2019
■Evoke memory of therapy
++++
「ごほっごほっ! ん~……うぇほげほっ!」
「菜月先輩、大丈夫ですか?」
「らいじょ……げほげほっ!」
土曜日からそんな兆候があったけれど、菜月先輩が風邪をひいた。と言うか、ここまで酷いなら何も出て来なくたってと思うのだけど、出て来てしまったんだからしょうがない。菜月先輩はさっきから激しい咳を繰り返して、呼吸もままならないような状態だ。
圭斗先輩によれば菜月先輩のこれはよくあることで、毎年のイベント。だから今年風邪をひいたところでやっぱりかという感じなんだそうだけど、それでも見ているだけで本当に辛そうで。だけど俺にはどうすることも出来ずにいる。
「あの、菜月先輩……ここでは難ですし、ロビーのソファで横になった方が」
「そーする……」
よろめきながらロビーへと移動しようとする菜月先輩を脇で支え、人気のない3階への階段を上る。ロビーへ辿り着くと、菜月先輩は崩れ落ちるようにソファへと倒れ込んだ。咳は変わらずに激しい。喉から血が出てしまうのではないかと思うほどに。
この咳の何が怖いかというと、過呼吸だ。菜月先輩は時々過呼吸の発作を起こす。それは番組の収録時に起こることもあるし、先輩曰く電話をしようとしたときなどにも起こるそうだ。緊張によるストレスが原因なのではないかと推測出来ている。
夏風邪は緊張と関係なさそうだけど、これだけ自分の意思で呼吸を整えることが出来なければ、いつ過呼吸の発作に変わってもおかしくないと思って。それが気が気でなくてこの場から離れられないでいた。もし何かあったらどうしよう、と。
「げほっげほっ! ふーっ……」
「あの、菜月先輩……」
口元をタオルで押さえ、激しい咳の合間にひゅうひゅうと喘ぐように呼吸を繰り返す。そんな菜月先輩に何が出来るでもなく、俺はただ側にいることしか出来ないのだ。きっと、不安げな顔をしているだろう。菜月先輩が顔を上げることが出来ないのが救いかもしれない。
「ノサ……げほっごほっごほごほっ!」
「菜月先輩! ……え…? 座ればいいんですか?」
「背中……」
「背中?」
「手……げほっげほっ」
「手を当てればいいんですか?」
いわゆる膝枕の状態で、菜月先輩は俺の腿に頭を乗せ横になった。そして俺は言われるがまま、先輩の背中に手を当てる。こうすると少し楽になるのか、ゆっくりと、大きく呼吸を繰り返しながら体を落ち着けている。何かいいんだろうな。覚えてたら今度調べよう。
「野坂」
「圭斗先輩」
「荷物があるのにいないから探してみたら、随分な出で立ちだね」
「菜月先輩の咳が酷くて」
「ああ、確かにいつもの季節だね」
「はい。どうやら、この体勢が一番落ち着くようです」
「きっと、この感じなら夜も咳で眠れてなさそうだね。体力も落ちるから治りも遅いだろう。もしこのまま彼女が眠ってしまったなら、寝かせてあげた方がいいかもしれないね。寝られるときに少しでも」
実際肩甲骨の間を温めるのがいいみたいだよと圭斗先輩が今ここで調べてくれて、菜月先輩がそれを知ってか知らずかはともかくきちんと根拠はあるんだなと感心をした。大きく深く呼吸を整えていた菜月先輩のそれは、先と比べると随分落ち着いてきたように思う。
先日、俺がサークル室でみっともなく泣いてしまったときに菜月先輩が添えてくれた手を思い出した。俺の背中の上で、心が落ち着くのをずっと待っていてくれた。そのお返しではないけれど、今度は俺が菜月先輩を支えることが出来たなら。体が落ち着くのを、ずっとずっと待って、待ち続けて。
「菜月の財政状況から見て、部屋に風邪薬のような物はきっとないだろうね」
「……でしょうね」
「毎回自然治癒に任せようとするから性質が悪いんだ」
「あの、圭斗先輩」
「ん?」
「この感じだと、睡眠もですが食事も恐らく思うように取れないのではないかと思うんですよ」
「そうだろうね」
「ですから、喉が痛くても食べやすい物? などをお部屋に少し用意出来ればと思うんです。しばらくは寝込むでしょうから」
