2019(03)
■Stairway to the Stars
++++
今日が、本当の本当に、菜月先輩と一緒に昼放送の収録が出来る最後の日だ。
昨日は購買のガラポン抽選会で菜月先輩が当てて来た米を消費するのが目的のカレーパーティーが開かれ、俺はカレーライスをしこたま食べた。文字通りに丼3杯だ。先輩方からは少し呆れられてしまったけれど、それだけ菜月先輩の作って下さったカレーが美味しいんだ。
翌土曜日に昼放送の収録があるということで、俺はそのまま圭斗先輩のお宅に泊めていただくことにした。圭斗先輩のお宅からなら午後2時から始まる昼放送の収録にも遅刻せずに来られるはずだと目論んで。
菜月先輩とは1年の秋学期から、3期連続でペアを組ませていただいた。土曜日は、菜月先輩と無条件で一緒にいられる日。俺にとっては幸せの日々だった。しかしながら悪質な遅刻癖が治ることもなく、今年の春学期からの年度で俺の累計遅刻時間は24時間を超えたらしい。
病院に行って治るならいくらでも通院するのになあと思いつつ、俺は圭斗先輩宅から大学に向けて歩き出した。圭斗先輩宅からなら、1時起きでも十分間に合うのがとても素晴らしいと思う。如何せん俺の家は遠いんだ。この時期の電車は棺桶に等しい。
14時前、サークル棟に到着。サークル室を開けるには、守衛さんから鍵を借りる必要がある。鍵の貸し出し帳簿を覗いてみると、まだ空白。208号室の鍵がまだ借りられていないとは、おかしなことがあったものだ。普段なら「13:45 オクムラ」と記載があるはずなのだけど。
MMPサークル室の鍵を開けると、昨日のサークルを終えたときのまま、シンと静まり返って人っ子一人いない。まず、俺は今日が本当に土曜日であるかを確かめた。12月21日は、土曜日で間違いない。そして今の時刻は14時を回ったところ。俺と菜月先輩の、暗黙の待ち合わせ時間を過ぎた。
14時を回って菜月先輩の姿がないことに、こんなにも不安が募るなんて。いや、俺は普段から14時になんか間に合ったことがないんだけど。それについては反省しかないけど、待たされる側の気持ちという物を俺は知らないから、こんなにも不安で、そわそわして、その相手のことを案じてしまう物なのかと知る。
何か連絡が入っていないか、5秒おきくらいにチラチラとスマホを確認してしまう。だけどうんともすんとも連絡はない。昨日、カレーパーティー後の菜月先輩は圭斗先輩宅で少しお休みになられた後、早朝にご自分の部屋へと帰って行かれたんだ。えっ、その途中で何かあったとかじゃないよなって。
14時半、菜月先輩がサークル室に到着された。すまないと一言、大きく息を吐く。話によれば、早朝圭斗先輩のお宅から帰られた後、二度寝をしたら大爆発をしてしまったと。軽くシャワーだけは浴びたものの、その他の身支度をする時間がなかったそうだ。
いつもは高い位置でお団子にされている髪は下りたままだし、普段はコンタクトレンズなのに今日は赤いセルフレームのメガネを着用されている。髪を結ぶ時間や、コンタクトレンズを入れる時間さえも惜しかったということなのだろうか。菜月先輩は時間に厳格で、他人にも厳しい。それなのに今日は遅れてしまったことを悔いていらっしゃる。
菜月先輩が息を整えている間に、俺は番組のセッティングをしていく。マイクスタンドを立てたり、曲の準備をしたり。録音用のMDもオッケーだ。AD作業なんかは菜月先輩を待っている間にやってしまったので、後は菜月先輩次第でいつでも行けますと返事が出来る。
結果から言えば、番組収録が始まったのは17時だった。菜月先輩の中で、何かが整わなかったのだろう。思えば、久々になる「5分待って」だったなあと。菜月先輩は緊張にとても弱い。本番にはとても強いから意外がられるそうだけど、緊張が原因の過呼吸の発作を起こすことがしばしばある。
今日は久し振りに大きいのが来たようだった。心情の変化と言うか、普段と違うことで落ち着かなかった可能性もある。遅刻をしてしまったことに対する焦りとか。それから、今日の収録がサークル生活最後になることとか。直接聞いたわけじゃない。だけど、MMPの活動を人一倍大切にしている菜月先輩だ。何も思わないはずがない。
