2024

■救われる幾万の魂

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「ただいまー」
「お帰り」
「はい。今日もお弁当ごちそうさまでした」

 就職してもうすぐ1ヶ月になろうとしている。俺は星港市交通局に、慧梨夏はイベント関係の会社に就職したけど最初なのでまだまだ研修中といった感じ。俺も慧梨夏も月曜から金曜の朝9時から夕方5時まで働くという職種ではないので、規則正しい今に違和感がある。
 出勤日の昼食はどうしようかと話し合った結果、弁当を持って行くくらいの方が逆に好きなときに食事が出来るし、手元に持っておけるので確実に食べられるという理由で弁当を作ることになった。俺が休みの日におかずを作り置ける物は置いて、卵焼きなんかは朝に焼いたり。

「今日ね、卵焼きひとつカオちゃんに分けてあげたんだよ。すっごい好評でした!」
「それはよかった」

 慧梨夏には会社の同僚の中に仲のいい人が出来たようだった。カオちゃんという子が話の中にはよく登場する。そのカオちゃんとは同じ部署でこれからニコイチのような感じで働くことになりそうで、昼飯も一緒に食べているらしい。
 これまで聞いた話によれば、カオちゃんは一人暮らしで普段はあまり自炊をしないらしい。慧梨夏が持ってきている弁当にも家庭料理っていいなあと言っていたとか。昼は基本買い弁だし夜は外食が多いという話だから、人の焼いた卵焼きなんかは珍しいんだろうなあとは俺の想像だ。

「それでさあ、月曜日なんだけど、これにお弁当もうひとつ詰めてもらっていい?」

 そう言って慧梨夏が取り出したのは弁当用のタッパーだ。ちゃんと電子レンジにもかけられる、いいタイプのヤツ。出先で食べて捨てることが出来る状況にあれば便利そうだなと思って雑貨屋の弁当用品コーナーで見てはいた。

「これをどうすんだ?」
「カオちゃんがあまりに不健康な生活をしているので、食事を詰め込もうと思って」
「不健康って、どれぐらい不健康なんだ?」
「カオちゃんも物書きの趣味があるんだけど、作業に熱中すると食事と睡眠が抜けちゃうみたいなんですよ。それで今日お昼ご飯がゼリーだけだったんだけどね。それは良くないじゃないですか」
「良くないな」
「うちもカズがいなかったら間違いなくその道を辿ってるんだけど、だからこそ美味しいお弁当を食べてもらうことでひとつの才能を救おうと、そういう考えです」
「まあ、才能云々はともかく趣味で体壊すのは良くないし、月曜日弁当詰めるよ」
「ありがとうございます! その分ちゃんと財布に入れとくし」
「いいよ1食くらいなら」
「ダメ。その辺曖昧にし始めるとずるずる行くから。それでなくてもうちら趣味には惜しまないって決めたんだから。その分共用の生活費はちゃんとする、そう言ったのはカズでしょ」
「そうでした」

 結婚はしたものの、俺たちはまだまだ就職したばかりで金銭面での安定は程遠い。それでも趣味を犠牲にして精神を腐らせては良くないので、趣味はきちんと楽しんだ上で食費や光熱費などの生活費はしっかり分けましょうということになった。
 それはそうと、慧梨夏に心配されるってどんなレベルのワーカホリックなんだよって感じがするなカオちゃん。慧梨夏も慧梨夏で大概じゃないし、ほっとくと食事も睡眠を抜くからって理由で俺が料理の練習を始めたり休ませたりしてたのに。
 ただ、才能を救うという発言からするに、それこそ結構な物書きなんだろうなとは。多分会社でもそういう関係の話で仲良くなったのかもしれない。ワーカホリック同士の波長が合ったとか。……うーん、仕事の上でもワーカホリック振りが発揮されてしまうのだろうか。

「明日時間あるし、料理に時間とろうかな。慧梨夏、ちなみにだけどカオちゃんてどういったおかずが好きとかってわかる?」
「うーんと、好きなのは卵料理かな」
「卵料理か。他には?」
「好き嫌いなく何でも食べる人だよ。お弁当に添えられてるパセリまで食べちゃうんだから」
「ホントに好き嫌いないんだな。あんまり食材を選ばなくていいのが助かるけど」
「あっ、辛い物はちょっと苦手だったかもしれない。あと、好きそうなのは鶏肉? チキン南蛮とか食べてるの見た」
「オッケー、了解」

 それじゃあ卵と鶏肉をベースに組み立てればオッケーな感じかな。どっちにしても明日はこの先1週間の常備菜を作る日だったので、ついでにお弁当もやるっていう感じ。常備菜作りで台所に立つのは結構リフレッシュになるし楽しい。新居を選ぶ時にも台所はこだわったポイントです。

「俺の友達にもさあ、作業に熱中するとメシを抜くわ寝るのも忘れるわで周りを泣かせる子がいたんだよ」
「うち以外で?」
「そう、お前以外で。メシがゼリーとエナドリだけになるわ、二徹三徹は当たり前とか。だからそのカオちゃんの話を聞いてると他人事みたいに思えないし、何か無理して急死するクリエイターも少なくないんだろ? お前の職場の相棒を死なせたくないなって思っちまった」
「そうなんだよね、カオちゃん物書き以外にも忙しくしてるから、いくらバイタリティがすごいからって言ってもこれで本格的な仕事まで入ってきたら大変なことになりかねないからね。カオちゃんにご飯を食べさせることでひとつの才能を救い、カオちゃんの活動で救われる幾万の魂をも救うことに繋がるんですよ。カズ、このお弁当はうちらが思うより大事な使命を担ってるからね」

 カオちゃん自身だけじゃなくて、カオちゃんの活動によって救われる幾万の魂をも救う。話がめちゃくちゃ大きくなってないかって気がするけど、クリエイターが生み出した物に支えられたり救われたりする人もいるんだろうから、まあ間違ってはいないのかもしれない。
 どうにもこうにも俺の周りの書く人たちというのは命を削るような書き方をしてるように思えてならない。慧梨夏も「就職したら時間無くて執筆ペース落ちるかも」とか言って嘆いてたのに、実際は学生の時よりペースが上がってる。生活にメリハリが出来て逆に筆が乗ってるのかな。
 俺はそんな慧梨夏を基本的には放置しつつ、食事を用意し、寝る時間になれば床につくよう促している。慧梨夏という才能を救い、慧梨夏の活動で救われる幾万の魂を救うとかいう以前に、愛する嫁さんに死なれたくないからだ。趣味で死ぬな。死ぬなら老衰で頼む。

「でも、カオちゃん普段外食するなら舌が肥えてそうだ。弁当のハードルは高いぞ」
「大丈夫大丈夫。最悪お弁当箱全部卵焼きで埋めれば喜ぶから」
「それはそれで手抜き過ぎないか?」
「ほら、普通の卵焼きと、だし巻き卵と、ネギ入りとかチーズ入りとかバリエーション豊かにね?」


end.


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ところどころにどっかのPさんらしい情報が散らばっている。
人の焼いた卵焼きは珍しいんだろうなあとはいち氏予想。実際は金出して焼いてもらってる。
現時点でいち氏はカオちゃんを慧梨夏と同じ次元で話が出来るとんでもない腐女子だと思っている様子。

(phase3)

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