2021(04)

■年に一度のお楽しみ

公式学年+1年

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「よーし、楽しむぞ」

 いよいよ佐藤ゼミのゼミ合宿が始まった。長篠の山の中にある緑ヶ丘大学のセミナーハウスで行われる卒論発表合宿だ。朝早く大学に集合して、大型のバスに乗り込みレクリエーションをしながら、途中のサービスエリアで最後の買い物をしたりしながら長い道のりを往く。セミナーハウスに近付くと、大型のバスでは進めなくなるので何台かのマイクロバスに乗り換え山の雪道を揺られる。
 3時前に施設に到着して、夕飯までは自由時間。夕飯の後で最初のワークショップがあるそうだ。自由時間にはスキーをしたり人生ゲームをしたり思い思いの時間を過ごすんだけど、スキースノボはさすがに2日目のガッツリした自由時間にやるのが定石だ。2時間とか3時間くらいの自由時間で出来ることはと言えば。

「ササ、読書か」
「亮真。やっぱり、ここに来たからにはやっておかないと」
「暖炉前がすっかり定位置だな」

 俺の薪ストーブへの憧れを確かな物にしたのがロビーにある暖炉だ。まず、この施設のロビーというのが豪華絢爛という雰囲気の空間だ。シャンデリアが吊り下がっていたり、グランドピアノがあったり。床に敷かれているのは赤いカーペットだ。そして俺はこの暖炉が大のお気に入りで、今年は絶対にここで読書をするんだと、そのためにわざわざ本を新しく買って来た。

「シノはどうした?」
「シノは乗り物酔いで休んでる」
「酔うタイプだったか。去年はそれほどでもなかったと思うが」
「普通に寝起きするんじゃ寝坊するかもしれないし、バスの中で寝れば良いって言って普通に深夜帯にバイトしてたんだ」
「しかし、思うように寝ることが出来ず体調を崩したと」
「そういうこと。睡眠不足が原因だな。ま、夕飯までには良くなってるだろ」

 どれだけ具合が悪くてもシノは食べる物を食べないとそっちの方がしんどいみたいだし、夕飯には這ってでも出て来るだろう。メニューは例によってフランス料理のフルコースらしい。量的には食べた気がしないけど、よくよく考えたら一般的な大学生がフランス料理のフルコースはよっぽどのことが無ければ食べないし、いい経験なのかもしれない。

「どんな本を読むんだ?」
「えっと、雪の山荘殺人事件」
「わざと選んだかのようなタイトルだな」
「リアルな雰囲気が出るかなと思って」
「リアル過ぎて悍ましい。本当に死人が出るんじゃないか」

 さすがに物騒な本かなとは思ったけど、雪山の洋館のロビーで暖炉に当たりながら読むならやっぱりそれらしい本の方がいいかなと思った。夏の楽園のような話だとか、恋愛小説なんかよりは、ミステリーかサスペンスの方がそれらしいかと。外観やロビー、食堂がそれらしくても部屋は普通のビジネスホテルみたいだし、一本廊下を入れば普通に大学の講義棟。殺人は起こらない。

「ササー、相倉くん」
「あっ、高木先輩お疲れさまです。何ですかそのカメラ」
「これ? ゼミの備品のカメラだよ」
「それはわかるんですけど」
「ゼミの活動の記録だね。それを映像で残してるんだよ。バーベキューとかオープンキャンパスでもカメラを回してるでしょ。あんなようなこと」
「オープンキャンパスは資料として撮るのはわかるんですけど、こういう自由時間だとかバーベキューはどうして撮影するんですか?」
「去年の合宿は覚えてる? 3日目の終わりに4年生の先輩に寄せ書きを渡すセレモニー的な時間があったの」
「あー、そう言われればあったかもしれないですね」
「そこで流す4年生の先輩の活動をまとめた映像だね。それを編集するときの素材になるんだよ。だから今の映像も2年後に使われるかもね」

 例によって高木先輩が編集の担当になっているらしく、今日明日で撮影した映像も何フレームか入れ込みたいということで編集はギリギリまで行われるそうだ。カメラの扱いに関しても3年生の先輩であれば高木先輩か安曇野先輩が詳しいという感じで、さすが超実技型の人だなあと強く思う。

「あれっ、シノは?」
「乗り物酔いで死んでます」
「シノって酔うタイプだっけ?」
「かくかくしかじかで」
「あー……帰りならともかく行きは寝れないよ。仕方ない、シノの映像は明日の朝にしようかな」
「明日の朝ですか?」
「朝食バイキングの時が一番いいシノを撮れるでしょ」
「確かに」
「そういうことだから、俺のことは空気だと思ってもらってササには読書をしてもらって」
「え、それを撮られるんですか?」
「暖炉の前で読書してるササは多分朝食やワークショップの時よりイキイキすると思うからね」

 確かに楽しみにはしてたんだけど、撮られてるとわかってて読書に集中できるかと言えば。その旨を先輩に伝えると、忘れたころにまた来るよと言ってまた別の人を撮影しに行ってしまった。一応は自由時間だけど、先輩は仕事もあって大変そうだ。ゼミである程度役割があるとそんなことになるのかな。
 暖炉の音や熱、それから火が揺れる様が何とも言えずいい。今のところ非日常の物だけど、やっぱりいつかは薪ストーブか暖炉のある家に住みたいと思う。壁一面の本棚も一緒に。去年みんなで行ったコテージもなかなかな距離だし、近場でそういうのを楽しむことの出来る場所があるといいんだけど。


end.


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例によって暖炉の前がお気に入りのササが読書を楽しむだけの時間。今年はスキーやるのかな?
2年生になって体を壊しやすくなったシノは乗り物酔いもするようになってるといいなと思ったなど。弱くてナンボだと思う
ササはバイトをしながらどんな本を読もうかなってウッキウキで考えてたんだろうなあ

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