番組をやらなければ、いい物にしなければという思いが焦りに変わるとよろしくない。もちろん俺も菜月先輩には悔いを残して欲しくないし、そのようにミキサーを操るのだけども、俺も緊張には弱いのだ。共倒れになってはひとたまりもない。菜月先輩が落ちつくのを、ただただ待って。
いざ始めてしまえば、30分はあっという間だった。本当にそれまでひゅうひゅうと喘ぐように呼吸をしていた人かと疑ってしまうほどだ。本当の本当にラストの番組の曲は、2人にとって思い入れのある曲にしよう。そう話し合って持ち寄った曲たちが、それまでの記憶を色鮮やかに蘇らせた。
MMP昼放送の各セメスターの最終回のテーマが「恋愛」で縛られているのが悪乗り好きな団体だなと強く思う。毒の成分の強い菜月先輩のトーク内容はともかく、俺の中でこのテーマの番組を、菜月先輩と一緒に、そして思い入れのある曲に乗せて作ることが出来たのは本当に良かったと思う。
最終回恒例の握手も、いつもとは重みが違った。これまでのそれには、まだ次がある可能性もあったし、これが終わってもまだサークルには菜月先輩がいた。だけど、今日のそれは本当に最後。3年生は12月でサークルを引退して、本当にいなくなる。
俺にとって、菜月先輩と積み重ねて来た土曜日の時間は楽しくあり、厳しくもあり、そして何より幸せだった。他の誰にも邪魔されない時間で、土曜日は他のどんな予定も入れずにこの時間に全振りして。それがなくなると、俺は土曜日をどう過ごせばいい?
ありがとうございましたと守衛さんに鍵を返し、日が落ちてすっかり暗く、寒くなった道を下る。大学の周りには本当に何もないから、星がよく見える。菜月先輩はあれが何座で、と星座を探すのが好きだ。だからか、ちょっとした段差によく躓いている。今日も例に漏れず上を向いて歩いているので、気を付けてくださいねと一言。
ポケットに手を突っ込んでる奴に言われたくないぞと返されてしまえば、寒いので仕方がないとしか言えない。パーカーのポケットに突っ込んだ手は、先程の握手の熱が消えてしまわないためでもある。それに、俺は下も見ながら歩くので、そう段差に躓いて転ぶことはないだろう。
冷たい、という菜月先輩の声と同時に、俺の手には自分の物とは明らかに違う熱が触れていた。ビックリしてパーカーのポケットに目をやると、菜月先輩の手がその中に突っ込まれている。俺の手を握るその手は、とても温かい。いや、菜月先輩の言葉が本当なら俺の手が冷たいのか。
「菜月先輩」
「何だ」
「今日は寝坊仕様の簡素な身支度でいらしたようですが」
「嫌味か」
「いえ、そのようなことは。その……イヤーカフは付けていらっしゃるんだなと思って」
「それは、何となくな」
先日、菜月先輩の誕生日に贈らせていただいた星のイヤーカフ。スイーツバイキングの前にぶらぶらしていたときに、かわいいな、欲しいなと随分悩まれていたのでそれならばとプレゼントしたのだ。番組をやっていると、菜月先輩の横顔をずっと見つめることになる。髪の隙間から、星と青い石がキラキラ光っているのが見えていたんだ。
ポケットの中で握られた手を、緩く握り返す。あ、振り解かれたりはしないんだと、図に乗ってそのまま歩かせていただくことに。外灯も少ない、月もそこまで大きくはない暗い中を、ゆっくり、この時間を終わらせないように。菜月先輩は星を見るのに夢中で、俺が歩くペースを落としても気付かない。
あれが北極星で、あれがカシオペア。有名どころで言えばオリオン座があれ。それから今の時期はうお座も見えるんだぞと、すっかり足を止めて観測会の様相。繋いだ手はそのままに。夏至冬至云々の話でもあったけど、やっぱり菜月先輩は夜の方が生き生きされるなと思う。
今ならば菜月先輩に好きですと伝えることも出来るのではないか? そう思ったけれど、やめておいた。だからヘタレだと言われるのかもしれないけれど、今はただこの時間を共有していたかったんだ。言わないと伝わらないということはわかっている。だけれども。
「菜月先輩。そろそろ下りましょうか、さすがに冷えますので。そんなに薄着では風邪をひかれますよ」
「……そうか」
「お部屋まで、お送りします」
「ん」
end.
