2020(03)

■スローフリッカー

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 卒論の提出期限は1月15日の午後4時。そこに向けて俺はラストスパートをかけていた。卒論の他にはUSDXをはじめとする動画関係、それから宮林さん……もとい伊東さんに誘われてるイベントに向けた原稿を抱えている。他には、完全なる趣味の書き物と。
 卒論を追い込みたいなら卒論だけに集中しろと言われそうだけど、俺はいくつも書き物を抱えて締め切りに追われていないとなかなか実力以上の物が出ないんだ。ギリギリのところに立った時に、ふと湧いてきた言葉がピッタリハマった時の爽快感と言ったらない。
 そんな生活をしていると昼夜もないし食事のバランスもクソもなくなっていた。4年にもなると授業もほとんどないから、それこそ真面目にゼミやUSDXの配信で曜日感覚を保っているっていう感じ。生活のメリハリにもなるし、USDXやってて良かったと思う。

「あー……空か」

 飲もうとして空ぶったレッドブルの缶を後ろに放り投げ、手の届く範囲にあるワンドア冷蔵庫に手をかける。部活の現役時代、立つ時間も惜しくて買った物で、当時はレッドブルや飯代わりのゼリー飲料を詰めていた。いや、過去形で言ってるけど今も大差はなかった。

「ん?」

 ピンポーンとインターホンが鳴り、何か荷物届くっけと疑問に思いつつもドアの覗き窓を確認する。誰かを確認してドアを開いたものの、伏見が俺に用事なんてどうしたんだろうか。ゼミ室に何か忘れ物でもしてたかな。

「あっ、朝霞クン急にごめんね」
「どうした?」
「朝霞クンこないだゼミのときに、ポテトパイ作ってくれたら食事するって言ってたでしょ。だからこれ。ポテトパイ」
「……あの、それ、どういう流れで言ってた?」
「あー! やっぱり記憶ないパターンじゃん! 薄々自分が何喋ってるかもわかってないんだろうなとは思ってたけど!」
「とりあえず今お茶出すし、良かったら飲んでって」
「ありがと」

 付き合う前と付き合っている時、それから別れた後も全く関係性が変わっていないとは大石に言われて改めて思った。こないだ伏見に振られて彼氏彼女としての付き合いは終わったけど、本当に別に何が変わったでもなかったし。

「ほら、あたしたち今卒論書いてるでしょ。朝霞クンはいつものように食事も睡眠も抜いて書くことだけをやってるんでしょって、ご飯食べてちゃんと寝なきゃダメだよってあたし叱り飛ばしたじゃん」
「ああ、叱り飛ばされたんだな」
「ゼリーばっかりじゃダメ、何なら食べてくれるって聞いたらポテトパイなら食べたいって」
「言ったのか」
「言った」
「わざわざすみません。せっかくだし、いただこうかな。レッドブルも切れたし」
「だから、レッドブルに頼っちゃダメなんだって。最良の原稿は健全な肉体から。それじゃ、トースター借りるね」

 最近言ったらしいことを本当に覚えてなくて、それなのにわざわざポテトパイを作って持って来てくれた伏見には申し訳なさと感謝しかない。人のために動くことを厭わない奴だなと改めて思う。来春からの就職も、リラクゼーションスペースのセラピストに決めたそうだ。
 自分のこういう性質が人でなしと言うか、俺がクズたる所以なんだろうなと思う。書くことに集中してると他のことをやっててもその記憶が曖昧になるし、他人のことなんか気にも留めなくなるし。欠点だとは分かってても、全然治らない。

「はい、出来たよ」
「あれっ、前もこんなだったか?」
「味を増やしたんだよ。ボロネーゼ風とトマトは前と一緒で、こっちがサーモンクリーム味で、こっちがカレー味」
「サーモンクリームとか絶対美味いヤツだな。あー……ビール飲みたい」
「今日は我慢ね」
「それじゃ、いただきます。あふっ。ふーっ、ふーっ……あふい」
「朝霞クンて猫舌なのに、あっためた方が美味しい物は絶対アツアツにするよね」
「一番美味い温度で食いたいんだよ」
「熱くて涙目なのに」
「仕方ねーだろ」

 伏見のポテトパイは相変わらず美味い。山口のだし巻き卵とじゃこたまごかけごはんとまでは行かないけど、たまに食べたくなるものランキングの上位には入っている。新作のサーモンクリーム味も今の季節にピッタリで間違いない。

「サーモンクリーム、めちゃ美味い。冬の夜に最高」
「良かったあ、まだ誰にも食べてもらってなかったからさ」
「伏見、いつも面倒かけてごめんな」
「朝霞クン、ごめんなは反則だよ」
「え? 何でだよ」
「何となく」
「何となくかよ」
「別に、あたしがしたくてしてるんだし。ほら、朝霞クンてあたしが作った物を本当に美味しそうに食べてくれるから、もっともっと詰め込みたくなっちゃうよね。もっともっと何でも作るからね!」
「今日はポテトパイがあるし、また今度頼む」
「また一緒に本屋行ったり映画見に行ったり、卒業制作の台本も読んでね」
「ああ。もちろん」

 やってることは前と同じだし、俺たちの関係性も何も変わらない。だけど俺の気持ちの今まで使ったことのなかった部分がじんわりとしていて、それを何と呼ぶのか俺はまだ知らない。いつかそれを知る日は来るのだろうか。


end.


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別れた後の朝霞Pとふしみんですが、やっていることは基本的に同じです。最近では卒論執筆に忙しいお2人。
朝霞Pは慧梨夏と同じ会社に就職するようなのですが、ふしみんはリラクゼーションスペースのセラピストになるとか。マッサージ上手だったもんね
別れた後で朝霞Pとちーちゃんがどういう話をしていたのかはちょっと気になるところ。でもちーちゃんは多分この件では朝霞Pの味方だぞ

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