2019
■Should we stop already?
++++
「こほっこほっ、ううん」
「菜月先輩、大丈夫ですか?」
「問題ない」
今日も今日とて昼放送の収録だ。土曜日にあるこの活動が今の俺にとっての憩いと言うか、癒しと言うか……心が休まる時だと言っても過言ではなかった。何て言うか、今は初心者講習会のこととかでいっぱいいっぱいと言うか。だけど、昼放送ではそんなことは関係なくただ目の前の番組と菜月先輩に集中できるから。
菜月先輩の調子が悪そうだ。多分昨日からだったと思うけど、少しずつ咳が増えて来ているような印象を受ける。菜月先輩はこの時期になると寝込むほどの夏風邪に見舞われるとのこと。もしかしたら今年もその季節になってしまったのではないかと。何とか寝込まないくらいで済めばいいのだけど。
「菜月先輩の体調のこともありますし、早く終われるようにしましょう」
「うちのことはいいんだ。30分くらいどうとでもなる。それよりも、しっかりと準備をしてだな」
「……はい、すみません」
使う曲のAD作業をしながら、時折小さく咳の混ざる菜月先輩の様子を見つめていた。自分のことはいいと言うけれど、ここから具合が悪くなる未来しか見えないと言うか。菜月先輩の体のことを心配しているのも本当だ。だけど、菜月先輩がいなくなったらどうしようという不安の方が大きい。
今の俺は初心者講習会のことでいっぱいいっぱいになっている。正直、サークル室ではいつ三井先輩が来てまたとんでもないことを言われるのかという恐怖と闘っている。だけど、そんな物は物理的にも精神的にも菜月先輩が払拭してくれていると言うか。
「……ノサカ?」
「はい」
「やっぱり、早くやろうか。それで、早く終わろう」
「ですが」
「お前の状況のこともある。愚痴でも何でも聞くから、早く終わろう」
「わかりました」
これは、菜月先輩からの気遣いなのだろう。有り難くもあり、申し訳なくもあった。多分、土曜日という他に誰も来ないであろう時に俺の話を聞いてくれると。愚痴でも何でも、普段言えないことを言えと、そう言われているのだろう。
「こほっこほっ! ふーっ」
「菜月先輩、大丈夫ですか」
「あの、ちょっと、たんま」
「はい」
タオルを口元に当て、咳を繰り返している。どう考えても菜月先輩の体調が1秒1秒悪くなっているような、そんな気がしてならない。俺はあくまでミキサーとして、平常心を保たなければならないと思いつつ、この状況にとても落ち着いてはいられなくて。
だけど、次に「行きます」と決めてからは早かった。曲中こそ少し咳払いがあったように思うけど、トーク中はそれこそ普段と何ら変わらない声を聞かせてくれる。菜月先輩の凄さを見せてもらった。俺も最初は心配していたのだけど、曲中の咳払いに関しては大丈夫なんだろうなと思わせてくれるほどにトーク中は安定していたんだ。
「はい、29分57秒です。お疲れ様でした」
「はー、終わったか。こほっこほっ」
「菜月先輩、お身体は」
「まだ大丈夫だ。……それでだノサカ」
「はい」
「今のお前の状況だ。……半ばわかってたんだけどな、お前が対策病を患うってことは。相当しんどいんだろう?」
「……正直に言えば、結構」
「三井が対策委員に介入してるって話も聞くし」
「三井先輩は……」
あの人の言っていることを思い出したくもなかった。俺たちの考えていることを無視して、想いを踏み躙るように物事を押し付けて来る。怒りもあるし、悲しみもある。他のメンバーも怒りや混乱でいっぱいいっぱいのようだし、俺はもうどうしたらいいかわからなかった。
何を言っても無駄、何を言っても届かない。三井先輩に対するそれもあるけど、他のメンバーに対して議長の俺が弱音を吐くことも違うと思って、それをここまで抱えて来た。講習会全体のことと言うより、不安とか何とかというのは俺個人のことだから。
「菜月先輩…!」
「ノサカ」
「俺たちは……インターフェイスの先輩に生きた講習をして欲しかっただけなのに……先輩たちを貶されてまで、プロのパーソナリティーとかいう人に来て欲しかったわけじゃないのに…!」