++++
今年はノサナツ年です!!(ダンッ
というワケで、いつもとはちょっと毛色の違うナツノサのお話。大体ノサカの独白的な感じ。会話はしてるんだけど、全然ない。
ただただポケットの中で手を繋いでるのをやりたかっただけだし、イヤーカフの件もちょっとしか触れないよね
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今日が、本当の本当に、菜月先輩と一緒に昼放送の収録が出来る最後の日だ。
昨日は購買のガラポン抽選会で菜月先輩が当てて来た米を消費するのが目的のカレーパーティーが開かれ、俺はカレーライスをしこたま食べた。文字通りに丼3杯だ。先輩方からは少し呆れられてしまったけれど、それだけ菜月先輩の作って下さったカレーが美味しいんだ。
翌土曜日に昼放送の収録があるということで、俺はそのまま圭斗先輩のお宅に泊めていただくことにした。圭斗先輩のお宅からなら午後2時から始まる昼放送の収録にも遅刻せずに来られるはずだと目論んで。
菜月先輩とは1年の秋学期から、3期連続でペアを組ませていただいた。土曜日は、菜月先輩と無条件で一緒にいられる日。俺にとっては幸せの日々だった。しかしながら悪質な遅刻癖が治ることもなく、今年の春学期からの年度で俺の累計遅刻時間は24時間を超えたらしい。
病院に行って治るならいくらでも通院するのになあと思いつつ、俺は圭斗先輩宅から大学に向けて歩き出した。圭斗先輩宅からなら、1時起きでも十分間に合うのがとても素晴らしいと思う。如何せん俺の家は遠いんだ。この時期の電車は棺桶に等しい。
14時前、サークル棟に到着。サークル室を開けるには、守衛さんから鍵を借りる必要がある。鍵の貸し出し帳簿を覗いてみると、まだ空白。208号室の鍵がまだ借りられていないとは、おかしなことがあったものだ。普段なら「13:45 オクムラ」と記載があるはずなのだけど。
MMPサークル室の鍵を開けると、昨日のサークルを終えたときのまま、シンと静まり返って人っ子一人いない。まず、俺は今日が本当に土曜日であるかを確かめた。12月21日は、土曜日で間違いない。そして今の時刻は14時を回ったところ。俺と菜月先輩の、暗黙の待ち合わせ時間を過ぎた。
14時を回って菜月先輩の姿がないことに、こんなにも不安が募るなんて。いや、俺は普段から14時になんか間に合ったことがないんだけど。それについては反省しかないけど、待たされる側の気持ちという物を俺は知らないから、こんなにも不安で、そわそわして、その相手のことを案じてしまう物なのかと知る。
何か連絡が入っていないか、5秒おきくらいにチラチラとスマホを確認してしまう。だけどうんともすんとも連絡はない。昨日、カレーパーティー後の菜月先輩は圭斗先輩宅で少しお休みになられた後、早朝にご自分の部屋へと帰って行かれたんだ。えっ、その途中で何かあったとかじゃないよなって。
14時半、菜月先輩がサークル室に到着された。すまないと一言、大きく息を吐く。話によれば、早朝圭斗先輩のお宅から帰られた後、二度寝をしたら大爆発をしてしまったと。軽くシャワーだけは浴びたものの、その他の身支度をする時間がなかったそうだ。
いつもは高い位置でお団子にされている髪は下りたままだし、普段はコンタクトレンズなのに今日は赤いセルフレームのメガネを着用されている。髪を結ぶ時間や、コンタクトレンズを入れる時間さえも惜しかったということなのだろうか。菜月先輩は時間に厳格で、他人にも厳しい。それなのに今日は遅れてしまったことを悔いていらっしゃる。
菜月先輩が息を整えている間に、俺は番組のセッティングをしていく。マイクスタンドを立てたり、曲の準備をしたり。録音用のMDもオッケーだ。AD作業なんかは菜月先輩を待っている間にやってしまったので、後は菜月先輩次第でいつでも行けますと返事が出来る。
結果から言えば、番組収録が始まったのは17時だった。菜月先輩の中で、何かが整わなかったのだろう。思えば、久々になる「5分待って」だったなあと。菜月先輩は緊張にとても弱い。本番にはとても強いから意外がられるそうだけど、緊張が原因の過呼吸の発作を起こすことがしばしばある。
今日は久し振りに大きいのが来たようだった。心情の変化と言うか、普段と違うことで落ち着かなかった可能性もある。遅刻をしてしまったことに対する焦りとか。それから、今日の収録がサークル生活最後になることとか。直接聞いたわけじゃない。だけど、MMPの活動を人一倍大切にしている菜月先輩だ。何も思わないはずがない。
