2021
■いくつ春を数えたか
++++
「リン、いるんだ? ドーナツがあるんだ! 食べるんだ?」
「ドーナツ。また急だな」
「お父さんが帰って来たんだ! その手土産なんだ」
「数が余分にあるのであればもらおう」
「じゃあ、選びに来るんだ!」
ゲーム実況グループUSDXの音楽拠点として使わせてもらっているのはサックス奏者の須賀誠司邸内スタジオ。豊葦市内にあり、向島大学のお膝元にあることから、辺りは学生の住むアパートやコンビニなどが多い印象だ。
家主の娘、星羅とは昨年末の音楽祭で顔を合わせていた。尤も、演奏者ではなくライブに乱入しに来た須賀誠司をライブバーまで送り届けるためのドライバーとしての来場だったが。妹のイラストレーター・きららの方が姉のような雰囲気のあるデコボコ姉妹だ。
呼ばれるままにリビングに入ると、テーブルには石川の持って来るいつものドーナツ店の箱ではなく、いくらかランクが上であろう物だ。須賀姉妹とスガノ、それからカンノがその箱を囲んでどれにすると盛り上がっている。
「おーリン、来たか! はいこれ、お前の旗な!」
「旗とは」
「郷に入っては郷に従えって言うだろ! 須賀家のルールだよ。食いたいヤツに旗を立てるんだ」
そう言って持たされたのは、青い旗だ。箱の中にある地味な、ただ茶色いドーナツには既に「太」と書かれた黄色い旗が立っている。カンノがキープした物のようだ。それはあまり甘くないシンプルな物らしく、暗黙の了解で甘い物が苦手なカンノの物であったようだ。
「ではオレはこれを」
「甘いヤツなんだ! リンは甘いのが好きなんだ?」
「お姉、リンさんは常にアメを携帯してるんだよ」
「糖尿になるんだ」
「きらら、よく知ってるなそんなの。リンお前常にアメ持ってんの?」
「バネの立ち絵にも反映してる設定だからね」
「確かに、大学で着ている白衣やバイト先のスタッフジャンパーのポケットにはチュッパチャプスを入れているが」
「マジかよ。チュッパチャプスなんかもう何年も食ってねーぞ」
一般的な店であろうと高級店であろうと食う物自体はさほど変わらんようだ。条件反射的にハニーグレーズでコーティングされた物を選んでいた。このテの物は買った直後が一番美味い。時間が経つと上のコーティングがべた付くのだ。
「あっ、リン君じゃない! ナイスタイミングで帰って来たなー!」
「須賀さん。ご無沙汰しています」
人数分の紅茶を淹れてやって来た家主に軽く会釈をする。会うのは年末振りだから、ご無沙汰で間違いないだろう。サックス奏者としての須賀誠司については春山さんから講釈を受けているから音源も聞いているし生の音も聞いたのだが、如何せんオフの人格が。年甲斐もなくテンションが高いのだ。
「あれからバンドはどうしてる? ブルースプリング、やってる?」
「言い出しっぺのベーシストが就職に伴い向島を離れたのでこれからもそうメンバーが揃うことはないでしょう。一応バンドの看板は下ろさずにいると青山さんは話していましたが、開店休業状態ですね」
「えー! もったいない!」
「そうっすよね! 誠司さんも3人揃ったブルースプリング、見たいっすよねえ!」
「見たい見たい! カンも見たいよねえ!」
「そーなんすよ! それなのにリンの野郎はいないメンバーを集めようともしないで流れに任せるだけでよー」
「それは良くないなあ」
――と、カンノも須賀氏も好き勝手に言うが、元々オレは春山さんとかいう構成員の気紛れで結成したバンドに脅されて加入しただけだ。春山さんがどうこう言わない限りは動きも何もないそれをオレの意志で動かすはずもなくだな。
「お父さん、リンさんのこと知ってたの?」
「知ってるも何も! 西海の洋食屋の話はきららにもしてただろ」
「ああ、ディナータイムにピアノ演奏のあるお店ね」
「そこで弾いてるのが何を隠そう彼だよ。星羅と泰稚連れてピアノ聴きに行ってさ」
「お父さん、例によってご飯そっちのけで音楽ばっかりで大変だったんだ。お店の人にあのピアノの人と話させろって詰め寄ったんだ。ボクはそれを引き摺って帰って来たんだ」