「三井が勝手にやってるんだな。話には聞いてる、講師候補の奴に辞退するよう連絡があったって」
「俺の意思ではありません…!」
「わかってる。……ノサカ、三井の暴走を止められなくて済まない」
「いえ、菜月先輩に謝っていただくことでは……」
「いや、止められる立場なのに、気付くのが遅れた。うちが止めるべきだったんだ」
「なつ、……ぁ、先輩……っ……」
「……うん。落ち着くまで、待ってるから」
得体の知れない感情が全部目から零れ落ちているような、そんな風にも思えた。熱いやら冷たいやら、よくわからない。落ち着くまで待っていると言ってくれた菜月先輩が、俺の背中をさすってくれている。もしかしなくても、一番みっともなくないか。
最初は悔しさだとか怒りとか、そんな感情が込み上げていたんだ。だけど、しばらくすると背中にある熱の優しさが沁みて来て、溢れる涙の意味が変わっていた。あとはもう、心を落ち着けるだけ。
「ノサカ、何かあったら力になる。あくまで講習を受ける人が最優先だけど、何でも言ってくれ」
「ありがとうございます…!」
「っ、こほっこほっ」
「それより、菜月先輩は大丈夫ですか? 風邪の方は」
「問題ない。さ、行くぞ」
「いてっ」
添えられていた手が、バンッと俺の背中を打つ。これでこの話はおしまい。帰ろう。そう言っているように感じた。
「同録はちゃんと持ったか?」
「はい、万全です」
end.
++++
講習会前のナツノサです。ノサカがそろそろいっぱいいっぱいやら、菜月さんがそろそろ例の時期やらでちょいちょいピンチです。
今年度のノサカは三井サンに対する反抗心じゃないけど、そうじゃないのになって思うには思っている様子です。
ノサカは何とか踏みとどまったようですが、ここから菜月さんが落ちて行きそうな予感。火曜日あたり、オンエア中の食堂に注目したいですね
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「こほっこほっ、ううん」
「菜月先輩、大丈夫ですか?」
「問題ない」
今日も今日とて昼放送の収録だ。土曜日にあるこの活動が今の俺にとっての憩いと言うか、癒しと言うか……心が休まる時だと言っても過言ではなかった。何て言うか、今は初心者講習会のこととかでいっぱいいっぱいと言うか。だけど、昼放送ではそんなことは関係なくただ目の前の番組と菜月先輩に集中できるから。
菜月先輩の調子が悪そうだ。多分昨日からだったと思うけど、少しずつ咳が増えて来ているような印象を受ける。菜月先輩はこの時期になると寝込むほどの夏風邪に見舞われるとのこと。もしかしたら今年もその季節になってしまったのではないかと。何とか寝込まないくらいで済めばいいのだけど。
「菜月先輩の体調のこともありますし、早く終われるようにしましょう」
「うちのことはいいんだ。30分くらいどうとでもなる。それよりも、しっかりと準備をしてだな」
「……はい、すみません」
使う曲のAD作業をしながら、時折小さく咳の混ざる菜月先輩の様子を見つめていた。自分のことはいいと言うけれど、ここから具合が悪くなる未来しか見えないと言うか。菜月先輩の体のことを心配しているのも本当だ。だけど、菜月先輩がいなくなったらどうしようという不安の方が大きい。
今の俺は初心者講習会のことでいっぱいいっぱいになっている。正直、サークル室ではいつ三井先輩が来てまたとんでもないことを言われるのかという恐怖と闘っている。だけど、そんな物は物理的にも精神的にも菜月先輩が払拭してくれていると言うか。
「……ノサカ?」
「はい」
「やっぱり、早くやろうか。それで、早く終わろう」
「ですが」
「お前の状況のこともある。愚痴でも何でも聞くから、早く終わろう」
「わかりました」
これは、菜月先輩からの気遣いなのだろう。有り難くもあり、申し訳なくもあった。多分、土曜日という他に誰も来ないであろう時に俺の話を聞いてくれると。愚痴でも何でも、普段言えないことを言えと、そう言われているのだろう。
