2019(04)

■WORLD SLOW

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 サークルの新歓活動で掲示するポスターはまだ完成していなかった。進捗は遅れていたけれども「明後日までに掲示出来ればセーフっしょ」と律からのお許しを得ていたので、俺は一人大学までやってきてポスター班の作業をしていた。いろいろな層に訴えかけられるよう一応2パターン作ろうなどと欲張ったのが進捗遅れの原因だ。
 さて、このごろはやたら気温が高く、あったかいを通り越して暑いとすら感じる陽気だ。一応脱ぎ着しやすい服では来ているものの、日差しの下を歩けば暑いし影に入れば寒いしと、寒暖差が激しすぎて嫌になる。建物や地下鉄のことも考慮しなければならないし、服装を考えるのはかなりの重労働だ。
 ポスターの作業を一段落させ、学食で昼食にでもしようかと情報棟を出る。明るい色の石畳に照り返った光が引きこもりの目を刺激する。うう、しんどい。外になんか出たくない。だけど外に出なければ食事にもありつけないし、仕方ない。ついでだから、ポスターを印刷する紙も後で買って戻ろう。
 ようやく眩しさに目が慣れた頃、薄暗い食堂にたどり着く。やっぱり、授業が始まらないと真昼でも人は少ない。並ぶ人のない食券機に小銭を入れ、やっぱり丼の大盛りだなと思った時のことだった。不意に、塩ラーメンのボタンに目が留まる。菜月先輩がいつも召し上がっていたものだ。
 塩ラーメンと大盛りのご飯のボタンを押して、2枚の券とトレーを手に次のレーンへと進んでいく。春休み期間はMMPの活動はやってないので当たり前だけど昼放送などは流れてなく、有線放送の音楽がただただ垂れ流されている。そして麺のレーンに行くまでにうっかり揚げ出し豆腐の小鉢を取ってしまった。レジで精算しなければ。

「どこかで見た奴だと思ったら、ノサカじゃないか。何をやってるんだ」
「えっ? あっ、菜月先輩! お疲れさまです! 俺はこれから食事を」
「それは見ればわかる」
「申し訳ございません。ええと、俺が大学に来ているのは新歓のポスター制作のためですね。一応キリがいいところまで出来たので休憩をしようと」
「そうか、そんな季節か」
「菜月先輩は、何をしにいらしたのですか」
「まあ、細かいあれこれの積み重ねだな。購買に行ったり、キャリアセンターを覗いたり、ゼミ室に行ったり。そのあれこれをやっつけたらそこの坂でお花見でもしようかなと」

 まさか菜月先輩とお会い出来るとは思わなかった。これはポスター制作を頑張ったご褒美か何かだろうか。せっかくなので一緒にご飯を食べようということになり、俺はそれに二つ返事で了承した。と言うか菜月先輩からのお誘いだなんて断る理由がどこの世界にあるというのだ。
 菜月先輩が頼まれたのはいつものように塩ラーメンだった。菜月先輩は新しいもの好きの一面もあったと思うのだけど、学食で食べる物に関してはその決定がブレたのをほとんど見たことがない。唯一の例外は、学食の企画で緑風フェアが行われたときだ。そのメニューを制覇しようとまずひとつ食べたら「もういいかな」という結論に至ったそうだ。

「そう言えば、新歓の季節なのか。えっ、このご時世だけど、ビラ配りとかはどうするんだ?」
「ビラ配りは中止で、今年は大学がサークル紹介サイトという物を公式で用意してくれるそうなので、そのフォームに必要事項を記入して送信すればオッケーという仕組みになったそうです」
「へー、スマホひとつでいろんなサークルを確認出来るみたいなことか」
「そうですね。写真や動画もアップ出来るようで、俺たちも簡易番組を作って上げようということになり」
「そっか、どんなことをやってるのか実際に見て……と言うか、聞いてもらうことも出来るのか」
「そういうことです。先日行われた春の番組制作会からパソコンを用いての同時録音を始めていまして、その要領でこの番組もMP3形式のファイルにしてそのままサクッとアップロードを」
「時代だなあ」

 引退して3ヶ月とかなのに時代が進むのは早いなあ、と菜月先輩は感慨に耽っていらっしゃる。今年の事情が事情と言え、確かにこんなことでもないと新歓に必要な資材のデジタル化は出来なかったかもしれない。同録のデジタル化に関してはお上の事情だという風には聞いているけれども。