「ああ……大変だったねお姉」
「その時は話せなかったけど、年末の音楽祭でやっと会えてさ~! しかも泰稚と友達になったって言うじゃない? よくやった息子よって感じじゃん!」
「あの、誠司さん、気が早いです」
「一応まだ息子じゃないんだ」
「……きらら、スガの奴、完全に退路無くなってね?」
「まあ、今更ではあると思うけどね」
そんなような事情で、オレの顔を見るなりきゃっきゃとはしゃぐ中年男性の相手をさせられてみろ。いくら有名なサックス奏者と言えそろそろ「わかったわかった」と軽くあしらいたい気になるだろう。一応星羅からは「お父さんはスルーでいいんだ」と助言をもらってはいるが。
「そうだ、今度新譜出るからブルースプリングのメンバーにも渡してよ。リン君が僕を知ってくれたのってメンバーからの紹介だったんでしょ?」
「そうですね。件のベーシストからジャズの教本代わりに寄こされた山の中に須賀さんの音源がありましたね」
「結局僕が会えてないのってそのベーシストの子なんだよねえ。青山君は年末に挨拶したけどさあ。うーん、何とかして会えないものかなあ」
「一応、就職先が相当なブラックだったようでひーこら言っているとだけお伝えします」
「ベーシストって社畜じゃなきゃいけない決まりでもあんのか」
「カン、それはちょっと話としては限定的過ぎないか。……いや、一応ヤスには気を付けろって言っとくか」
end.
++++
塩見さんは繁忙期はどちゃくそ忙しいけどそれ以外は有給を上手く活用してゆる~く休んでるから社畜ではないよ一応!
須賀誠司氏とリン様を絡ませたいがためだけのドーナツの季節でした。でも感じる季節が抹茶ではなかった。残念。
ブルースプリングはなかなか全員揃うことはないし春山さんは青山さんから逃げてるけど、青山さんが春山さんの居場所を特定するまでそんなに時間はかからない気がする
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「リン、いるんだ? ドーナツがあるんだ! 食べるんだ?」
「ドーナツ。また急だな」
「お父さんが帰って来たんだ! その手土産なんだ」
「数が余分にあるのであればもらおう」
「じゃあ、選びに来るんだ!」
ゲーム実況グループUSDXの音楽拠点として使わせてもらっているのはサックス奏者の須賀誠司邸内スタジオ。豊葦市内にあり、向島大学のお膝元にあることから、辺りは学生の住むアパートやコンビニなどが多い印象だ。
家主の娘、星羅とは昨年末の音楽祭で顔を合わせていた。尤も、演奏者ではなくライブに乱入しに来た須賀誠司をライブバーまで送り届けるためのドライバーとしての来場だったが。妹のイラストレーター・きららの方が姉のような雰囲気のあるデコボコ姉妹だ。
呼ばれるままにリビングに入ると、テーブルには石川の持って来るいつものドーナツ店の箱ではなく、いくらかランクが上であろう物だ。須賀姉妹とスガノ、それからカンノがその箱を囲んでどれにすると盛り上がっている。
「おーリン、来たか! はいこれ、お前の旗な!」
「旗とは」
「郷に入っては郷に従えって言うだろ! 須賀家のルールだよ。食いたいヤツに旗を立てるんだ」
そう言って持たされたのは、青い旗だ。箱の中にある地味な、ただ茶色いドーナツには既に「太」と書かれた黄色い旗が立っている。カンノがキープした物のようだ。それはあまり甘くないシンプルな物らしく、暗黙の了解で甘い物が苦手なカンノの物であったようだ。
「ではオレはこれを」
「甘いヤツなんだ! リンは甘いのが好きなんだ?」
「お姉、リンさんは常にアメを携帯してるんだよ」
「糖尿になるんだ」
「きらら、よく知ってるなそんなの。リンお前常にアメ持ってんの?」
「バネの立ち絵にも反映してる設定だからね」
「確かに、大学で着ている白衣やバイト先のスタッフジャンパーのポケットにはチュッパチャプスを入れているが」
「マジかよ。チュッパチャプスなんかもう何年も食ってねーぞ」
