2021(02)

■必要な建て前

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「……っ、あー……」

 いったー……腕をやったかもしれない。まあ、痛すぎて今すぐどうにかなるってレベルじゃないから、今日は普通に仕事をして、湿布でも貼っておけば大丈夫かな。でも、あんまり痛みが続くようだったらしばらくプールはやめといた方がいいのかなあ。
 夏休みの間は例によってバイト詰め。秋学期の学費を捻出したり、ヒビキと結成した温泉サークルの旅行費用にしたり。お金はありすぎて悪いってことはないからバイトに出られるうちは出ておきたい。それに、来春からはこの会社で正社員としてお世話になることにも決まってるし。

「千景、ちょっといいか」
「はい」
「昼休憩終わったら、お前新倉庫の作業な」
「わかりました。新倉庫で何の作業があるんですか?」
「ここ最近荷下ろししたモンの片付けだ」
「今まだ入庫してる最中なんですけど、途中でも問題ないですか?」
「ああ。お前が今やってんのは出荷日がまだ先だ。それよりは片付けを優先させてえ」

 入庫作業中に塩見さんから呼び留められて、午後からの仕事の指示をされる。ここ最近はトラックで運び込まれた荷物を早朝から下ろしてるんだけど、それで倉庫内がごちゃっとしてるんだよね。その整理や片付けを塩見さんがずーっとやってるんだけど、終わった頃にはまた来るんだよね、次の荷物が。
 ちょうどこの話をしていたのは昼休みの直前。チャイムが鳴ってお昼ご飯を食べて。そうしてる間、腕のことはすっかり忘れてた。やっぱり、痛かったのは一瞬のことで、実はそんなに大したことじゃなかったのかもしれない。さっき痛かったのは右腕の上腕部。ま、この分なら大丈夫かな。

「塩見さーん、来ましたー」
「おう」
「あれっ、随分片付いたみたいに見えますけど」
「今日からお前はフォークリフトの練習だ。俺が付きっ切りで指導するし、後から所長の方から正式に話があると思うが、夏の間に教習所でフォークリフト講習を受けてもらう」
「えっ、えー!? 俺が実際にフォークリフトに乗るんですか!?」
「何すっとぼけたこと言ってるんだ。この仕事やるんならリフトの講習は必須だぞ」
「それはわかるんですけど、実務経験がないと受講料も高いじゃないですか、えっと、給料から天引きになるんですか?」
「いや、講習料は会社から出るぞ」
「えっ、本当ですか!?」
「お前はもう来春からの内定も出てるし、それでなくても今まで3年ちょい働いて来てる人材だ。これからも働いてもらうってんなら会社から講習費用を出すのが筋だろう」

 今はお盆休み前で、出荷が本格的になるにはまだ少し時間がある。それまでの、朝はともかく昼はちょっとゆったりしてる間にフォークリフトの練習をしてもらおうっていう感じなのかな? でも、ビックリした~。確かにこの仕事をするなら講習を受けるのは必須だし、自分でも調べてたけど、会社から直々に取れって言われるなんて!

「ま、講習を受けてなくても実務経験は積めるからな。今日は基本的な操作を教えるだけだけだ」
「よろしくお願いします」
「とりあえず、構内で一番使うのがこのリーチフォークリフトな。立ったまま運転するタイプで、こうすると、ツメが前後に動く」
「あー、なるほど」
「でも、今日はツメは使わねえ。延々と運転の練習だ」

 塩見さんによれば、フォークリフトは後輪操舵と呼ばれる車で、方向を変えるときは後輪が動くんだそうだ。だから、普段運転している自動車と同じ感覚でやってると感覚が違って思うようにいかないんだとか。それに、ハンドルを回し過ぎると思ったよりも車体が持っていかれちゃうんだって。みんな簡単そうに乗ってるけど、実際は難しそうだ。
 午後からの4時間で簡単な運転操作を覚えて欲しいということで、塩見さんは床に三角コーンを2本置く。このコーンで折り返して、ぐるぐる回ってみろというのが最初の練習。このぐるぐる回る練習に目途が付けば、前を向いてのS字運転、そして前進より重要なバック運転の練習に入って行くそうだ。

「あれっ、そう言えば今日って午後の出荷量は」
「俺とお前がいないくらいで騒ぐレベルの量じゃねえ」
「あっ、そうなんですね」
「千景、お前腕痛めただろ」
「あー……いやー、その、痛めたって言ってもそんな大した痛みじゃないですし、今は全然痛くないんで一瞬だったんですよ」
「今は負荷がかかってねえからな。それでなくてもお前は自分の身体を顧みねえところがあるんだ。ガチで社会に出たら、自己管理が出来ねえ奴だとか、助けを求めることの出来ねえ奴から潰れてくぞ。それでなくてもお前は合理的に自己犠牲を選ぶ奴だからな」
「うーん……そうなんですかねー……」
「いい加減調子が悪けりゃ申告して休むことを覚えろ。そうやってムチャした結果悪化して、生活に支障が出ることだってあるんだからな」

 しばらくは大人しくリフトの練習しとけ、と塩見さんは俺を戒める。確かにフォークリフトの運転練習はさっき痛かったところはあんまり動かさないし、痛かったことすら忘れるくらいには意識を外せてるんだ。でも、気付かれちゃってたのか。まあ、そうだよね。社会人になるんだから、そういうところをちゃんとしていかないとね。

「よし、それじゃあ運転の練習だ」
「はい! よろしくお願いします!」


end.


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自分からの需要に対し供給が追い付いていなかったので突然のオミちー。やる度言ってるけど義兄弟未遂コンビがかわいいのが悪い。
来春からの内定を貰ったちーちゃん、ここらで本格的に就職の準備が始まります。他の内定者よりも進んでる分、働きにも期待がかかるところ。
フォークリフトと言え拓馬さんのマンツーマン講習とか怖すぎだろ、と高崎も恐れる現場。贅沢と言えば贅沢なんだけどね。

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