2019(02)
■揺蕩いながらも揺れきれぬまま
++++
「ク、クラゲ…?」
「まさかこんなに早く“現実逃避”の機会が訪れるとは思わなかった……」
何が起こったか、突然裕貴がうちにやってきた。そしてそのままDVDデッキに何かをセットしたかと思えば、映し出されるのは延々とクラゲがたゆたうだけの映像。それを、体育座りで眺めている裕貴というのはとてもシュールな光景で、俺に一体どうしろというのだと。
「きっとかんなさんは冗談めいてこれを俺にくれたんだと思うが、まさか本当にこんな用途で使うとは思わなかった。無意識にこれを手にここに向かっていたんだ。雄平、悪いが少し付き合ってくれ」
「まあ、それはいいんだけど。つかこのDVD、かんながお前によこしたのか」
「一昨日、かんなさんと一緒に水族館に行ったんだ。その売店でかんなさんが“お友達記念”という名目でくれた物だ」
クラゲがただただ漂っているだけの光景には一定の需要があるとは聞いたことがあったし、そのゆったりとした感じが癒されるとは言う。だけどまさか身近なところにクラゲセラピーの世話になる奴が出るとも思わなかった。実際、かんなと行った水族館でもただただクラゲを眺める時間が長かったという。
如何せんそんな調子だったからかんなが裕貴にクラゲのDVDを渡したのだろう。裕貴は日頃から文化会の仕事やら卒論やら就活やらでストレスを溜めている。変に真面目だから、力の抜き方もあまりよく知らないんだ。1500円で力を抜けるアイテムが手に入るなら、正直それはとてもお買い得だ。
「裕貴、何かあったか」
「一昨日の息抜きが全部吹っ飛ぶ事案だ。今日は、放送部の丸の池ステージに関する報告書を提出されて、それを確認していたのだが……まあ目も当てられぬ状態だと」
「放送部がヤバいのは今更だろ」
「いや、部は荒れ放題だ。先日、朝霞が熱中症で倒れたのも日高の差し金だと」
「それも多少はあるだろうけど、朝霞は自分を顧みなさ過ぎるんだ。ったく、いつまで経っても自己管理の出来ない奴だ」
「まあ、部で実際に起こっていることを報告書にまとめて来るようになった分だけ、救いもあるのかもしれない。これまでの部であれば、これだけの事案を文化会に報告することもなかっただろうからな」
俺が朝霞や洋平から聞いているのは熱中症の件と、ステージで日高が過去に没になった川口班の本を盗用してあたかも自分たちの作品であるかのように披露していたことだ。だけど、眉間に深いシワを寄せる裕貴を見ている限りでは、もっと多くのことが起こっていたのだろう。
それを敢えて自分から聞くことはせず、俺はただ裕貴の話を聞くだけに留める。裕貴は別に共感を必要としているわけではない。怒りの感情で一方的に処分を下すだけなら簡単だ。だけど裕貴は文化会の監査で、内部告発のような報告書にも規則に則って対応しなければならない。
裕貴が今やっているのは、文化会監査として冷静に対応しなければならないという思いと、一個人としての怒りの整理だ。確かに酷い話ではあるが、部を引退して第三者となった俺まで熱くなってもしょうがない。青を基調としたクラゲの映像をバックに、淡々と話に頷くだけだ。
「部費の横領疑惑に深夜のミーティングルームへの侵入、本の盗用の他にも数え上げればキリがない」
「でも、現役サイドはよくそれだけ調べたな」
「宇部にも聞いたんだ、どうやってここまで調べ上げたと。洋平と朝霞が同盟を結んでいても、会計帳簿の閲覧権限がないあの2人では金の流れを追えないからな。そもそも、原則他の班の会計帳簿を見ることは出来ない」
「確かに。幹部系の班と反体制派の会計帳簿を見比べることなんか余程じゃないと。もしかして、幹部系の班に内通者がいるのか?」
「菅野だ。菅野が宇部サイドに付いたらしい」
「菅野か……確かにアイツだったら星羅と協力すればいろいろ調べられるな」
「それに、役職持ちだから自分が部の資料を閲覧する権限もある。文化会に提出した報告書の、部に残す建て前上の写しを作成したのも菅野だ。幹部系の班長を味方に付けたのは、かなり大きいだろう」