番組をやらなければ、いい物にしなければという思いが焦りに変わるとよろしくない。もちろん俺も菜月先輩には悔いを残して欲しくないし、そのようにミキサーを操るのだけども、俺も緊張には弱いのだ。共倒れになってはひとたまりもない。菜月先輩が落ちつくのを、ただただ待って。
いざ始めてしまえば、30分はあっという間だった。本当にそれまでひゅうひゅうと喘ぐように呼吸をしていた人かと疑ってしまうほどだ。本当の本当にラストの番組の曲は、2人にとって思い入れのある曲にしよう。そう話し合って持ち寄った曲たちが、それまでの記憶を色鮮やかに蘇らせた。
MMP昼放送の各セメスターの最終回のテーマが「恋愛」で縛られているのが悪乗り好きな団体だなと強く思う。毒の成分の強い菜月先輩のトーク内容はともかく、俺の中でこのテーマの番組を、菜月先輩と一緒に、そして思い入れのある曲に乗せて作ることが出来たのは本当に良かったと思う。
最終回恒例の握手も、いつもとは重みが違った。これまでのそれには、まだ次がある可能性もあったし、これが終わってもまだサークルには菜月先輩がいた。だけど、今日のそれは本当に最後。3年生は12月でサークルを引退して、本当にいなくなる。
俺にとって、菜月先輩と積み重ねて来た土曜日の時間は楽しくあり、厳しくもあり、そして何より幸せだった。他の誰にも邪魔されない時間で、土曜日は他のどんな予定も入れずにこの時間に全振りして。それがなくなると、俺は土曜日をどう過ごせばいい?
ありがとうございましたと守衛さんに鍵を返し、日が落ちてすっかり暗く、寒くなった道を下る。大学の周りには本当に何もないから、星がよく見える。菜月先輩はあれが何座で、と星座を探すのが好きだ。だからか、ちょっとした段差によく躓いている。今日も例に漏れず上を向いて歩いているので、気を付けてくださいねと一言。
ポケットに手を突っ込んでる奴に言われたくないぞと返されてしまえば、寒いので仕方がないとしか言えない。パーカーのポケットに突っ込んだ手は、先程の握手の熱が消えてしまわないためでもある。それに、俺は下も見ながら歩くので、そう段差に躓いて転ぶことはないだろう。
冷たい、という菜月先輩の声と同時に、俺の手には自分の物とは明らかに違う熱が触れていた。ビックリしてパーカーのポケットに目をやると、菜月先輩の手がその中に突っ込まれている。俺の手を握るその手は、とても温かい。いや、菜月先輩の言葉が本当なら俺の手が冷たいのか。
「菜月先輩」
「何だ」
「今日は寝坊仕様の簡素な身支度でいらしたようですが」
「嫌味か」
「いえ、そのようなことは。その……イヤーカフは付けていらっしゃるんだなと思って」
「それは、何となくな」
先日、菜月先輩の誕生日に贈らせていただいた星のイヤーカフ。スイーツバイキングの前にぶらぶらしていたときに、かわいいな、欲しいなと随分悩まれていたのでそれならばとプレゼントしたのだ。番組をやっていると、菜月先輩の横顔をずっと見つめることになる。髪の隙間から、星と青い石がキラキラ光っているのが見えていたんだ。
ポケットの中で握られた手を、緩く握り返す。あ、振り解かれたりはしないんだと、図に乗ってそのまま歩かせていただくことに。外灯も少ない、月もそこまで大きくはない暗い中を、ゆっくり、この時間を終わらせないように。菜月先輩は星を見るのに夢中で、俺が歩くペースを落としても気付かない。
あれが北極星で、あれがカシオペア。有名どころで言えばオリオン座があれ。それから今の時期はうお座も見えるんだぞと、すっかり足を止めて観測会の様相。繋いだ手はそのままに。夏至冬至云々の話でもあったけど、やっぱり菜月先輩は夜の方が生き生きされるなと思う。
今ならば菜月先輩に好きですと伝えることも出来るのではないか? そう思ったけれど、やめておいた。だからヘタレだと言われるのかもしれないけれど、今はただこの時間を共有していたかったんだ。言わないと伝わらないということはわかっている。だけれども。
「菜月先輩。そろそろ下りましょうか、さすがに冷えますので。そんなに薄着では風邪をひかれますよ」
「……そうか」
「お部屋まで、お送りします」
「ん」
end.
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今年はノサナツ年です!!(ダンッ
というワケで、いつもとはちょっと毛色の違うナツノサのお話。大体ノサカの独白的な感じ。会話はしてるんだけど、全然ない。
ただただポケットの中で手を繋いでるのをやりたかっただけだし、イヤーカフの件もちょっとしか触れないよね
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