「こほっこほっ! ふーっ」
「菜月先輩、大丈夫ですか」
「あの、ちょっと、たんま」
「はい」
タオルを口元に当て、咳を繰り返している。どう考えても菜月先輩の体調が1秒1秒悪くなっているような、そんな気がしてならない。俺はあくまでミキサーとして、平常心を保たなければならないと思いつつ、この状況にとても落ち着いてはいられなくて。
だけど、次に「行きます」と決めてからは早かった。曲中こそ少し咳払いがあったように思うけど、トーク中はそれこそ普段と何ら変わらない声を聞かせてくれる。菜月先輩の凄さを見せてもらった。俺も最初は心配していたのだけど、曲中の咳払いに関しては大丈夫なんだろうなと思わせてくれるほどにトーク中は安定していたんだ。
「はい、29分57秒です。お疲れ様でした」
「はー、終わったか。こほっこほっ」
「菜月先輩、お身体は」
「まだ大丈夫だ。……それでだノサカ」
「はい」
「今のお前の状況だ。……半ばわかってたんだけどな、お前が対策病を患うってことは。相当しんどいんだろう?」
「……正直に言えば、結構」
「三井が対策委員に介入してるって話も聞くし」
「三井先輩は……」
あの人の言っていることを思い出したくもなかった。俺たちの考えていることを無視して、想いを踏み躙るように物事を押し付けて来る。怒りもあるし、悲しみもある。他のメンバーも怒りや混乱でいっぱいいっぱいのようだし、俺はもうどうしたらいいかわからなかった。
何を言っても無駄、何を言っても届かない。三井先輩に対するそれもあるけど、他のメンバーに対して議長の俺が弱音を吐くことも違うと思って、それをここまで抱えて来た。講習会全体のことと言うより、不安とか何とかというのは俺個人のことだから。
「菜月先輩…!」
「ノサカ」
「俺たちは……インターフェイスの先輩に生きた講習をして欲しかっただけなのに……先輩たちを貶されてまで、プロのパーソナリティーとかいう人に来て欲しかったわけじゃないのに…!」
「三井が勝手にやってるんだな。話には聞いてる、講師候補の奴に辞退するよう連絡があったって」
「俺の意思ではありません…!」
「わかってる。……ノサカ、三井の暴走を止められなくて済まない」
「いえ、菜月先輩に謝っていただくことでは……」
「いや、止められる立場なのに、気付くのが遅れた。うちが止めるべきだったんだ」
「なつ、……ぁ、先輩……っ……」
「……うん。落ち着くまで、待ってるから」
得体の知れない感情が全部目から零れ落ちているような、そんな風にも思えた。熱いやら冷たいやら、よくわからない。落ち着くまで待っていると言ってくれた菜月先輩が、俺の背中をさすってくれている。もしかしなくても、一番みっともなくないか。
最初は悔しさだとか怒りとか、そんな感情が込み上げていたんだ。だけど、しばらくすると背中にある熱の優しさが沁みて来て、溢れる涙の意味が変わっていた。あとはもう、心を落ち着けるだけ。
「ノサカ、何かあったら力になる。あくまで講習を受ける人が最優先だけど、何でも言ってくれ」
「ありがとうございます…!」
「っ、こほっこほっ」
「それより、菜月先輩は大丈夫ですか? 風邪の方は」
「問題ない。さ、行くぞ」
「いてっ」
添えられていた手が、バンッと俺の背中を打つ。これでこの話はおしまい。帰ろう。そう言っているように感じた。
「同録はちゃんと持ったか?」
「はい、万全です」
end.
++++
講習会前のナツノサです。ノサカがそろそろいっぱいいっぱいやら、菜月さんがそろそろ例の時期やらでちょいちょいピンチです。
今年度のノサカは三井サンに対する反抗心じゃないけど、そうじゃないのになって思うには思っている様子です。
ノサカは何とか踏みとどまったようですが、ここから菜月さんが落ちて行きそうな予感。火曜日あたり、オンエア中の食堂に注目したいですね
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