2021(03)

■ミライのチケット

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 卒論の提出は今日の16時までという風に決まっていて、予備日みたいな物は設定されていないらしい。インフルエンザみたいな出てきちゃいけない病気だとか、事故に遭ったらどうするんだと思いつつも、そういうときには特殊な手続きを踏まなければならないんだろう。
 教務課の前にある卒論提出ボックスという、ポストのような箱に印刷した論文を投函する。きちんと指定の表紙を購買で買って、それを使って綴らなければならないのが面倒だと思いつつも、管理のしやすさの観点で言えば必要な物なんだろうとは思う。
 うちはと言えば、内容が内容だけに書きながらも気持ちの上でしんどくなることも多々あったけど、ゾーンに入ってしまえばこちらの物だった。字数を積み重ねること自体はさほど苦ではなく、最低2万字の指定に対して3万字とちょっと長めになってしまった。
 授業もないのに卒論の提出のためだけに少し早く向島に戻らなければならないのが面倒だとは思うけど、どっちにしても戻らないといけないのであれば家賃も払っているのだから豊葦の部屋で過ごす日数を増やす方がいいのかもしれない。あとひと月少しで引き払う部屋だ。

「菜月さん」
「ん? ああ、圭斗か。卒論か?」
「そうだね」
「お前でも文字数を積み重ねられたんだな」
「直筆でなければそれなりには出来るんだよ」
「そうだったな」
「それに、卒業研究の場合は実験の結果なんかをまとめるだけでもそれらしくなるからね。文系の論文でもフィールドワークの結果をまとめたりはしないのかい?」
「うちは文献頼みでフィールドワークはしてないからなあ」

 卒論の提出場所はどこの学部だろうと関係なく教務課のボックスだから、同じ用事で来たんだろうなっていう奴でごった返している。こんな場所にずっといると人酔いするし、何より用事はもう済んだ。外に出ればひんやりとした新鮮な空気がとてもおいしい。

「ここで会ったのも縁だし、時間があるようなら少し話でもどうかな」
「ああ。大丈夫だぞ」
「学食でいいかな」
「オッケーオッケー」

 学食に移動すると、秋学期の再開日だけあってやっぱりと言うか何と言うか、人もそれなりに多い。適当に飲み物だけを買ってカウンター席に陣取る。2人以下だとカウンター席でも全然座りやすいのがいい。ぼっちご飯もしやすいし。

「どうして卒論の提出日って1日しかないんだろうな」
「きっかり締め切りを決めておいた方がいい何かしらの事情があるんだろうけど、何だろうね」
「昨日書いた物を印刷だけしにPC自習室に来たんだけど、同じ目的で来たんだろうなっていう4年っぽい奴がまあまあいたな」
「こんなとき理系だと自分の研究室で印刷が出来るから楽でいいよ。文系の研究室は設備が整ってないのかい?」
「パソコンだとかプリンターは一応あるけど、部屋に1台って感じじゃないか? 理系の研究室みたく1人1台とかではない」
「それだと確かに厳しいかもね」

 学生ごとにPC自習室でプリントアウトできる年間印刷枚数という物が定められているらしいんだけど、よっぽどのことがない限りオーバーする心配はないとは言えさすがに今回はちょっと不安になったよな。あと、理系の自習室での印刷はこれにカウントされないらしい。
 そんなことを話していると、どこかで見たような男がこちらを見て手を振ってくる。誰だったかなと一瞬考えるより先に向こうが話しかけてきた。初手の対応は圭斗に任せよう。コミュニケーション能力的にもそれがいい。

「こんちはー。今日は2人とも卒論?」
「そうだね。えーと、設楽君だったよね、天文部の」
「そうっすそうっす! 松岡君すげーね記憶力」
「うちは全然覚えてなかったぞ。どこかで見たなっていう程度で」
「言って奥村さんメディアだし紹介される前から授業でちょこちょこ見たことあったっすよ」
「全然覚えにないな」
「そもそも菜月さんの場合、まともに授業に来ていたのかという問題があるんじゃないのかい」
「失礼だな、3年になってからはちゃんと来てたぞ」

 こないだ真希と前原主催でやった鍋にいた天文部の奴だったな、とうっすら思い出す。同じメディアコースだったとしてもうちは授業は1人で受ける派だし周りの雑音を消すためにイヤホンをしてるから誰がいるとか全く意識したことはない。

「奥村さんてどこゼミ?」
「小澤」
「真希ちゃんと同じトコかー」
「そっちは?」
「芦田」
「芦田ってレポート結構シビアだって聞いたことあるけど」
「いや、そこまでじゃない? あー、でも内容よりかは文法だとか誤字脱字の方に厳しいかもしれない。注意される奴はめっちゃダメ出しされてるよ」
「じゃアイツが下手なだけか」
「誰か友達でもいる?」
「三井とかいう言葉の扱いが絶望的に下手くそな奴がいると思うけど。奴は一応サークルでうちらの同期なんだけど」
「ああ、そうなんだ。彼はねえ、ゼミにも来たり来なかったりだし論文の内容も中間発表の度に変わってたし謎って感じだね。自信はあるような感じだったけど、年末の時点で就活も終わってなかったっぽいし」

 あの野郎早朝まで及んだうちの添削を無駄にしやがったかと思いつつも、履歴書とエントリーシートを必着日の朝に出しに行っている時点でお察しかとも思うワケで。圭斗はうちの出席頻度のことばかりイジるけど、本当にヤバいのはこっちだからな。

「あーいっけね、旭に呼ばれてんだった。それじゃーまた」
「どうもー」
「……圭斗、どうする、追いコンシーズンまで三井の就活が終わってなかったら。早朝まで履歴書を添削してやったんだぞ。うちはジョッキでアイツの頭をかち割ってやればいいのか?」
「それをやると菜月さんの未来が終わってしまうので、3年生に小馬鹿にしてもらう方向でいこうか?」


end.


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今でこそ酒癖も比較的まともになった菜月さんだけど、ジョッキで頭かち割るとかは一番ひどい時だと本当にやりかねんのよ
天文部勢が登場したときからどっかで誰かと絡みないかなーと考えていたのでこれくらいがちょうどいい。三井サンのゼミ編来るか?
ラブ&ピースの3年生は人を小馬鹿にさせたら何気に4年生以上だったりする。草生やさせて爆笑させたらいいんだわ

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