「同録をパソコンで録るようにしたのはMDが時代に則さないからとかそういう?」
「それもありますし、定例会の台所事情も大きいようです。MD代はバカになりませんから。昨年度は機材補償費による収入が例年の3分の1にまで激減したそうで、何とかして削る物を削らないと、という結論に至ったとか」
「おいおい、前定例会議長は何をしてたんだ」
「L曰く、星大さんから機材を借りまくってたツケだと」
「ははーん、してやられたってコトか。要は、石川に定例会がボロ負けしたと。っとっと、この表現を圭斗に聞かれたら絶対キレるな。ノサカ、今のはオフレコで頼む」
「わかりました」

 資金難なのにパソコンはどこから出てきたんだとか、緑ヶ丘からウチにも機材をいただいたんですよというような、最近MMPやインターフェイスであったことの話が止まらない。こんなことがありましたという俺の話を、菜月先輩は目を輝かせながら聞いてくださるのだ。
 俺の話ばかりで菜月先輩の話をあまり聞けていないのが気になった。だけど、それは食事をしている最中だからだろうと納得した。菜月先輩は元々食事中にあまり喋らない方だ。もし食事が終わってまだお時間に余裕があられるようなら、菜月先輩の話も聞かせていただければと思う。

「ところでノサカ、ポスターを描いてるのか」
「当然手書きなどは出来ませんのでグラフィックソフトでの制作になりますが」
「凄いじゃないか。お前はプログラム専門だと思ってたけど、そんなソフトまで使えるのか」
「授業で習いましたので」
「安定のS評価だなじゃあ」
「それはともかく、ソフトは何となく使えても、肝心のデザインなどは菜月先輩頼みです。ですので、俺の功ではありません」
「ん? うちが何かしたか?」
「学科でグラフィック系の授業も履修していたとバレてポスターを作れと言われたのですが、デザイン力に難があると律に訴えたところ、菜月先輩が過去に制作してくださったポスターのデザインをまとめたファイルが無言で投げられまして」
「なるほど」
「俺に出来るのはそれを参考にデジタル化することです」
「それでも、ちゃんと形になったんだとしたらそれはお前の仕事じゃないか」

 そう言って菜月先輩は水を含む。まあ、過去のいい物を参考にして新たな物を実装するのは罪じゃない。菜月先輩のよく言われる「毛を生やす」にしてもそうだ。このポスターに関しては菜月先輩が考案されたものを俺がデータ化したことで、今後それを量産しやすくなったと考えれば効率化とも言えるだろう。

「ノサカ、もしまだ時間に余裕があるなら花見をしよう」
「ええ、喜んでお付き合いいたします」
「ギリ春休みで人がいないだろ。ゆっくり桜が見たいと思って。圧巻じゃないか、あそこの桜は。卒業出来るようなら今年が最後だし。ちゃんと見ときたいなと思って。あわよくば写真を撮る」

 忘れかけていたのだけど、明日になればもう4月で、新入生を歓迎するということは俺たちは普通に進級するワケで。俺が3年になるということは、1学年上の菜月先輩は4年生に進級されるのだ。菜月先輩とここで春を迎えるのも最後。その事実が急に重くのし掛かってくる。
 菜月先輩が指定された花見の場所は、大学の校門から4号館へと向かって延びる桜並木の坂だ。サークル棟に向かって歩くときには裏駐車場へ抜ける為に中腹辺りで横切るのだけど、その逆も然りで、サークル棟から返ってくるときにも通る道だ。番組の収録終わりに毎週通った思い入れのある場所とも言える。
 薄暗い学食から出ると、また光に目がやられる。それは菜月先輩も同じだったようで、以前と同じように俺を日除けにして歩くのだ。少し歩くと、件の坂に差し掛かる。桜並木が見頃を迎えているようだった。学内にほとんど人がいないから、そこにあるのは風が木々を揺らす音だけだ。

「何だかなあ」
「どうかされましたか」
「いや。世の中がこんな空気でさ、自粛だー、気を緩めるなーってさ。物々しいじゃないか」
「そうですね」
「オリンピックみたいな大きなことばかりじゃなくて、サークルの新歓みたいな小さなことにだって影響が出てるし。だけど、ある意味でウイルスは何物にも平等だし、桜はそんな事情にもお構いなしで咲いて、時間が進むことに安心感がある」
「時間が進むことに対する安心感、ですか?」
「それがもたらすのは必ずしも希望じゃない。だけど……何だろ、語彙がなさすぎて言語化が出来ないんだけど、時間が進んでいることで何かしら状況が変わるから、自分の感情もちょっとずつ変わって、無じゃないと」
「菜月先輩の死生観に関わるお話でしょうか」
「そうかもしれない。桜とある意味セットじゃないか」
「そうですね。その儚さ故に、桜に浚われるなどとも言いますからね」
「今だったら、いつやられて隔離されるかな、くらいのカウントダウンをしてる感と似てるかもしれない」

