2024

■あくまで事業所ですから

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「もしもし向西倉庫です」

 事務所に電話の呼び出し音が鳴り響き、内山がそれを取ったので俺は受話器に伸ばしかけていた手を引っ込める。

「はい、……ええと、大変恐れ入りますが、御社名とお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 ウチの会社にかかって来る電話なんか、と言うか一般的な電話って、大体かけた側も自分が何者かを名乗るよなあ。そんな風には思いつつ、俺や内山みたいなペーペーが知らない取引先の人もいるのかな、と何となく内山の声を聴いている。

「黒沢さん。失礼ですがどちらの黒沢さんでいらっしゃいますか?」

 ――と内山が言ったのと同時に、山田さんと圭佑君の顔つきが変わったように思う。そして山田さんは自分の携帯を取り出して何かをチェックしているようだ。

「こっしー、ちょい」

 山田さんからちょいちょいと手招きされ、給湯室に連れ込まれる。小声なのが不穏な雰囲気を醸し出す。

「なる早で、オミにしばらく事務所に近付くなっつってきてくれる?」
「塩見さんにですか? えっと、どう事情を説明したらいいんですかね」
「とにかくこっちがオッケー出すまで来んなっつってきて。電話に乗ると面倒だから放送は使わないでね」
「はあ。まあ、行って来ます」

 塩見さんを探して伝える伝言がまた物騒だなと思いつつ、電話を受けている内山の様子に目をやると、首を傾げて不思議そうにしている。その内山には山田さんが筆談で応対の仕方なんかを指示しているようだ。もしかしてこれがアレか? 圭佑君から聞いてた向西倉庫の闇的な。
 塩見さんのいそうな場所の第一候補は持ち場の新倉庫。だけど見た感じフォークリフトに乗った畠山さんしかいない。畠山さんに聞くと、ここにはしばらく自分しかいないし、塩見さんはB棟の方で姿を見たとのこと。結構な有力情報だ。
 情報を元にB棟に行くと、1階ではいつものように高井さんが床の水掃きをしている。ここに塩見さんの姿はなし。ただ、上からハンドリフトを引いているゴロゴロという音が響いているので誰かしらはいそうだ。一応高井さんにも塩見さんの所在を聞くと、上にいるとのこと。よし。

「塩見さーん」
「越野。何か用か?」
「山田さんからの伝言なんですけど、許可を出すまで事務所に近付くな、だそうです」
「はいはい、了解した」
「――って、すんなり受け入れるんすね。結構理不尽な話だと思ったんすけど」
「俺を出せっつー電話が掛かって来たんだろ」
「えっと、電話を受けてるのは内山なんで俺は内容を把握してないんすけど、黒沢さん? っていう人からの電話だってわかったら山田さんと圭佑君の顔が変わった感じっす」
「ま、どっちにしても俺はしばらくここで千景の手伝いしてるつもりだったし、事務所に用はない。山田さんには申し訳ないけどそっちで上手くやってくださいっつっといてくれ」

 塩見さんの反応を見るに、どうやら事務所に近付くな、的なことを言われるのはこれが初めてという話でもなさそうだ。ちなみに現在塩見さんはこの後やってくるアパレル製品を入庫するための庫内整理をしているという状況。新倉庫の仕事に大石の手を借りることが増えると、大石が持ち場の仕事を出来なくなるのでその分を手伝い返しているということらしい。

「オミぃ、久し振りのご指名だなあ」
「宮さん。アンタはどうせ冷やかしに来たんでしょう」

 確かに珍しい人がやってきた。宮本主任だ。宮本主任はよその会社の人との会議などで出掛けていることも多い人で、ダンディーな雰囲気のある大人の男って感じのイメージが前面に来る。こうやってのらりくらりと現場に現れることは少ない。よっぽど繁忙期とかで出荷が爆発してるときとかじゃないと現場では見ない。

「やあやあ越野君、取り次ぎご苦労さま」
「はあ」
「宮さん、越野は今年の新卒っすから何もわかってませんよ」
「あれ、オミ無双の話って高沢君から聞いてるんじゃないの?」
「あ、その件と関係してるんですか!」
「ほら、やっぱり聞いてた」
「あれっすよね、あの、ちょっと前までいたお局様的なパートさんのマザコン息子にバイト失格の烙印を押したっていうヤツ」
「そうそう、それそれ。それでお局様が大激怒。だけどコイツはいい意味で空気読まないから、事実を羅列しちゃってねえ」
「俺だって空気くらい読みますよ」
「読んだ上で従わないんだろ?」
「読んだ上でどうするかを決めるのが、空気を読むこと、なんじゃないんすか」

