2020(02)

■私情の部屋

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「はーっ……はーっ……うっ、げほっ、ぁ、ふーっ……」
「彩人、大丈夫か」
「食ったモン全部出た……気持ち悪……」

 夏合宿初日夜。奇数班、偶数班に分かれてのパート別講習が行われた後のことだった。全く予測出来ない事態ではなかったけど、彩人が女子に話しかけられて体調を崩してしまった。合宿だから初対面の女子がいることくらいは本人もわかってたし、慣れた班員もいるから大丈夫だろうとは思っていたら。
 話しかけてきたのは向島だったかの女子だ。初心者講習会には出ていなかったそうだ。彩人がサキと話していたら、その会話に横から割り入って来てガンガン来たと。奇数班のミキサーには彩人の女性恐怖を知っている人もいたから、それとなく彩人を庇おうとしてくれてたみたいだけど、結果としてはダメで。

「ササ、ちょっと」
「はい。ごめん彩人、ちょっとだけ待ってて」
「あいよ……」

 高木先輩から呼び出され、休ませるなら対策委員部屋の隣に予備の部屋があるからそこに入ってと指示を受ける。修学旅行とかでもある、緊急用の医務室代わりの部屋をこんな合宿でも取ってあったとは驚きだけど、有り難くその部屋に入らせてもらうことにしよう。

「彩人、おまたせ。対策委員部屋の隣に休める部屋があるそうだから、そこを借りよう」
「ホントすんません……」
「俺は別にいいよ」
「お前は良くても、高木さんとか、他の人にはちゃんとしとかねーと」
「そうだな。確かに。お前は正しい。でも、それは元気になってからでいい」

 吐く物を吐いて少しは落ち着いたのか、さっきまでよりは落ち着いた様子で彩人は歩き出した。せっかく晩飯の白身魚フライ美味かったのに、と悔しがる様にもちょっとは元気になってるのかなとは安心するんだけど、気にするところがそれかと。
 対策委員は専用の少人数部屋があって、俺たち一般の参加者は男女別の大部屋に入ることになっている。俺たちが今通されたのは対策委員の部屋の隣に構えたという小さな部屋。人の通りも少なくて、静まり返っている。

「この部屋かな。2段ベッドの4人部屋か」
「すげー、ベッドだ」
「……さすがに俺は大部屋に戻らなきゃダメだろうな」
「いいんじゃね、付き添いの体で。しばらくいてくれよ」
「しばらくはいるよ、そりゃ。消灯後の話」

 コンコンとドアがノックされて、入るよという声に俺たちははーいと返事をする。高木先輩だ。

「水と、また気分が悪くなったときのために一応、袋ね」
「ありがとうございます。ホントすいません毎度毎度」
「ううん。……やっぱり女の子、キツかった?」
「晩飯前までに絡んだ子はそんなでもなかったんで大丈夫かなーと思ったんすけど、さっきの向島の子はガンガン来たんで、ちょっと。あの、みんな引いてなかったすか、俺、あんなんなって」
「ううん、大丈夫。サキには俺がフォローしといたし、みわにはみちるが適当に話してくれてたみたい」
「はーっ……みちるマジ…! 今度食パン奢る…!」

 彩人の中で、同じ星ヶ丘の戸田班でステージをやってる仲間たちに対する信頼はかなり厚いらしい。アナウンサーのくららこと海月とは意地の張り合いになることも多いみたいだけど、ディレクターのみちるに対しては素直に信頼を見せ始めているみたいだ。
 星ヶ丘の対策委員、ゲンゴロー先輩は自分の班の取りまとめになかなか苦戦していて、彩人を心配しつつもなかなか自由には動けないようだ。ただ、こちらとしてはいろいろな意味でこうしてこっちを気に掛けているのが高木先輩で助かっているし、有り難い。

「みちるって食パン好きなの?」
「あ、いや、俺がバイトしてる店の食パンってすげー美味いんすよ。前に買ってったら喜んでたんで、今日のお礼で持ってこうと思って」
「へえ、いいなあ。どこの店? 俺も朝は食パン派だし気になるなあ」
「花栄のコーヒースタンドなんすよ。もちろんコーヒーも美味いっすよ。高木さんにも今度持って来ます」
「いいの? ありがとう」
「いえいえ」
「……彩人、俺には? 持って来てくれない?」
「お前は俺ん家に来い」
「ササ、やきもちを焼くなとは言わないけど、一応合宿中だからね」
「ほら、言われてんぞリク」
「失礼しました」

 わかってる、当然わかってる。今は合宿中。だけど、合宿中だろうと何だろうと心は動く物じゃないか。番組に私情は挟まない。だけど今この部屋でだけは、少しだけ許してもらえないかと。大部屋に戻る頃には普段通りの顔でいられるように努力しよう。

「とりあえず、しばらく休んで大丈夫そうだったら大部屋に戻ってもいいし、ここで寝てもいいし」
「高木先輩、逆に俺がここで」
「ダメ」
「えー……」
「仮病を使うのもなし。今話してる感じだと、1人でも大丈夫そうだからね。お風呂にも入らなきゃだし。一応、夜の時間は班ごとに番組の打ち合わせっていう体なんだから。今だってミドリに頼んで3人で打ち合わせてもらってるし」
「うわ、マジで申し訳ない…!」
「彩人は気にしないで。ササ、いい? 心配なのはわかるけど、ササはちゃんと大部屋に戻る。何かあれば俺が動くし」
「はーい」


end.


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TKGが毅然とした先輩をやっているだと…!?(MBCCの母とお姉さんに似て来たかね) というワケで夏合宿1日目の夜です。ちょっとトラブルが起こったようです。
タカちゃんが心配していた展開になってしまったようだけど、彩人は基本周りの人の心配を最初にしてるよなあ、こないだの時もそうだったし。
彩人の食パンの話もちょっと見てみたいなあ。どんだけ美味しいパンなんだろう。でもそういうお店のパンとかってこだわってそうだもんね

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