 難しいことを考えるのはやめよう。そう言って菜月先輩は桜の木々を見上げる。時間が進むことでもたらされるのは必ずしも希望ではない。それは確かにそうだけど、改めて言われるとそうなんだよなあと何とも言えない気持ちになる。人は必ずしも前向きな考え方ばかりをしていられるワケじゃないこともわかっている。
 俺は今、ただただこの時間がゆっくり進めばいいと思っている。菜月先輩と一緒にいられるこの瞬間を、少しでも長く味わえればと。菜月先輩のお言葉を借りると、時間が止まることでもたらされるのはただの無だ。自分がいて、先輩がいらっしゃって。時間が流れて周りが動くことで、感情に色が付く。だから止まるのではなくゆっくりと。

「あ、猫だ。珍しいな、こっち側にいるなんて」
「本当ですね。バス停側ならともかくこっち側では珍しいですね」
「おいでー、ねこー。ねこー」
「あ」
「あー、逃げられた。野球もないし。ゲームのし過ぎで肩こりと頭痛が酷いし。引きこもるのもラクじゃないよなあ。そこの木揺らしたらお金降って来ないかな」
「失礼なのは承知ですが、菜月先輩はまだ程良く履修があられるはずなので、4月になれば否応なしに外に出ることになるのでは――……ってえ!」
「ノサカ君、週3登校で済んでいるとは言っておくぞ」

 パシッという鋭い音に、下から睨み上げられる鋭い目つき。久々に食らった伝家の宝刀・ローキックのキレは凄まじい。痛いんだけど痛くなく、下手に避ける方がエラい目に遭うという絶妙な加減で繰り出されるそれだ。

「それでも一般的な文系の4年生の登校頻度ではないかと……」
「そうかそうか、また蹴られたいか」
「申し訳ございませんでした!」
「何かもう今日は就活とかゼミとかいいや」
「ええー……」
「ノサカ、黒猫の小路に行かないか?」
「――と言いますと、豊葦市駅前にあるケーキ屋さんですよね」
「何か、スマホにお知らせが来てたんだけど、メロンを使ったメニューがそれはもう安くなってるとかで。このメロンパフェがなんと600円!」
「いつもは1200円でしたよね!? これは素晴らしいです!」
「そういうことだから、お前がポスターを刷ったら行こうじゃないか」
「はい!」

 最近じゃ、世の動きは慌ただしいし、物々しい。だけど、たった2人でいるだだっ広い学内の時間は、とても穏やかに進んでいるように思える。その時間が運んできたのは、束の間の幸せだ。長い目で見れば菜月先輩との別れに少しずつ近付いていることには違いない。だけども、その時が来るまでに何が出来て、何をしなければならないのかをしっかり考えて動こう。もし菜月先輩が無に浚われてしまっても、彼女の周りで止まった空気を俺が動かせるように。そうだ、菜月先輩に見合う男になりたいという思いは、時勢にも他人にも左右されない、確固たる物だった。

「あれっ。そう言えば、刷ったポスターは貼るところまでやるのか?」
「あー……律からはハンコをもらってくれれば助かるという風には聞いているのですが、その先のことまでは聞いていませんでした」
「それじゃあ、貼っておけばいいんじゃないか? りっちゃんにわざわざ大学まで来てもらうのも大変だろ」
「そうですね。連絡だけ入れて貼っておくことにしましょう」


end.


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ノサナツ年なので、ちょっといい話風に閉めたいと思うじゃないですか。無駄に長くなったよね~~~こないだの戸田班以上やんけ
というワケで、2019年度ナノスパはこれでおしまい。去年の高菜話に比べればノサナツの関係に変化も結論も何もありませんが、まあ、これはこれでそれらしい。
イシカー兄さんに定例会が惨敗とか、菜月さんだからこそ出来る表現ですね、多分。それを圭斗さんが聞いたら予想通りの反応だとは思いますよ

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