文化会の監査として、放送部の前監査として裕貴は部のことを今でも強く気にかけている。自分の直属の後輩である宇部のことは特に。宇部が大きな野望を抱いているらしいことも知った上でここまで育て上げてきた。そして文化会の監査となってからも、肩入れしすぎない程度に見守り続けている。
「何か、乱世の予感だな」
「俺はきっとこれからも焦臭い報告を受け続けるんだろうなと」
「かんな様々だな。強いストレスを感じたら現実逃避だ」
「だが、それでは一時的な逃避にしか過ぎないとはわかっているからな。捌け口がないよりはいいのかもしれないが」
「俺にグチっといてよく言うぜ」
「そうだな。すまない、雄平」
「いいんだけどさ。お前は真面目すぎるんだ。仕事との向き合い方は変えられないにしても、息抜きの仕方は覚えた方がいい」
「もう少し涼しくなったらかんなさんと動物園に行く約束はしてあるから、それを目指して今は頑張っている」
「へえ、動物園か」
何か水族館もそうだけど、裕貴がそういうところに遊びに出かけるというのもなかなか新鮮だ。今までそんな話は全然聞いたことがなかったし。かんなと知り合ってからはいろいろなところに出歩いているようだけど、そもそも2人で出かける機会も増えている的なことは言ってたな。これはワンチャンあるのか?
「つか、さっきから思ってたんだけど、それって何気にデートじゃないか?」
「デート? 友人同士の遊びの一環だろう。その理屈で言えばお前と水鈴なんかは」
「友人同士の遊びの一環ですね!」
end.
++++
萩さん、さっそく例のDVDを手に現実逃避しに来た様子。そして駆け込み寺のこっしーさんです。
宇部Pの目的などもわかった上で自分の後継者として育て上げて来た萩さんです。きっと宇部Pがステージにも真面目だったから受け入れたんやろなあ
そしてかんなとのあれこれも気になるところですが、それを突かれたら必殺の返しが出ましたね。それを言われたらこっしーさんは否定のみですから
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「ク、クラゲ…?」
「まさかこんなに早く“現実逃避”の機会が訪れるとは思わなかった……」
何が起こったか、突然裕貴がうちにやってきた。そしてそのままDVDデッキに何かをセットしたかと思えば、映し出されるのは延々とクラゲがたゆたうだけの映像。それを、体育座りで眺めている裕貴というのはとてもシュールな光景で、俺に一体どうしろというのだと。
「きっとかんなさんは冗談めいてこれを俺にくれたんだと思うが、まさか本当にこんな用途で使うとは思わなかった。無意識にこれを手にここに向かっていたんだ。雄平、悪いが少し付き合ってくれ」
「まあ、それはいいんだけど。つかこのDVD、かんながお前によこしたのか」
「一昨日、かんなさんと一緒に水族館に行ったんだ。その売店でかんなさんが“お友達記念”という名目でくれた物だ」
クラゲがただただ漂っているだけの光景には一定の需要があるとは聞いたことがあったし、そのゆったりとした感じが癒されるとは言う。だけどまさか身近なところにクラゲセラピーの世話になる奴が出るとも思わなかった。実際、かんなと行った水族館でもただただクラゲを眺める時間が長かったという。
如何せんそんな調子だったからかんなが裕貴にクラゲのDVDを渡したのだろう。裕貴は日頃から文化会の仕事やら卒論やら就活やらでストレスを溜めている。変に真面目だから、力の抜き方もあまりよく知らないんだ。1500円で力を抜けるアイテムが手に入るなら、正直それはとてもお買い得だ。
「裕貴、何かあったか」
「一昨日の息抜きが全部吹っ飛ぶ事案だ。今日は、放送部の丸の池ステージに関する報告書を提出されて、それを確認していたのだが……まあ目も当てられぬ状態だと」
「放送部がヤバいのは今更だろ」
「いや、部は荒れ放題だ。先日、朝霞が熱中症で倒れたのも日高の差し金だと」
「それも多少はあるだろうけど、朝霞は自分を顧みなさ過ぎるんだ。ったく、いつまで経っても自己管理の出来ない奴だ」
