらかしたことに対するお詫びということで、ちょっといい肉を高崎に振る舞わせてもらった。新卒社会人でも頑張れば行けるグレードだけども、それでも肉の食い応えや味は申し分ないという店を塩見さんに紹介してもらったんだ。さすがは塩見さんの紹介、高崎にも満足してもらえたようでちゃんと詫びれたと思っていいだろうか。
その席で少しこの店について話してたんだ。俺と高崎の家は距離的にはそこまで離れてなく、地下鉄で2駅分ほどだから一応は徒歩圏内だ。コイツは学生の頃、緑ヶ丘大学のある豊葦に住んでいた。当時は豊葦のカフェというカフェを回ってケーキやコーヒー、それから軽食のあるところではそれらを楽しんでいたらしい。カフェやケーキ屋の話に対する食い付きは強かった。
「本当にほっそい路地裏の小さい店だな」
「あんまり大々的に宣伝はしてないらしいし、俺もオープン前にこの道を通って知ってさ。開店準備が少しずつ進んでいく過程を見ながら楽しみにしてたんだ。で、いざ店が開いてケーキを食ったら美味いのなんの。以来お気に入りだよ」
「へえ、楽しみだ」
如何せん小さな店なので、イートインスペースがあるとは言っても席数は少ない。それでも店のケーキに合うこだわりの紅茶やコーヒーを用意してもらえているので隠れ家カフェ感を味わうには持って来いだ。と言うか、この規模の店で大々的に宣伝なんかしてしまったら店主1人で回すには厳しくなるんだろう。
俺はチーズケーキを、高崎はテリーヌショコラを注文。飲み物は、いつも俺はケーキに合わせて最適な物を出してもらっている。今日は深煎りのコーヒーだ。高崎はブラックコーヒーが飲めないらしいので、甘みがあってミルク感があるとなお良いという注文の仕方をしていた。出て来たのはミルクコーヒーだ。
「この店のケーキって、全体的にギュッと詰まってる感じでさ。一口が小さくても口の中にめっちゃ広がるんだよ」
「俺は重い軽いで言えば重い系が好きだから、ショーケースに並んでるの見て期待大だなってすぐわかった」
「おっ、さすがカフェ巡り上級者」
「っつってもコーヒーの味がわかるとかじゃねえぞ」
「なんかさ、こういうケーキとのペアリングっていうの? ケーキに合うコーヒーひとつとってみても塩味がどうの、酸味がどうの、だからコーヒー豆はこれを選んでどれくらい煎って、フィルターの素材やらお湯の温度があーだこーだって、知識とこだわりを持ってストイックに追及した結果なんだろうなとは思う」
「そういうので思い出すのはよ、石川が秋冬になって高いチョコレートをひと欠片ずつ舐め溶かしてテイスティングするんだよ。最初にこの香りが広がって、味はこうで、香りがどう変わって、後味がどうしたこうしたって分析してんのな。産地がどこだからこういう傾向で、っつって」
「俺、石川君てあんま話したことないんだけど、星大生っぽいと言えば星大生っぽい?」
「お前石川と絡む機会そんななかったか。……って、そうだよな。俺もお前とは当時ほとんど絡んでなかったし。元を辿れば飯野の所為だ」
「ははっ、確かに。シンのおかげだな」
俺はインターフェイスの行事にもフル出席はしてなかったし、定例会メンバーは知っているけど対策委員だったメンバーとはあまり顔を合わせる機会もなかったので、山口から聞いた話が主な情報源だった。対策委員だった当時は議長サンが~的な愚痴っぽい話もちょっとあったことを思い出す。後に、山口の自己分析の結果、俺へのフラストレーションがなっちに向かっていたと言われた時には2人に若干の申し訳なさを覚えたりもした。
高崎のする石川君に関する話には続きがある。彼が言うには、チョコレートはもちろん素材がいいことも大事だけれども、その素材を上手くチョコレートにする技術が何より大切なのだと。素材が良くても技術が伴わなければその良さを引き出すことが出来ないのだという。なるほどなと思った。それはチョコレートだけでなく、ここのケーキにも、俺たちの仕事にも通じる話なのだなと。班員が良くても台本が伴わなければいいステージにはならない。放送部時代風に言えばこうだろうか。
「おっ。いい匂いだし、美味そうだ。いただきます」
「いただきます」
「あー……確かにこりゃ美味い」
「だろ」
「時間をかけてゆっくり食いたいケーキだな。一口の余韻が長い」
「そうなんだよ」
「ああそうだ、忘れるトコだった」
「ん?」
「朝霞、これ月末に宮ちゃんに渡してくれ」
「月末? 30日か」
「29日に出勤がダブってりゃそこが一番いいんだが、そうじゃなきゃその前後にでも。29日、宮ちゃんの誕生日だからよ。適当な焼き菓子」
