2019
■怒りを上手く消化する
++++
「浅浦ー、うどん打ったんだ」
「ホント、よくやるよな」
うどんの麺の入ったビニール袋を持って伊東がうちにやって来た。コイツは時々こういうことをするんだ。宮林サンの世話をしている間に家事に目覚めたらしく、気付けば台所を要塞のようにしていた。1人暮らしを始めた当初は家電も学生の1人暮らしというグレードだったように思うけど、今ではかなり高級になったと思う。
まず、どこのメーカーのものかわからない1万円もしないような電子レンジが、大手メーカーの多機能オーブンレンジに変わっていた。値段も5万から6万、いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。レンジだけではなく、その他にも台所用品にはこだわり始めたようだ。
その多機能オーブンレンジでパンを焼いたりケーキを焼いたり、本当にいろいろなことをしている。うどんはオーブンレンジを使わないけれど、小麦粉を使うものという意味でごくたまにやるようになっていたようだ。俺はスーパーで簡単に買える物を、わざわざ作るという発想にはなかなかならないけれど。
「ちょっと作り過ぎたけど、食うよな。つか食え」
「ああ。せっかくだしもらおうか。でも、うどんの具になるような物がないな」
「それは俺が持って来てる。ネギとワカメがあれば十分だろ」
「葱は刻むところからか」
「まあそうだけど、それだけだから俺がやる」
そう言うと、伊東は台所で葱を刻み始めた。水を張ったボウルには、これから戻す乾燥ワカメ。
伊東は家事が出来る。それは、料理も一通りだ。だけど俺はこの部屋でコイツに俺の包丁を握らせたことはない。俺は左利きで、包丁も左利き用の物を用意している。伊東もそれを分かっていて、この部屋での調理全般を俺に任せている。そもそも、コイツがこの部屋に来るときは大体ロフトでゴロゴロしている。
それがどうした、葱を刻むだけとは言え俺の包丁を使ってネギを刻んでいる。たったそれだけのことに、強い違和感を覚えるんだ。まず、コイツが俺の部屋に来ているのにゴロゴロしていないこと、そしてこの家にあるのが左利き用包丁だとわかっていながら台所に立つところ。他にもまだある。
「はーっ……」
やっぱり様子がおかしい。ただ、宮林サン関連ではなさそうだ。このバカップルは何かあると俺に愚痴ろうとしてくる。だけどその様子がない。……まあ、ここは敢えて詮索せずにうどんの消費に付き合うのがいいだろう。
「伊東、どうだ?」
「ああ、もうちょいで出来る」
「今思い付いたんだけど、肉うどんにも出来たぞ。冷蔵庫に肉あるし」
「あー……でもワカメ戻しちまったし、いいよ。わかめうどんで」
出汁も出来たし、ワカメも戻った。うどんもゆで上がって、いよいよわかめうどんが完成を迎える。俺は水と箸を用意して、食卓の準備を。
「おーい、出来たぞー」
「お、出来たか」
「じゃ、食おうぜ! いただきまーす!」
「いただきます」
さっき刻んだ葱を、伊東は表面のワカメと麺が見えなくなるくらいに振りかけた。それは何らおかしいということはなく、伊東にとってはごくごく普通の薬味の使い方だ。俺はひとつまみ、パラりとふりかける。
「ん! うまっ! いやーさすが俺! 美味いわー」
「うん、美味い。スーパーで買う袋に入ったうどんとはまた違うな。弾力があると言うか」
「うん、ちょっと固めになるように作って、切るのも太めにしてみたんだ。でも、今ぐらいの季節だったらざるうどんにしても良かったかな」
「ああ、確かに。それはそれで美味かっただろうな。のど越し重視と言うか」
「……ぶっちゃけさ、今回のうどんはストレス発散だったんだよ」
「まあ、ストレスくらい溜まるよな」
「うどんって、こねたり踏んだりで結構力入れるだろ。だからちょうど良かったと言うか」
ストレス発散の仕方は人それぞれだと思うけど、伊東のそれは上手く自己完結して昇華しているなと思う。怒りのままに当たり散らしたりされると少し面倒だなと思うけどそれもないし、衝動買いの末に後から襲い来る虚無感とも戦う必要がない。自棄料理は消費してくれる人を見つけさえすれば悪いことでもないだろう。
