2021

■Around this time last year

++++

「菜月先輩、ご無沙汰しております」
「お前とこうして土曜日に会うのもすっかり懐かしいの域に入ったな」
「ええ。それでは、行きましょうか」

 土曜日に豊葦まで出て来るのはそれこそ本当に菜月先輩と昼放送の収録をしていた去年以来になる。あれだけ幸せだった土曜日が、何事もない土曜日になって久しい。そんな中で、菜月先輩に連絡を取り、このようにして時間を取っていただき会うに至った。

「アイスレモンティーとショートケーキを」
「サイキョーコーヒーとアイスチョコレートケーキで」

 カフェでこうしてお茶が出来るというのも本当に久し振りだ。菜月先輩は4年生に進級され、単位がまだ残っているとは言えそれまでより履修コマ数はグッと減った。サークルを引退されたということもあり、学内でお会いする機会もかなり少なくなってしまった。
 会いたければ自分から攻めなければならないというのもわかっていたけど、なかなかその度胸もないんだよな。ただ、今回は菜月先輩に相談をしたい事柄というのが出来てしまったので、こうして勇気を出して声をかけさせていただいた。

「菜月先輩、本題もそこそこに申し訳ないのですが、サイキョーコーヒーとはどのような代物ですか?」
「水出しコーヒーだな。コールドブリューとも言う」
「ああ。最近よく見るようになりましたね。それを何故サイキョーコーヒーと」
「コーヒーを水出しで抽出するやり方を確立したのが西京の喫茶店の店主だという説もある。そこからそう呼ばれることもあるそうなんだ」
「地名から名付けられていたのですね」
「まあ、その辺のことはりっちゃんの方が圧倒的に詳しいから、興味があるならりっちゃんに聞くといい。で、本題だな」
「はい。この度、初心者講習会で全体講習の講師を務めることになりました」

 こないだ奈々から初心者講習会の講師を依頼されて、わかりましたと返事をした。その後で「講師の話はキープしつつも担当する講習のパートは保留にしてください、うっすうっす」と話を取り下げられたんだけども、結局は最初の話通り全体講習で落ち着いた。
 一旦話を止められたのは、緑ヶ丘の方で果林が高崎先輩譲りのナントカでエージとタカティをボコボコにしたからだという。それを受けて対策委員みんなで甘かった部分を詰め直し、改めて講師陣へ依頼したんだそうだ。

「そうか。お前がとうとう講師か」
「はい。いざこちら側に来てしまうと、どうすればよいやら。一応、昨年の菜月先輩の講習に、自分なりに毛を生やさせていただく形にはなるかと思います」
「でも、なぞるだけじゃなくてちゃんと自分でも考えるんだぞ」
「はい、それはもちろん」

 去年菜月先輩からいただいた講習会のレジュメは、自分なりに書き込みをし続けた結果、ボロボロになってしまっていた。去年の講習会から現在に至るまでの間には、マリンやあやめ、それからわかばに初心者講習もどきのようなことをやっていたというのもある。その時に参考にさせていただいていたのが何を隠そう菜月先輩のレジュメだ。

「ただ、講師として、講習会でどうしたらよいやら……レジュメを眺めながらいろいろ考えてしまうのです」
「そんなことは、去年のお前がもう辿り着いてたじゃないか」
「去年の俺が?」
「インターフェイスの先輩に生きた講習をして欲しい。知見や経験を伝えて欲しい。去年のお前が言っていたことだ。その方針は、1コ上に講師を依頼しているうちは変わらないんじゃないか?」
「……俺の経験、ですか」

 インターフェイスの初心者講習会で全体講習をする。つまりはラジオの活動でどのような心構えで行けばいいのかということや、それをやる上での基礎なんかを伝えるということだ。俺のそれはほとんどが菜月先輩からの受け売りになる。
 果林がエージとタカティをボコボコにしながら言ったのが、今年には今年の欲しい物があるはずで、テンプレは参考にしてもいいけど自分の言葉で持って来いということらしい。果たして今年の対策委員が欲しい物を今の俺が解り得るだろうかという心配もある。

「まあ、何だ。あまりしゃしゃり出すぎずに、かつ、対策委員がやりたいと思うことを引き出してあげることが一番大事だな。で、抜けがあると思えば相手が自分で気付けるようにそっと助言してあげて」
「そうですね。対策委員の意思を尊重することですね。講師はその補佐的役割でいるくらいの方がいいのかもしれません」

 去年、講習会の2日前に講師に就任した菜月先輩が俺に「どうしたい?」と逐一聞いてくれていたことを鮮明に思い出す。講習会はあくまで受講者が一番大事なのだということを繰り返し仰っていた。則る精神はここにもあった。

「とりあえず、やれるだけやってみようと思います。本日は相談に乗っていただきありがとうございました」
「いえいえ。しかし、今年らしい要素なあ」
「例えば、ミキサーは同録の保存にパソコンを使い始めたので、その辺りの事情がガラッと変わったというのがあります。インターフェイスの機材も緑ヶ丘の財力で切り替わろうとしているとかいないとかという噂もあります」
「緑ヶ丘なあ。何か、顧問の教授のゼミで使ってる機材がお下がりで貰えるとかだったっけ」
「緑ヶ丘はその機材を腐らすくらいならと向島も含めた各大学に分配してくれまして。星ヶ丘と青敬が機材一式を引き取ってもまだ余裕があるという」
「使える物は使えってヤツだな。インターフェイスもお金を掛けずにアップグレード出来るなら、その方がいい」
「問題は、MMPの資金力がそれに食らいついて行けるかですが」
「それは言わないお約束だ」


end.


++++

コールドブリューコーヒーの呼び名については諸説あるんだけども、地名でいくつか呼び名があるらしい。りっちゃんに聞いてみよう。
初心者講習会の講師になったノサカだけど、奈々とノサカのやり取りなんかもいつか見たい。あと、緑ヶ丘でボコボコにされたって聞いた話とかも。
MMPの資金力はお世辞にもあるとは言えないのである。それというのも大学祭であんまりがっつかないから……あれっ、敏腕会計サマ、どうした?

.
57/100ページ