「あ、そうなんだ。わかりました、預かります。えっと、お日持ちは大丈夫ですか?」
「ああ。11月アタマくらいまでは大丈夫なことは確認してある」
「了解しました」
こういうところが結構義理堅いんだよな、コイツ。シンのゴミクズレポートの手伝いをしてるって聞いた時から思ってたけど。そして結構な重量感の紙袋をしっかりと預かる。責任重大だ。
「そうか、そしたら俺もこないだもらってるし何か用意するかあ。カズにも世話になってるし、2人でつまめる物とかがいいかな」
「あー、久々に伊東の作ったモン食いながら飲みてえな」
「カズだったら言えば作ってくれるんじゃないか?」
「それがわかってるから逆に言いにくいんだ。出してくるモンのグレードが高すぎる割に全然対価を取ってこねえだろ」
「あ、わかる。弁当サブスクの料金設定のときもそれで結構揉めたから」
「よっぽどアイツが戦いに飢えたときには喜んで呼ばれるけど、それ以外でフラッと飯食わしてくれとは言えねえな、なかなか。その点は金銭で契約してるお前が羨ましい」
「って言うか戦いって何だよ」
「MBCCでやってた無制限飲みは、アイツにとっても台所をどれだけ効率よく回せるかの戦いだったんだぞ。主に俺と果林に食われる前に次のつまみを出せるかどうか、的な」
「お前と果林に食われる前に次を出す!? 素人なりに字面からその戦いのヤバさは理解した」
「4年になって実家に戻ってからは、そのヒリヒリした感じを味わいたくてたまに発作起こすようになったんだと」
「あーうん、やっぱカズの弁当には相応の料金を払うべきだな! いい物には相応の金を払おう。善意に甘えた結果その人が続かなくなるんじゃダメだ」
end.
++++
フェーズ3になってからはご無沙汰のイシカー兄さん、現在はリン美奈と同じく星大の大学院生です。
主題は慧梨夏へのプレゼントを預ける件だったのにおまけになるのはナノスパあるある。
(phase3)
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「よう」
「おう」
先月ひっそりとオープンしていたケーキ屋で高崎と落ち合う。うちから徒歩圏内にあるこの店は、店主の若い男性が1人で切り盛りしていて、規模としてはあまり大きくないし品数も多くない。だけどケーキの味自体はめちゃくちゃ美味いので、散歩がてらふらりと立ち寄るようになっていた。俺はテイクアウト専用の焼き菓子、特にダックワーズがお気に入りだ。
この間、飲みの席でやらかしたことに対するお詫びということで、ちょっといい肉を高崎に振る舞わせてもらった。新卒社会人でも頑張れば行けるグレードだけども、それでも肉の食い応えや味は申し分ないという店を塩見さんに紹介してもらったんだ。さすがは塩見さんの紹介、高崎にも満足してもらえたようでちゃんと詫びれたと思っていいだろうか。
その席で少しこの店について話してたんだ。俺と高崎の家は距離的にはそこまで離れてなく、地下鉄で2駅分ほどだから一応は徒歩圏内だ。コイツは学生の頃、緑ヶ丘大学のある豊葦に住んでいた。当時は豊葦のカフェというカフェを回ってケーキやコーヒー、それから軽食のあるところではそれらを楽しんでいたらしい。カフェやケーキ屋の話に対する食い付きは強かった。
「本当にほっそい路地裏の小さい店だな」
「あんまり大々的に宣伝はしてないらしいし、俺もオープン前にこの道を通って知ってさ。開店準備が少しずつ進んでいく過程を見ながら楽しみにしてたんだ。で、いざ店が開いてケーキを食ったら美味いのなんの。以来お気に入りだよ」
「へえ、楽しみだ」
如何せん小さな店なので、イートインスペースがあるとは言っても席数は少ない。それでも店のケーキに合うこだわりの紅茶やコーヒーを用意してもらえているので隠れ家カフェ感を味わうには持って来いだ。と言うか、この規模の店で大々的に宣伝なんかしてしまったら店主1人で回すには厳しくなるんだろう。
俺はチーズケーキを、高崎はテリーヌショコラを注文。飲み物は、いつも俺はケーキに合わせて最適な物を出してもらっている。今日は深煎りのコーヒーだ。高崎はブラックコーヒーが飲めないらしいので、甘みがあってミルク感があるとなお良いという注文の仕方をしていた。出て来たのはミルクコーヒーだ。
「この店のケーキって、全体的にギュッと詰まってる感じでさ。一口が小さくても口の中にめっちゃ広がるんだよ」
「俺は重い軽いで言えば重い系が好きだから、ショーケースに並んでるの見て期待大だなってすぐわかった」
「おっ、さすがカフェ巡り上級者」