あの人の関係のことならコイツは逆に泣き言を言って来るだろうし、やっぱりあの人の関係ではないのだろう。俺が知り得ないことは何かと言えばサークルの関係か。そっちの方で何かあったと考えるのが自然か。それなら俺はやっぱりそれに敢えて触れることをせず、まだまだあるうどんの消費方法を考えるのだ。
「ちなみに俺にくれたあと何食か分のうどんの他にもまだあったりするのか?」
「そりゃーうちにはまだもうちょっとあるよ。ちなみに今日は慧梨夏がいる方の日曜日だから普通にかき揚げうどんとかにしようかなー、それともざるうどんにしようかな」
「あの人は運動してきた後だろうから、ざるうどんの方がいいんじゃないのか」
「やっぱそっかー…! つかさ、何気にまだ冷やし中華もそうめんも解禁してないんだよ。このクソ暑いのに!」
「まあ、それは人それぞれだろ。と言うか冷やし中華はともかくお前の場合そうめんの解禁は一大事だろ」
「まあな」
「一般的にそうめんは楽をしたいときの定番じゃないかと思うんだけどな。それがどうして天麩羅の準備が始まるのか」
「しょーがねーだろ、うちじゃそうめんと言えば天ぷらなんだから」
小麦粉結構使っちまったからまた買ってこないとなーと言いながら、伊東はうどんをすする。このままだと冷やし中華もそうめんも自分で粉から作ってしまうのではないかと、冗談半分に思ってしまうのだけど、さすがにまだそこまではいかないか。
end.
++++
小麦粉の魔術師・いち氏がどうやらうどんを持って浅浦クン宅に襲撃しに来たようです。
何か思うところがあるらしい浅浦クンですが、敢えて触れずにそっとしておく辺りが付き合いの長さかしら
伊東家のそうめんは天ぷらまで出て来る豪勢な食事なのだけど、今年もその件はやりたいですね、然るべき時に
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「浅浦ー、うどん打ったんだ」
「ホント、よくやるよな」
うどんの麺の入ったビニール袋を持って伊東がうちにやって来た。コイツは時々こういうことをするんだ。宮林サンの世話をしている間に家事に目覚めたらしく、気付けば台所を要塞のようにしていた。1人暮らしを始めた当初は家電も学生の1人暮らしというグレードだったように思うけど、今ではかなり高級になったと思う。
まず、どこのメーカーのものかわからない1万円もしないような電子レンジが、大手メーカーの多機能オーブンレンジに変わっていた。値段も5万から6万、いや、もしかしたらそれ以上かもしれない。レンジだけではなく、その他にも台所用品にはこだわり始めたようだ。
その多機能オーブンレンジでパンを焼いたりケーキを焼いたり、本当にいろいろなことをしている。うどんはオーブンレンジを使わないけれど、小麦粉を使うものという意味でごくたまにやるようになっていたようだ。俺はスーパーで簡単に買える物を、わざわざ作るという発想にはなかなかならないけれど。
「ちょっと作り過ぎたけど、食うよな。つか食え」
「ああ。せっかくだしもらおうか。でも、うどんの具になるような物がないな」
「それは俺が持って来てる。ネギとワカメがあれば十分だろ」
「葱は刻むところからか」
「まあそうだけど、それだけだから俺がやる」
そう言うと、伊東は台所で葱を刻み始めた。水を張ったボウルには、これから戻す乾燥ワカメ。
伊東は家事が出来る。それは、料理も一通りだ。だけど俺はこの部屋でコイツに俺の包丁を握らせたことはない。俺は左利きで、包丁も左利き用の物を用意している。伊東もそれを分かっていて、この部屋での調理全般を俺に任せている。そもそも、コイツがこの部屋に来るときは大体ロフトでゴロゴロしている。