「まあ、部で実際に起こっていることを報告書にまとめて来るようになった分だけ、救いもあるのかもしれない。これまでの部であれば、これだけの事案を文化会に報告することもなかっただろうからな」
俺が朝霞や洋平から聞いているのは熱中症の件と、ステージで日高が過去に没になった川口班の本を盗用してあたかも自分たちの作品であるかのように披露していたことだ。だけど、眉間に深いシワを寄せる裕貴を見ている限りでは、もっと多くのことが起こっていたのだろう。
それを敢えて自分から聞くことはせず、俺はただ裕貴の話を聞くだけに留める。裕貴は別に共感を必要としているわけではない。怒りの感情で一方的に処分を下すだけなら簡単だ。だけど裕貴は文化会の監査で、内部告発のような報告書にも規則に則って対応しなければならない。
裕貴が今やっているのは、文化会監査として冷静に対応しなければならないという思いと、一個人としての怒りの整理だ。確かに酷い話ではあるが、部を引退して第三者となった俺まで熱くなってもしょうがない。青を基調としたクラゲの映像をバックに、淡々と話に頷くだけだ。
「部費の横領疑惑に深夜のミーティングルームへの侵入、本の盗用の他にも数え上げればキリがない」
「でも、現役サイドはよくそれだけ調べたな」
「宇部にも聞いたんだ、どうやってここまで調べ上げたと。洋平と朝霞が同盟を結んでいても、会計帳簿の閲覧権限がないあの2人では金の流れを追えないからな。そもそも、原則他の班の会計帳簿を見ることは出来ない」
「確かに。幹部系の班と反体制派の会計帳簿を見比べることなんか余程じゃないと。もしかして、幹部系の班に内通者がいるのか?」
「菅野だ。菅野が宇部サイドに付いたらしい」
「菅野か……確かにアイツだったら星羅と協力すればいろいろ調べられるな」
「それに、役職持ちだから自分が部の資料を閲覧する権限もある。文化会に提出した報告書の、部に残す建て前上の写しを作成したのも菅野だ。幹部系の班長を味方に付けたのは、かなり大きいだろう」
文化会の監査として、放送部の前監査として裕貴は部のことを今でも強く気にかけている。自分の直属の後輩である宇部のことは特に。宇部が大きな野望を抱いているらしいことも知った上でここまで育て上げてきた。そして文化会の監査となってからも、肩入れしすぎない程度に見守り続けている。
「何か、乱世の予感だな」
「俺はきっとこれからも焦臭い報告を受け続けるんだろうなと」
「かんな様々だな。強いストレスを感じたら現実逃避だ」
「だが、それでは一時的な逃避にしか過ぎないとはわかっているからな。捌け口がないよりはいいのかもしれないが」
「俺にグチっといてよく言うぜ」
「そうだな。すまない、雄平」
「いいんだけどさ。お前は真面目すぎるんだ。仕事との向き合い方は変えられないにしても、息抜きの仕方は覚えた方がいい」
「もう少し涼しくなったらかんなさんと動物園に行く約束はしてあるから、それを目指して今は頑張っている」
「へえ、動物園か」
何か水族館もそうだけど、裕貴がそういうところに遊びに出かけるというのもなかなか新鮮だ。今までそんな話は全然聞いたことがなかったし。かんなと知り合ってからはいろいろなところに出歩いているようだけど、そもそも2人で出かける機会も増えている的なことは言ってたな。これはワンチャンあるのか?
「つか、さっきから思ってたんだけど、それって何気にデートじゃないか?」
「デート? 友人同士の遊びの一環だろう。その理屈で言えばお前と水鈴なんかは」
「友人同士の遊びの一環ですね!」
end.
++++
萩さん、さっそく例のDVDを手に現実逃避しに来た様子。そして駆け込み寺のこっしーさんです。
宇部Pの目的などもわかった上で自分の後継者として育て上げて来た萩さんです。きっと宇部Pがステージにも真面目だったから受け入れたんやろなあ
そしてかんなとのあれこれも気になるところですが、それを突かれたら必殺の返しが出ましたね。それを言われたらこっしーさんは否定のみですから
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