「ん、僕に動けと」
「すみませんが、お願いしたく……」
「仕方ないね、これは“貸し”にしておこうか」
「ありがとうございます…!」
「ところでノサペディア。何か彼女の体調が悪い時に必要な物などの記載はないかな。欲しい物があった方が嬉しいだろう、どうせ買い出しに行くなら」
こんな時、俺が情報を引き出すのは過去の番組と番組収録時の雑談などの記憶だ。それから、俺が遅刻すればするほど文字数が増えていく雑記帳。その中から何か役に立つ情報はないかとただただ必死に記憶を辿る。
「あ」
「何か思い出したかな」
「サイダー、サイダーです! 体調を崩した時はサイダーを飲んでおけば治ると、そんな風に雑記帳に書いてあったような気が…!」
「サイダーだね、了解」
「三ツ矢サイダー一択だそうなので、その辺りはお願いします。それから、果物かゼリーがあるといいと思います。桃缶うまー、的な感じで」
「ん、そうだね。それじゃあ僕は買い物に行って来るから、しばらく彼女を頼むよ」
「わかりました」
菜月先輩は眠ってしまったのか、すうすうと寝息を立てて落ち着いた様子だ。膝枕状態では俺が身動きをとれないけれど、この体勢が一番楽だというのならしばらくはこのまま背中に手を置いておこう。時折背中の手をさするように上下させ、少しでも早く良くなるよう祈るように。少しでも先輩に休んでもらえれば。それが一番大事なことだから。
end.
++++
菜月さんが風邪をこじらせました。先週からちょっと怪しかったようですが、いよいよこの季節ですね。
ロビーで菜月さんが苦しんでるの、ここ数年やってなかったと思うので久々に掘り返してみたよ。最近は家で寝込んでるところからスタートだったからね
そしてノサカが遅れれば遅れるだけ文字数の増える雑記帳である。めっちゃ真っ黒にされたんだろうなあ
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「ごほっごほっ! ん~……うぇほげほっ!」
「菜月先輩、大丈夫ですか?」
「らいじょ……げほげほっ!」
土曜日からそんな兆候があったけれど、菜月先輩が風邪をひいた。と言うか、ここまで酷いなら何も出て来なくたってと思うのだけど、出て来てしまったんだからしょうがない。菜月先輩はさっきから激しい咳を繰り返して、呼吸もままならないような状態だ。
圭斗先輩によれば菜月先輩のこれはよくあることで、毎年のイベント。だから今年風邪をひいたところでやっぱりかという感じなんだそうだけど、それでも見ているだけで本当に辛そうで。だけど俺にはどうすることも出来ずにいる。
「あの、菜月先輩……ここでは難ですし、ロビーのソファで横になった方が」
「そーする……」
よろめきながらロビーへと移動しようとする菜月先輩を脇で支え、人気のない3階への階段を上る。ロビーへ辿り着くと、菜月先輩は崩れ落ちるようにソファへと倒れ込んだ。咳は変わらずに激しい。喉から血が出てしまうのではないかと思うほどに。
この咳の何が怖いかというと、過呼吸だ。菜月先輩は時々過呼吸の発作を起こす。それは番組の収録時に起こることもあるし、先輩曰く電話をしようとしたときなどにも起こるそうだ。緊張によるストレスが原因なのではないかと推測出来ている。
夏風邪は緊張と関係なさそうだけど、これだけ自分の意思で呼吸を整えることが出来なければ、いつ過呼吸の発作に変わってもおかしくないと思って。それが気が気でなくてこの場から離れられないでいた。もし何かあったらどうしよう、と。
「げほっげほっ! ふーっ……」
「あの、菜月先輩……」
口元をタオルで押さえ、激しい咳の合間にひゅうひゅうと喘ぐように呼吸を繰り返す。そんな菜月先輩に何が出来るでもなく、俺はただ側にいることしか出来ないのだ。きっと、不安げな顔をしているだろう。菜月先輩が顔を上げることが出来ないのが救いかもしれない。
「ノサ……げほっごほっごほごほっ!」
「菜月先輩! ……え…? 座ればいいんですか?」
