2019(04)

■顔を作るのが難しい

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「――ぅあっ…!」
「ん? どうした、性悪狸」
「話しかけんな、クソ狐…!」

 机の下に転げ落ちたボールペンを拾おうと前傾姿勢になったら、久々にピキッと来やがった。こうなると、あまり動かさない方がいいのは経験からわかっている。ボールペンを拾えないまま、今は腰に手を添え耐えるしかない。最近は落ち着いたと思ってたのに、これだからギックリってヤツは…!
 ギックリ腰の経験はこれが初めてではない。あれは確か夏になろうとする頃だっただろうか。あのときも確かゼミ室だった。リンと美奈が二人で西京なんかに行きやがった日に、怒りに震えた拳を振り下ろそうとしたときのことだった。あれから腰痛がクセになっているけど、忘れた頃にデカい波が来やがる。

「どうした、急性腰痛か」
「ああ」
「自力で動けるのか」
「厳しい。リン、介助してくれ」
「この貸しは高いぞ」

 奴に貸しを作るのは癪だが、起き上がるにもペンを拾うにも、病院に行くにも自力で動けないので仕方ない。とりあえず、前傾姿勢からまっすぐになってみたものの、ここからどう動こうか考えなければならない。垂直に、腰を捻らないように立ち上がるくらいであれば問題ない。難しいのがその先だ。
 なるべく体重がかからないように、捻って無理な力がかからないようにそろそろと、摺り足のように歩く。リンの車に乗り込むのも一苦労。座っているだけであれば何とか出来るから病院に着くまでは大人しくしているけれども。初回の時は悪態を吐いてきたリンも、今回は俺に同情しているようだ。

「高崎の実家の医院でよかったか」
「ああ、頼む」

 病院に着いて、一通り受付を済ませて順番を待つ。たまに電気をかけに来ていたから今回もそうなのかと問われたのに対しては、今日はまたピキッと来たと説明を。出来れば電気だけではなく痛み止めが欲しいこと何かを伝えた。順番を待つのに座ったり立ったりを繰り返すのもしんどい。

「悪いリン、しばらく待たせる」
「いや。この病院は雑誌のラインナップがいい意味で特殊だ。退屈はせん」
「まあ、確かに普通の病院とはちょっと違うよな」

 病院の雑誌と言えば地域の情報誌や週刊誌、生活雑誌が基本で、他にはその医院の診療科に関係する本などが主になる印象がある。糖尿がどうしたとか、歯並びがどうしたとか、鬱をどう治すとか。だけどここ、高崎整形外科クリニックの雑誌ラインナップはとにかくおかしい。
 ざっと本棚を見る限り、情報誌や週刊誌といった基本も押さえてあるけど、他にはスポーツ雑誌が豊富だ。これはスポーツドクターのいる病院だから何となくわかる。だけど、それ以外にもガジェット系の雑誌や音楽雑誌なども置いてある。リンが今手に取ったのはジャズ雑誌だ。そんなのまであるのか。
 ――などとやっていると、受付番号何番の方、と音声ガイダンスが鳴る。自分の番号であることを確認して、1番の部屋にどうぞと通された。今日は院長先生だ。これまでの経過と、今日はどうしてピキッと来たのかを説明して処置をする。痛み止めの注射と、電気を。今回は貼り薬と飲み薬も処方してくれるそうだ。

「おっ。石川、戻ったか」
「ああ」

 一連の処置を終えて待合い室に戻ると、リンは談笑しているようだった。ただ、その相手というのが。

「嘘だろ」
「それはこっちのセリフですよ! えっ、そっか、星大だもんね! 納得!」
「石川、このスラッシャーと知り合いか」
「オンでの知り合いだ」

 リンと談笑していたのはオンでの相方の雨宮さんで、その様子を見ている限り結構仲がいいような感じだ。俺としては、こんなところで会うとも思ってないからどの顔を作るべきか一瞬悩む。片桐さん……オンの顔でリンの前に立つのも何か違う気もするし、かと言って雨宮さんは石川クンをやる相手でもない。

「え、そっちは」
「うちとリンちゃん、高校の同級生。1年の頃のクラスメイト」
「そうなのか。って言うか、病院に来るとか何か怪我でも」
「足首がクセになっててさ、今日ちょっとしんどかったから電気かけてもらおうと思って」
「そっか、バスケやってるもんな」
「そうそう。あっ、リンちゃんから聞きましたよ、ギックリやったって。また作業出来なくなっちゃいますね」
「ホントに。あっ、春の原稿は頑張ります」
「あの、無理はしないでくださいね。落としそうなら言ってもらって。無理して絵描き生命が絶たれてると同人界の大きな損失ですからね」

 俺の絵描き生命が同人界を左右するかと言えばしないと思うけど、春に出すことになっていた合同誌の原稿に関しては無理のない程度にやらせてもらうことに。と言うか、雨宮さんこそ自分がどれだけ創作に対する作業ペースやなんかがキチってるかわかってるのかなこの人。
 こないだのイベントでだって名刺サイズに出力出来るプリンターを持ち込んで、ちょっとした合間にスマホでスケブ代わりのSS書いてプリントしたものを渡してたっていう。現地には行ってないけどレポートを読んで、何やってんだって。まあ、早割に余裕で間に合わせた新刊の他にイベント前日までコピー本、直前まで折り本を作ってる人だしな。

「あっ、うちの番だ。それじゃあ、また」
「お大事に」
「多分ね、そっちのが重症」

 確かに。そう納得したそのとき、会計に呼ばれた。とりあえず、貼り薬と飲み薬ももらえたからしばらくは大人しくしていよう。バイトも今週はキャンセルさせてもらって。クソッ、この時期に収入が減るのは大きな痛手だぞ。もうバレンタイン商戦は始まっているというのに。

「では、大学に戻るか」
「お願いします。リン、何か飯でも食ってくか。今日は世話になってるし奢る」
「――とは言うが、あまり立ったり座ったりせん方がいいのではないか。ああ、ドライブスルーにするか。ちょうどハンバーガーなどがいいと思っていた」
「たまにはそういうのもいいな。この近くだとどこになるかな」


end.


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イシカー兄さん、ギックリの再発です。今回はリン様がただただいい人なだけになってしまったけど、同情の結果でしょう。
そしてまさかの慧梨夏登場で、兄さんはどの顔をすればいいか一瞬わからなくなったよ! でもバスケやってるなどの情報は知ってるのね。
今回はリン様がただただいい人になってしまったので、久し振りに性格がアレなところもやりたいなどと

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