 主任が言うところのオミ無双の話は就職前に圭佑君から聞いていたから軽く履修済みだった。あの話は本当に本当だったんだなあ。会社で威張り散らしてたお局様にくっついて歩いて親の顔で偉そうにしてた30のマザコン息子の首を切って、激怒したお局様にもアンタの振る舞いで会社はこれだけ迷惑してるんだ、的なことを真正面から言い切った、って話だよな。

「如何せん近所から来てる人も多い小さな会社だと、会社以外の地域社会のこともあってあんまり本当のことって言えなかったりもするからね。当時はみんなあの人の顔色ばっかり窺って、怒らせないようにしたり、あの人が仕事をしやすくするために手間をかけたりね」
「めんどくせー」
「派遣やバイトをイビるのを楽しむタイプの人だったからな。出来る奴ほどウチには残らないし、人材同士の情報共有で「あそこの会社はヤバい」みたいな話が出回るから人も来なくなる。他のパートさんも委縮して、社員の指示やその時の状況、仕事の正しい手順よりあの人の言うことを優先するから人材イジメに加担させられたり、いろいろおかしくなったりもした」
「本当はみんなおかしいと思ってたんだよ。だけどみんな家庭もあるしあの人を敵に回したくないから物を言えない。そんなの関係なかったのがオミで、仕事の出来る親はともかく仕事もしない、出来ない、なのに威張り散らして他の人をイビる息子は切るべきだって言って切った。それで切られた息子が他の会社でも仕事が続かなくて、恨みを買ってるんだよね」
「仕事が続かないのは息子本人の所為じゃねーか。塩見さんひとつも関係ねー」
「で、お局様がたまに事務所に乗り込んでオミにクレームを入れようとするから、あの人から電話がかかってきたらオミを隠せーってやってるワケ」
「そりゃ隠したくもなりますね」
「俺としては何遍来られても同じっすけどね」

 とりあえず、山田さんに繋がらなかったので圭佑君に内線で塩見さんからの返事を伝えた。結局、件の電話は内山がのらりくらりとかわし続け、弊社の業務の妨害が目的のお電話であればお名前とお電話番号は控えましたので警察に相談させていただきます、と言ったら切れたそうだ。これは山田さんの指示ではなく内山のアドリブらしい。

「越野、事務所は何て?」
「あの後しばらく内山が山田さんの指示に従いながら通話応対をしてたらしいんですけど、めんどくさくなってアドリブで「業務妨害が目的なら警察に言うぞ」的なことを言ったら電話が切れたそうです」
「内山がか」
「内山がです」
「あっはは、やるねえウッチー。これってあれでしょ、事務所的に言ったら「10代の奇跡」ってヤツでしょ?」
「最近事務メンバーの間で流行ってるんすよ10代の奇跡」
「山田さんとか近所の人からすればないがしろに出来ない人かもしんねえけど、家が近所でもない内山にとっちゃ俺を出せって言ってるワケのわかんねえオバサンだもんな」

 とか何とか話していると、今日の人、内山だ。

「越野さーん」
「ん?」
「あっ、塩見さんもいるならちょうど良かったです。もう事務所に戻って来ても大丈夫だそうです」
「内山、面倒かけたな。サンキュ」
「いえいえ。事情は山田さんから大体聞きました。ああいう人の相手も大変ですね」
「にしても警察呼ぶぞはなかなか大胆だな」
「すみません。これ以上は素人がどうこう出来る相手じゃないなって思ったのと、またこういう電話がかかってきたら面倒だなって思って。私も偽名を名乗れって山田さんから言われて、山内になりました」
「ああ……内山で、山内か」
「はい。内山さくら改め、山内かえでです」
「いいね、かわいいかわいい」
「あの元パートさん? 私のおばあちゃんと同い年なんですけど、その歳になっても子離れ出来ないって大変だなあって思いました。子供の仕事が続かないってことは、脛をかじられ続けるってことですもんね。子供に対してああなら孫なんかもっと可愛いだろうし自分も死ぬまで働かなきゃいけないんだろうなあ。老後ってもう死語ですよね」

 事務所的にはいつもの内山って感じのセリフだけど、これに主任と塩見さんは笑いを堪えられないようだ。声こそなるべく出さないように抑えた感じだけど、主任は顔が歪んでるし塩見さんは肩が震えている。なかなか珍しいモンを見た。なるほど、これが10代の奇跡。

「ウッチーのおばあちゃんてどういう感じの人なの?」
「私のおばあちゃんはとにかく元気ですね。おばあちゃんはずっと働いてた会社で定年を迎えて、それからは契約社員になって働き続けてるんですけど――」
「はー、久々にツボった」
「塩見さんもこんな風に笑うことあるんすね」
「俺を何だと思ってんだ」


end.


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時期的には梅雨明け前くらいのつもりだったのにずるずる来たいつもの。
塩見さんは決して笑わない人ではないのだけど、爆笑というのはなかなかに珍しい印象。

(phase3)

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