一般的な店であろうと高級店であろうと食う物自体はさほど変わらんようだ。条件反射的にハニーグレーズでコーティングされた物を選んでいた。このテの物は買った直後が一番美味い。時間が経つと上のコーティングがべた付くのだ。
「あっ、リン君じゃない! ナイスタイミングで帰って来たなー!」
「須賀さん。ご無沙汰しています」
人数分の紅茶を淹れてやって来た家主に軽く会釈をする。会うのは年末振りだから、ご無沙汰で間違いないだろう。サックス奏者としての須賀誠司については春山さんから講釈を受けているから音源も聞いているし生の音も聞いたのだが、如何せんオフの人格が。年甲斐もなくテンションが高いのだ。
「あれからバンドはどうしてる? ブルースプリング、やってる?」
「言い出しっぺのベーシストが就職に伴い向島を離れたのでこれからもそうメンバーが揃うことはないでしょう。一応バンドの看板は下ろさずにいると青山さんは話していましたが、開店休業状態ですね」
「えー! もったいない!」
「そうっすよね! 誠司さんも3人揃ったブルースプリング、見たいっすよねえ!」
「見たい見たい! カンも見たいよねえ!」
「そーなんすよ! それなのにリンの野郎はいないメンバーを集めようともしないで流れに任せるだけでよー」
「それは良くないなあ」
――と、カンノも須賀氏も好き勝手に言うが、元々オレは春山さんとかいう構成員の気紛れで結成したバンドに脅されて加入しただけだ。春山さんがどうこう言わない限りは動きも何もないそれをオレの意志で動かすはずもなくだな。
「お父さん、リンさんのこと知ってたの?」
「知ってるも何も! 西海の洋食屋の話はきららにもしてただろ」
「ああ、ディナータイムにピアノ演奏のあるお店ね」
「そこで弾いてるのが何を隠そう彼だよ。星羅と泰稚連れてピアノ聴きに行ってさ」
「お父さん、例によってご飯そっちのけで音楽ばっかりで大変だったんだ。お店の人にあのピアノの人と話させろって詰め寄ったんだ。ボクはそれを引き摺って帰って来たんだ」
「ああ……大変だったねお姉」
「その時は話せなかったけど、年末の音楽祭でやっと会えてさ~! しかも泰稚と友達になったって言うじゃない? よくやった息子よって感じじゃん!」
「あの、誠司さん、気が早いです」
「一応まだ息子じゃないんだ」
「……きらら、スガの奴、完全に退路無くなってね?」
「まあ、今更ではあると思うけどね」
そんなような事情で、オレの顔を見るなりきゃっきゃとはしゃぐ中年男性の相手をさせられてみろ。いくら有名なサックス奏者と言えそろそろ「わかったわかった」と軽くあしらいたい気になるだろう。一応星羅からは「お父さんはスルーでいいんだ」と助言をもらってはいるが。
「そうだ、今度新譜出るからブルースプリングのメンバーにも渡してよ。リン君が僕を知ってくれたのってメンバーからの紹介だったんでしょ?」
「そうですね。件のベーシストからジャズの教本代わりに寄こされた山の中に須賀さんの音源がありましたね」
「結局僕が会えてないのってそのベーシストの子なんだよねえ。青山君は年末に挨拶したけどさあ。うーん、何とかして会えないものかなあ」
「一応、就職先が相当なブラックだったようでひーこら言っているとだけお伝えします」
「ベーシストって社畜じゃなきゃいけない決まりでもあんのか」
「カン、それはちょっと話としては限定的過ぎないか。……いや、一応ヤスには気を付けろって言っとくか」
end.
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塩見さんは繁忙期はどちゃくそ忙しいけどそれ以外は有給を上手く活用してゆる~く休んでるから社畜ではないよ一応!
須賀誠司氏とリン様を絡ませたいがためだけのドーナツの季節でした。でも感じる季節が抹茶ではなかった。残念。
ブルースプリングはなかなか全員揃うことはないし春山さんは青山さんから逃げてるけど、青山さんが春山さんの居場所を特定するまでそんなに時間はかからない気がする
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