「背中……」
「背中?」
「手……げほっげほっ」
「手を当てればいいんですか?」
いわゆる膝枕の状態で、菜月先輩は俺の腿に頭を乗せ横になった。そして俺は言われるがまま、先輩の背中に手を当てる。こうすると少し楽になるのか、ゆっくりと、大きく呼吸を繰り返しながら体を落ち着けている。何かいいんだろうな。覚えてたら今度調べよう。
「野坂」
「圭斗先輩」
「荷物があるのにいないから探してみたら、随分な出で立ちだね」
「菜月先輩の咳が酷くて」
「ああ、確かにいつもの季節だね」
「はい。どうやら、この体勢が一番落ち着くようです」
「きっと、この感じなら夜も咳で眠れてなさそうだね。体力も落ちるから治りも遅いだろう。もしこのまま彼女が眠ってしまったなら、寝かせてあげた方がいいかもしれないね。寝られるときに少しでも」
実際肩甲骨の間を温めるのがいいみたいだよと圭斗先輩が今ここで調べてくれて、菜月先輩がそれを知ってか知らずかはともかくきちんと根拠はあるんだなと感心をした。大きく深く呼吸を整えていた菜月先輩のそれは、先と比べると随分落ち着いてきたように思う。
先日、俺がサークル室でみっともなく泣いてしまったときに菜月先輩が添えてくれた手を思い出した。俺の背中の上で、心が落ち着くのをずっと待っていてくれた。そのお返しではないけれど、今度は俺が菜月先輩を支えることが出来たなら。体が落ち着くのを、ずっとずっと待って、待ち続けて。
「菜月の財政状況から見て、部屋に風邪薬のような物はきっとないだろうね」
「……でしょうね」
「毎回自然治癒に任せようとするから性質が悪いんだ」
「あの、圭斗先輩」
「ん?」
「この感じだと、睡眠もですが食事も恐らく思うように取れないのではないかと思うんですよ」
「そうだろうね」
「ですから、喉が痛くても食べやすい物? などをお部屋に少し用意出来ればと思うんです。しばらくは寝込むでしょうから」
「ん、僕に動けと」
「すみませんが、お願いしたく……」
「仕方ないね、これは“貸し”にしておこうか」
「ありがとうございます…!」
「ところでノサペディア。何か彼女の体調が悪い時に必要な物などの記載はないかな。欲しい物があった方が嬉しいだろう、どうせ買い出しに行くなら」
こんな時、俺が情報を引き出すのは過去の番組と番組収録時の雑談などの記憶だ。それから、俺が遅刻すればするほど文字数が増えていく雑記帳。その中から何か役に立つ情報はないかとただただ必死に記憶を辿る。
「あ」
「何か思い出したかな」
「サイダー、サイダーです! 体調を崩した時はサイダーを飲んでおけば治ると、そんな風に雑記帳に書いてあったような気が…!」
「サイダーだね、了解」
「三ツ矢サイダー一択だそうなので、その辺りはお願いします。それから、果物かゼリーがあるといいと思います。桃缶うまー、的な感じで」
「ん、そうだね。それじゃあ僕は買い物に行って来るから、しばらく彼女を頼むよ」
「わかりました」
菜月先輩は眠ってしまったのか、すうすうと寝息を立てて落ち着いた様子だ。膝枕状態では俺が身動きをとれないけれど、この体勢が一番楽だというのならしばらくはこのまま背中に手を置いておこう。時折背中の手をさするように上下させ、少しでも早く良くなるよう祈るように。少しでも先輩に休んでもらえれば。それが一番大事なことだから。
end.
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菜月さんが風邪をこじらせました。先週からちょっと怪しかったようですが、いよいよこの季節ですね。
ロビーで菜月さんが苦しんでるの、ここ数年やってなかったと思うので久々に掘り返してみたよ。最近は家で寝込んでるところからスタートだったからね
そしてノサカが遅れれば遅れるだけ文字数の増える雑記帳である。めっちゃ真っ黒にされたんだろうなあ
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