「っつってもコーヒーの味がわかるとかじゃねえぞ」
「なんかさ、こういうケーキとのペアリングっていうの? ケーキに合うコーヒーひとつとってみても塩味がどうの、酸味がどうの、だからコーヒー豆はこれを選んでどれくらい煎って、フィルターの素材やらお湯の温度があーだこーだって、知識とこだわりを持ってストイックに追及した結果なんだろうなとは思う」
「そういうので思い出すのはよ、石川が秋冬になって高いチョコレートをひと欠片ずつ舐め溶かしてテイスティングするんだよ。最初にこの香りが広がって、味はこうで、香りがどう変わって、後味がどうしたこうしたって分析してんのな。産地がどこだからこういう傾向で、っつって」
「俺、石川君てあんま話したことないんだけど、星大生っぽいと言えば星大生っぽい?」
「お前石川と絡む機会そんななかったか。……って、そうだよな。俺もお前とは当時ほとんど絡んでなかったし。元を辿れば飯野の所為だ」
「ははっ、確かに。シンのおかげだな」
俺はインターフェイスの行事にもフル出席はしてなかったし、定例会メンバーは知っているけど対策委員だったメンバーとはあまり顔を合わせる機会もなかったので、山口から聞いた話が主な情報源だった。対策委員だった当時は議長サンが~的な愚痴っぽい話もちょっとあったことを思い出す。後に、山口の自己分析の結果、俺へのフラストレーションがなっちに向かっていたと言われた時には2人に若干の申し訳なさを覚えたりもした。
高崎のする石川君に関する話には続きがある。彼が言うには、チョコレートはもちろん素材がいいことも大事だけれども、その素材を上手くチョコレートにする技術が何より大切なのだと。素材が良くても技術が伴わなければその良さを引き出すことが出来ないのだという。なるほどなと思った。それはチョコレートだけでなく、ここのケーキにも、俺たちの仕事にも通じる話なのだなと。班員が良くても台本が伴わなければいいステージにはならない。放送部時代風に言えばこうだろうか。
「おっ。いい匂いだし、美味そうだ。いただきます」
「いただきます」
「あー……確かにこりゃ美味い」
「だろ」
「時間をかけてゆっくり食いたいケーキだな。一口の余韻が長い」
「そうなんだよ」
「ああそうだ、忘れるトコだった」
「ん?」
「朝霞、これ月末に宮ちゃんに渡してくれ」
「月末? 30日か」
「29日に出勤がダブってりゃそこが一番いいんだが、そうじゃなきゃその前後にでも。29日、宮ちゃんの誕生日だからよ。適当な焼き菓子」
「あ、そうなんだ。わかりました、預かります。えっと、お日持ちは大丈夫ですか?」
「ああ。11月アタマくらいまでは大丈夫なことは確認してある」
「了解しました」
こういうところが結構義理堅いんだよな、コイツ。シンのゴミクズレポートの手伝いをしてるって聞いた時から思ってたけど。そして結構な重量感の紙袋をしっかりと預かる。責任重大だ。
「そうか、そしたら俺もこないだもらってるし何か用意するかあ。カズにも世話になってるし、2人でつまめる物とかがいいかな」
「あー、久々に伊東の作ったモン食いながら飲みてえな」
「カズだったら言えば作ってくれるんじゃないか?」
「それがわかってるから逆に言いにくいんだ。出してくるモンのグレードが高すぎる割に全然対価を取ってこねえだろ」
「あ、わかる。弁当サブスクの料金設定のときもそれで結構揉めたから」
「よっぽどアイツが戦いに飢えたときには喜んで呼ばれるけど、それ以外でフラッと飯食わしてくれとは言えねえな、なかなか。その点は金銭で契約してるお前が羨ましい」
「って言うか戦いって何だよ」
「MBCCでやってた無制限飲みは、アイツにとっても台所をどれだけ効率よく回せるかの戦いだったんだぞ。主に俺と果林に食われる前に次のつまみを出せるかどうか、的な」
「お前と果林に食われる前に次を出す!? 素人なりに字面からその戦いのヤバさは理解した」
「4年になって実家に戻ってからは、そのヒリヒリした感じを味わいたくてたまに発作起こすようになったんだと」
「あーうん、やっぱカズの弁当には相応の料金を払うべきだな! いい物には相応の金を払おう。善意に甘えた結果その人が続かなくなるんじゃダメだ」
end.
++++
フェーズ3になってからはご無沙汰のイシカー兄さん、現在はリン美奈と同じく星大の大学院生です。
主題は慧梨夏へのプレゼントを預ける件だったのにおまけになるのはナノスパあるある。
(phase3)
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