それがどうした、葱を刻むだけとは言え俺の包丁を使ってネギを刻んでいる。たったそれだけのことに、強い違和感を覚えるんだ。まず、コイツが俺の部屋に来ているのにゴロゴロしていないこと、そしてこの家にあるのが左利き用包丁だとわかっていながら台所に立つところ。他にもまだある。
「はーっ……」
やっぱり様子がおかしい。ただ、宮林サン関連ではなさそうだ。このバカップルは何かあると俺に愚痴ろうとしてくる。だけどその様子がない。……まあ、ここは敢えて詮索せずにうどんの消費に付き合うのがいいだろう。
「伊東、どうだ?」
「ああ、もうちょいで出来る」
「今思い付いたんだけど、肉うどんにも出来たぞ。冷蔵庫に肉あるし」
「あー……でもワカメ戻しちまったし、いいよ。わかめうどんで」
出汁も出来たし、ワカメも戻った。うどんもゆで上がって、いよいよわかめうどんが完成を迎える。俺は水と箸を用意して、食卓の準備を。
「おーい、出来たぞー」
「お、出来たか」
「じゃ、食おうぜ! いただきまーす!」
「いただきます」
さっき刻んだ葱を、伊東は表面のワカメと麺が見えなくなるくらいに振りかけた。それは何らおかしいということはなく、伊東にとってはごくごく普通の薬味の使い方だ。俺はひとつまみ、パラりとふりかける。
「ん! うまっ! いやーさすが俺! 美味いわー」
「うん、美味い。スーパーで買う袋に入ったうどんとはまた違うな。弾力があると言うか」
「うん、ちょっと固めになるように作って、切るのも太めにしてみたんだ。でも、今ぐらいの季節だったらざるうどんにしても良かったかな」
「ああ、確かに。それはそれで美味かっただろうな。のど越し重視と言うか」
「……ぶっちゃけさ、今回のうどんはストレス発散だったんだよ」
「まあ、ストレスくらい溜まるよな」
「うどんって、こねたり踏んだりで結構力入れるだろ。だからちょうど良かったと言うか」
ストレス発散の仕方は人それぞれだと思うけど、伊東のそれは上手く自己完結して昇華しているなと思う。怒りのままに当たり散らしたりされると少し面倒だなと思うけどそれもないし、衝動買いの末に後から襲い来る虚無感とも戦う必要がない。自棄料理は消費してくれる人を見つけさえすれば悪いことでもないだろう。
あの人の関係のことならコイツは逆に泣き言を言って来るだろうし、やっぱりあの人の関係ではないのだろう。俺が知り得ないことは何かと言えばサークルの関係か。そっちの方で何かあったと考えるのが自然か。それなら俺はやっぱりそれに敢えて触れることをせず、まだまだあるうどんの消費方法を考えるのだ。
「ちなみに俺にくれたあと何食か分のうどんの他にもまだあったりするのか?」
「そりゃーうちにはまだもうちょっとあるよ。ちなみに今日は慧梨夏がいる方の日曜日だから普通にかき揚げうどんとかにしようかなー、それともざるうどんにしようかな」
「あの人は運動してきた後だろうから、ざるうどんの方がいいんじゃないのか」
「やっぱそっかー…! つかさ、何気にまだ冷やし中華もそうめんも解禁してないんだよ。このクソ暑いのに!」
「まあ、それは人それぞれだろ。と言うか冷やし中華はともかくお前の場合そうめんの解禁は一大事だろ」
「まあな」
「一般的にそうめんは楽をしたいときの定番じゃないかと思うんだけどな。それがどうして天麩羅の準備が始まるのか」
「しょーがねーだろ、うちじゃそうめんと言えば天ぷらなんだから」
小麦粉結構使っちまったからまた買ってこないとなーと言いながら、伊東はうどんをすする。このままだと冷やし中華もそうめんも自分で粉から作ってしまうのではないかと、冗談半分に思ってしまうのだけど、さすがにまだそこまではいかないか。
end.
++++
小麦粉の魔術師・いち氏がどうやらうどんを持って浅浦クン宅に襲撃しに来たようです。
何か思うところがあるらしい浅浦クンですが、敢えて触れずにそっとしておく辺りが付き合いの長さかしら
伊東家のそうめんは天ぷらまで出て来る豪勢な食事なのだけど、今年もその件はやりたいですね、然るべき時に
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